転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



二十年前に読んだ『And I Don'T Want to Live This Life』を
最近になって、なんの気なしに最初から読み直していたら、
なんと、『WHO KILLED NANCY』という映画が、
今月から東京で公開されていたことに、きょう、気づいた。
誰が、ナンシー・スパンゲンを殺害したのか。
これは英ガーディアン紙の文章にある通り、
『パンクロック史上最大のミステリー』だと私も思っている。

1978年10月12日、ニューヨークのチェルシー・ホテル100号室にて、
刺殺体で発見されたのが、当時20歳だったナンシー・スパンゲン。
容疑者は、パンク・バンド『Sex Pistols』の元ベーシスト、
シド・ヴィシャスで、シドとナンシーは当時、恋人同士だった。
70年代後半に日本でMUSIC LIFEやRockShowを講読していた人なら、
シドとナンシーの、毒々しく強烈なカップルの写真を
誰でも見たことがあると思う。

私はピストルズのデビューから崩壊までを
リアル・タイムで知っていた世代で(勿論、雑誌やラジオを通して、だ)、
ピストルズのヴォーカルだったジョン・ロットンが、
QUEENのフレディ・マーキュリーを名指しで罵倒していた記事も、
あの頃、とても面白がって読んだものだった
フレディ本人が、彼を全く相手にしていなかったのが可笑しかったが、
一方で、いかにも鼻息の荒いジョンのことも私は嫌いではなかった。

シドは、そのピストルズに少し遅れて加入したメンバーだった。
漫画『デトロイト・メタル・シティ』第2巻で、
金玉ガールズのヴォーカルのニナちゃんが、
シャツが破れ胸に怪我をし顔を(鼻炎のために)歪めた根岸を見て、
『コ、コレは、シド・ヴィシャス!!』
と愕然とする場面があったが、それくらいシドというのは、
彼以後のパンク世代からは崇拝されている存在だ。
(シド・ヴィシャスについての概略は、こちらをどうぞ)。

私は、70年代にピストルズの記事を通してシド・ヴィシャスを知り、
寄り添うように彼のそばにいたナンシー・スパンゲンのことも、
そうした記事の写真を見て、ほぼ同時に覚えた。
彼らのことは、その衝撃的な死をも含めて忘れがたく、
88年に公開になった映画『シド・アンド・ナンシー』も観に行った。
89年夏にNYに行ったときは、事件の現場だったチェルシーホテルに行き、
その帰りに書店で、ナンシーの母デボラ・スパンゲンの著書である、
『And I Don'T Want to Live This Life』を偶然見つけて、買った。

この本には、家族、特に母親の目から見たナンシーのことが、
赤ん坊の頃から20歳で亡くなるまでの出来事を追いながら、綴られている。
ナンシーは、フィラデルフィア近くに住むユダヤ系中流家庭の長女だった。
両親は教養ある勤勉な人達で、妹弟も真面目で穏やかな性格だった。
世間では「ナンシーは情緒不安定で、非行に走り麻薬常習者になったため、
家族から疎まれ、孤独だった。それゆえにシドとの破滅的な愛に溺れた」
という観点で発言する人たちが今でもいるようなのだが、
母親デボラの記述からは、ナンシーの状態が、
そのように生やさしいものではなかったことが、読み取れる。

ナンシーは、結論だけを言えば、統合失調症だった。
しかし診断がつくのに時間がかかり、そのために、
適切な治療や教育を受ける機会を長く逸し続けたことで、
彼女の状態は、より深刻なものになった。
家族が彼女を見捨てた、と見られても仕方のない側面はあるが、
日々のナンシーの言動を読めば、彼女との生活が、家族にとっては、
自分たちの生死をも左右する過酷なものだったことが理解できる。

ナンシーは11歳の頃から、望みといえば「死にたい」だけ、
現実世界では少しも安らぎを得ることが出来ず、
闘い続けた彼女の慰めになったものは、音楽とヘロインだった。
シドは、期せずして、彼女の欲したものすべてを与えてくれた。
パンクロックと、ドラッグと、そして、死。
勿論、刑事事件としては、ナンシー殺害について、
シドが犯人なのかどうか、今日までハッキリとはしていないし、
そこにはもしかしたら不幸な偶然が重なっていただけかもしれないが、
彼女の死とシドとの恋愛が、全く無関係であったとは考えにくいと思う。

映画『WHO KILLED NANCY』では、大勢の人々の証言を追い、
ニューヨーク市警の捜査資料を洗い直して、
ナンシーの死の真相に迫ろうと試みているようだ。
『And I Don'T Want to Live This Life』を久々に手に取った途端に、
このような映画が公開されるとは、やはり私はなんとなく、
シドとナンシーに呼ばれているみたいな気がした。
死後三十年を経て、なお強烈な、ふたりなのだった。

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