ほぼ10年振りに滑るらしいNさんと連れ立って
強い冬型の気圧配置による雪予報を避け、あわよくば青空を期待して
今季2度目になる菅平高原スキー場に行って来ました。
若い頃取得したSAJ1級の“華麗な滑り”を披露したいという
無尽の宴席での彼の挑戦に乗り、とは言え、酔っ払い同士の約束のため
半信半疑のまま当日を迎え無事、実現するに至ったものです。
残念ながら午前中はずっと曇り、ようやく太陽が顔を見せたのは
「本格的インドカレー」の早お昼を済ませた頃のことでした。
30年ほど前の滑りの特長は
強い外傾向姿勢、完璧な外足荷重、はっきりとしたエッジの切り替え等など
そして、記憶に残っているある年のSAL1級の種目は
ウェーデルン・大回りのパラレルターン・山足踏み出しのステップターン
ゲレンデシュプルング・総合滑降(当時の正式な種目名は失念)の5種目でした。
6歳年下のNさんがいつこのバッジを取得したかを聞いてはいませんでしたが
話の向きからこの頃以前の滑りであることは容易に想像できました。
ただ、スキーはアトミックの180cm(R不明)、見た目は大回り系のカービング板なので
もしかしたら、の思いはありましたが、やはり予想は的中
見事なまでの“昔の滑り”で、私自身、詳しくはありませんが
この頃は確かオーストリア型と言われていたような覚えがあります。
ちなみに、確かフランス型と呼ばれ両足荷重の現在のカービングのような滑りも
当時、すでに存在していたような記憶もありますが
同時期かどうかを含めて定かではありません。
Aさんのお誘いによりお下がりをいただいて再開した当初
何度もコケるわ息が切れるわでAさんにとても付いて行けず
1本抜かせてリフト乗り場で待っていると山頂からケータイで連絡したのが
忘れもしない熊の湯スキー場でした。
あれから4年、コケて板が外れる度に大腿四頭筋をさすり
かなり遅れながら必死で後を滑り下りてくるNさんに
あの日の私の姿が完全にオーバーラップして見えてくると同時に
内心ではAさんも感じたかもしれない優越感を止めることは出来ませんでした。
午後からは志賀・一ノ瀬での4日間のレッスンが始まります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます