「すぐに来れますか?」との電話で病院から呼び出されたのが13日(月)の午前2時
そこは持ちこたえたのですが、朝になって医師から「今日明日には…」と告げられたのです。
1月4日の入院以来、ほとんどがICUでの治療で鎮静された状態でしたが
気管切開を拒否した2月初旬からは一般病棟に移されていました。
最後の望みであるマスクによる酸素吸入と点滴による投薬治療になっていて
これの効果がなければ手の打ちようがないことはすでに聞いていました。
間質性肺炎の進行は結果的に止めることが出来ず、その後、徐々に呼吸が浅くなりながらも
16日(木)の夕方まで頑張った末、なんら苦しむことも痛がることもなく息を引き取ってしまったのです。
結局、義母にしてあげられたことと言えば、ICUへの毎日の面会と
「今日明日」と告げられた以降は義母の意向を曲げてでも
私達夫婦が熟慮した会わせたい方々に連絡して義母にお別れをしていただくこと
そして、最後の瞬間を看取ることだけでした。
なかでも、「惨め姿は見せたくない」と常々言っていた義母の意向を曲げることはずいぶん悩みましたが
医師から「今日明日」と告げられた時点で天寿は全うしたものと判断し
それ以降は生きている者の気持ちを優先したことに後悔はしていません。
多分、義母も分かってくれたと思います。
これらを含めて、葬儀を終わらせるまでの2週間は、今までの人生の中で一番
さまざまな決断を立て続けに迫られた時期だったような気がします。
それも初めて経験することばかりのことに対して…。
「四十九日」の日程を決めた今、ちょっと腑抜け状態になっていて
こちらに投稿する記事の話題はいくらでもあるにも拘らず
頭の中がグチャグチャでまとまりが付かないため、疎遠になっていることをお詫びいたします。