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保護猫活動する隠居爺の野菜作りとスキーの日記そして病気の記録

冬場の60日以上はスキー、夏場はそのための体力作り&自給用野菜作り、そして保護猫活動と病気の記録も綴ります。

あっと言う間の2週間でした。

2012年02月25日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

「すぐに来れますか?」との電話で病院から呼び出されたのが13日(月)の午前2時
そこは持ちこたえたのですが、朝になって医師から「今日明日には…」と告げられたのです。

1月4日の入院以来、ほとんどがICUでの治療で鎮静された状態でしたが
気管切開を拒否した2月初旬からは一般病棟に移されていました。

最後の望みであるマスクによる酸素吸入と点滴による投薬治療になっていて
これの効果がなければ手の打ちようがないことはすでに聞いていました。

間質性肺炎の進行は結果的に止めることが出来ず、その後、徐々に呼吸が浅くなりながらも
16日(木)の夕方まで頑張った末、なんら苦しむことも痛がることもなく息を引き取ってしまったのです。

結局、義母にしてあげられたことと言えば、ICUへの毎日の面会と
「今日明日」と告げられた以降は義母の意向を曲げてでも
私達夫婦が熟慮した会わせたい方々に連絡して義母にお別れをしていただくこと
そして、最後の瞬間を看取ることだけでした。

なかでも、「惨め姿は見せたくない」と常々言っていた義母の意向を曲げることはずいぶん悩みましたが
医師から「今日明日」と告げられた時点で天寿は全うしたものと判断し
それ以降は生きている者の気持ちを優先したことに後悔はしていません。

多分、義母も分かってくれたと思います。

これらを含めて、葬儀を終わらせるまでの2週間は、今までの人生の中で一番
さまざまな決断を立て続けに迫られた時期だったような気がします。

それも初めて経験することばかりのことに対して…。 

「四十九日」の日程を決めた今、ちょっと腑抜け状態になっていて
こちらに投稿する記事の話題はいくらでもあるにも拘らず
頭の中がグチャグチャでまとまりが付かないため、疎遠になっていることをお詫びいたします。 

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通帳と届出印では家族でもお金が下ろせない不思議

2012年01月31日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

ICUで治療中の義母に代わり、それもキャッシュカードを仕舞い忘れたため
私が代理人として通帳と届出印を持ってM銀行の窓口に行っても
本人自筆の委任状がなければ現金を引き出すことはできないと言われました。

本人は鎮静剤で眠らされているので自筆の委任状など書けるわけがありません。

同居していることを2人の免許証などで証明し
病院にTELで病状を確認してもらっても良い、とまで言ってもダメだと言い張ります。

ヤフー知恵袋に質問を入れると、どの銀行でもこれが一般的な対応なので
こうした場合は事情など説明せず、本人に“なりすまし”て下ろせばよいのだと複数の回答をもらいました。

(窓口で本人確認をされると思うので、この回答には疑問もありますが)

当然、この“なりすまし”を銀行が進言することはないでしょうが
「キャッシュカードが見つかったらそれで下ろせます」とM銀行でもはっきりと明言しましたので
カードでの“なりすまし”は公然と見て見ぬフリをするということです。

そこでさらに、通帳と届出印、そしてキャッシュカードを持たず
暗証番号のみを告げて窓口でお金が下ろせるかと訊くと、これも「できない」と言うのですから
暗証番号を知っていることが、本人または本人の同意を得ているとは見なされないのでしょう。

つまり、窓口に出向いて正々堂々と正面切って事情を説明したら、委任状以外には下ろす方法はなく
ヤフー知恵袋の回答にしろ、M銀行のキャッシュカードの説明にしろ
“なりすまし”ではいとも簡単に下ろせてしまうことになるわけで
この理屈がどうしても私には理解できません。

カードと窓口の“なりすまし”で預金を下ろされても
銀行は「知らなかった」「気が付かなかった」で責任が回避できるけれど
顔を合わせて事情を知った上でお金を下ろして渡した場合は、責任が問われるのでしょうか。

そうであるならば、事情の裏付けをしっかりと取ればよいだけのことです。

少なくてもM銀行の説明では、顔を合わす必要のない、それもついでに作ることさえあるキャッシュカードの方が
銀行と預金者が面と向かってお金の出し入れをする通帳+届出印よりも重要視されている気がして
大袈裟に言えば、これが人の繋がりが希薄になった現代社会の象徴なのか、とさえ思えてきます。

いろいろな手数料も、カードの方が安く設定されていることからもそんな傾向が推測できますが
しかし、所詮キャッシュカードなどは預金口座に付帯するオマケのサービスであって
窓口の混雑を緩和したい銀行側の思惑も半分以上はあるのではありませんか。

こうした対応をする全国規模の大手M銀行ですが、窓口の女性では気の毒なので
ちょっと偉そうな奥の男性を引っ張り出して食い下がると、方法があると言います。

それは、義母と私の免許証を提示し
かつ“月々下ろしている十数万円程度の生活費に限り”応じるというものです。

だったらなぜ、最初から窓口の女性にそう言わせないのかと腹を立てつつ
また、何もこの通帳からではなく別の銀行の通帳から下ろせば済んでしまうとはいうものの
この指示に従い、かつ、次からはその男性を名指しするので
いちいち免許証の提示を求めなくて済むようこの顔を覚えておけ、と言い残してきたのは
せめてもの私の腹いせであって、カッカとしていた気持ちも少し治まったのでした。

それにしても、この対応、何かがオカシイと思えてなりません。

ちなみに、より規模の大きい(旧国営)Y銀行の窓口に女房が行った時の対応は下の通りで
これなら私も充分、納得ができますので
いずれはM銀行の定期を含めた預金の全てをこちらに移す予定です。

・“なりすまし”で数十万円の引出しを依頼する

・免許証の提示を求められたので代理人であることを告げる

・委任状の入手が不可能であることを説明する

・義母と女房2人の免許証のコピーを取られる
(その都度、必要とのこと)

・結果、1日50万円未満の引き出しが可能だった。

 

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墓に玉砂利を敷きました。

2011年07月08日 | 葬祭と相続の記録&自らの終活

墓と言っても“ぺぺ”のではなく
以前から義母から頼まれていた義母家のお墓に
玉砂利を敷き詰めたのです。

ぺぺが生きていたら七夕の昨日で16歳を迎えていたはずで
そんな日だからこそ、お墓の作業をしたくなったのですが
古刹である菩提寺は小さな山の麓にあって、広大な墓地は
その山の巨木を切り開いて作られていますので、かなりの傾斜地です。

安い中国製の一輪車までホームセンターで買い込んで
小袋の砂利や玉砂利を30袋程度、御影石を2枚運び込んで
汗だくになりながら半日がかりで完成しました。

当たり前ですが石って重いですね

この完成後の画像を見て
女房は「亡くなった父も喜んでいるね」と言っていましたが
亡くなった人には喜んで欲しくなく、死に関する祀り事は生きている者の
自己満足でよいと思うのです。

私自身には特に信奉する宗教があるわけでもなく
宗教的な難しい話をするつもりは毛頭ありませんが
もし、死んでからも“喜べる”のであれば、当然“悲しむ”こともあるわけで
いわゆる喜怒哀楽の感情をあの世でも持つのであれば
この世と同じ憎しみや怒り、悲しみや寂しさまでも感じてしまうはずです。

そうしたことからすべて解放された静かな「無の世界」であって欲しいと願うのは
ぺぺが一人で悲しんだり寂しがったりしているとは思いたくないからです。

ぺぺ、“虹の橋”のたもとは本当に、楽しいことばかりですか?

 

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