関西の人、特に女性はお笑いに厳しくて、何か話すにしてもちゃんと最後は落としてオチをつけないと、何か問題発言をしたのかと思ってしまうほど、オチがないことを責められますし、しゃべりのセンスのなさに呆れられてしまいます。
何か薀蓄を語れる知識よりも、笑いの話術は高い地位にあり、関西ではオチをつけてお笑いに繋げて話すことは、その人の教養の高さを表しているようです。
関西においてお笑いは、大人なら身につけておかなければならない嗜みなのです。
私はずっと、大阪、兵庫で暮してきて、生粋の関西人ですが、実はお笑いのセンスに悲しいほど恵まれていません。
お笑いのセンスは天から恵まれるものではなく、磨かれていくものだと思うのですが、42年間お笑いが文化的にもかなり重要な地位を占めている地方の庶民の中で育ったのに、全く磨かれていません。
確かに手相を見ると私にはユーモア線なるものが見当たらず、手相占いの信憑性と私のお笑いのセンスのなさを裏付けています。
お笑いで生計を立てる芸人でもない普通の人が、日常の会話の中でテレビでやっているレベル以上のお笑いを差し込んでくる。
そんな関西において、お笑いのセンスに恵まれず、磨く努力を怠ってきた私は肩身の狭い想いをしながら、今日も無口に暮しています。