私がなぜ万年筆をよりたくさんの人たちに使ってもらいたいのか、今使っておられる方にこれからもずっと使ってもらいたいと思うのか、改めて考えたことはありませんでした。
それはほとんど本能に突き動かされた行動で、ほぼ反射的にこの仕事をしないといけない、というように、自分の肌の感覚で動いてきたような気がします。
そしてその感覚は万年筆を広めたいという私の感覚に他ならないのでした。
私がまだ万年筆を使っていなかった時、勤め先の店で万年筆クリニックがありました。
万年筆クリニックに来ていたのは、その時初めて見た長原先生でした。その時長原先生と呼ばれていたのか覚えていませんが、ギョロッとした目で見られるとすくんでしまうような威圧感があったのを覚えています。
クリニック最終日に私は同僚達の目を盗んで、ずっと内ポケットに入れてあった1本しか持っていない万年筆を長原先生に見せました。
「太いし書きにくいので調整してください。それと使い方も教えてください。」
当時私はインク止め式の万年筆の使い方も知りませんでしたし、文字を書くのは手帳くらいでした。
長原先生に調整してもらったエボナイトの万年筆は生まれ変わりました。
文字を書くのが楽しくなり、雑だった文字が丁寧になりました。
送る荷物などにも一筆添えるようになり、相手への思いやりの心を持てるようになりました。
手紙を書くようになり、もっとたくさんの言葉の表現を知ろうと、本を読むようになりました。
本を日常的に読むようになると、様々な細やかなことに気付くようになり、芸術を理解しようとする気持ちが芽生えました。
そんなふうに私の中で何かが急に変わったのは、長原先生があの時調整してくれた万年筆のお陰でした。
あの時私が長原先生に万年筆を差し出さなかったら、今頃はどうしていただろうかと思います。もっと楽に生きることができたのかもしれませんが、万年筆のお陰で私は周りの人たちとほんの少しだけ違う生き方をし、これからもそうしていくのだと思います。
それはほとんど本能に突き動かされた行動で、ほぼ反射的にこの仕事をしないといけない、というように、自分の肌の感覚で動いてきたような気がします。
そしてその感覚は万年筆を広めたいという私の感覚に他ならないのでした。
私がまだ万年筆を使っていなかった時、勤め先の店で万年筆クリニックがありました。
万年筆クリニックに来ていたのは、その時初めて見た長原先生でした。その時長原先生と呼ばれていたのか覚えていませんが、ギョロッとした目で見られるとすくんでしまうような威圧感があったのを覚えています。
クリニック最終日に私は同僚達の目を盗んで、ずっと内ポケットに入れてあった1本しか持っていない万年筆を長原先生に見せました。
「太いし書きにくいので調整してください。それと使い方も教えてください。」
当時私はインク止め式の万年筆の使い方も知りませんでしたし、文字を書くのは手帳くらいでした。
長原先生に調整してもらったエボナイトの万年筆は生まれ変わりました。
文字を書くのが楽しくなり、雑だった文字が丁寧になりました。
送る荷物などにも一筆添えるようになり、相手への思いやりの心を持てるようになりました。
手紙を書くようになり、もっとたくさんの言葉の表現を知ろうと、本を読むようになりました。
本を日常的に読むようになると、様々な細やかなことに気付くようになり、芸術を理解しようとする気持ちが芽生えました。
そんなふうに私の中で何かが急に変わったのは、長原先生があの時調整してくれた万年筆のお陰でした。
あの時私が長原先生に万年筆を差し出さなかったら、今頃はどうしていただろうかと思います。もっと楽に生きることができたのかもしれませんが、万年筆のお陰で私は周りの人たちとほんの少しだけ違う生き方をし、これからもそうしていくのだと思います。