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元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

万年筆文化を広めたい

2007-02-15 | 万年筆
私がなぜ万年筆をよりたくさんの人たちに使ってもらいたいのか、今使っておられる方にこれからもずっと使ってもらいたいと思うのか、改めて考えたことはありませんでした。
それはほとんど本能に突き動かされた行動で、ほぼ反射的にこの仕事をしないといけない、というように、自分の肌の感覚で動いてきたような気がします。
そしてその感覚は万年筆を広めたいという私の感覚に他ならないのでした。
私がまだ万年筆を使っていなかった時、勤め先の店で万年筆クリニックがありました。
万年筆クリニックに来ていたのは、その時初めて見た長原先生でした。その時長原先生と呼ばれていたのか覚えていませんが、ギョロッとした目で見られるとすくんでしまうような威圧感があったのを覚えています。
クリニック最終日に私は同僚達の目を盗んで、ずっと内ポケットに入れてあった1本しか持っていない万年筆を長原先生に見せました。
「太いし書きにくいので調整してください。それと使い方も教えてください。」
当時私はインク止め式の万年筆の使い方も知りませんでしたし、文字を書くのは手帳くらいでした。
長原先生に調整してもらったエボナイトの万年筆は生まれ変わりました。
文字を書くのが楽しくなり、雑だった文字が丁寧になりました。
送る荷物などにも一筆添えるようになり、相手への思いやりの心を持てるようになりました。
手紙を書くようになり、もっとたくさんの言葉の表現を知ろうと、本を読むようになりました。
本を日常的に読むようになると、様々な細やかなことに気付くようになり、芸術を理解しようとする気持ちが芽生えました。
そんなふうに私の中で何かが急に変わったのは、長原先生があの時調整してくれた万年筆のお陰でした。
あの時私が長原先生に万年筆を差し出さなかったら、今頃はどうしていただろうかと思います。もっと楽に生きることができたのかもしれませんが、万年筆のお陰で私は周りの人たちとほんの少しだけ違う生き方をし、これからもそうしていくのだと思います。

風流を感じる

2007-02-09 | 万年筆
茶室を訪ねる私にとっての楽しみは、風流を感じることです。
その建物が建築史上どうだったとか、歴史的意義などを知ろうと思うことはあっても、それが目的ではありません。
その茶室の中に身を置いて、古人が感じた風流を自分も感じようとし、茶室の中に自然の力を効果的に取り入れられた仕組みを感じることです。
数百年前、ここで行われた厳かで個人的な行為に思いを馳せ、昔の空間コーディネーターたちが感じてもらいたいと仕組んだ仕掛けを雰囲気で味わうのが非常に楽しいと思っています。

2007-02-06 | 万年筆
縁というのはとても不思議なもので、どこでどう繋がるのか。それは結ぼうとしても故意に結べるものではなく、めぐり合わせと言うほかはありません。
昨年大晦日に焼き物の大収集家であるお客様のKさんのお宅をお邪魔して、焼き物に関していろいろご教授いただいてから、焼き物への憧れは強くなっていました。
兵庫県の焼き物の産地といえば立杭があり、そこを訪ねてみようかと考えていましたが、たまたまお話したお客様が茶道具のコレクションもすることを知り、お話を聞いているうちに備前への憧れが強くなっていきました。
たまたまペン先調整で訪ねてこられた、別のKさんが岡山から来られていることは知っていましたので、備前焼について聞いてみると、Kさんの義理の弟さんが陶芸家で備前焼きをしていて、見せてあげてもいいと言ってくださいました。
本当に不思議なめぐり合わせで、毎日たくさんの人と言葉を交わしても出会いがないこともあるのに、来られた数人の方々によって導かれていることが、とても不思議に思えました。

東湖園

2007-02-06 | 万年筆
備前焼の陶芸家宅を訪れる前日、岡山の街を訪ね、市街の端にある東湖園に行ってきました。
朝早かったこともあり、市電は空いていて、東湖園のある門田屋敷の電停で降りたのは私だけでした。
東湖園はひっそりとしていて、管理人らしき女性が掃除をしていました。
侘しい雰囲気を持った園は敷地の半分以上を占める池の周りを散策しながらその造形美を楽しめるようになっていました。
小堀遠州の作と伝えられていて、確かに所々純和風とは違う異質な整頓は遠州のものかと思わせてくれます。
茶室での時間をもったいぶるように、ゆっくり時間をかけて、庭園を歩きました。
池に写った茶室は、冬の澄んだ空気のせいもあり、くっきりとしていましたし、枝葉の全くない木々がこの庭園の輪郭をしっかりと見させてくれました。
建物の中には、茶室が三つほどあり、どの部屋も自由に見ることができました。
一番気に入ったのは、建物の端の池にせり出した部屋で、夏の暑い夜、涼みながら月を楽しみながら過ごすことができたと思われる二畳の茶室でした。
その後、お抹茶を頂きながら管理人の女性と世間話をし、非常に充実した気分で東湖園を後にしました。

想い 1

2007-02-03 | 万年筆
たった1年でしたが、この場所に残す想いはたくさんあります。
何もない、お客様もめったに来られない場所で商売をしようと思った時に、一番大切なのは積み重ねだと今なら言えます。
お客様の信頼の積み重ねは真心から生まれ、それが少ない販売チャンスを最大限に生かすのだと感じました。
ただ物を買ってもらいたいのではなく、そのお客様のことを心から考え、生活を変えてくれる可能性のある万年筆を薦めて、心豊かな時間をすごしてもらいたい、と思うことが真心を生みます。
私は幸い、尊敬に値するお客様しか知りませんでしたので、真心に努力は必要ありませんでした。

本を読む顔

2007-01-28 | 万年筆
雑誌か何かの記事だったと思いますが、高倉健さんがある監督に本を読むように言われたそうです。
本を読むと男の顔に深みが出る、本を読まない男の顔には深みがない、とのことでした。
本を読むだけで顔が本当に変わるのか分かりませんが、私も小学生の頃、母親に同じようなことを言われたのを思い出しました。
母はいつも私に本を読むように言っていて、私がおもちゃを欲しがっても、あっさり無視しましたが、本を欲しがったときはすぐに買ってくれました。
学校の宿題を放っておいて遊びに行くと、ガミガミ言われましたが、宿題をせずに本を読んでいても何も言いませんでした。
母が言うには、本を読まないと顔がボーッとしてくる、読んでいるときは引き締まっているとのことでした。
そんな本当か嘘か分からない話を小学生の子供に本気で信じさせた母も、とうの昔に他界していますが、そんな母の言葉を思い出しました。

武士道

2007-01-09 | 万年筆
この本の岩波文庫版を以前読んだことがありますが、言葉使いの違いから漠然とした内容しか分かりませんでした。理解できるまでもう一度読み返す根気もなく、そのままになってしまっていましたが、書店の目立つところにこの本が陳列されていて、行くたびに目に留まっていましたので、また読んでみました。
今度は現代語訳されたとても読みやすいもので、内容の理解も早く、楽しい読書ができました。
最近の社会での問題をこの本の精神が全て解決するとは思いませんが、古き良き日本を律していた武士道の精神、規範が忘れ去られ、宗教のない国において道徳とするものが欠落してしまっているの確かなのではないかと思います。
自分の弱い心と闘って、強いものに逆らい、自分より弱いものを守る気持ちを持ち続けていくことが、社会全体にあるいじめの問題を解決するただひとつの方法だと思いましたし、パフォーマンスではない真心による目立たない行いを重ねる慎み深さと信念が美徳だと改めて感じました。
私達の感情の奥底に残っている精神だと思いました。

ある茶碗との出会い

2007-01-03 | 万年筆
大晦日にあるお客様のお宅にお邪魔して、焼き物のコレクションを見せていただきました。以前からこういった伝統工芸には興味があり、特に陶芸は各地の風土がその作品に大きく反映されるということでとてもおもしろいと思っていました。
そのお宅は以前も訪ねたことがあり、その時は万年筆談義に花を咲かせましたが、そこらじゅうに焼き物がゴロゴロあり、その方面にもかなりの知識をお持ちだと知りました。
ボーナスをほとんどつぎ込んだというコレクションは膨大なものでしたが、その中からその方が特に気に入っておられる2つの茶碗といくつかの茶入れを見せていただきました。
どれも個性があり素晴らしいものでしたが、その中の青磁の茶碗の上品で緊張感のある形に感動しました。
韓国の人間国宝朴世の茶碗でした。
とても上品で静かな佇まいの形で、いつまで見ていても見飽きそうにありませんでした。
その茶碗にいったいいくらくらいの金額的な価値があるのかは知りませんが、とても良いものを見せていただくことができました。
(茶碗の写真がありませんので、その方の家の庭にあった実の落ちた柿木の写真を載せておきます。)

あけましておめでとうございます

2007-01-01 | 万年筆
あけましておめでとうございます。
年が変わったからといって何も変わるわけではないのかもしれませんが、気持ちの中でリセットすることができて、気持ちを切り替えることができるのは、とてもいいことだと思います。
特に旧年があまり良い年ではなかったという人には、年が変わるのはとても期待の大きいことでしょう。
私も2007年には大いに期待しています。ただ期待していたのでは何も変わりませんので、努力しなければなりませんが、大きな夢を見すぎず、自分の身の丈を考えて、少しずつ着実に前に進んでいきたいと思っています。