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元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

長い遊び

2013-09-26 | 仕事について

どんなに真剣味のあるシーンや難しい局面でも、ユーモアや笑顔を忘れないように、そういった時こそリラックスして、対面した方が物事が上手くいくという経験をしたことがある人も多いと思います。

そういった姿勢、精神状態でいる方が、深刻に受け止めるよりもある程度リラックスして、体や頭のパフォーマンスが上るのかもしれません。

それは不真面目とは違うのだけど、ユーモアが理解されず不真面目だと受け取る人がいる時はつまらなく思いますし、リラックスした状態と不真面目を履き違えて、真摯さを失っている人を見るとその微妙で大きな違いに上手く説明することができなくなるけれど。

いずれにしても、どんな仕事でも楽しむ気持ちを忘れずにいたいと思います。

自分がなぜ万年筆や手帳をはじめとするステーショナリーにいつも惹かれるのか考えてみると、多くの人が人生の大半の時間携わっている仕事をより楽しくするのに役立つものだからだと思います。

いつもの毎日において、滑らかで気持ちいいと思える万年筆の書き味があることを私はものすごく幸せなことだと思うし、今自分の生活の中からこれがなくなるなんて考えることができない。

万年筆やステーショナリーは、難しい仕事の時間中でも笑顔を取り戻すことに役に立つ、遊び心を思い出させてくれるものだと、仕事のパフォーマンスを上げてくれるものだと思うようになりました。

私は、自分の仕事を趣味や道楽のように言われると猛烈に腹が立つけれど、お客様にこれらを提案することは遊びなのではないかと思うようになりました。

自分が楽しい、良い、と思ったものを共感者を増やすために誘う。

それは子供の頃の遊びの誘いのような感覚。

遊びの定義は、よく分らないけれど、毎日の生活、服を選ぶこと、その日履く靴を選ぶこと、文章を書くこと、商品を企画すること、お客様に商品を勧めること、メールの返事を返すこと、自分のすること全てが遊びだと思うと、そしてそれは打ち込めば打ち込むほど楽しくなるものだと思うと、毎日は本当に楽しいと思います。

もちろん遊びで済まされないシリアスなこともあるけれど、でも私のような仕事をしている人間はそれを忘れてはいけないと思うし、それが許されるのではないかと勝手に思ったりします。


振り返る

2013-09-17 | 仕事について

毎年9月になると過去のこと、特に自分の仕事について思い出すことが多い。

それは創業した月を迎えて、あれは何年前で、これは何年目で、というように自店のホームページや自分のブログを見て思い返すことが多いからなのだと思います。

誰でも以前の自分を振り返って、嫌だなと思うことがあると思います。

私も一応は少しずつ考え方などは成長していて、以前の自分を思い出して嫌だと思うことがよくあります。

何か失敗をしたとかということはあまり嫌だと思わないけれど、自分の考えの至らなさ、思慮のなさを思い出すのは辛いと思うほど嫌なことです。

知識がなかったというものでしたら、それは若さとして許されるものなのかもしれませんが、甘えた考えを持っていた自分を思い出すのは腹が立ち、きっとその時は覇気のない情けない顔をしていたのだと思います。

仕事で悪い結果が出たとしても、その原因を自分の中に見つけようとしないと何の方策も得られないと思うけれど、人のせいにしたり、世の中や悪天候のせいにしたりすることも、私の甘い考えからくるもののように思います。

自分の人生や仕事は自分で行動して、自分で道を切り拓いていかなければならないのに、誰かが何とかしてくれると考える。

誰もが、たとえどんなに偉い政治家でも自分のことで精一杯だと思うと、頼ることはできない。

上司が自分を引き上げてくれると考えるのも甘えで、自分の力で地位を獲得していくように考える。

助けてくれる人は誰もいないということを心得て、生きてこなかったことが私の場合一番嫌だと思うことです。

さすがに今は甘い考えを持たないように努めているので、甘い考えの思考の中をグルグル回ることはなくなったけれど。

でも油断すると甘えた考えの自分が出てくることがあって、それは一番自分の中で直したいところでもあります。

仕事の結果よりも、収入が多い少ないよりも、甘えずに生きているかということを私は心掛けて生きていきたい。

 


繰り返しを維持する努力

2013-08-11 | 仕事について

お店は何かアクションをし続けないと、衰退していく。

常に何かの企画を続けて現状維持、何もせずただ店を開けているだけではどんどん悪くなると教えられ、私も身をもってそれを経験してきました。

過去にそれがしんどい、どこか田舎でのんびりと淡々と生きていくことはできないのかと、思ってこともありました。

でもそれはお店に限ったことではなく、どんな仕事にも言えることだし、日々の生活についても言えることだと思います。

幸いあまり病気をする方ではなく、丈夫な体になっているのと、単純な頭のおかげで毎日を同じようにただ繰り返すことは、どちらかというと得意で、そういう単調な毎日の中に喜びを見出していくことができます。

毎日同じ生活のリズムを何年も繰り返して、その間に子供が成長して、自分も齢をとっていくうちに生涯が終わることが人生なのかなと思います。

そういう繰り返しを実直に続けていくことで、世の中は自分を生かしてくれる、何らかの力が働いて救われるのではないかという、日常を神として信仰してしまうような感覚に身を委ねてしまうのは、すこし違うような気がしています。

愛着のある生活を同じように繰り返して生きて行きたいというのは、多くの人の願いだと思います。

でも毎日を繰り返すということはそれを維持する努力をしなければならず、私の人生の先輩達、日々淡々と生きた人たちはそれぞれの生活を維持するための努力をしてきたことに今更ながらに気付きました。

当たり前のことと思う人もたくさんおられるだろうし、当たり前のことを言っているのだけど、毎日を繰り返すことは自分自身の努力と我慢強さのようなものが必要だと思いますし、さらに現状から抜け出したいと思うのなら、何か自分がアクションを起こさないと誰も救い出してくれない。

毎日を繰り返すことも、毎日を変えることも自分自身が動かなかければいけないということを私のような人間はたまに自分に言い聞かせておかないとついつい何かに甘えてしまうことがあります。


時代は変わる

2013-07-30 | 仕事について

時代が変わったなあと思うことが時々あって、私たち昭和の人間はそろそろ適応する意識を持っておかないと、前時代の常識で物事を考えてしまいそうになります。

若い頃、夏になると近くで行われていた祭りによく出かけて行きました。

垂水も明石も神社が多く、いろんな所で祭りの夜店が出ていて、祭りに行くというか、夜店目当てで出掛けました。

食べ物ばかりではなく、射的やくじ引きもありました。

射的は高価ものは倒れないようにしてあるとか、くじ引きに当りが入っていないとかということは常識的に思っていて、もし当りを引いている人を見たらサクラだと思うのは、笑い話というか当たり前に思っていたことでした。

それは親が子に教えることだったり、仲間同士で言い合っていたことで、夜店でそういったゲームをするのは賞品を狙うのではなく、その場のノリ、祭りの気分を盛り上げるためにするものだと思っていました。

だますとか、だまされるという感覚ではなく、夜店とはそういうものだとお互い分っているという感じだったように思います。

当りがあると信じてお金をつぎ込めば、つぎ込んだ方が恥ずかしいと言われたのが前の時代でした。

それは21世紀か、平成かわからない、いつの間に変わったのか分りませんが、今は露店商であってもちゃんと当りを入れておかないと警察に通報されて逮捕される時代になっています。

それが良いとか、悪いとかではなく、時代が変わったと分りやすく感じる瞬間でした。

考えてみると、前の時代は、だます方はもっと悪いに決まっているけれど、だまされる方も恥ずかしいと考えられていた時代でした。


話が違うし、同列で語ると怒られるかもしれないけれど、子供の頃学校で先生に怒られて、大きなコンパスで頭を叩かれたというようなことがあっても、絶対に家に帰って母親に言えなかったし、皆そうだったと思います。

もしそれを母親に言ってしまったら、なぜ先生に怒られるようなことをしたのかと、さらに怒られるに決まっているから。

でも今は、自分の子供が怒られることをしたことを棚に上げて、学校にクレームを入れる親もいると聞きます。

私の感覚では怒られた方が恥ずかしいに決まっていると思うけれど。

学校の問題は、もっと複雑でいろんなことがあるのだと思いますが。

でも気付いたら時代が変わっていて、今まで自分が常識だと思っていたことが通用しなくなっていた、ということもボチボチ出てきました。

 


人生と万年筆

2013-07-23 | 仕事について

万年筆に正解はないと思っています。

完璧なバランスを持っていてこれ以上のものはないですよ、とセールストークで私が言うかもしれませんが、それが本当に全ての人にとって、正解だとは思っていません。

一番自分が好きだと思う万年筆は自分で見つけないとなかなか出会えません。

見つけるには自分の好みや、要求することが分っていないと見つけることはできないので、それを知っていることが重要なことだと思います。

自分がどんなものを求めているか分らないうちは一般的に良いとされているものを使ってみるのが良く、人が良いと思っているものにはどこか良いところがあるからです。

それに耳を傾ける素直な気持ちは持ち合わせていた方が良い姿勢だと思うので。

自分の求めるもの、好みが分っているからといって、それら全てを満たしているものが存在するかは分りません。

例えば細字で滑らかとか、ヌルヌル書けるものというのは、求めていることが矛盾しているし、強い筆圧なのに柔らかいペン先を求めることは無理がある。

すべてがバランスの上に成り立っていて、バランスを取りながら選択して、なるべく良い、自分が思うものに近いものを見つけ出す。

ここまで書いて、万年筆とは人生とよく似ているのではないかと思い当たりました。

まだ40代の青二才に人生を語る資格があるかどうか分らないけれど、人生にももちろん正解はなく、いろんな生き方があるわけです。

若い頃、人生や仕事の仕方に正解があると思っていました。

それを見つけるために本を読んだりしていました。

気付くのに少々時間がかかりましたが、そういうものがないと知ったことは人生の収穫だったかもしれないと、今では思っています。

万年筆と付き合うことで、人生において求めてもいいこと、諦めて妥協するべきことが見えてくるような気がします。

 


連休の最後

2013-07-16 | 仕事について

サービス業において、日曜日の夜というのは1週間のうちで最も暇な、お客様の少ない時間に、ある時からなりました。

私が働き始めたばかりの頃、土日は時間に関係なく忙しく、街は人でいっぱいだったけれど、その様子が変わりだしたのは15,6年前くらいからで、「サザエさん症候群」を感じたのはそのくらいだったと思います。

もしかしたら、それは神戸だけの現象なのかもしれませんが、例えば日曜日の帰りの電車などは人が乗っていないわけではないかれど、何かうら寂しいような、独特の雰囲気があり、この感じが私はなかなか好きなのです。

普通の週でしたらそれは日曜日ということになり、先日のような3連休になるとそれは月曜日になります。

ようするに連休の最終日にその雰囲気を感じます。

連休が長くなれば、長くなるほど店々の連休最終日の夜の暇さは増していく。

私にとっては週末でも、連休でも何でもないので、その雰囲気を楽しむことができるけれど、連休が当たり前になっている今の人にとって、日曜日は寂しい、休みの終わりを感じさせるものだと思います。

その気持ちは私も経験していて、学生の頃、休みが終わるのを認めたくなくて夜遅くまでどこかに行こうとしていて、深夜営業のファミリーレストランがお決まりの最終地点でした。

子供がまだ小さかった時も休みが終わるのを認めたくなくて、家に帰ってしまうと休日が終わってしまうような気がして、少しでも遅くまでどこかに行こうとする私に妻が呆れていた。

私のように休みを終わらせないために遅くまで外にいたいと思う人が多ければ、街は賑やかなはずだし、次の日から1週間がまた始まるから早めに家に帰ってゆっくりしようと思う人が多ければ、街の雰囲気は寂しいものになっていく。

それぞれの曜日には、その日の雰囲気があって、それらは毎週繰り返されるけれど、それぞれの曜日の雰囲気を味わいながら、楽しむお気楽な性格に気付いたら、なっていた。

ちなみに週の始まりの今日は、そこここに活気があって明るい気分になれる日で、とても好きです。


選択

2013-07-12 | 仕事について

保険でお世話になっているOさんと話していて、わが家の住宅ローンの利率がどうも高いことに気付きました。

高い利子で10年以上も払っていたことに落ち込みましたが、まだ20年以上の期間返していかないといけないので、なるべく金利は安くしたいと、ローンの借り換えを検討しています。

固定か、変動かだけでなく、銀行によってもいろいろ条件が違っていて、なかなか決められませんが。

でも住宅ローンという、堅実な生活を営もうとしている庶民である我々が利用するものにさえ、一種の博打的な不確定な要素があることに、何となく違和感を覚えます。

私はバクチのセンスがなく、最も苦手とすることで、栄光の記憶がありませんので。

 

でも金利とはそういうものだし、それが嫌なら安心を買うという意味で高い固定金利にしたらいいということになるのか。

それぞれメリット、デメリットがあって、自分が求めているメリットのあるもの、デメリットを自分は飲み込むことができるかで、選択しないといけないと思っています。

 


物を買うにしても以前はそれほど選択肢はなかったけれど、最近はいろいろな物の売り方があって、それらを正しい知識によって選ばなければならない。

一番決め手になるのは値段かもしれません。

定価売りか、割引して売っているか。定価売りなら、値段以外にどんなメリットがあるか。

割引したものを求めたいと思うのなら、どこが一番安いかで判断すればいいかもしれませんが、私は安いものにはそれなりのリスクというか、デメリットが付いて回ると思っています。

品揃えが良くて、アフターフォローが良くて、物以外に気分も買うことができる所は、定価で売られていることが多いし、定価で売るべきだと思います。

割引して売るということも売り手としてはそれなりの覚悟が必要で、値段で判断されるということはいつまでも続く他社との競争に巻き込まれるということで、様々なコストを削減して安く売る努力を追求していく。

自分で店をすることを視野に入れて、それに基づいていろんなものを見るようになると、売上を上げるために上司に持ち掛けていたセールをするということが、いかに自分たちの首を絞めることかということに気付きました。

お客様に不便をかけないように、それなりの体制で営業している店ではそれなりに利益をとらないと維持不可能だということ。

物を買うということになると、私はどうしても売り手の立場に立って考えてしまうので、自分が買う場合でもなかなかお客様の立場に立って考えにくい。

 

住宅ローンの件で気付いたのは、私たちには数々の選択肢があって、それはとても有り難いことだけど、自分が求めているものを選択しないと下手を打ってしまう可能性があるということでした。


道楽ではなく

2013-07-09 | 仕事について

この店に来た人が店内をグルッと見渡して「いいですね、趣味が仕事になって」と言われることが、ごくたまにあります。

それを言われると、何かモヤモヤした感じが胸の中に起こるというと、不思議に思われる方もおられるかもしれません。

確かに自分が好きで、多くの人にも万年筆を使ってもらいたいと思って始めた店で、好きなことを仕事にしているのだから、それは趣味の延長ではないかと思われても不思議ではありません。

よく言われていたのは、人の嫌がることにこそチャンスがあり、仕事とは辛く、苦しいものだということでしたので、そういうことから考えると、そうなのかもしれません。

好きで楽しくない仕事でもキッチリとこなしている人が大多数で、すごいと思っていますが、私は好きではないことはできないと思っていました。

やりたくないことはやらないというのは、とても我がままな生き方なのかもしれないけれど、40年以上は必ずある、人生の半分を占める仕事をしている時間を耐えて生きることが私にはできなかった。

そのように開き直って、仕事の仕方についての考え方が変わったのは、私にとってはとても良いことだったと思います。

子供の頃から好きな勉強はできるけれど、嫌いなことは全く努力しない性格で、それは大人になっても直らず、好きじゃないことはやりたくない、それが例えば会社において昇進に響くと言われても、迷わずやらない方を選んだと思います。

それを甘ちゃんだと言えばそうなのかもしれないけれど。

人から支持される仕事、人が集まってくれる仕事というのは、それをしている人が楽しんでいるかどうかということを、自営業やフリーランスをしている先輩達を見て、学びましたし、自分でも身を持って経験しました。

最近始めた当店のフェイスブックやメルマガも皆様に自分が好きだと思っていることを、自分が楽しいと思う方法で伝えたいと思って、心から始めたいと思って始めたことでした。

それぞれの情報発信の手段には利点も制約もあって、それらの中で情報を選んだり、伝え方を変えたりすることも、とても好きで楽しい仕事になっています。

上手に行えているかどうか分らないけれど、正解のない仕事を自分なりのやり方、自分が好きだと思うやり方を考えてすることがもともと好きでした。

もちろんそれらの仕事には店が少しでも長く続くためというシリアスな動機もあって、好きだからというだけではないですが。

自分の好きなことで多くの人に広めたいと思っていることだけど、生きていくためにもしていることで、それらは常に背中合わせにあります。

関わってくれている仲間達も皆、したいこと、伝えたいことと生きるためにしていることが背中合わせになっていて、それを趣味だと思う人はいない。

それらは生き方とも言えるもので、彼らの生き方をとても魅力的に思っていて、自分も近付きたいと思っています。


モノと天気

2013-07-06 | 仕事について

雨が気になって、ものすごく気に入っているオールデンの靴を履ける日が1週間に1日しかないと言うと多くの人が苦笑します。

履けないのは当然で、降水確率が0%で、夜遅くなる日は翌日も0%でないと履かないという厳しい基準を定めているので・・・。

最近では少し基準を緩めて降水確率30%までなら履くようになりました。

クアドリフォリオの靴もル・ボナーさんの鞄も、雨に濡れたくないものばかりが増えてどうしようかと思います。

雨の日でも気分が下がらないようにと雨用の靴や鞄をと考えることもありますが、その雨用という選択自体が妥協で、本当に気に入ったものを選んでいないような気がします。

ル・ボナーさんのブッテーロ革の鞄が教えてくれたのは、ブラシで手入れするということ。

最初のうち雨など水濡れに注意して、たまにブラシをかけたりの手入れをすると表面に光沢が出始めて、濡れても拭けば気にならなくなる。

靴も鞄も天気を気にして、仕舞いこんでおくのではなく、雨に降られたらその後のメンテナンスをちゃんとやること。

それが一番いいことが何となく分ってきました。

それでも雨の日の帰りなどはあまり歩かなくていいように、1時間に1本しかない家の前のバス停にとまるバスを待ったりしています。

 


チーム

2013-07-02 | 仕事について

以前、上司からおまえは算盤のできるやつと組めと言われたことがありました。

思いつきやアイデアは持っているけれど、勢いだけだった私を分析した言葉で、有り難いアドバイスだったと思っています。

上手くいっていた当時の相棒は、クールで目端の効く人でした。

そうやってチームを考えた時に、自分と同じタイプの人とだけ集まっても絶対に上手くいかない。

WRITING LAB.も私と駒村氏だけでは、全く機能しなかったと思います。

最も素敵だと思うチームは、ルパン三世と次元大介、石川五右エ門のチームだとずっと思って憧れていました。

ルパン三世のマンガにそれほど詳しい方ではないけれど、子供の頃から観てきたこのチームの関係は大人同士の良い関係を知る、とても勉強になるマンガでした。

あまりベタベタとした付き合いではなく、普段はバラバラに行動しているけれど、仕事となるとお互い補い合って一つの目標を達成する。

峰不二子に喜んで振り回される余裕のある大人の男であるルパンとクールで抜け目ない次元、マイペースだけど二人について行く五右エ門それぞれ自分らしさがあるのに、パズルのピースのようにガッチリとかみ合う。

タイプが違うからもちろん意見の衝突もあるけれど、方向が決まったら自然にそれぞれの役目につく。

実際の仕事のチームもこんな風だと上手くいくと思います。

ルパンタイプの人は次元と五右エ門を見つけないといけないし、次元は惚れることができる男気を持ったルパンを見つけないといけない。

自分と同じ意見、自分にいつもイエスと言ってくれる人だけを集めても上手くいくわけではないので、反対の意見を言ってくれる人は本当に有り難い。

自分たちのチームが完璧だとは思わないけれど、ある程度タイプが違うから続いていけているように思っています。