どんなに真剣味のあるシーンや難しい局面でも、ユーモアや笑顔を忘れないように、そういった時こそリラックスして、対面した方が物事が上手くいくという経験をしたことがある人も多いと思います。
そういった姿勢、精神状態でいる方が、深刻に受け止めるよりもある程度リラックスして、体や頭のパフォーマンスが上るのかもしれません。
それは不真面目とは違うのだけど、ユーモアが理解されず不真面目だと受け取る人がいる時はつまらなく思いますし、リラックスした状態と不真面目を履き違えて、真摯さを失っている人を見るとその微妙で大きな違いに上手く説明することができなくなるけれど。
いずれにしても、どんな仕事でも楽しむ気持ちを忘れずにいたいと思います。
自分がなぜ万年筆や手帳をはじめとするステーショナリーにいつも惹かれるのか考えてみると、多くの人が人生の大半の時間携わっている仕事をより楽しくするのに役立つものだからだと思います。
いつもの毎日において、滑らかで気持ちいいと思える万年筆の書き味があることを私はものすごく幸せなことだと思うし、今自分の生活の中からこれがなくなるなんて考えることができない。
万年筆やステーショナリーは、難しい仕事の時間中でも笑顔を取り戻すことに役に立つ、遊び心を思い出させてくれるものだと、仕事のパフォーマンスを上げてくれるものだと思うようになりました。
私は、自分の仕事を趣味や道楽のように言われると猛烈に腹が立つけれど、お客様にこれらを提案することは遊びなのではないかと思うようになりました。
自分が楽しい、良い、と思ったものを共感者を増やすために誘う。
それは子供の頃の遊びの誘いのような感覚。
遊びの定義は、よく分らないけれど、毎日の生活、服を選ぶこと、その日履く靴を選ぶこと、文章を書くこと、商品を企画すること、お客様に商品を勧めること、メールの返事を返すこと、自分のすること全てが遊びだと思うと、そしてそれは打ち込めば打ち込むほど楽しくなるものだと思うと、毎日は本当に楽しいと思います。
もちろん遊びで済まされないシリアスなこともあるけれど、でも私のような仕事をしている人間はそれを忘れてはいけないと思うし、それが許されるのではないかと勝手に思ったりします。