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元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

輝き続ける

2014-03-16 | 仕事について

最近あまりそういう機会を持つことができていませんが、以前よく古くからあるような町の文具屋さんを訪れたりしていました。

今ではもう手に入れることができないような万年筆を探して、そういうお店をまわっていました。

それはとてもワクワクする経験でしたが、同時に時代に取り残されたように見えるひとつのお店のお仕舞いに近い姿を見るような寂莫感を覚えました。

どのお店も開店した時は当店と同じように希望を持って始まって、強く輝いた時期もあったと思うけれど、今は店主の人の決断ひとつで、いつでも閉めることができそうに見える。

どんなものにも始まりがあって、終わりがあるし、それが人の営みなのだと思うけれど。

店主はやり遂げたという達成感で店を閉めるかもしれないし、今の時勢や文具業界の現状を考えると、自分の人生とともに店を閉める判断をすることができることは、素晴らしいことだと思う。

でも同じような個人店の駆け出し店主には自分の最期の姿を見せられているようで恐い。

それが自分が選んだ道で、もし最期はそうなってしまったら、それは仕方ないことなのかもしれないとも思うけれど。

今はまだいろんなことに興味があって、世の中の流れについて行くことができていて、その中で取捨選択することができているけれど、もし自分が年老いて、頭が硬くなって、頑固になってしまったら、時代に取り残されて、店は輝きを失ってしまうのではないかと思っている。

店を始めた時、もしかしたら仕事を始めた時から、今強く輝くのではなく、微かでもいいからずっと輝いていたいと思っていたので、いつも長く続くことを考えてきました。

店が輝き続けるために一番大事なことが、自己弁護的な頑固さに凝り固まらないこと。

いろんなことに興味を持って、いろんなことを受け容れる度量の大きさと柔軟な姿勢が必要なのかなと思っています。

今まで自分がしてきたことを肯定したいという守りの気持ちは、誰もが持ちたくなるのだろうと思うけれど、それが店の輝きを失わせていくのかもしれないと思っています。


街を変える小さなお店

2014-03-07 | 仕事について

遅読で、1冊の本を読むのに何日もかかってしまいます。

でもたまにまとまった時間がとれて、本を読み切ることができたら、それは充実した休日だと思える。

年1回であることが多いけれど、京都の恵文社は必ず立ち寄る、大好きなお店で、恵文社の店長をされている堀部篤史さんが書かれた本「街を変える小さなお店」を読みました。

自分と同じようにお店で仕事をしている人は、たとえ扱っているモノが違っていても同業者だと思っているし、共感し合える部分があります。

毎日同じようなリズムの中にあるはずなのに、同じ日は1日もなく、予測不可能なのがお店の時間です。

お店をするというのは、川の流れの中の石のようなものだと思うことがあります。

流れに流されないように、自分の居場所に何とか踏みとどまろうとして、踏ん張っているようなところがあって、それに流されてしまったら、ずっと流され続ける生き方をしていかなくてはならない。

恵文社は、元町よりももっと小さな町一乗寺にあって、人をその町に向かわせる強い引力を持っています。

そして恵文社の周りには少しずつだけど、お店が増えてきて、何か新しい町が出来始めているような感じがします。

地元に根差して、自然に横の繋がりの中心的な役割をしている本屋さんの店長の日常や考えておられることが、上手い文章で綴られていて、垣間見られる。

自分のできる範囲で、周りの人も巻き込んで、動かしていく。

大会社や業界が無理矢理作ったものではない、ムーブメントがそこには確かにあります。


販売職

2014-02-25 | 仕事について

まだ店を始める前のことですが、物を売る仕事に疑問を持ったことがありました。

お客様からお金をいただいて、物を買ってもらうということが、何か限界のあることのような気がして、物を売る以外の仕事で何か自分にできる仕事はないかと考えたことがあります。

自分のしている仕事なのに、知識や能力で報酬を得る仕事などと比べると、物を売る仕事が卑しいものに思ったのかもしれません。

でも考えてみるとどんな仕事も、物でなくても何かを売ってお金を頂いているようなところがあって、どの職種でも大して変わらないのではないかと思うようになりました。

私たちの仕事はお金を出して下さる方が直接見えるというだけの違いなのかもしれない。そのお客様が目の前にいるからとてもシンプルで、物を売る仕事の良いところはそんなところにあるのかもしれません。

そしてやったらやっただけの成果があるとこも健全な感じがします。

物を売る仕事というのは、誰でもなれる職業だけど、それを続けていく、生き残っていくのは実は大変で、経験や年功などの関係のない弱肉強食の世界だと思っている。

齢をとっても走り続けないと、すぐに後から来た人が追い抜いて行く。追い抜かれるだけならまだいいけれど、食われてしまうこともある。

でも短期間で大きな売上を上げるだけではだめで、いかに長期に渡り売上と利益のバランスをとって継続していくかということが心掛けないといけない、ゴールのないマラソンのようなもの。

売上と利益、生活と仕事、顧客満足度と店の都合などなどいろんなところにバランスを取らなければならないところがあるけれど、それが仕事あるいは、生き方と言えるものなのかもしれないと思っています。

 

何か複雑な仕組みがあるようなものではないので、そういうところも自分に合っているような気がする。

仕組みの中に組み込まれていないということは、保護されていないということにもなるけれど、それだけ自由で自分の好きなようにできると思える。

先ほど物を売る以外の仕事を探したと言ったけれど、自分に他にできそうな仕事はなく、きっと万年筆と出会っていなくても何か物を売る仕事をしていたと思います。


適性

2014-02-23 | 仕事について

息子は早くから学校の先生になりたいという夢を持って、自分の将来をイメージして、大学の教職課程や塾の講師のアルバイトをしています。

元教師の父は大変だからあまりおすすめしないと言うけれど、早くから自分のやりたいことを見つけて、それに向かって行動している想いは成就してほしいと思う。

私の商売と違っていろいろ複雑な問題があって、ただ好きというだけでできるものではないかもしれないけれど、その道を積極的に自分で選んで進むということが、その後のがんばりにつながるのかもしれない。

今は塾のバイトが楽しいようで、自腹で参考書などを買って研究し、小テストを作ったりして、暇があれば塾の仕事をしている。

今自分の前にある仕事に情熱を傾けて、のめり込んで、そればかりになる不器用なところは自分自身を見るようで、要領の良い生き方とはとても言えないけれど、若い時に損得関係なく何かにのめり込んで一生懸命になることが、後々生きてくる大切な経験であることは間違いありません。

やりたいことがあって、それに関係するアルバイトを提案してくれた当店のお客様がいて、それに情熱を持って向かうことができている息子はとても恵まれていて、幸せだと思う。

でも多くの若い人は自分が何に向いているか、何がしたいのか分らずにいることも、自分がそうだったからよく分ります。

友達や仲間といる時は忘れているけれど、一人になった時ふと気付く将来に対しての不安のようなもの。

自分と向かい合って、自分の本音を聞きながら悩むこともきっと後々役に立つ経験で、無駄なことではないことを今の自分なら知っているけれど。

自分のやりたいことが見つかって、それを目標にすることも素晴らしいことだけど、たまたま就いた仕事がやっていくうちに楽しくなって、気付いたらそれが天職になっていたということも大いにあるから、もし就職活動をしている人がいたら、あまり考えすぎずになんでもやってみたらと、無責任なアドバイスのような迷惑な言葉をかけるかもしれない。

自分の経験でしか言えないけれど、自分の適性に自分自身で気付くのはある程度人生の経験を積んでからでないと分らないと思うので、何が合っているかということを考えるのも、答えが出ないような気がします。

 


店の世界観

2014-02-18 | 仕事について

お店はきっとどこも何らかの世界観を持っていて、それを掘り下げ、表現したいと追究し続けるものなのだと思います。

その世界観は、店主の生き方や精神的なものが投影されていて、不器用な私たちのような人間はそれしか、表現するものを持ち合わせていないし、それができると思うからお店をしたいと思うのだと思っています。

なかなか上手くいかないけれど、世界観を表現することが終ることはないのだと思う。

自分が今まで生きてきて、考え続けてきてそうありたいと思った世界観のようなものを形にして、いつかお客様の前にそっと置けるようになりたいと思っています。

万年筆はただ気持ち良く文字を書く以上の何か、筆記具以上の何か精神的な思想のようなものを反映したものであって欲しい。

そう考えると重く感じるかもしれないけれど、何か重みのあるものにしようよというのが、当店の世界観なのかもしれません。

自分が求めている世界観をデザインで表してくれているのは、アウロラ88、ファーバーカステルクラシックコレクション、そして当店オリジナル万年筆Cigarで、それらに自分が求め続けてきた世界観が凝縮されていて、これらをもっと広げて、形にしたいと思い続けている。

ただのきれいなデザインとか、書き味が良いとかという表面的であったり、感覚的なサラッとしたものではない、人間のもっと奥底にある、その人を動かしている部分と共鳴するようなもの。

そんなものが本当にあるのかと言われるかもしれないけれど、いつもそういう万年筆を用意したいと思っています。

個人的にはコンパクトで胸ポケットにいつも差していて、いつも使っているようなものよりも、1本差しのペンケースに入れて持ち歩くような大太刀とも言えるようなもの。ペリカンM1000やオマスパラゴンのようなものが自分にとってのとっておきの万年筆だと言えて、そういう万年筆はちょっとやそっとのことでは出てこない、特別な時間に使いたいと思っている。

それは人ぞれぞれ違うものであっていいと思うし、そういうものだと思うけれど、そういう万年筆と出会える店でありたいと思っています。

 


分かれ道に立つ

2014-01-21 | 仕事について

昨年から高校時代の同級生たちが会いに来てくれる機会が多くなっている。

同級生同士のネットワークで人伝えに聞いたり、インターネットで見て来てくれたりしていて、懐かしい想いをしています。

卒業した高校は進学校ではなく、皆きっと勉強はあまり好きではなかったのではないかと思うけれど、その時点で他の道を見つけている子はとても少なかったので、討ち死に覚悟の大学受験に多くの子が挑んで行った記憶があります。そんなことを言うと怒られるかもしれないけれど。

それから28年たって、友達の多くは結局自営業のような仕事の仕方を選んでいて、それぞれそれなりにやっているようだと人伝えに聞きます。

きっと皆学校の勉強が得意ではなかったので、大きな会社に入った子などいなく、失うものもないので思い切った行動に出ることができたのではないかと言うと、また怒られるかもしれないけれど。

これから自分で仕事を始めたいという話も聞きます。

会社を辞めて自分で仕事をするというのは確かに思い切りが必要で、失敗のリスクがないと言えなくもない。

もちろんリスクはない方がいいけれど、それを恐れすぎると現状維持ということになります。

私が店を始めたばかりの時、気付いて自分自身に言い聞かせていたことは、100点を取らなくてもいいということ。

何かを始めて0点の失敗ということはそうそうないのではないかと思います。

40点、60点ということもあって、100点に近い方がもちろんいいけれど、50点でも苦しいけれど生活することができると考えると少しは気が楽になるような気がします。

そして、仕事においては学校の勉強と違っていろんな正解があるということ。

正解は誰か他の人が知っているのではなくて、自分自身が決断して、それを正解にするように行動することだとよく思います。

何もしないよりも、後悔のないように行動を起こしてみる方がいい。

でもこれは私も最近忘れていたような気がします。


自分らしく

2013-12-27 | 仕事について

忘年会が3日連続で入っていて、慌しく思っているのか、いつもの年末の雰囲気を感じにくくなっています。

それでも親しくさせていただいているお客様が来られて一通りの年末のご挨拶をさせていただくと、いよいよだというふうに感慨を持つことができます。

当店は7回目の年末を迎えています。

年末を迎えるたびにこうやって年を越せることが本当に幸せなことだと思うし、大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、元気にこうして生きていられることが有り難いことだと思えるのです。

今年1年もいろいろなことがあったけれど、ベラゴさんが近くに引っ越してこられたのは、本当によかったと思っています。

それはもちろん私の都合で、今までも近かったけれど近さのメリットが出にくい距離でした。今なら営業時間中にもちょっと行って帰ってくることができるので、でもきっとベラゴの牛尾さんも住まいの近くで、落ちついて仕事の打ち込めるようになってよかった思っているはず。

牛尾さんは普段真面目なのか、ふざけているのか分らないようなところがあって、でも仕事は誰よりも丁寧に、きれいに仕上げたいと思っていて、その二面性のようなところが魅力で、今までの生き方が表れているのかもしれない。

本人に聞いたわけではないけれど、学生時代を平凡に過ごしてきた私とは違う生き方をしてきた人のように思えます。

私は学生時代、本当に普通の子供で、大人になってから飲みの席で自慢できるような若気の至りでした武勇伝のようなものを持っていない。

30代くらいまで自分にそういうものがないことが少し残念に思ったりしていましたが、それは自分らしさをよく分っていなかったのかもしれません。

いろんな生き方があって、若いころ無茶していようと、いなかろうと、正しい正しくない以上に自分らしいかどうかが一番大切なことのように思います。

無理をしているとサマにならないので、それほど格好悪いものはないので、そういう人を見るのは辛い。

でも肩の力が抜けて本当に自分らしくなれたのは、40代になってからだったように思います。

それでも自分らしくないこともしてしまって、それはあまり良い結果を生まないことも分っているけれど、やはり時には自分と向かい合って、それは自分らしいかどうかと確認する必要がある。

来年はより自分らしく、サマになっている仕事を心掛けたいと思っています。


万年筆をおろす

2013-12-22 | 仕事について

万年筆をおろしました。

誰もがそうだと思いますが、新しい万年筆は本当に嬉しいもので、何か書きたくて仕方なくなります。

ちょうど年賀状のコメント書きを毎日していますので、新しい万年筆を馴らしていくのにちょうどいい。

先日ホームページの「店主のペン語り」http://www.p-n-m.net/column/column273.htmlに年賀状は顔料インクで書いた方が、雪国に届いても、雨が降っていてもインクが流れずにいいですよと書いて、実際にプラチナブライヤーに顔料ブルーのカートリッジを差して、せっせと書いていました。

でも新しい万年筆をどうしても使いたくて、ペリカンロイヤルブルーで年賀状を書きはじめてしまいました。

新しい万年筆は吸入式なので、吸入式に顔料インクを入れたくないし、ペリカンのロイヤルブルーなら間違えても消しペンで消すことができる。

雨で濡れて多少流れてもそれは味わいだろう、住所がちゃんと残っていればいいのだと言い訳しています。

新しい万年筆を使い始める時、いきなり調整して自分の書き癖に合わせて、何年も使い込んだようにはせずに、まず理想としている形にするために最小限の調整のみをして使い始めます。

使うことで、自分の癖に合ってくるのを楽しむ、1年か2年使えばその書き味は劇的に良くなってくるので、その変化を楽しみたいといつも思っています。

お客様の万年筆も、何も言われなければそのように調整していて、あまり削り過ぎないようにしています。

ヌルヌルの書き味ではないけれど、何の不満もなく使うことができるレベルまで持って行く。

初期段階での調整は、それぞれお好みがあって、販売員として、ペン先調整士としてお客様のお好みに合わせるけれど、削り過ぎるとせっかくあるペンポイントのイリジュウムがもったいないし、私の好みではない。

 

万年筆の販売員だけど、常に使う人間でいたいと思っていて、何か文章を書く時は必ずノートに下書きしてから書くようにしています。

万年筆を思いっきり使って、その万年筆の良さや欠点も使っている人間ならではの観点で伝えたい。

でも何よりも万年筆で文を書くのが好きだから万年筆を使っている。

自分自身で使うことによって、同じ万年筆を使う人と共通の話題として、その万年筆を肴に話が弾めば楽しいし、それが万年筆の遊びのひとつだと思っています。

今年も終ろうとしている時に使い始めた万年筆は、オマスアルテイタリアーナパラゴンの黒ボディに金金具です。

後日、詳細をご報告したいと思います。


直して安心して使う

2013-12-03 | 仕事について

ここ2ヶ月で3足の靴の底を張り替えに出していて、それはほとんどマイブームになっています。

かかとの唯一のゴム部分が半分減ると革部分に到達してしまうと焦り、すぐに張り替えたいとおもうことも理由です。

先日修理ができたオールデンを取りに行ってきました。

底の張替えとともに、コードバンの履きジワのところが白く毛羽立ってきたので、それを寝かしてもらうようにしたのと、左右で光沢に少し違いがあったので、左右差をなるべくなくすようにできないかという相談もしていました。

伝えたことは全てやってみると言ってくれて、それは無理でしょうとは言われなかったのはとても嬉しく、特に左右差をなくすことはもともと左右が違う馬のお尻の革なので、違って当然ですので、無茶なお願いだと言っている本人も分っている。

それでもとりあえずやってみてくれるところが、その心が嬉しいのであって、何もする前からそれは違って当然でと、違う理由について講釈をする人は職人ではないと勝手に思っています。

何も言わずに、お客の理想に近づけようとするのが心意気のある職人で、職人の、男の美学のような気がする。

無理難題を言われても、まず努力してみる。たとえその成果がそれほどでもなくても、それはそれで良くて、お客に少しでも良い気分で靴を履いてもらおうとするその心が大事だと思います。

私も専門家に自分の靴を見てもらって、これからもこのまま安心して履き続けられれば、本当はそれで良くて、お客と職人に信頼関係のようなものがあれば、自分の要求通りに靴が成らなくてもそれでいい。

靴はけっして安くない。安くないから最低でも10年くらいは、ボロくなりながらもその時、その時の風合いを楽しみながら履き続けたいと思います。

当店に万年筆の修理や、ペン先調整に持って来られる人も同じ気持ちなのかもしれない。

自分の万年筆を安心して、快適に使えるようにするために修理、調整に持って来られて、出来上がった時、オールデンと再会した私がそうだったように、きっと嬉しいのだと思う。

ペン先の調整でそれは矛盾した、相反する要望だと思うことがあるけれど、やはり何も言わずに努力したいといつも思う。

やる前にああだこうだ言うのは、粋ではないし、お客様の理想に黙ってなるべく近付けるのが、私の役割で美学だから。

 

安心して良いものを使うためには、修理や調整というのは必要なもので、それが気軽にできることが、最終的にそれらの商品が売れることにつながることを分っているお店や業界とそうでないところがあって、もちろん分っている店でいたいと思っています。

 


議論する

2013-11-26 | 仕事について

店をしていて楽しいなと思うことはいくつもあります。

この店に皆が集まるひとつの家のようになって、温かい穏やかな雰囲気に包まれると、この時間がずっと続けばいいなと思います。

特に冬は屋内の温もりが嬉しいので、団欒の季節だと言えます。

男ばかりが集まるとそれぞれの意見を言い合う議論のようになることがあります。

理屈っぽい話がいつまでも続いて、どんどん次の話題に移っていく。

話題はどんなものでもよくて、これは男のコミュニケーションの手段だと思っています。

家で何人かの男が集まるとこういう議論のようなものになって、子供は傍で聞いて、大人の考えや生き方を察して、自分も大人になった時にこんなに難しい話ができるのだろうかと、大人のすごさを知ります。

誰にもこういう大人の話を聞く機会があればいいなと思います。

大人になるまでに大人の話を黙って聞くことは、自分が話すことよりもはるかに大事で、その蓄積が薄っぺらい若さにその人の奥行きを作るような気がします。

大和座のお稽古場で、皆でああだこうだと言い合っていた時も安東先生が、こういう場が芸の肥しになるとおっしゃったけれど、本当にそうだと思います。

そういう議論から考えのきっかけを掴むこともあるし、書くもののネタを仕入れることもあります。

議論の中で、自分が言ったことが気付きになったりするし、人が言ったことはもっと大切な何かになっている。

仕事について、人生について話し合えるこういう場は、自分の人生にとっての宝物だと思っています。