最近あまりそういう機会を持つことができていませんが、以前よく古くからあるような町の文具屋さんを訪れたりしていました。
今ではもう手に入れることができないような万年筆を探して、そういうお店をまわっていました。
それはとてもワクワクする経験でしたが、同時に時代に取り残されたように見えるひとつのお店のお仕舞いに近い姿を見るような寂莫感を覚えました。
どのお店も開店した時は当店と同じように希望を持って始まって、強く輝いた時期もあったと思うけれど、今は店主の人の決断ひとつで、いつでも閉めることができそうに見える。
どんなものにも始まりがあって、終わりがあるし、それが人の営みなのだと思うけれど。
店主はやり遂げたという達成感で店を閉めるかもしれないし、今の時勢や文具業界の現状を考えると、自分の人生とともに店を閉める判断をすることができることは、素晴らしいことだと思う。
でも同じような個人店の駆け出し店主には自分の最期の姿を見せられているようで恐い。
それが自分が選んだ道で、もし最期はそうなってしまったら、それは仕方ないことなのかもしれないとも思うけれど。
今はまだいろんなことに興味があって、世の中の流れについて行くことができていて、その中で取捨選択することができているけれど、もし自分が年老いて、頭が硬くなって、頑固になってしまったら、時代に取り残されて、店は輝きを失ってしまうのではないかと思っている。
店を始めた時、もしかしたら仕事を始めた時から、今強く輝くのではなく、微かでもいいからずっと輝いていたいと思っていたので、いつも長く続くことを考えてきました。
店が輝き続けるために一番大事なことが、自己弁護的な頑固さに凝り固まらないこと。
いろんなことに興味を持って、いろんなことを受け容れる度量の大きさと柔軟な姿勢が必要なのかなと思っています。
今まで自分がしてきたことを肯定したいという守りの気持ちは、誰もが持ちたくなるのだろうと思うけれど、それが店の輝きを失わせていくのかもしれないと思っています。