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元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

調整士のひとりごと①

2021-06-12 | 仕事について

どんな時にペン先調整をお願いしたらいいですか?と聞かれることがあって、書きにくいと思ったら、調整をご依頼下さいと言います。

万年筆の書き味の良さというのは使う人の主観によるものだと思いますので、私がそのペン先をチェックした時に、これは引っ掛かるだろうと思っても、使っている人が書きやすいと思っていれば、私はそのペンに何もしない方がいいと思っています。

逆に私が良いと思っても、使っている人がこういうところを改善したいと言えば、話をよく聞いて、お好みに合わせようとします。

使う人の希望に、より近付くようにペン先をセッティングするのが調整士の仕事だと思っています。

そう言いながらもペン先を正しい状態にするとほとんどの人が書きやすいと思ってくれると信じていますので、まず正しい状態にセッティングするというのも私たちの仕事で、新品の万年筆を通販で買っていただいた場合は、ペン先を正しい状態にセッティングします。

正しい状態にセッティングする時に目指すのは、私が過去に感じた同じペンの最高の書き味で、いつも記憶にあるそれらの書き味を実現しようとしています。

それをしようと思うと、1本ずつ時間がかかりますが、それが当店で万年筆を買う価値で、他所のお店で買った万年筆よりも当店で買った万年筆の方がはるかに書き味が良いと思ってもらいたいから、朝から晩まで調整しています。

調整士は誰も思うことなのかもしれませんが、その万年筆を最高の書き味にしたいとは思いますが、そこに自分が調整した痕跡は残したくないと思いますが、それはなかなか難しいことで、そこまでの境地に達している調整士はいるのだろうか。

でもやっていないように見えて、最高の書き味をもたらす調整というものがあれば、それは間違いなく最高の部類に入るペン先調整のあり方に思えます。

そこまでにはまだまだ腕も人格も未熟だけど、なるべく上質な調整をしたいとは思っています。


万年筆の構え

2021-06-10 | 仕事について

万年筆とはこうやって書くものだと気負ったり、押し付けたりすることは好きではなく、自分の書きやすいように書くべきだと言いたい。

なぜなら万年筆は筆記具という表現の道具なので、それをどういう書き方で書くかということよりも、それで何を書くかということの方が重要だと思っているからです。

そう思うようになったのは、万年筆を仕事の道具にしているヘビーユザーの人たちのいろんな書き方を見てきたからなのかもしれません。

そういう人たちは尻軸にキャップをつけなくてはいけないとか、筆記角度は何度で書かなくてはいけないとか、ペンの後ろを持たなくてはいけないなどとは思っていなくて、自分が書きやすいそれぞれのスタイルを持っています。

しかし、私も万年筆の持ち方で悩んだ経験があり、書きやすいように持ったらいいと言ってもラチがあきませんので、万年筆の持ち方、書き方について述べさせていただきます。

私の経験では、重量が軽めのアウロラオプティマのような万年筆で持ち方に悩むことはあまりありませんでしたが、ペリカンM800のようなバランスが良いと絶賛される、重量のある万年筆の持ち方に悩む人は多いかもしれません。

バランスが良い、長時間の筆記でも疲れないと思えるには、このM800のどこを握って、どのように書けば感じられるのだろうと、この万年筆を使い始めたばかりの時は私も思いました。

万年筆を使い慣れた達人たちがしているように、ペンの後ろの方を持って書いてみても、思ったように書けず、文字にならない。
その持ち方に慣れるようにしたらいいのかもしれないけれど、私には空しい努力に思えた。

私の場合は、キャップを付けずに、書きやすいと思える首軸辺りを握って書いているうちに、キャップを付けたらもっと書きやすいように手が慣れていて、キャップをつけて同じところを握って書いていて、M800はやはりバランスが良くて書きやすいペンなのだと実感できています。

結局、この重さに慣れて、重さに任せて力を抜いて書けるようになると、どこを握って書いても楽に書けるのだと思います。

ただ、ペン先のひねりだけは、真っ直ぐでないと、良い書き味は得られません。

ペン先の向きが真っ直ぐというのは、ペン先の切り割りを中心とした左右のペンポイントが同時に紙に当たることです。

ペン先をひねって書くと、左右のペンポイントのどちらかが先に紙に当たり、書き出しが出なかったり、引っ掛かりを感じたりします。

それらを気にしないのであれば、ひねって書いてもいいし、ひねって書く方がペンをコントロールしやすい人もいるかもしれません。

逆に、真っ直ぐ書いているのに書き出しが出なかったり、引っ掛かりが強い万年筆は異常があるという言い方もできます。

万年筆の持ち方について調整士の見解も様々で、ペンの後ろを持って、筆記角度は50度以下で、ペン先は真っ直ぐ紙に当てるようにと啓蒙している人もいます。それぞれの考え方が表れるところでもあります。


播磨灘物語

2021-04-25 | 仕事について

播磨は気候も温かで、地形もなだらかな丘が連続していて、厳しいところがない、人が住むのにとても快適なところだと思っています。
そういう環境のせいか、戦国時代にも郡ごとに存在した小豪族がお互い姻戚関係を結びながら、微妙なバランスをとって平和を保っていました。
都に近いところにありながら、播磨の国がそうやって成り立っていました。

現代で言うと、他の土地は大資本による統合が進んでいるのに、播磨だけには小商店が多数存在して、それぞれが顧客のための仕事をして成り立っているということになるのかもしれません。

播磨灘物語(司馬遼太郎著)の主人公黒田勘兵衛の働きは、それらの小豪族の家老でありながら中央や時世に興味を持っていて、織田信長による天下統一を予感して、播磨の国に織田信長を招き入れて、小豪族たちを小田の傘下に入れたということになります。

当店も播磨の国の郡や町ごとに存在していた小豪族と同じようなものなのかもしれない。そして小田の傘下に入ることに抵抗していたと思います。
しかし、ただ古い慣習にしがみついているだけの存在なら、滅びても仕方ないのかもしれません。

戦国時代の小説を読んでいると、どうしてもそこに自分を当てはめて考えてしまいます。

それぞれの小さなお店や会社が大名までいかない小中の豪族で、大名が大資本のお店になります。
小豪族でも、その才覚で大名に下剋上していけるのは戦国時代と変わらない。

戦国時代も時代が進むと、グループ化が進み、集団のようなものができてきます。
そうすることで、より大きな力になることができるし、大きな資本から守られてるような気がする。

私は天邪鬼な方で、大きなグループに属するよりも、なるべくなら孤立して生きていきたいと思ってしまいます。
集まりに属して、同志と言える人たちと知り合って話すのもいいですが、商売においては皆ライバルになりますので、利益を共有することは難しい、無理のあることなのかもしれないと思い始めました。

ライバルは同業者だけでなく、モノを売るお店全てだと思っています。
ゴルフショップ、釣り道具屋さんなどあらゆる趣味的な要素があるお店はライバルなので、当店の場合ル・ボナーさんや590&Coさんのような特別な繋がりがないと共存は難しいのかもしれません。

当店のような小さな店は、大きな流れの外にいると思っています。
何か業績に影響が出るとしたら、世の中で起きていることや経済ではなく、自分たち自身に依るところが大きいと思っています。
グループや集まりに属していても、それは同じなのではないか。
自分たちに良いネタがないとどんなに大きなグループに属していても、埋もれてしまうし、いいネタを生み出し続けることができるのであれば、孤立してもやっていけるのではないか。

私のような天邪鬼は、昔の戦国時代は生き残ることができないのかもしれません。


ロマン

2021-01-02 | 仕事について

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 

年末年始は、どこにも出掛けず、家でじっとしています。

家にいて、掃除などした後は、今年の手帳にスタンプを押したり、ネットで好みの画像を拾ってノートに貼ったり、静かに好きなことをして過ごしています。

息子が横浜で結婚して、帰ってこないので、夫婦二人だけの本当に静かな年始を迎えました。

 

今年がどんな年になるか分からないけれど、自分のやりたいこと、楽しいと思うことを変わらずにやるだけだと思っています。

 

私が楽しいと思うことはとてもささやかです。

朝、その日着たい服をあまり多くない服の中から選んで、それに合った靴をその日の天気予報を参考にしながら選ぶことが楽しいと思う。

それと同じようにその日の仕事をイメージして、その日使いたいと思うペンを合うと思うペンケースに入れて持って出ることは、一日を楽しいと思わせてくれることで、当店はそんな楽しみをいつも提案したい。

 

趣味などを持たない私の楽しみというのはそんなものですが、そんな小さな楽しみのある日常を愛おしく思っています。

 

お客様にもそんな静かな楽しみを提案できる店でありたいと思っています。

そして、ロマンを感じてもらえる店でありたいと思っています。

私たちの活動を面白いとか、意気に感じてもらえるということは、お客様に喜んでもらえるものをご用意することと同じくらい大切なことだと思っています。

 

工房楔さんとの取引が中止になった件では、ご心配をお掛けしてしまい申し訳ありません。

10数年扱い続けてきて、木軸筆記具ブームがやっと訪れたのに、何て馬鹿なことをしていると自分でも思いますが、自分らしくもあります。

空いた穴は大きいですが、ロマンを感じていただけるもので埋められるようにしたいと思っています。

 

 

 

 


今年1年

2020-12-28 | 仕事について

今年最後の営業を終えて、約1週間の休業をします。よく長く休むねとからかわれるけれど、こんなものだろうと思っています。

昨年まで、近年は外にばかり目が向いていました。
どこに行って出張販売をするかということをいつも考えていたけれど、どこにも出て行けない1年を過ごしてみると、店にいてできることがいくらでもありました。
外に出ていかないとどうにもならないと思っていたのは、何だったのだろうと思います。

毎日同じように店に行って、同じくらいの時間に帰ってくる生活を1年間続けたけれど、貧乏暇なしで、結構忙しく仕事に追われていたというのが今年の印象でした。

本当は私はもっと余裕を持って、自分が手を動かすよりも、スタッフに手を動かしてもらうようにしないといけないけれど、皆忙しかったので仕方ない。
自分がやるしかないと思った1年でもありましたが、あまり良いことではないことは分かっています。

私がそう名乗っていいのか分からないけれど、私たち経営者は自分が楽しく充実して仕事するよりも、働いてくれている人が楽しく充実した仕事ができるようにしないといけない。

二人とも頑張って働いてくれているけれど、私からの働きかけでそういうことが全くできていなくて、会社にいた時の一担当者の時と大して変わっていないことは、本当に情けないことだと思っている。

1年が終わって、年が変わると何となくリセットされて、気持ちも新たになります。
そう言いながら、ダラダラと13年来たけれど、今年できなかったとが来年は出来るようなっていたいと思っています。

皆様、今年1年ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。

 

 


若い頃の経験

2020-11-26 | 仕事について

会社にいた時、入社2年目から5年間、店頭という場所の担当を任されていました。

店頭というのは、店の外側にワゴンを並べて、季節に合った商品、万年筆、手帳、クリスマスカード、年賀状から新製品のPRイベント、ポケットベル、携帯電話などあらゆるものを扱う場所でした。

他の人はエアコンの効いた店内で快適を仕事しているのに、自分は夏は汗だくで、冬は寒さに凍えながら仕事をしていた。特に冬は毎朝仕事に行くのが憂鬱で、毎日家に帰るのが楽しみでした。

そんな経験が自分の仕事のはじまりの時にあったので、今の快適な店の中で仕事をしていられることがとても幸せに感じます。

店頭には、店内とは別に独立したレジがあって、売上など成果がはっきりと出ます。

自分で企画して、商品を選ぶ自由もかなりあったし、アルバイトさんのシフトも組めた。
今思えば協調性のない自分には最適な場所だった思い、当時の上司の人を見る目の確かさに驚く。

そこで自分は手帳が好きなのだと気付くことができたし、携帯電話の接客は今の万年筆の接客に生きているし、年2回ほどしていた万年筆クリニックでは、自分もいずれこの仕事がしたいという目標ができた。

ペンショーなどの長机に商品を並べて販売する時、いかに高さを出して、売場に変化をつけて見栄えよくするというようなことを店頭で覚えました。

若い時に苦労して身に付けたことは生涯忘れないと思えるのは、この店頭での経験が自分の根底にあり続けているからで、そういうものは何かの拍子に思い出せて役に立ったりします。

前の会社には販売が天職のような、店の仕事の才能のある人たちもいましたが、私はそういうタイプではなかった。
店頭での5年間でやっと、販売の仕事を覚えることができたと振り返って思います。

今は様々なことを店の人間の立場で考えることができるけれど、それには店頭での経験が私には必要だったのかもしれない。

当時は、辛さも感じていたけれど、自分にはなくてはならない期間だったと思えます。

 


考えの変更

2020-09-24 | 仕事について

たまたま水曜日で定休日でしたが、9/23で当店は13周年を迎えました。

この店が始まった時、店のキャリアを積み重ねるほど、新しい景色が見えているのだろうと思っていたけれど、見える景色は13年前とそれほど変わっていない。年数を重ねただけでは、見える景色は変わらないのだと気付きました。

無理に新しい景色が見えるようにしようとは思わないけれど、何も変わらずに同じところに居ることが、良いことなのか、恥ずべきことなのか分からないけれど、自分のこだわりどころではない。

状況は変わらないけれど、13年前の自分と今とでは、その考え方は変わりました。
しっかりとした考えがあって、その考えに則って店の営業を続けられたら立派だけど、私は違いました。

その時の局面に応じて、考え方は変わりました。同じ場所で同じように営業しているけれど、店の内容も変わってきました。
その時々で、自分の興味に応じて、店は変わり続けてきたと思います。

たった13年ですが、店を取り巻く環境は変わりました。
気が付いたら、社会の情勢も変わっていて、その変化に自分が嫌でない範囲で適応してきた。

その時の流れの変化に必死についてきたら、13年経っていたというのが本当のところで、情けないのかもしれませんが、それが続いてくるということなのかもしれません。

店を始めた時、何とか正解を見つけようとしていました。
結局正解などなくて、自分が出した答えを正解にするための、人は努力するのだと開く直っていましたが、すこし考えは変わっています。

見える景色は変わっていないかもしれないけれど、ひとつ見えたものがあったとしたら、正解は自分のやりたいこと、自分が好きだと思うことだということでした。

また年数を重ねて、自分ももっと齢をとったら違う答えを見出しているのかもしれないけれど、その時はまた古い考えは簡単に捨てて、新しい考えで店をしているのだと思います。

でもその考えは、最低限お客様のためになって、それが支持されて、店が続いていくためのものだと思います。
私はまだ若い。会社で働いている同年代の人たちはきっと課長などの職責について、バリバリと仕事をしないといけない立場だと思います。

私もまだまだ仕事を続けないといけないし、若者がいるので、自分のゴールよりも遥に先まで、この店が止まらないように、続いていけるようにしないといけないと思っています。


制約を越えるもの

2020-04-10 | 仕事について

万年筆はクラシック音楽の楽器に似ていると思います。ロック、ポップスでキーボードが使われるのが当たり前だけど、クラシックではきっと使われない。クラシックの世界では、電子的に音を出すことは許されないのだと思うけれど、そうあってほしい。それも安心感だと思います。

万年筆に最新のテクノロジーを取り入れて、例えば自動的にきれいな文字が書ける万年筆が発明されたとしても誰も喜ばない。
金ペン先の柔らかいタッチ、染料インクの紙への沁み込み、インクを吸入する所作に私たちは安心感を覚えます。

万年筆の抑えないといけない制約の中での改良なら、それを使う人は大歓迎するかもしれないけれど、そこから外れたものはなかなか受け入れられない。

今まで数々の新製品が発売されて消えていったけれど、その辺りに分かれ道があったのかもしれないと思いました。

具体的になかなか挙げられないけれど、踏み越えてしまってからでないと分からない制約が万年筆にはあって、私などはそんな制約、歯止めがあることに何となく安心感を持っています。

その制約も時代とともに、多少変化するものなのかもしれません。

例えば、1966年にラミー2000が発売された時、ラミー2000は全く売れなかったそうです。

きっとラミーはその時、越えてはいけない制約を越えたのだと思います。
そして、ラミー2000は時代が下るとともに受け入れ出して、制約が追いついた。

しかし、ラミーは1980年また制約を越えるという暴挙を犯します。サファリの発売でした。

サファリは、当時の万年筆の業界においてはあまりにも実験的な万年筆でした。きっと発売当時は理解されなかったと思いますが、日本では2000年頃にはサファリのブームが到来して、2004年には限定品まで発売されるようになりました。

ラミーが発売した実験的な万年筆が、ずっと後になって世の中に受け入れられることを思うと、ラミーが万年筆の越えてはいけない制約を越えることは勇気ある行動に思える。

今万年筆の業界も停滞していると思います。また制約を越える勇気ある商品が必要なのかもしれません。


誰のせいにもしない

2020-04-05 | 仕事について


角の桜が満開です。通る人の目をなぜか惹きつける魅力がこの木にはあります。

 

若い頃、売上が悪いことを天気のせいにしてはいけないと上司に言われて、それを守ってきました。
天気を言い訳にしてしまうと、そこで何も考えなくなってしまうからだと解釈しています。

今回のコロナウイルス禍ではそれを忘れていました。
何でもコロナウイルスのせいにしてしまったら、そこで諦めてしまい、何の努力もしなくなってしまう。

中には風評被害にあったり、自粛要請などあって営業することすらできなくなっている飲食店などもある中で、当店は営業できている。させていただいている。
コロナウイルス禍という悪天候をまず差し引いて、自分の店に足りないことや打つ手について考えるべきだと思いました。

世の中の経済が止まって、店の業績が悪くなって困った時に誰かが助けてくれたらいいけれど、そんなことは起らない。国も他に助けないといけない人がたくさんいるので、自分が助けてもらえるとは思えない。
自分たちの力で、お客様のお力を大いにお借りして立っていないといけない。

何か危機が訪れた時に誰かのせいにして、非難したくなるのかもしれません。
でも国や政治を非難しても私たちの状況は良くならない。

自分たちで考えてウイルスを避けながら、どうやったら楽しく暮らすことができるかを考えないといけない。
私は自分の提案した万年筆やステーショナリーを人が使ってくれて、自分と同じように楽しいと思ってくれて、それで自分たちの生活が成り立つことが一番楽しいことだと思っています。

それを続けていくにはどうしたらいいかを考えたい。
そういうことを考えることも、実は楽しい作業だと思っています。
小さな店なので今まで何度も危機に遭遇してきた。見えない力に助けれらているのかもしれないけれど、そのたびにゲームのステージをクリアするような感覚で、楽しみながら切り抜けてきた。楽しみながらと言うと、遊び半分に聞こえるかもしれないけれど、その都度真剣に考えてきました。

今は将来の見通しが全く立たず、状況がどんどん変化すると思っていたけれど、今までも将来のことが見通せていたかというと、そんなことはなかった。先に何が起こるかなんて、元々誰にも分からなかったのではないか。

今回のステージも当店には少々難易度が高いかもしれないけれど、楽しみながらクリアして、また違うステージに進んでいきたい。


ラマシオンの時計イベント12/7(土)8(日)

2019-11-22 | 仕事について

 

ラマシオンの吉村さんにオーダーした時計が出来上がり、喜んで毎日付けている。

吉村さんが作った時計をいろいろ見せていただいて、全くのゼロの状態からいろいろ仕様を決めるていくのも楽しかったし、時計が出来上がるまで待つのも楽しい時間でした。

出来上がったらもっと楽しかったけれど。

今回の時計は、少し照れ臭いけれど結婚25年の記念のものでした。節目となる年なので何か形として残るものということで妻と揃いで作ってもらいました。

サイズは違うけれど、デザインはほぼ同じものになっています。

今まで時計を趣味にしたことはなく、ずっとセイコーの同じ時計を何回も修理して使い続けてきました。

仕事のやり方が変わって、服装が変わったことと、齢をとったせいか、生真面目な感じがするセイコーの時計よりも遊び心のあるものをつけてみたいと思っていた時に、ラマシオンの吉村さんと出会いました。

シチズンの機械式のムーブメントを使って、世界で一つだけの時計を作ることができるという時計のあり方があるのだと知って、当店が万年筆を趣味とするお客様に提案できる時計だと思いました。

中の機械の鼓動が見えるスケルトン仕様、スターリングシルバーにロジウムを掛けて黒ずまないようにしたケース、三日月をイメージした文字盤に私の好きな色のターコイズを12時位置にあしらってワンポイントとしています。

リューズの形、針の色など細部まで指定することができますので、まさに世界でひとつだけの自分のための時計です。

きっと私はこれからこの時計をずっと付けていくのだと思っているけれど、新しい時計を手にして、また違う扉を開いてしまったような気もしています。

ラマシオン吉村さんが当店に滞在し、自作の時計の販売、オーダーの受注を12月8日(土)9日(日)にいたします。私もご相談に乗ります。どうぞ、ご来店下さい。

当店オリジナルのラマシオンさんとのコラボ時計もイベントに間に合う予定です。そちらも楽しみにしていて下さい。