日朝協会「京都府連合会」です。韓国・朝鮮との友好を進める、日本人の団体です。1カ月¥500 841-4316福谷気付

 世界の出来事から日本・韓国・朝鮮の未来を見る。
 皆さんの声を生かして活動を進めます。

●毎週火曜日、18時~19時は、四条河原町で無償化適用を求める火曜アクション!

2018-08-23 | 日朝協会呼び掛け

日朝協会京都府連は、

日朝韓の友好を広めるために、在日朝鮮人学校への見学や交流に取り組んでいます。

秋の日程をお知らせいたしますので会員以外の方でも

関心のある方はご自由にご参加ください。

 

●朝鮮半島の平和統一を歓迎する! Kyoto × OneKorea ピースパレード 2018

 来る9月15日、京都で朝鮮半島の平和機運の高まりを歓迎するパレードがおこなわれます。団体賛同、個人賛同も募集中です。日本のマスメディアの中では平和ムードに懐疑的な物言いが多く見られますが、分断の悲しみと苦しみを肌身に感じて来られた人々にとって今日の状況は感無量でしょう。歴史の転換点をともに歓迎し、東アジアの平和と民族教育の展望の広がりをめざして歩きませんか!?

   9月15日(土) 午後1時 ~ 午後3時15分
   場所:円山公園野外音楽堂
   参加費:500円

   プログラム
   □午後1時~2時 音楽堂でアピール、小公演
   □午後2時15分~ 四条河原町から京都市役所に向けてパレード出発

●京都、滋賀の朝鮮学校のイベント
   8月26日(日)11:00~15:30 滋賀朝鮮初級学校
   第13回みんな集まれ!ウリハッキョマダン滋賀2018

9月1日(土)17:30~21:00 

  京都朝鮮第二初級学校
  野遊会(納涼祭)

9月8日(土)17:00~21:00 

  京都朝鮮初級学校
  サマーフェスタ(納涼祭)

9月23日(日)9:30~15:00頃  

  京都朝鮮中高級学校
  第65回体育祭

10月7日(日) 京都朝鮮中高級学校
創立65周年記念公開授業


10月8日(月)13:00~17:00 京都朝鮮初級学校
第11回フレンドシップコンサート 場所:同志社大学寒梅館

●大阪高校無償化裁判 控訴審判決

9月27日(木)いよいよ控訴審判決です。
昨年7月28日の大阪地裁での全面勝訴判決の後、国は控訴しました。
先日ジュネーブの国連人種差別撤廃委員会で各国の委員が無償化除外は差別であると指摘すると、日本政府は、広島、東京、愛知の3件の訴訟で、国の判断が認められたと反論し、大阪地裁判決の内容にはまったく触れませんでした。
朝鮮学校に学ぶこどもたちにも差別なく「等しく学ぶ権利」の保障を求めて、負けられないたたかいです。判決傍聴と報告集会にお集まりください!

9月27日(木)午後3時 判決言い渡し 午後2時10分:傍聴抽選締め切り 大阪高裁202号法廷同日 午後6時~ 判決報告集会 場所:クレオ大阪中央大ホール

●毎週火曜日、18時~19時は、四条河原町で無償化適用を求める火曜アクション!

街頭参加、カンパご支援、差し入れなどなど、大歓迎です。

 


「元気でね、また会いましょう。お気をつけて、また会いましょう。声が枯れるまで叫びます。元気な姿でまた会いましょう…」。同日午後1時、金剛山ホテル2階宴会場。「再会が全て終わりました」。

2018-08-23 | 板門店宣言を次々実行

「車で40分なのに、死ぬ前に一緒にご飯食べよう」「長生きしてまた会いましょう」

登録:2018-08-23 03:20 修正:2018-08-23 08:19

 
 
92歳の兄は70歳の妹に 
「死ぬ前に私の家でご飯も食べて…」 
三日間ずっと口数少なかった娘の慟哭  
「お母さん、お母さん!どうかお元気で!」

第21回南北離散家族再会1回目の行事最終日の22日午後、金剛山ホテルで北朝鮮の家族が南に離れた家族と別れの挨拶をしながら涙を流している=金剛山/写真共同取材団//ハンギョレ新聞社

 「私が乗って行くバスは8番、8番、8番バスだよ」。兄のシン・ジェチョンさん(92)は「お母さんにそっくり」の北側の妹、クムスンさん(70)に自分が乗るバスの番号を繰り返し伝えた。家族で唯一南側に避難し、生涯寂しく暮らしたシンさんは、妹のクムスンさんへの思いが胸にしみ、毎晩一人で「頑張れクムスン」を歌った。こうやって妹に会い「嬉しくて胸のつかえが取れたのに」、再びお別れだ。

 「互いに往き来できれば、私の家に連れて行って、たくさん食べさせてあげるのに。死ぬ前に私の家に来て、一緒にご飯を食べようよ。車だと(金浦から開城まで)40分で行ける。往来できれば、いっぱい食べさせたいのに…」

 20~22日の2泊3日間、金剛山(クムガンサン)で開かれた第21回南北離散家族再会の1回目の行事が幕を閉じた。南北の離散家族らは22日午前10時から午後1時まで、金剛山ホテルで別れの挨拶をした。

 「元気でね、また会いましょう。お気をつけて、また会いましょう。声が枯れるまで叫びます。元気な姿でまた会いましょう…」。同日午後1時、金剛山ホテル2階宴会場。「再会が全て終わりました」。永遠に来てほしくなかった時間はついに来た。別れの行事3時間がすべて終わったことを知らせる案内放送と共に、南北が皆知っている歌「また会いましょう」が流れた。南と北に離れて暮らす5万6千人の離散家族が会う日は来るだろうか、今回の1回目の行事で会った南北の89家族がまた会える日は訪れるだろうか。

■口数少なかった長女が号泣した

 「お母さん!お母さん!」。3日間ずっと口数が少なくおとなしかった長女が、生き別れた南側の母、ハン・シンジャさん(99)が乗ったバスを激しく手でたたいた。バスの窓が娘の身長より高く、母親の顔が見え隠れしていた。娘は声が枯れるまで叫び、号泣した。「お母さん!どうかお元気で!」。ハンさんと長女キム・キョンシルさん(72)・キョンヨンさん(71)姉妹はバス窓を隔てて「アイゴ―、アイゴー」と叫び続けた。

 南側のチェ・ドンギュさん(84)の北側の姪、パク・チュンファさん(58)は、バスのそばで地団太を踏んでいた。「こんな風に別れなければならないのか!こんなにあきれたことなんてないよ。統一したらこんなことはないじゃないか。なんてことだ!」。南側のコ・ホジュンさん(77)はバスの外で泣いている北側の兄嫁と甥を見かねて、バスから降りてしまった。「アイゴー、どうやって一人で帰れといんだ。お前を残して行かなければならないなんて、後ろ髪を引かれる思いだ」と言いながら、甥を抱きしめて号泣した。「叔父さん、泣かないでください。統一したら、元気な姿でまた会いましょう」。泣かないでと言っていた甥の顔にも涙が流れていた。

 イ・グァンジュさん(93)の北の甥、リ・グァンピルさん(61)は、叔父が乗った5号車の外で、子どものように泣きじゃくっていた。リさんは叔父に手を伸ばして見せた。手のひらにはボールペンで書いた「長生きしてください」と書かれていた。叔父は充血した目を隠そうとサングラスをかけた。南側の89家族197人を乗せた束草(ソクチョ)行きのバスは、午後1時30分に金剛山を後にした。

今月22日午後、高城の金剛山ホテルで開かれたお別れ行事で、キム・ビョンオさん(88)と北側から来た妹のキム・スノクさん(81)が別れを惜しんで涙を流している=金剛山/写真共同取材団//ハンギョレ新聞社

■連絡先交換し「家系図」描いてポケットの中に

 同日、お別れ行事にはほとんどの家族が住所と電話番号を交換した。いつか南北を自由に行き来する日が来たら、電話をかけて訪ねるためだ。私が死んだら子どもでも…家系図と親戚の名前を書いて渡す家族も多かった。南側から父親のトッコ・ランさん(91)と一緒に来た息子のトッコ・ソクさん(55)は北側の従兄妹とともに家系図を描いた。もし、高齢の父親が亡くなったら、息子がこの日描いた家系図を見て北側の家族を訪れるだろう。

 別れの時間が近づいてくると、込み上げる思いのためか、最後の機会なのに互いの顔をまともに見られない家族が少なくなかった。南側の兄キム・ビョンオさん(88)は、北側の妹が再会場に入ってきてテーブルにつくやいなや、天井を見つめた。横に座っていた妹から顔を背け、すすり泣いた。「お兄さん、泣かないで。泣いたらだめよ」。妹が兄の手を取りながら言ったが、兄はそれを聞いていなかった。妹の目も赤くなり、唇がかすかに震えた。兄妹は10分以上も沈黙を守った。「アイゴー…」。ため息だけがその場を包んでいた。

第21回南北離散家族再会の最終日の22日、金剛山ホテルで南側のキム・チュンシクさん(87・右)が北側の妹キム・チュンシルさん(77)と顔を突き合わせたまま別れを惜しんでいる=金剛山/写真共同取材団//ハンギョレ新聞社

 南側の長兄キム・チュンシクさん(80)はチュンシル(77)・チュンニョ(71)姉妹の隣に座って、涙を流していた。戦乱の時も、妹たちを残して南側に避難したが、また兄は一人で南側に帰らなければならない。その兄を見ている姉妹もハンカチで顔を覆った。申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになった兄がやっとのことで口を開いた。「また会うためにも、長生きするんだよ」。

金剛山/共同取材団、ノ・ジウォン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)