ビルマ慰安所の過酷な実態に焦点/wamで特別展
文玉珠さんの足跡と共に
東京・新宿区のアクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)では現在、「地獄の戦場・ビルマの日本軍慰安所~文玉珠さんの足跡をたどって~」と題した特別展が7月から行われている。朝鮮半島から連行され、ビルマ(現ミャンマー)の戦場を生き延びた文玉珠さんの足跡からは、「慰安婦」女性たちが強いられた過酷な実態が浮かび上がってくる。
慰安所管理人の日記など展示
1942年1月にビルマを侵略した日本軍は瞬く間に全土を掌握するが、連合軍の反撃にあって大敗、敗退を続ける。多くの兵士が飢餓と傷病に苦しんで命を落とし、ビルマ戦線は「地獄の戦場」と呼ばれた。
一方で日本軍はわずか3年半の占領期間に、60以上の地域に慰安所を設置した。朝鮮、中国、台湾、日本、ビルマの女性たちが「慰安婦」にされ、凄まじい性暴力を加えられた。そればかりか空襲にも遭い、部隊とともに逃げまどい、戦闘に巻き込まれた。
文玉珠さん(1924年4月23日-1996年10月26日)はこのような「地獄の戦場」を部隊と共に移動し、奇跡的に生き延びた朝鮮人「慰安婦」の一人だった。特別展には、文さんの証言や足跡とともに、日本軍のビルマ侵略の実態、現地の慰安所マップ、被害証言、元兵士の手記、公文書などが展示されている。
現在wamで開催されている特別展の一部
「…15歳頃に奉公していた家の女主人から『日本で金を稼げるところがある』と騙され、42年に汽車で釜山へ、船で台湾、シンガポールを経てラングーンに連れて行かれた」
「チョゴリから簡単服に着替えさせられ、朝鮮語は禁じられ、部屋には『絹枝』という名札がかけられた。到着した日、連隊長の副官がやってきて、有無をいわさず服を剥ぎ取り、強かんされた」
朝鮮女性たちの被害証言の数々は、「慰安婦」制度の実態を物語っている。
文さんは大邱の貧しい家庭に生まれ、16歳の秋、日本人と朝鮮人の憲兵と、朝鮮人の刑事に呼び止められ旧満州・東安省に連れて行かれ、「慰安婦」にさせられた。大邱に一度戻った後、18歳の時に「日本軍の食堂に働きに行こう、金儲けができるよ」と友だちに誘われ、ビルマ・マンダレーに行き、だまされて再び「慰安婦」にさせられた。
第1次安倍内閣は2007年3月、「政府が発見した資料には、軍や官憲による(慰安婦の)強制連行を直接示す記述はない」と閣議決定しているが、文さんの体験からは、強制連行とだましの手口を使って女性を「慰安婦」にしていた実態がはっきりと浮かび上がってくる。
特別展には、ビルマやシンガポールで慰安所の帳場係として働いていた朝鮮人・朴さんの日記(複製)も展示されている。22年から57年までの36年にわたって書かれた日記のうち、南朝鮮・京畿道にある私立博物館が28年分を古本屋から入手して保管していたものだ。2012年にこの資料の所在が明らかになって研究が始まった。日記には、慰安所の詳細が書かれているほか、文さんの証言を裏付ける記述も見つかっている。
軍属扱い、軍事郵便貯金も
歌が上手だった文さんは、将校たちの宴会に呼ばれ、少しずつもらったチップを野戦郵便局に貯金していたことも証言している。
これについて日本の右派勢力は、文さんの貯金額が「陸軍大将の年俸6,600円より高級」であると主張し、「性奴隷とは思えない」などと攻撃しているが、これは当時の現状を無視した言いがかりに過ぎない。
日本政府は占領地の現地通貨と円を、1:1の固定為替相場(ビルマなら1ルピーが1円)とし、軍が印刷する軍票や、1942年に設立した南方開発金庫の南発券を現地通貨として発行した。現地調達を原則として日本軍が物資を買いあさったため、占領地はすぐさま深刻なインフレに見舞われた。さらに日本の敗退が続くと軍票の価値はどんどん下がり、45年3月のマンダレー陥落後はほとんど無価値になっていた。文さんの貯金額が大幅に増えたのものその頃からで、これは宴会の席で将校からほぼ無価値になった軍票をチップとして渡され、それを貯金していたためだ。文さんは2万6千145円の預け入れをしているが、東京の物価指数に換算すると、敗戦時には20円程度の価値しかなかった。
文さんが使っていたのは軍人・軍属しか使えないはずの軍事郵便貯金で、原簿も見つかっている。文さんの貯金原簿預払調書には野戦郵便局を表す記号が記されているが、当時、民間人は野戦郵便局を使えないことになっていた。文さんは「私たちはビルマ楯八四○○部隊所属の軍属で、慰安所は軍人軍属以外は立入り禁止だった」と証言しているが、文さんが軍事郵便貯金を利用していたことからも、「慰安婦」が軍属扱いをされていたことがわかる。
文さんは92年、日本の郵政省に対して貯金の払い戻しを求めたが、「65年の日韓協定により、個人の財産権は消滅している」として拒否された。
記憶の証明「他の被害者をも語ること」
今月10日には、特別展と関連したセミナー「ビルマに連れて行かれた文玉珠さんの足跡~日本軍占領期のビルマと日本軍慰安所~」がwamと同じフロアーにあるアバコ・チャペルで行われた。「文玉珠 ビルマ戦線 楯師団の『慰安婦』だった私」(梨の木舎)の著者である森川万智子さんと、上智大学教授の根本敬さんが講演を行った。
森川さんは90年代、2年余りの期間をかけて文玉珠さんから話を聞き、ビルマでの長期にわたる調査も行ってきた。
森川さんはビルマでの調査や、新たに見つかった慰安所管理人の日記などを通じて、文さんの足跡がさらに裏づけられたと強調した。
そのうえで、「文さんの記憶を証明することは、記憶を全くなくしてしまった元『慰安婦』の女性たち、あるいは語ることなく過ごして隠れていらっしゃる女性たち、あるいはそのまま亡くなってしまわれた女性たちをも語ることにつながると思う」と言葉に力を込めた。
Wamの特別展は、来年6月25日まで開催されている。水~日曜日、午後1~6時。休館日は月、火、祝日、年末年始。
(金里映)