日朝協会「京都府連合会」です。韓国・朝鮮との友好を進める、日本人の団体です。1カ月¥500 841-4316福谷気付

 世界の出来事から日本・韓国・朝鮮の未来を見る。
 皆さんの声を生かして活動を進めます。

(堂山樹)

2007-07-31 | 気になるマスコミの記事
〈朝鮮の風物-その原風景 -1-〉 タンサンナム(堂山樹)

民衆とともに呼吸する

 都会をはなれ、農村に足をふみいれると、どの集落でも必ずといっていいほど、ひときわ目を引く巨木に出あう。タンサンナム(堂山樹)とよばれる村の守護神樹である。主にケヤキ、エノキ、イチョウなどの大木で、樹齢数百年たつものも少なくない。なかには高さ数十㍍、幹廻りが6㍍を超す堂々たるものもある。

 私たちの祖先は、古くから万物にはあまねく精霊が宿るとの素朴な信仰心から、巨木老樹を村の安寧と五穀豊穣の願いを叶えてくれる神樹として仰いできた。今でこそそうした信仰はすたれたが、数世紀にわたって集落と哀歓をともにしてきただけに、もはや村人にとっては家族、隣人同然の欠かすことのできない身近な存在となっている。

 四方に広がるみごとな枝ぶりの圧倒的存在感。それを仰ぐと、自然の底知れぬ生命力が伝わってくる。また、風雪を乗り越えてきた老樹に接すると、ささいな雑念に翻弄される人間のあまりに小さな存在を思い知らされ、心洗われる。

 かつては、タンサンナムのある広場では、村の安寧と無病息災、五穀豊穣の願いをこめた堂山祭(部落祭)がおこなわれ、トゥレ、プマシ(労力を出しあって共同で農作業をおこなう共同体的相互扶助)など、さまざまな問題を相談する村の中心的な場となった。

 また、四季を通じ三々五々集まった村人が日がな一日、都会にでた肉親の消息や孫の自慢話などに話の花を咲かせ、朝鮮将棋に興じる老人たちの笑い声がひびくくつろぎの場でもあった。その木陰はまた、真夏の昼下がりに涼を求める農夫たちの昼寝場としても提供され、村のガキ大将どもの格好の遊び場ともなった。

 タンサンナムは信仰の対象としての役目は当に失せたが、こんにちでは集落共同体のシンボル的な存在としてそこに佇んでいるのである。

 ところでこんにち、南朝鮮ではタンサンナムが次々に姿を消しているという。その理由はおおむね農村の都市化現象にあるといわれる。環境の変化に対応できず死滅する老樹も少なくなく、一時期、道路や区画整備を理由に樹齢数百年の巨樹が切り倒された事例もあったという。ひどいのはケヤキの古木が装飾品として高価なことに目をつけ、こっそり伐採するという心ない犯行も後を絶たない。

 それにしても昨今、タンサンナムの広場から、子どもたちの遊び声が聞こえなくなって久しい。衰退していく農村、農業とともにタンサンナムもまた衰えていくのを見るのは寂しい。タンサンの古木とその存在は、民族的情緒を色濃く湛えるかけがえのない「私たちの伝統風景」のひとつであり、後世に伝えるべき貴重な文化的遺産である。(絵と文=洪永佑、画家)

[朝鮮新報 2007.7.28]


白頭山

2007-07-28 | 投稿・投書・私の意見

 

   朝鮮名峰への旅」(1) 


春霞の中から柔らかな光、白頭山が染まっていく


 初めて白頭山を訪れたのは、91年5月下旬のことであった。

 飛行機が三池淵の飛行場に近づくと、機内からざわめきが起こった。前方に真白な白頭山が、他の山々を従えるように、まばゆいばかりに輝いていた。山岳カメラマンとして世界中、どこの山へも行けるようになったが、国交がないため、白頭山だけは唯一行くことのできない秘境として残っていた。見ることのできない憧れの山がいま、目の前に圧倒的な存在感で聳えていた。

 92年4月、私はまた白頭山を訪れた。この1年間、夏山、秋山、冬山と撮り続け、5回目の訪問である。季節が変わるたびに白頭山は、まったく違った姿を見せてくれる。

 4月の白頭山は春の表情とはほど遠かったが、1月に訪れた時のような厳冬期の厳しさはなかった。三寒四温の言葉どおり、気温はマイナスからプラスへと変わりつつあった。びっしり氷に覆われていた豆満江は氷が割れ、その氷がゆったりと流れはじめている。

 枕峰(ペゲボン)ホテルより車で行けるのは神武城集落までだ。ここから約10キロ先の無頭峰集落までは、雪道を歩く。厳冬期にはスキーを付けての行動であったが、今はつぼ足で楽に歩ける。風が弱く、日射しが強くなっている。歩きはじめるとすぐに暑くなり、一枚また一枚と衣を脱ぐ陽気となっていた。

 無頭峰の宿舎から上部は、すぐにカラマツの樹林はなくなり、森林限界となる。ここから上部はさすがにまだ冬が居残り、時々、厳しい姿を見せる。しかしよく見ると、真白な雪に覆われた厳冬期の世界と異なり、強風と日射しで雪は少なくなり、吹きだまりに残っているだけである。

 日の出時に小高い丘に登る。春霞の中から太陽が昇ってくる。真冬の強い光線とは違う、やわらかな光だ。ほのぼのとした暖かそうな色に、山が染まっていく。(山岳カメラマン、岩橋崇至)

[朝鮮新報 2004.4.16]


本物の舞踊を!

2007-07-23 | 韓国・朝鮮の旅

  若きアーティストたち

舞踊家 趙純美さん

初のソロ公演「美粋」の最後を飾った「寺堂舞」

 6日初のソロ公演「美粋」を終え、ほっと一息をつく趙純美さん。民俗舞踊や創作舞踊、合間には民族楽器などを交えオリジナリティーあふれる華麗な舞台を披露した。300人を超える観客からは、「力強さの中に大きな創造性と心の温かさがたくさん詰まっているのを感じた」「文化の大恩の国、朝鮮の深さを感じさせてもらった」など賛辞の声が多数寄せられた。その裏には観客、共演者、スタッフはもちろん家族の大きな力があったと、支えてくれる人たちには常に感謝の気持ちを忘れない。また、趙さんも作品創りのために図書館に足を運び、歴史を学んだりと努力を惜しまなかった。

 朝鮮舞踊と接して25年。初級部の頃、朝鮮舞踊部の指導員がチャンゴを叩く姿に憧れて同部に入部。部活帰りにはクラシックバレエやジャズダンスを習いに行くほどの踊り好きだった。朝鮮大学校音楽科を卒業後、たっての希望であった金剛山歌劇団に舞踊家として入団。数多くのソロ、主役を務め、朝鮮や南朝鮮での公演でも活躍した。2004年、結婚を機に退団。これからの舞踊人生に影響を及ぼす結婚は、趙さんにとって一大決心のいるものだった。「古風な人間だから」と笑う趙さんは大好きな舞踊を続けるか、家庭を守ることに専念するか何カ月も悩んだという。しかし、そんな姿を見て舞踊活動復帰の後押しをしてくれたのは、ほかでもない夫だった。

高麗を建国した王建の妻の思いを表現した「神恵王后の願い」(創作)

 舞踊活動を再開後、初のステージは世界平和を謳う「ニューユース・ワールドピース」の招待出演。練習をするにも設備が整っていなかったので練習場を探しに区民集会場、個人スタジオなどを訪ね歩き回った。07年には「世界舞踊祭」に特別枠として参加し、高い評価を受けた。フリーランスで活動する中、プライベートで六本木ヒルズを訪れた際に「アカデミースクール」の看板を偶然目にした。さっそくセミナーを受けて面接をし、ビデオ審査を見事に通過して「六本木ヒルズ・アカデミースクール」講師に認定され、「コリアンダンススクール」を主催(現在休校中)。

 来年1月には東京都杉並区に「高麗舞踊芸術院-Korean Dance Academy of Arts-」を開校する。朝鮮民族5000年の歴史の中での初の統一国家「高麗」-朝鮮半島の統一への願いを込めて名づけた。

 「全てを惜しまず私を導いてくれた方たちのように、これからは私が生徒たちに教わったもの全てを与えていきたい」「朝鮮人ばかりではなく、いろんな国の人たちに朝鮮の歴史、舞踊の良さを少しずつでも知ってもらいたい」。スクールは対象者に制限はなく、初心者からプロ養成まで各級ごとにクラスを準備している。

「お客さんが喜ぶ姿を見るのが幸せ」と全霊を込めて舞う

 「一気に大きいものを目指すのではなく、階段を一段ずつ上っていくように一人ひとりにしっかりと教えていきたい」

 趙さんにとって愛する朝鮮舞踊は「血と骨」のような存在。幅広く普及していけるよう「常に向上心を持ち活動を続けていきたい」と希望を込めて語った。(姜裕香記者)

※東京朝鮮第9初級学校、東京朝鮮中高級学校、朝鮮大学校音楽科卒業後、金剛山歌劇団入団。ソウル、釜山、全州で公演。03年「国際芸術フェスティバル」(平壌)舞踊部門金賞受賞。退団後、フリーランスで活動。「六本木ヒルズアカデミースクール」認定講師。08年1月より「高麗舞踊芸術院」開校予定。

                  [朝鮮新報 2007.7.21]


理性的、道理ある進展を!

2007-07-22 | 投稿・投書・私の意見

6カ国協議閉幕

9月にも外相会合

核無能力化・核計画の完全申告

北朝鮮「真剣に履行」


 【北京=山田俊英】北京で行われていた、北朝鮮の核問題に関する六カ国協議の首席代表会合は二十日、三日間の討議をまとめた報道発表文を発表して閉幕しました。報道発表文は、北朝鮮が核施設の無能力化と核計画の完全申告を「真剣に履行する」と表明したことを確認。その推進のために、八月中に作業部会、九月上旬に第六回六カ国協議の第二ラウンド(本会合)を開催し、これを受けて北京で六カ国外相会合を開くことに合意しました。

 会合では、米国が「次の段階」措置の年内履行を提案しましたが合意できず、履行期限については報道発表文に盛り込まれませんでした。

 八月に開かれる作業部会は、朝鮮半島の非核化、米朝関係正常化、日朝関係正常化、経済・エネルギー協力、北東アジアの平和・安全機構の五つ。

 外相会合では北東アジアの安全保障協力の道筋を探究することになりました。

 報道発表文では、見返りとして北朝鮮に重油九十五万トン相当の経済・エネルギー・人道援助を供与することや、六カ国協議の合意事項を実行する上で「行動対行動」の原則をとることも確認しました。

履行期限は今後論議

 【北京=山田俊英】今回の首席代表会合で、米韓代表は、協議が「次の段階」措置を実行するための日程に合意したことを評価し、履行期間については今後開かれる作業部会などを経て論議していく考えを示しました。

 米国首席代表、ヒル国務次官補(東アジア・太平洋担当)は二十日の会合前、記者団に、「『次の段階』措置の年内履行は可能だという考えに変わりはない」と強調しました。韓国首席代表、千英宇外交通商省朝鮮半島平和交渉本部長は会議後、「履行期限の必要性を北朝鮮も理解し、作業部会を経て議論しようと同意したことは成果だ」と述べました。

 北朝鮮の核施設の無能力化と核計画の完全申告が焦点になる「次の段階」は、複雑で困難な過程になるとみられています。

 北朝鮮に見返りとして重油九十五万トン相当の経済・エネルギー・人道援助を提供するには、ヒル次官補も精製・貯蔵能力など技術的問題を解決しなければならないと語っていました。八月に開かれる経済・エネルギー協力の作業部会ではこうした点もテーマになります。

 ただ、それ以外にも、北朝鮮が米国に求めている「テロ支援国家」指定の解除など「敵視政策」の中止に、ブッシュ政権がどう対応するか。また、核計画の完全申告の段階では、北朝鮮が存在を否定している濃縮ウラン計画を対象とするか、といった難しい問題が今後問われることになります。


日朝改善も位置づけ

 二十日に閉幕した六カ国協議の首席代表会合は、二月十三日に合意した「初期段階措置」の履行に北朝鮮を含め各国が具体的に踏み出してから初めての六カ国による協議でした。報道発表文によると、六カ国は「(二〇〇五年)九月十九日の共同声明と(今年)二月十三日の合意で行った約束を真剣に履行する」との意思を示し、北朝鮮は「すべての核計画の申告と核施設の無能力化に関する約束を真剣に履行する」と表明しました。

 これにより各国は、朝鮮半島の非核化、朝鮮半島の平和体制樹立と北東アジアの安保協力に向け、初期段階に続く「次の段階の措置」を履行していく立場を改めて確認しました。

 米国や韓国が目指していた「次の段階の措置」の履行期限の設定については、作業部会での協議をへて九月初めの六カ国協議で決めることで合意しました。

 こうした合意内容に対し、日本首席代表の佐々江賢一郎外務省アジア大洋州局長は「次のステップに向かっての新たな出発点」と指摘、韓国大統領官邸は「停滞していた六カ国協議のプロセスが再稼働する動力を回復した」と評価しました。

 一方、拉致問題でこう着していた日朝関係については、日朝国交正常化の作業部会を八月中に開くことが報道発表文に明記されました。これまで北朝鮮は「拉致問題は解決済み」との公式的な立場を表明し、「日本が果たして六カ国協議に引き続き参加すべきなのかについて考えざるを得ない」(労働新聞七日付)などと主張してきました。

 しかし、十九日に四カ月ぶりに行われた日朝首席代表による二国間会合で両国は「互いに問題解決のために努力する」ことで一致。麻生太郎外相は二十日、北朝鮮側は「拉致問題については、解決済みという態度ではなくなった」と述べました。

 九月の六カ国協議でつくられる予定のロードマップは、朝鮮半島の非核化をはじめ日朝・米朝国交正常化など、六カ国協議の「全般的コンセンサス実施のロードマップ」(報道発表文)と位置付けられています。

 佐々江局長は二十日、「全体が動いていく中で日朝の懸案を解決し、互いの努力によって進展を図っていく必要がある」と記者団に語り、拉致問題を含む日朝関係の改善を非核化プロセスの一環と位置付け、六カ国協議全体の進展とともに解決する考えを強調しました。(面川誠)



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ねばり強く はなしあいを!

2007-07-20 | 投稿・投書・私の意見

 

  「次の段階」 期限見送り

 


6カ国協議 米首席代表が見通し


 【北京=山田俊英】北京で行われている北朝鮮の核問題をめぐる六カ国協議の首席代表会合は二日目の十九日、北朝鮮の核施設の無能力化、核計画の完全申告など「次の段階」の措置をいつまでに履行するかについて論議を続けました。米首席代表のヒル国務次官補(東アジア・太平洋担当)は同日夜、記者団に対し「次の段階」の履行期限設定が見送られる見通しになったことを明らかにしました。

 首席代表会合は一日延長され、二十日に議長声明を採択して閉幕する見通しです。

 ヒル次官補は「作業部会を開き、重油の供給や核計画の申告、核施設の無能力化について詰めてから、大枠の期限を設定する」と語りました。

 この日の会合は、「次の段階」措置を年内に履行するという米国の提案をめぐって各国が意見を交わしました。ヒル次官補は同日朝、記者団に「(『次の段階』措置の)任務完了の目標期限について六カ国の間に合意がある感じだ」と語り、履行期限での合意は可能との見方を示しました。

 韓国の首席代表、千英宇・外交通商省朝鮮半島平和交渉本部長によれば、北朝鮮の首席代表、金桂冠外務次官は、前日、年内履行は可能との考えを示しました。

 首席代表会合では、無能力化と申告の期限とともに、その見返りとなる重油九十五万トン相当の経済・エネルギー支援方法も集中的に論議されました。

 十九日夜には議長国・中国の戴秉国外務次官が主催する夕食会が開かれました。



さらなる進展を期待

2007-07-19 | 投稿・投書・私の意見


6カ国協議 首席代表会合

次の段階 声明に反映へ

北次官「年内にも履行」


 【北京=山田俊英】北朝鮮の核問題をめぐる六カ国協議の各国首席代表会合が十八日、北京の釣魚台迎賓館で開幕しました。首席代表会合は、六カ国協議が三月に休会して以来、約四カ月ぶり。米国首席代表のヒル国務次官補(東アジア・太平洋担当)は会議後、核施設の無能力化や核施設の申告など「次の段階」措置の履行目標期間での討議内容が十九日発表の議長声明に盛り込まれる見通しになったことを明らかにしました。


 会合では、北朝鮮が核施設の稼働を停止したことを受け、「次の段階」措置の進め方が議題になりました。二月の六カ国協議で採択した共同文書では、「次の段階」で北朝鮮が核施設の無能力化と核計画の完全申告をすることになっています。米国は年内の履行を提案しています。

 ヒル次官補は会議後、記者団に「たいへん能率的で前向きな討議が行われている」と積極的に評価。この日の会合では「次の段階」措置の履行目標期間が議題になり、この討議を十九日も続けると述べました。その上で、「議長声明はそれを反映したものになるだろう」と語りました。同次官補は、履行目標期間を設けることについて、北朝鮮を含め各国から反対はなかったとしています。

 また、韓国首席代表の千英宇外交通商省朝鮮半島平和交渉本部長は記者団に対し、北朝鮮首席代表の金桂冠外務次官が同日の協議で、「次の段階」措置の履行が年内にも可能との意思を示したことを明らかにしました。

 金次官は韓国との協議で、「すべての核計画を漏れなく申告する」との立場を説明。核施設の無能力化については「安全上の問題がなく、技術的に可能であれば、六カ月以内に実施できる」と語ったといいます。

 一方、会議筋によれば、金次官は「次の段階」の履行条件として、他国も義務を履行する必要があるとし、米国による「テロ支援国家」指定の解除や経済・エネルギー支援など見返り措置の実行を求めました。



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米国に通知

2007-07-16 | 投稿・投書・私の意見

 

        「核施設の稼働停止」

 


               北朝鮮が米国に通知


 【ワシントン=鎌塚由美】米国務省のマコーマック報道官は十四日に声明を発表し、北朝鮮から寧辺の核施設の稼働を停止したとの通知を受けたことを明らかにし、「歓迎」を表明しました。

 米紙によると、北朝鮮は同日朝、ニューヨークにある国連代表部を通じ、米側に稼働停止の通知をしたといいます。マコーマック報道官は、「この発展を歓迎し、北朝鮮に到着した国際原子力機関(IAEA)の査察官による、閉鎖への検証と監視を楽しみにしている」と述べました。

 北朝鮮は核放棄に向けた六カ国協議の合意に基づき、韓国から見返りとなる重油第一便を受け取り次第、核施設の稼働停止・封印作業に着手するとしていました。

 核施設の停止が確認されれば、二○○三年二月、米朝核枠組み合意(一九九四年締結)で凍結されていた原子炉の再稼働を米当局が把握して以来、約四年五カ月ぶりです。



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ここまで来ました。この先は・・・・

2007-07-15 | 気になるマスコミの記事

 

   北朝鮮、4年半ぶりに核施設停止


核施設の稼働停止、IAEAの監視容認

 

                                       北朝鮮が表明

 北朝鮮外務省が15日、「重油5万トンの第1便が到着した14日、寧辺の核施設稼働を中止し、国際原子力機関(IAEA)要員にその監視を許容した」と発表した。写真は寧辺にある核施設(02年3月衛星写真) 【AFP=時事】
   北朝鮮外務省が15日、「重油5万トンの第1便が到着した

14日、寧辺の核施設稼働を中止し、国際原子力機関(IAEA)

要員にその監視を許容した」と発表した。写真は寧辺にある核

施設(02年3月衛星写真)

 【AFP=時事】   (読売新聞) 2007年7月15日(日)21:04

 
【ソウル=竹腰雅彦】

北朝鮮外務省報道官は15日、朝鮮中央通信を

通じ、「重油5万トンの最初の配分が到着した14

日、ヨンビョンの核施設の稼働を停止し、国際原

子力機関(IAEA)要員にその監視を認めた」と述

べ、2月の6か国協議合意に基づく「初期段階の

措置」に着手したことを表明した。>>続きを読む


韓国の政局

2007-07-15 | 気になるマスコミの記事

 

  全滅の様相 韓国対北強硬派

 

 韓国第一党のハンナラ党は4日、これまでの党政策を180度転換する「新方針」を発表した。南北首脳会談の推進や北朝鮮への無償支援などを盛り込んだ新政策は、ハンナラ党が「一方的支援」と非難してきた太陽政策以上に親北的な内容となっており、党内はもちろん、社会全般に驚きを与えている。
 とりわけ保守派の動揺は最も激しい。「韓国の希望が消えた」と嘆く言葉が聞かれるほどで、大きな喪失感に見舞われている。

              (東京・崔世一 ソウル・李民皓)=特集欄に関連記事


 波紋を呼んでいる新政策「朝鮮半島平和ビジョン」の内容は、衝撃的だ。
これまで批判してきた金大中―盧武鉉政権の「太陽政策」を認める格好となっており、ある意味では現政権以上の対北朝鮮融和政策を打ち出している。
 たとえば、無条件の対北コメ支援15万トン、開城・金剛山観光実施の保障、年間3万人の北朝鮮産業研修生受け入れ、北朝鮮の放送・新聞の全面開放などが盛り込まれている。
 新政策を企画したのは、ハンナラ党最高委員の鄭亨根議員だ。
 鄭議員は、党内きっての対北強硬派として知られていた。
金大中前大統領の太陽政策を真っ向批判してきたことから、「金大中スナイパー」の異名をとった。
 鄭議員が新対北政策を企画したというから、保守派のショックは想像以上に大きい。
 鄭議員は、「新政策は保守的政策から果敢な開放政策に向きを変えただけ」だと言っている。
 「北朝鮮を改革開放に導こうという方向へと、ハンナラ党も支持者も変わるべきだ」
 ハンナラ党は、従来の太陽政策とは「次元が違う」と主張している。
太陽政策は無条件に与える「先供後得」式だが、自分たちの政策は北朝鮮の変化を前提にしているというのだ。
 ハンナラ党はしかし、支持層から反発を受けている。
 指導部は「決して大統領選挙のためではない」というが、疑念はぬぐえない。
 面白いことには、太陽政策で「彼らとは違うのだ」と強調してきたウリ党や統合民主党側にも、突然のハンナラ党の変身に慌てふためく様子が見られることだ。
 今年の「8・15」記念日に現政権は南北首脳会談を行うようすを見せている。
これが実行に移されれば、ハンナラ党は大統領選挙で不利になると言われている。彼らの「韓半島平和ビジョン」はそうした焦りから出されたと分析する向きもある。南北の和解と協力という時代の流れを汲んだだけだとする主張もある。いずれも穿ちすぎの見方からかもしれない。
 ハンナラ党にもともと理念らしきものがなく、米国が対北朝鮮政策で白旗を揚げた今、自分たちの寄って立つ場がなくなったからだいう厳しい見方は少なくない。
 現に、彼ら自身、自分たちの政策転換で有権者にどれほど失望を与えたかについてはさほど自覚しておらず、また、これで大統領選挙の敗色が濃くなったにもかかわらず、その自覚もないほどだ。

                                          m

新たな動き、どうなるのか

2007-07-13 | 気になるマスコミの記事


  北が米朝軍事会談を提案、狙いは

 

 

朝鮮人民軍、米朝軍事会談を提案 協議の主導権狙う?

(ロイター)
(ロイター)

(朝日新聞) 2007年7月13日(金)13:40

 北朝鮮の朝鮮人民軍板門店代表は13日、「朝鮮半島の平和と安全保障に関する問題を議論するため、国連代表も一緒に参加する米朝軍事会談の開催を提起する」との談話を発表した。朝鮮中央通信が伝えた。朝鮮戦争の休戦協定を平和協定に転換する協議が南北朝鮮と米国、中国の4者で始まりつつあるなか、揺さぶりをかけて主導権を握ろうとの狙いとみられる。>>続きを読む


北朝鮮、国連代表出席の米朝軍事会談開催を提案

(読売新聞) 2007年7月13日(金)13:30

 【ソウル=中村勇一郎】北朝鮮の朝鮮人民軍板門店代表部代表は13日、朝鮮半島の平和と安全保障に関連した問題を協議するため、国連代表をまじえた米朝軍事会談の開催を提案した。 朝鮮中央通信が同日、伝えた。米朝のほか中国、韓国を加えた4か国による朝鮮半島の和平体制を目指す機構の創設が検討されるなか、北朝鮮には米国との交渉を先行させる思惑があると見られる。>>続きを読む


IAEA北監視要員、北京到着

(産経新聞) 2007年7月13日(金)15:53

 【北京=野口東秀】北朝鮮の核関連施設への監視・検証のための国際原子力機関(IAEA)の要員が13日、経由地の北京に到着した。14日に平壌入りする。要員は総勢10人で2週間ほど滞在する。IAEA要員が北朝鮮に復帰するのは2002年12月に国外追放されて以来、約4年半ぶり。>>続きを読む


正義の声は、大きく広がる

2007-07-13 | 投稿・投書・私の意見

米大統領弾劾を要求

シーハンさん 下院議長に迫る


 【サンフランシスコ=山崎伸治】「反戦の母」シンディ・シーハンさんは、反戦キャンプを行っていたテキサス州クロフォードを十日に出発し、二十三日に首都ワシントンに到着する反戦ツアーを行っています。そのなかでナンシー・ペロシ下院議長(民主党)に対し、ブッシュ大統領の弾劾手続きを開始するよう要求しています。ツアーには現在、シーハンさんら二十人の反戦活動家が参加、テキサス州からまずニューオーリンズに入り、その後、米東海岸を北上する予定です。

 シーハンさんは九日、反戦キャンプ関係者にあてたメッセージの中で、反戦ツアーがワシントンに到着する二十三日までにペロシ氏が弾劾手続きに着手しない場合、二〇〇八年の下院議員選挙でペロシ氏の選挙区に無所属で立候補すると表明しました。

 シーハンさんは「米国ではほとんどの人が二大政党制を信用してきたが、それはつねに、そして繰り返し、平和と正義をだめにしてきた」と指摘。「私が長い間、民主党支持だったのは、選択肢が限られていたからだ」と述べました。

 「イラク占領に反対するとは、戦費支出をやめさせることで占領を中止することであり、ブッシュ一味に責任を取らせることで将来の違法な侵略戦争を防止することだ」として、ペロシ氏に決断を迫っています。

 米国ではまず下院で弾劾訴追を審議・決定し、その後上院で弾劾裁判が行われます。



朝鮮問題アンケート

2007-07-11 | 投稿・投書・私の意見

 

         関心のある方は、

          
          アンケートをクリックしてください。

 ご存知の方もあると思いますが、朝鮮問題に関する各党のアンケートです。

 

            在日コリアン青年連合                                   

                                     投稿 かとう


次代を 築くのはこの子たち

2007-07-10 | 気になるマスコミの記事

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  「南北コリアと日本のともだち展」 

 

        絵を通して心の壁を乗り越えよう!


家族、友人、先生など140点

 北東アジアの平和を願う催しとして01年からスタートした「南北コリアと日本のともだち展」が、今年も6月28日から今月4日まで東京・渋谷の東京都児童館で開かれた。絵画展は、北南朝鮮と日本そして在日コリアンの子どもたちの絵をひとつの会場に展示して、絵でお互いを紹介しあい、心の壁を乗り越える第一歩にしようというもの。これまで東京、ソウル、平壌などで展示された。

「私の大切な人」

チャン・ジュウォンさん(ソウル市、5年)の作品

 今年の絵画展のテーマは、「私のたいせつな人!」。

 会場には朝鮮から30点、南から30点、日本から80点(朝鮮学校の40点を含む)の子どもの絵が展示された。

 リム・ソヒャンさん(平壌市、4年)の大切な人はお母さん。絵には「お母さんは新聞に出たうちの学校のニュースを見てよろこんでいました。そして、勉強をがんばって絵もうまくかきなさいといいました」と書かれている。

 チャン・ジュウォンさん(ソウル市、5年)の大切なものは猫。「この猫は私にとってとても大切な友だちです。大好きだから手放したくないのです」。

韓麗和さん(東京都、6年)の作品

 韓麗和さん(東京都、6年)の大切な人は学校の友だち。「友だちと一緒に縄跳びをする絵をかきました。一緒に勉強をして、遊んで、お互いに手伝ってあげたりもします」。

 木村み音さん(2年)の大切な人は前原先生。明るい太陽の下でほほえむ先生の姿を画用紙いっぱいに描いた。そこには、「犬がすき。山のぼりがすき。小学校2年1組のたんにんの先生がたいせつな人です」と書き添えられた。

 画用紙にはそれぞれ、家族や友人、先生、いっしょに暮らしている動物や思い出の品など、子どもたちが日頃大切に思っている人や物などが描かれていた。

こどもワークショップ

ワークショップ。学校や家で話すことばの問題では、たくさんの朝鮮学校児童が「③朝鮮語と日本語のごっちゃ」の札の下に集まった

 1日に行われた「こどもワークショップ」では、南朝鮮のNGO「南北オリニ オッケドンム」の9人の子どもたちを含め、日本と在日コリアン児童50人でクイズやゲームなどを楽しんだ。

 「仲間さがしクイズ」では、「ふだん朝に何を食べるのが多いですか?→①ごはん、②パン、③その他」「朝ごはんを食べるときに使う道具は?→①おはし、②スプーン、③スプーンとフォーク、④その他」「学校では何語を話していますか?→①朝鮮語、②日本語、③朝鮮語と日本語のごっちゃ、④その他」などの質問が出された。

 子どもたちは質問が出されると番号札の下へダッシュ! 学校や家で話す言葉の問題では、たくさんの朝鮮学校児童たちが「③朝鮮語と日本語のごっちゃ」の札の下に集まった。

 つづいて行われた朝鮮半島と日本に関する「グループ対抗○×クイズ」では、「日本の国土と朝鮮半島では日本の方が大きい」(答えは○)などの質問が出され、言葉の通じない子どもたちが互いに「○?」「×?」とジェスチャーで意思の疎通を図っていた。その間で、力を振るったのがバイリンガルである朝鮮学校の子どもたち。日本と南の子どもたちの間で、通訳を買って出た。

絵画展の入口で「ハイ、ポーズ!」

 ○×クイズの最中、司会者はマイクを持って場内インタビューする場面も。「日本一長い信濃川と朝鮮一長い鴨緑江では信濃川が長い?」の問いに「×」を出した児童に向い、「なぜ×なのか、理由を聞かせてください」と司会者。児童は恥ずかしそうに、「学校で習ったから」と答えた。周りからは「おぉ!」というざわめきが。答えた児童はどうやら朝鮮学校の児童らしい。事実、日本の信濃川に比べ、鴨緑江は2倍長い。

 また、「キムチの原料であるとうがらしは日本から朝鮮半島に伝わった」という質問では、×の理由は「日本から朝鮮半島にわたったのなら、日本にキムチがたくさんあると思うから」。○の理由は「アッパから聞いたんだけど、日本人はあんまり辛くて食べられないから韓国に伝わったんですって。そうしたら、韓国人はおいしいおいしいと食べたんですって」などの声が寄せられた。(質問の答えは○)

 ワークショップではほかにも、風船わたしゲームやビデオレターの紹介、よさこいアリラン、マイムマイムなどが行われ、会場には子どもたちの楽しそうな笑い声があふれた。

平壌展に期待

木村み音さん(2年)の作品(左)とリム・ソヒャンさん(平壌市、4年)の作品

 絵画展はこの後、8月下旬に平壌、9月中旬にソウルと続く予定だ。

 8月の平壌行きを控えた子どもたちは、「平壌に行ったら本場のキムチを食べてみたい。それから、学校にはどんなサークルがあるのかも知りたいし、日本で暮らす私たちとどんなところが違うのかも興味深い。私は学校でバスケットボール部と舞踊部に入っているんだけど、朝鮮の子どもたちともバスケットボールをやってみたい」(鄭佳南、6年、東京第6)、「初級部1年生のときからずっと平壌に行ってみたいと思っていた。学校の授業や先生のお話を聞いて、平壌へ行くのが私の夢になったの。

 朝鮮学校で学んでいるから、平壌にも行ってみたいし、ソウルや南の故郷にも行ってみたい。朝鮮の友だちとも一緒に遊んでたくさん話して、日本の遊びも教えてあげたい。輪投げや鉄棒の逆上がりなどをしてみたいかな。あと、ドッヂボールもしてみたい。それから…平壌の子どもたちに、なんで朝鮮の箸は重いのかも聞いてみたい」(卞優姫、6年、東京第6)などと話していた。(金潤順記者)

                                                                   [朝鮮新報 2007.7.6]


中国での 7月7日

2007-07-08 | 投稿・投書・私の意見


      盧溝橋事件


 70周年記念式典「歴史学び未来拓く」中国 --------------------------------------------------------------------------------  

【北京=山田俊英】日本による中国への全面的な侵略戦争の発端となった

盧溝橋事件から七十周年となった七日、北京郊外の現場にある中国人民

抗日戦争記念館の広場で記念式典が行われました。

 千数百人の参加者を前に、主催者は「歴史を忘れず、未来を切り開こう」

と呼びかけました。  
 
   式典では、事件後、日本軍とたたかって戦死した第二九軍の師団長の娘、

趙学芬さんがあいさつ。「いまの平和は、父のように犠牲を払った人によっ

て築かれたということを忘れないでください」と述べました。  

 また、抗日戦争史学会の何理会長がスピーチし、「日本の侵略戦争は日

本人民にとっても不幸なことでした。悲惨なことを繰り返さないために歴史

からしっかり学びましょう」と訴えました。  

 式典にはサマーキャンプで北京に来ている全国各地の中学生、高校生

約五百人も参加しました。記念館の展示を見ていた安徽省の高校生、張麗

さん(17)は「当時の人たちが国を守るため団結したことに感動します」と語

りました。
 
   記念館では同日、「七月七日を忘れず、平和を愛する」と題する特別展が

開幕しました。抗日戦争で中国共産党だけでなく、国民党の果たした役割

も評価するという中国の最近の歴史研究に沿って、蒋介石の抗日の呼び

かけも紹介されました。  
 
 中国共産党機関紙、人民日報は七日付で日中友好協会などが六日に東

京で記念集会を開いたことを報道しました。