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西湖:今から2千年以上前の秦・漢代に、砂州の西側に内湖ができあがった。

2015-09-25 | 人民中国インターネット版

浙江省杭州市 西湖を彩る文化的な景観③ 

名山名水の賜 龍井茶の香り

 

劉世昭=文・写真

 

呉山にある米芾が書いた「第一山」の石碑

杭州にある西湖はもともと銭塘江の一部であった。西湖の南と北にある呉山と宝石山のふもとに長い間に土砂が堆積し、砂嘴が形成され、この二つの砂嘴がどんどん成長し、ついにはつながって砂州となった。今から2千年以上前の秦・漢代に、砂州の西側に内湖ができあがった。これが今日の西湖である。

西湖の東南にある城隍山頂上にある城隍閣からは、南北西の3方が山に取り囲まれ、東は市街地に臨むという西湖の全貌をはっきりと眺めることができる。

隋の大業6年(610年)に開削された江南運河は、北運河とつながり、中国の海河、黄河、淮河、長江、銭塘江という五大水系と結ばれたため、杭州の交通は便利になり、経済も発展し、都市としての地位がしだいに向上していった。

歴史上、西湖に対して影響が最も大きかったのは、五代十国時代の呉越国(907~978年)と南宋(1127~1279年)の時代であろう。この二つの時代には杭州が首都とされ、西湖に全面的な開発と整備が行われた。西湖およびその周辺の景観による「三面が山に面し、一面が都市に面する」という空間配置がこの時に形づくられた。とりわけ仏教を信仰する呉越 国の歴代の国王たちが、西湖の周辺に多くのお寺や宝塔、経幢、石窟を造営したので、西湖はその当時からすでに観光名所となっていた。

西湖の南東岸にある呉山は、雲居山、清平山、紫陽 山、宝蓮山、七宝山、宝山、城隍山、浅山、伍公山、娥眉山、螺絲山など十数の峰からなる。呉山はかつて「第一峰」と呼ばれていたが、それにはこのような由 来が史料に記されている。金(1115~1234年)の海陵王(在位1149~1161年)は、西湖の美景にあこがれ、江南地方を手に入れるという野望を 抱いた。そこで、一人の絵師を臨安(今の杭州)に潜入させ、西湖の絵をひそかに描くよう命じて、彼はその絵に「兵百万を提ぶ 西湖の上馬を立てん 呉山の第一峰」という詩を題したという。今でも、呉山には宋代の書家米芾が書いた「第一山」の石碑が残っている。

 

南宋御街

近年、呉山のふもとで宋代の臨安城の御街と太廟の遺跡が発見された。現在の歩行者天国・南宋御街は、まさにこの古い街路の上に建てられた、かつての繁華街を再現した街並みである。現在、ここでは保護用のガラスカバーの下に、千年以上前の古い街路を見ることができる。

西湖の北東にそびえ立つ赤褐色の宝石山には、北宋代 に造営が開始された六角形をした7層のレンガ塔、保俶塔がある。この塔は西湖南岸にある雷峰塔とはるか遠くで呼応しており、西湖両岸のランドマークとなっている。人々はすらりとした保俶塔を美しくしとやかな女性に例え、太くて頑丈な雷峰塔を愚鈍な老僧と見なす。これも西湖の風景にユーモアの味を添えてい る。

西湖の西側には、山が幾重にも連なる丘陵がある。休日になると、人々が相次いでここに集まってくる。その目的はただ一つ、お茶を味わうことだ。ここのお茶栽培は唐代(618~907年)から千年ほどの歴史 を誇る。中国で最も有名な緑茶――龍井茶(ロンジンチャ)はここが原産地だ。かつての文人や士大夫(高級官僚)、お寺の高僧たちは、西湖三大名水の一つ 「虎跑泉の水」でいれた「明前龍井茶(清明節前に摘み取った龍井茶)」が、お茶の最高境地だと考えた。龍井茶には上品で清らかな、幽玄な文化が含まれているのである。龍井村の山間の窪地には、今でも清代の古い茶の木が18本生き残っている。言い伝えによると、清の乾隆帝が江南にやって来た時、ここで西湖の龍井茶を賞味したあと、その味を絶賛し、この18本の茶樹に「御茶」という称号を与えたという。

 

龍井村の「18本の御茶」

西湖龍井茶の保護産地の一つである梅家塢村で、茶農家の盧新さん(60)と会った。盧さん一家は代々お茶栽培で生計を立てている。彼の父親はお茶栽培のベテ ランだったため、1950~60年代にかけて周恩来総理が何度も彼の茶畑を視察に訪れ、農民とお茶栽培の発展について話し合ったという。盧さんは父親から 伝統的なお茶の栽培と炒る技術を学んだ。また、自然栽培から、お茶摘み、手作業による炒り茶技術、茶葉の含水量のコントロールまで、どんな細かいプロセス も厳しくチェックしている。彼が自ら炒った龍井茶はほとんどが特級品のお茶となっている。「周恩来総理は『龍井茶は単なる飲み物ではなく、芸術品です』と おっしゃったことがありますが、私はお茶の栽培と炒る技術を文化として研究していきたいと思います」と語った。

早朝、虎跑泉へ行く道には、さまざまな容器を手にしたお年寄りたちが行き交っていた。すべて家で龍井茶をいれる水を汲むために来た人たちである。よその人から見れば、彼らの平凡で規則正しい生活は、どんなに羨ましく、あこがれることだろう。

 

春茶摘み

毎日多くの市民が虎跑泉で水を汲んで、その水でお茶をいれて飲む

何度も外国からの賓客のお供をして、杭州の西湖を訪れた周恩来総理が、「西湖には名物がたくさんありますが、私はその中でお茶だけを選びます」と感慨をもらしたのも、うなずける話である。

 

茶を炒る盧新さん。「もともとは薪を燃やして鍋でお茶を炒っていましたが、山の木を大量に伐採してしまい、環境が破壊されてしまいました。1958年以後、電気鍋が研究・開発され、今でもこの鍋で高級龍井茶を炒っています」と語った

宋代に掘られた「上八眼井」

 

人民中国インターネット版 2012年8月28日

 

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安保法制の 目標が「防衛産業大国」という観測も出てくる。

2015-09-23 | 人民中国インターネット版

【社説】安倍首相の安保法制強行…防衛産業の復活狙う

2015年09月23日17時51分
[ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版

  日本の防衛装備庁が10月1日に新設される。防産品の開発・生産、輸出を総括する機関だ。韓国の防衛事業庁に該当する。職員数だけで1800人余り、 予算も1兆6500億円(約16兆3400億ウォン)だ。日本の経団連が防衛産業の輸出を国家戦略として推進すべきだという提言をした状況だ。安保法制の 目標が「防衛産業大国」という観測も出てくる。

  昨年4月に安倍首相が武器輸出禁止原則を撤廃する前まで軍需産業は遅々として進まなかった。2003年以降に倒産・廃業した戦車関連 の防衛産業企業だけで35社、潜水艦関連企業が30社余りにも上った。だが昨年、三菱重工業が米国のパトリオットミサイルに入る部品を納品し、今年7月に は米国イージス艦用のソフトウェアと部品を三菱と富士通が輸出し始めた。英国とは空対空ミサイルの共同研究、豪州とは5月に潜水艦共同開発も始めた。

  何よりも今年4月に改正した日米防衛協力のための指針(ガイドライン)は日本の防衛産業が飛躍する転機を作った。この指針は相互防衛 産業についての協力などを規定している。米国はこれから日本に防衛を分担させる代わりに防衛産業に関連した技術協力・び技術供与をする可能性が高い。日本 の防衛産業全体の平均防衛産業専業度は4.4%で非常に低い水準だ。三菱重工業など規模が大きい企業ほど防衛産業専業度が低い。だが、このような防衛産業 企業が防衛産業分野に専業化し始めるならば、グローバル市場でこれらの地位は一瞬に変わる。米国は韓国軍が導入することにした次期戦闘機F35の核心技術 の移転を拒否したが、日本とは最終組み立て・検査・エンジン製造などで協力するという声も聞こえる。

  米国と日本の防衛産業同盟に、ややもすると韓国が排除される恐れがある状況だ。日本は豪州・ニュージーランド・英国とは軍事技術分野 で協力しているが、韓国とはまだ前例がない。私たちとしては米国と共にするグローバル防衛産業体制に編入されなければならない。だが韓国は今、対日の敵が い心だけを育て、中では軍需不正に時間を浪費している。
※本記事の原文著作権は「韓国経済新聞社」にあり、中央日報日本語版で翻訳しサービスします。
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それは杭州初の仏教寺院となった。

2015-09-23 | 人民中国インターネット版

浙江省杭州市 西湖を彩る文化的な景観② 

東南の仏の国岳飛祭る廟も

 

劉世昭=文・写真

史書によると、杭州における仏教は東晋に始まり、五代に興り、南宋に盛んとなり、宋の時代に寺院の数は480になったという。杭州は「東南の仏の国」と呼ばれている。

東晋の咸和元年(326年)、インドの高僧・慧理が杭州の飛来峰と北高峰の間のふもとを訪れ、秀麗な山々を目にして、「仏道修行者の心霊が隠れ住む所」だと見て、寺を建て「霊隠」と名づけた。それは杭州初の仏教寺院となった。

 

霊隠寺天王殿に安置されている仏教の護法神・韋駄天の彫像は、高さが2.5㍍あり、黄金の兜をかぶり、甲冑を身に付け、顔色がつやつやとして輝くクスノキの木像だ。これは南宋から今まで保存されてきた貴重な文物だ
現在の霊隠寺は清朝末期の再建をもとに続々と修復したものだ。寺院全体の中軸線に、天王殿、大雄宝殿、薬師殿といった三大殿堂が建てられている。

天王殿の中央にある仏像を入れる厨子の仏龕には、胸 をはだけて腹をあらわにし、座布団に趺坐し、晴れやかに微笑む弥勒菩薩の仏像が祭られている。その裏面の仏龕には、仏教の護法神である韋馱天菩薩の彫像が 祭られている。この彫像の素材はクスノキで、高さは2.5メートル、黄金の兜をかぶり、甲冑を身に付け、顔色はつやつやと輝いている。南宋 (1127~1279年)から残されてきた貴重な遺物だ。

天王殿前の両側にそれぞれ一基の石づくりの経幢があ り、「天下兵馬大元帥呉越国王建、時大宋開宝2年己巳歳閏5月」といった題辞がある。もともと呉越国銭氏の祠である奉先寺に安置されていたが、寺が廃棄さ れたため、北宋の景佑2年(1035年)に霊隠寺の住職によって寺内に移転された。

屋根の高さが33.6メートルに及ぶ大雄宝殿は迫まってくるようなの勢いを感じさせる建物で、中に高さ19.6メートルの釈迦像が祭られている。威厳のある仏像は堂々とした気品を感じさせ、中国国内でクスノキ製の最大の釈迦像だ。

古来より、霊隠寺を訪れる観光客と参拝客はひっきりなしだ。仏教の重要な祭日になると、参拝客はいっそう増える。予約を取らないと入られないこともある。

杭州を訪れると、浄慈寺はもうひとつ見逃すわけには いかない寺院だ。同寺は背後に南屏山を控え、西湖に面して建てられ、寺の前に仏髪の舎利が祭られる雷峰塔が聳え立っている。浄慈寺は後周の顕徳元年 (954年)に建設がはじまり、中国の歴代の君主がほとんど仏道を崇めたため、浄慈寺は皇族の寺院となり、一時期杭州最大の寺院群でもあった。実際、浄慈 寺が今昔にわたって名を馳せたのは南宋から西湖十景に数えられた「南屏晩鐘」だ。夕日が沈むにともない、寺内の鐘の音が響き渡り、広々とした水面をかすめ て広がり、山々につくとまた屈折して戻り、西湖の空中でこだまする

 

毎夕、浄慈寺の鐘楼に上り鐘をつく僧侶は「鐘声偈」を朗誦しながら108回をつく。おおよそ30分かかる
残 念なことに、その銅鐘は清朝末期の戦乱によって紛失した。1984年10月、日本の仏教界の協力を得て、浄慈寺は銅鐘を新たに鋳造できた。1986年11 月21日、中日の仏教界から400人余の人士が浄慈寺に集まり、盛大な大梵鐘落成法会を行い、雄渾で力強い108回の鐘音は再び西湖の空に響きわたった。

西湖の北西岸に位置する岳王廟は南宋の金国と戦う著 名な英雄岳飛を祭るお寺だ。幼少のころから、母の「尽忠報国」(忠誠を尽して国に報いる)という教えにしたがって、金の侵略に抵抗し、勇敢で戦いに長けた 将軍になった。しかし、彼は金に降伏することを主張した宰相秦檜、張俊らに謀反の罪に陥れられ、獄死した。岳飛が死んでから21年後、宋孝宗は彼の冤罪を そそぐ、盛大な儀式で岳王廟に祭った。岳王廟は南宋嘉定14年(1221年)に、元の智果観音院の旧跡で建てられたもので、後に褒忠衍福禅寺と改称し、明 朝景泰年間(1450~1456年)に、名を忠烈廟に変え、現存している建物は清朝の康煕54年(1715年)に再建されたものだ。

岳王廟の建物は東西の二つ部分からなっており、東側 は岳飛を記念する忠烈祠で、西側は岳飛の墓、正気軒、啓忠祠だ。忠烈祠は岳王廟の主体建築だ。正殿の大門の両側、また、内の廊下の柱に、いろいろな対聯が 掛かっている。人々が愛国英雄に対しての懐かしさと敬愛、暗愚な君主と奸臣に対しての軽蔑と怒りを表した。正殿の正面は高さ四・五四㍍の岳飛の坐像があ る。坐像の上には岳飛の親筆「還我河山」(山河を我に還せ)の扁額が掲げられ、これが彼の生涯の目標だったことを物語っている。

 

岳飛の墓の前に跪く奸臣秦檜と王氏の鉄像
岳 飛の墓は東に向かって西側にあり、墓碑に「宋岳鄂王墓」の五文字が刻まれている。鄂王は宋寧宗が嘉泰4年(1204年)、岳飛が獄死してから63年後に与 えられたポストだ。左側は彼の子岳雲の墓で、墓碑に「宋継忠侯岳雲墓」の七文字が書かれている。継忠侯は宋寧宗が嘉定4年(1211年)に与えた爵位で、 その時ちょうど岳雲が殺害されてから70年目に当たっていた。墓に通じる道の両側に3対の明代に建てられた伝説上の巨人翁仲の石像と2組のいけにえ(ウ マ、ヒツジ、トラ)が並び、それぞれ忠、孝、操を表している。墓室前の石像下にある表門の両側には、後ろ手に縛られ、跪かされた秦檜とその妻王氏、張俊、 万俟4人の銑鉄の像がある。彼らは岳飛を陥れ、後世に唾棄されてきた4人である。世間の忠臣と奸臣に対しする愛憎が遺憾なく表現されている。

西湖の北岸に位置する葛嶺の密林に、晋代に建てられ た道教の寺院――抱朴道院がある。伝説によると、東晋の道教の大師・葛洪がここで不老不死の妙薬金丹を作る煉丹を行った。いまでも、かつて彼が丹を練った 時使った古井戸が残っている。山の上の初陽台は当時、葛洪が日の出を観測した場所だ。

葛嶺に登ると、西湖と杭州市の美景が一望できる。2度杭州に行ったことがあるニクソン元米大統領は「北京は中国の首都だが、杭州はこの国の心臓だ。私はまた来たい!」と称賛したそうだ。

 

抱朴道院の正門の外に作られた築山は宋代の造園の傑作

岳王廟に祭られている岳飛像

 

人民中国インターネット版 2012年7月

 

 

 

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