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4.3事件は、南朝鮮に対する米国の植民地隷属化政策と民族分裂策動に反対し、社会の民主化と祖国統一を達成するための正義の反米反ファッショ人民抗争であったと指摘。

2018-04-09 | 関係者一同が参列

済州島4.3事件70周年/労働新聞が論説、南で追悼式

米国の侵略的本性を告発

労働新聞(3日付)は、済州島4.3事件70周年に際し、「自主、民主、統一の志向は、妨げることができない」と題した論説を掲載した。

論説は、4.3事件は、南朝鮮に対する米国の植民地隷属化政策と民族分裂策動に反対し、社会の民主化と祖国統一を達成するための正義の反米反ファッショ人民抗争であったと指摘。

米国が、朝鮮半島の分断を固定化させ、それに反対する人民たちの闘争を武力で弾圧した歴史について触れながら、時が経とうとも変わらないものが米国の侵略的・野獣的本性であり、南朝鮮に対する米国の植民地支配策動を終わらせない限り、人民の自主的思考と要求が実現されることはないと強調した。また、米国との「同盟強化」「関係優先」を謳う一方で、ファッショ暴圧統治と同族対決策動を続ける南の親米保守勢力についても非難した。

論説は、4.3事件から、朴槿恵政権を打倒したキャンドル闘争に至る南の人民の闘争史は、いかなる暴圧と圧制も自主と正義を志向する人民大衆の闘争を遮ることはできないという事実を立証していると指摘。

歴代の南の保守政権が、自主、民主、統一に対する人民の要求を踏みにじり、彼らの正当な闘争を銃剣で弾圧してきた歴史について触れながら、保守積弊を清算し、新しい政治、新しい社会への夢を実現しようとする南の人民の闘争へ支持を示した。

そして、済州島4.3事件から70年を迎える中、蜂起した済州島の人民たちが渇望した南社会の自主化と民主化、祖国統一は必ず成し遂げられなければならないと強調。

一方、同日、南の済州4.3平和公園では70周年4.3犠牲者追悼式が行われ、文在寅大統領が出席し、追悼の辞を述べた。文在寅大統領は、「4.3の真実はいかなる勢力も否定することができない歴史の事実として据えられたことを宣言する」とし、4.3事件の完全な解決に向けた意志を示した。

(朝鮮新報)


光州事件:韓国で1980年5月18日、韓国軍と米軍による民主化運動に対する大弾圧が加えられた。

2017-05-19 | 関係者一同が参列

保安司令部が秘密組織設け“5・18暴動”をねつ造した

登録 : 2017.05.17 22:21 修正 : 2017.05.18 06:51

 

88年「5・11分析班」軍書類を歪曲 
「市民が先に銃撃」暴徒に追い立て 
「銃剣鎮圧」状況日誌の削除を指示

保安司は80年5月21日午後、空輸部隊による旧全羅南道庁前における集団発砲を自衛権の行使として正当化するために、全羅南道、羅州警察署の潘南支署銃器奪取事件の時刻をこの日の午後から午前に改ざんした。写真は光州市民と戒厳軍が対峙している姿=資料写真//ハンギョレ新聞社

 12・12軍事反乱と5・18内乱を主導し、全斗煥(チョン・ドゥファン)など新軍部執権の先鋒を担いだ保安司令部(現、機務司令部)が1988年の国会光州(クァンジュ)聴聞会を控え、5・18民主化運動を歪曲するために軍関連書類を改ざんしていた事実が29年ぶりに明らかになった。当時、戒厳軍による発砲を自衛権行使だとして擁護し光州市民を暴徒に追い立てた保安司の事実歪曲が、その後の国防部の公式態度に反映され、現在インターネット上の5・18歪曲主張の根源になったという指摘だ。

 

 16日、ハンギョレが独占入手した「5・11研究委員会」(略称5・11分析班)関連記録によれば、「(5・11分析班は)国会(光州)聴聞会での証言と文書検証に備え、光州合捜要員変節防止活動をするために設立された」と明示されている。5・11分析班は国会5・18光州民主化運動真相調査特別委員会の構成(88.7.8)を控えて、88年5月11日に保安司が主導し、国防部・陸軍本部・合同参謀・韓国国防研究院(KIDA)所属委員5人、実務委員15人で構成された非公開組織だ。

 

 彼らは5・18軍関連記録を検討し、不利な事実と記述を改ざん・歪曲して5・18民主化運動を“暴動”に追い立てるため証人をあらかじめ選定し、想定問答集を作成した。5・11分析班の会議用に作った「光州事態関連問題点分析」(88.5)という文書によれば、「光州騒乱鎮圧作戦戦闘詳報」など9個の5・18関連軍書類を改ざんするよう指示した。

 

 改ざんと歪曲の対象は、戒厳軍発砲の正当性確保、帯剣使用などの残酷な示威鎮圧関連内容だ。5・11分析班は、80年5月21日午後の戒厳軍の集団発砲以前に光州市民が空輸部隊に向けて先に銃を撃ったかのように操作して、戒厳軍の発砲が正当な自衛権の発動次元であり、光州市民は暴徒であると強調した。具体的には、80年5月21日市民軍の最初の武器奪取時間(全羅南道羅州(ナジュ)警察署潘南(パンナム)支署被襲)を午後5時30分から集団発砲以前である午前8時に改ざんして国会に提出した。これは、検察が96年の12・12と5・18捜査で旧全羅南道庁前における集団発砲で犠牲になった市民の死を「内乱目的殺人罪」で断罪できなくする背景になった。

 

 当時、光州に駐留していた戦闘教育司令部の「状況日誌」(5.14~5.27)のうち「5.18 20:15(7空輸銃剣)で鎮圧」という報告内容も「検討削除」するよう陸軍本部と特戦司令部に指示した。空輸部隊が光州で帯剣により残酷に民間人を殺傷したという“デマ”を正当化させるためであった。

 

 「特戦司令部光州暴動鎮圧作戦戦闘詳報」(16ページ)のうち、「5.20 23:00各種ガス弾(火炎放射器、M203発射機、E-8発射筒)などで暴徒を制止」したという部分は「(榴弾発射機の)M203発射機は大量破壊兵器であり、問題になる可能性がある」とし「M203発射機を削除またはガス弾に修正(作成部隊通知)」せよと指示した。

 

 5・11分析班は89年12月30日、国会聴聞会終了時まで18カ月間活動した。 5・18研究者のチョン・スマン元5・18民主有功者遺族会会長は「5・11分析班の5・18歪曲シナリオが、今インターネットで横行する5・18歪曲の主張の根拠でありルーツだ。5・18以降の保安司による5・18の歪曲に対する調査が必要だ」と話した。

 

光州(クァンジュ)/チョン・デハ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)