元気になる情報 (加藤正信) |
2007-03-23 23:23:20 |
長谷川さんのご活躍に敬意を表します。 満ちゃんへ 励まされた情報を貼り付けます。発想と規模において学ぶ必要があるのではないでしょうか。手のすいたときにブログ本文に載せていただけませんか。よろしくお願いします。かとう ************************************************ 在メルボルン総領事館 総領事 加来至誠 様 拝啓 長く、暑かった夏もようやく終わり、朝夕は涼しく感じられるメルボルンですが、総領事、加来様におかれましては、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。 日ごろより日豪の友好にご尽力され、また日系コミュニティーの諸活動にもご理解とご協力をいただいておりますこと、ここにあらためて感謝の意を表したいと存じます。 存知のように、わたくしども ジャパニーズ・フォー・ピース(JfP)は、2005年3月、ヒロシマ、ナガサキ被爆60周年祈念行事を日本人の手で行いたいと、在豪日本人有志が集まって平和グループを誕生させました。おかげさまで2005年8月7日、フェデレーションスクエアで行われた「Hiroshima & Nagasaki 60thAnniversary Commemorative Concert」は途中大雨が降る悪天候となりましたが、1000名もの方たちが来られ、平和の思いを共有した大イベントとして成功を収めることができました。また昨年8月6日のヒロシマデーにSt Michel’s Church で行われたピースコンサートには、加来様にもおいでいただき、ワールドミュージックを楽しみつつも、ヒバクシャ、森本順子さんの貴重な被爆体験をお聞きする機会を得ました。こうした平和イベントを通して現地の方々とより深い交流ができるようになってまいりました。 日常的なレベルでも、この地で暮らすわたしたちは地元の人々と深い信頼に基づいて仲良く暮らしたいといつも念じております。しかし、時折日本人に向けられる「戦争の傷」、「戦争責任問題」にも必然的に向き合わされる場面に遭遇し、そのたびにもっとお互いの歴史を謙虚に学びたい、戦争を体験しなかった世代だからこそ、一市民として「平和」を創る運動をしていきたいと決意いたしております。 前書きが長くなってしまいましたが、このたび安倍首相がコメントされた「慰安婦」問題についての発言は、こうした運動を海外で行ってきたわたしたちにとって大変憂慮するものであることをお伝えしたく、この書簡をしたためました。先月、アメリカ議会で証言された3人の元「慰安婦」の方の中にはオランダ系オーストラリア人、ジャン・ラフ・オハーンさんがおられます。わたしたちの何人かは以前メルボルンを訪問されたオハーンさんのお話を直接聞いてもおります。9人の若い女性たちとトラックに無理やりに乗せられ、3ヶ月間、日本兵に強姦され続けたたすさまじい体験を語りました。オハーンさんの体験ばかりでなく勇気を持って証言された女性たちの話の前に、「強制でなかった」、「謝罪は済んでいる」という言葉は二重、三重に彼女たちを傷つけるものだと思わずにいられません。 吉見義明氏らの学問的研究でも明らかなように、また「河野談話」でも示されているように、オハーンさんらを「性奴隷」として扱った責任が直接間接に当時の軍及び政府にあることは明瞭です。 オーストラリアを含めた海外メディアでは、安倍首相の発言に批判を寄せています。わたしたちはメルボルンで暮らしていますが、国籍は日本国民であったり、こちらの市民権を得ていても、日本で生まれ、日本の文化を背負っています。国の代表の方に、わたしたちはこの問題を大変憂慮していること、オハーンさんら日本の侵略戦争で犠牲となった方に実質的な謝罪を早急に行っていただきたいこと、歴史教育でもこの問題をきちんと扱い、子どもたちがどの国の人々とも仲良くできるような環境を整えていただきたいと、この機会に申し上げたいと存じます。 さらに、長きにわたって当地で平和活動を行っている先輩たち(たとえば、世界で一番古い女性の平和組織、婦人国際平和自由連盟のメンバーの方や、PaxChristi の方)から日本は憲法9条を変えるのではないか、こんな世界に誇れる立派な平和憲法をむしろモデルとして守って欲しいと言われることがあります。 第二次大戦及び朝鮮戦争にパイロットとして従軍した体験を持つアメリカのチャールズ・オーバービー博士(オハイオ大学名誉教授)は、日本の平和憲法に希望を見出し、「第9条の会USA」を1990年に創設、81歳の今日まで精力的に活動されております。日本国内でも「9条の会」が無数にできておりますが、わたしたちの「非戦」のメッセージは、今日まで9条が守られてきた歴史を土台としております。9条が他国の良心的人々から高く評価されていることも日本のリーダーの方々には知っていただきたいと思います。 最後に、わたしたちは当地での平和活動を通して、核のない世界を創るための「ヒロシマ、ナガサキの世界化」を推進するだけでなく、日本人が負っている「戦争責任」も重く受け留め、9条を誇りに多彩な活動を行って参りたいと思っております。なお、これは公開書簡とさせていただきますので、ご承知ください。以上よろしくお願い申し上げます。2007年3月14日ジャパニーズ・フォー・ピース賛同者 (50音順) 荒木 美琴 影山 亜衣 小泉 紀之 桜井 杏奈 洋子 デイビィース 土肥 勲嗣 永見 粧子 中村 ひで子 香寿代 プレストン (JfP 代表) 南川 節子 谷田部 友美 |
****************************************
東京大学大学院経済学研究科
TEL:研 究 室: 03-5841-5513
学部受付: 03-5841-5530
FAX(学部受付) : 03-5841-5521
e-mail: daigo@e.u-tokyo.ac.jp
My blog:http://sdaigo.cocolog-nifty.com/
****************************************
直前になりましたが、再度、21日(祭日)のNHK問題緊急シンポジウム開催
>
> NHK問題緊急シンポジウム
> 「NHK裁判高裁判決を考える~権力からの自立を求めて~」
>
> 女性国際戦犯法廷(日本軍「慰安婦」問題の解決をめざした国
> 際法廷)を扱ったNHK番組が、放映される直前に改ざんされ
> た問題で、東京高裁は、安倍氏ら政治家の意向を「忖度(そん
> たく)」し改ざんしたNHKの責任を認め、NHKに200万
> 円の賠償金の支払いを命じる画期的な判決を下しました。
>
> しかしNHKは最高裁に上告し「政治介入は認定されなかった」
> など、誤った報道もなされています。
>
> さらにNHKをめぐっては、受信料義務化法案、受信料督促裁判
> などの動きもあります。メディアの権力からの自立、視聴者の
> 知る権利はどうやって守っていけばよいのでしょうか。
> さまざまな視点から討論します。
>
> みなさんぜひお越しください。
>
> ★日時:3月21日(祝)PM1:30~4:30
> 場所:京都教育文化センター 302号室
> http://www2.odn.ne.jp/kyobun/
>
> ★参加費700円(学生500円)
>
> ★プログラム
>
> 【1】発言者
> ①東海林路得子さん(原告・VAWW-NET ジャパン共同代表)
> 「NHK裁判判決を受けてー判決の特徴と今後の課題」
>
> ②浅野健一さん(同志社大学教員 ジャーナリスト)
> 「高裁判決ニュースを改竄する安倍=NHK」
>
> ③湯山哲守さん(京都大学教員 元NHK受信料支払い停止運動
> の会呼びかけ人 NHKを監視・激励する視聴者コミュニティー
> 共同代表)
> 「受信料義務化法案と督促裁判」
>
> 【2】Q&A
> 【3】行動提起
>
> 主催:NHK問題京都連絡会
> haguenokai@yahoo.co.jp(ハーグの会気付)
>
ドイツの鏡に映る「日本の人権戦略」―「在日」によせて
望田幸男
<1>「在日」韓国・朝鮮人問題
「ドイツにおける他者問題」という問いを発するとき、一般的には外国人に対するスタンスが問われ、国民国家を超えた多文化・多民族社会のあり様を考えることが想定される。
だが、そうした一般的見地が妥当なものとしても、その際に選ばれた対象によって、論じるべき文脈は異なってくる。
たとえばユダヤ人問題のように「過去の克服」と重なる場合もあれば、トルコ人については、主として外国人労働者問題として論じられ、さらには広く人種・人権問題との関連で扱うべき場合もある。
したがって比較の視点から日本の場合を考えるにあたっても、選択された対象によって異なった問題設定が必要になる。日本における最近の在日外国人問題といえば、主に韓国・朝鮮人、中国人、ブラジル人、フィリピン人などが挙げられる。ちなみに彼らは、外国人登録人口約200万弱に対して、それぞれ30%、20%、16%、9%、合計で80%弱を占めている。
(1) ところで、ブラジル人やフィリピン人の場合には外国人労働者の問題として扱いうるが、中国人の場合には、戦後補償や台湾問題など、外国人労働者という視点だけでは律しえない歴史的事情がからんでくる。さらに韓国・朝鮮人の場合には、前三者いずれとも異質な事情がある。
そもそも在日韓国・朝鮮人は、彼らの「在日」という存在形態そのものが、歴史的に彼ら自身の「選択」によってもたらされたものではない。
すなわち、1905年の「韓国併合」に端を発し、1945年まで日本による植民地支配と戦時動員のもとにおかれ、48年、北緯38度線を境に、南北にそれぞれに大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が建国され、50年には朝鮮戦争がおこり、日本国内でも二つの民族団体の深い対立をもたらした。
そのうえで52年、サンフランシスコ条約の発効とともに、日本国籍を失い――それの内実は、「日本人」に保障されていた諸権利の剥奪であった――、「在日外国人」の地位におかれるに至ったのである。
いわば彼らは、外国人としてパスポートやビザをもって「在日」するようになったのではない。したがって彼らの他者性の問題は、たんに日本に長期に在住する外国人という域にとどまるものではなく、日本近現代史そのものに根深く突き刺さっている問題である。
ここでは、「ドイツにおける他者問題」との比較の視点から、この在日韓国・朝鮮人(以下、「在日」と略記)の問題を取り上げる。
<2>最近の「在日像」の変化
ところで、この「在日」をめぐる問題で留意しておかねばならないことは、ここ10数年の状況変化である。
その第一は、在日一世・二世と三世以下との世代間における日本人に対する「他者意識」の落差・ズレともいうべき現象が生まれていることである。それは端的にいえば、植民地化と戦時動員の暗い苦しい体験の有無ないし強弱から生まれている。
この体験の重荷を背負って生きてきた一世・二世とは違って、三世以下にとっては、いまだ訪れたことのない故郷よりも、生まれ育った日本の大地への相対的に強い愛着があり、したがって日本人への「他者意識」も、一世・二世とは異なってきている。
第二に「在日」をめぐる法的・社会的状況の変化の影響である。
たとえば1991年の法改正(出入国管理特例法)によって安定的な在留資格(永住資格)が付与されるようになったことがある。また最近では教育におけるダブルスクール(民族学校プラス日本の学校での修学)の必要もなくなりつつあることに加えて、さまざまな分野における交流の進展がある。
たとえばスポーツの分野での交流であり、とりわけ「在日」学生が「在日」として各種の大会で活躍するようになったことがある。また映画や歌謡曲などの大衆文化レベルでの日韓の交流の活発化がある。以上のような諸事情から生まれてくる、「在日」をめぐる法的・社会的状況の変化とそれにともなう意識変化、とりわけ世代意識の変化は、「在日」の他者性を考える与件として留意すべきことである。
この点と関連してとくに注目すべきは、日本国籍取得者(帰化)の増大である。
最近では「在日」60万人といわれてきたなかで、年間一万人前後の帰化がある。このため外国籍の「在日」総数の減少傾向が続いている。こうした傾向は日本人配偶者との結婚、また国籍法が85年から父母両系主義となったことによっても促進されている。
つまり「在日」と日本人配偶者との間に生まれた子は、自動的に日本国籍が付与されうるのである。ちなみに最近では「在日」の結婚件数の80%強が夫妻のどちらかが日本人である。こうした状況の変化のなかで、とりわけ三世以下の意識変化が顕著になっていることは容易に察せられるであろう。
(2) ただし、ここで留意しておかねばならないことがある。
それは、三世以下に見られるこうした動向を、彼らの「民族的同化」と単純化してはならない。そこでは二つの点に留意しておかねばならない。
第一は、彼らの動向は「民族的同化」というよりも、むしろ「生活者的同化」と見るべきであろう。つまり日本において生活していくうえで、国籍取得が生活の「利便性」のうえから好ましいと考えられている、と解すべきである。
第二に、この「生活者的同化」という現象は、逆に国籍を取得せずに在日外国人のままでは、日本における生活に障害がもたらされる、という社会的事情があることを裏書しており、問題は日本社会における外国人受け入れのあり様のほうに投げかけられている、といえよう。この点は、改めて論じなければならないが、いまは以上の指摘にとどめておこう。
<3>「在日」における他者性の構図
こうして「在日」をめぐる今日的状況は、総体として徐々に減少傾向を見せている一世・二世という「在日」の「歴史的な核」があり、その外周に主として日本国籍を取得した三世以下の輪が広大傾向をたどっている、という構図が描けると思う。
しかも前者と後者の割合は、現在でほぼ拮抗しているが、将来展望としては、時をへるにつれて後者が量的優位を占めていくことになるのは明らかである。つまり、ここには日本人と「他者としての外国人」=「在日」という単純な二分法では割り切れない「中間地帯」が拡大しつつある。こうした重層的構図を「在日」をめぐる今日的状況の特質として把握する必要がある。
ドイツにおけるトルコ人との対比でいえば、彼ら「在日」は、トルコ人とは違って、自らの「選択」によって「在日」となったのではない、という歴史的事情がある。
1952年、サンフランシスコ条約の発効とともに、彼らは日本国籍を失い、「在日外国人」となり、それとともに義務教育の対象からははずされ、国民健康保険や児童手当など社会福祉の適用の外におかれるなど、生活上の困難にさらされることになった。
こうしてそれ以来、彼らは植民地化と戦時動員という歴史的負荷を背負ったまま、新たに「在日」としての「負荷」を加重されることになったのである。戦後の当初には彼ら「在日」は、在日外国人総数の90パーセントを超えていた。それ以来、その歴史的負荷は、「在日」の「核」をなしている一世・二世の世代にとっては、日本の「過去の反省」が未決のままであることによって、加えて世界の旧植民地領有諸国が、植民地支配という「過去の反省」を根本的には果たしていない、という世界史的現状によって、生活と心の両面における重い負荷であり続けている。
こうして彼らは、本質的に日本人に対して「外なる他者」であり続けている。しかもトルコ人が西ドイツの高度経済成長にともなって「在独」するようになったのに対し、彼ら「在日」は日本の高度経済成長以前から「在日」していたにもかかわらず、その「恩恵」からは「排除」された存在であったことも忘れてはならない。
加えて、先に述べた法的状況の好転も、国際人権規約や難民条約など国際的条約に、日本がおくればせに加入したことにともない、それと国内法との整合性という関係からもたらされた感があり、
(3) 日本が、ドイツのように「移民国」「多文化・他民族国家」としての自覚的深化をはかることによってもたらされたものとはいい難い。なるほど、すでに述べたように1990年代以降の「在日」をめぐる状況には大きい変化があり、とりわけ日本国籍を取得することに違和感を軽減している「在日」三世が存在し、その数的増大は時とともに上昇線をたどりつつある。だが、ここでも事態は単純化しえない。「帰化」した彼ら三世も、一世・二世が現存するかぎり、同じ歴史的負荷を程度の差こそあれ共有せざるを得ない。さらには、こうした歴史的負荷を彼ら三世にも「記憶」させ、再学習させるものとして、いぜんとして絶えていない社会的差別の現実がある。
たとえば住宅入居や就職にあたっての差別、拉致問題や外交問題に関連してのパッシング、「チマ・チョゴリ事件」、「第三国人」発言にこめられた蔑視感、等々を挙げることができる。
そもそも日本には、「人種差別禁止法」がいまだ制定されていないのである。そうした意味で、「帰化」した三世でも、日本に対して「内なる他者」ともいうべき存在であり続けている。今日、東アジアにおける日本外交の貧困が指摘されているが、「外」にむけての対応は、ある意味で「内」における対応と照応している。とするならば、「在日」に対する日本の人権戦略は、東アジア諸国との共生の方向に向かわざるを得ない日本にとって、「内」における緊要な課題である。
その課題を果たすためには、まず「在日」が近現代史のなかでたどってきた歴史的運命について、認識と感性の両面において、広く日本人が共有しうる地点をクリアすることであろう。そのうえに立って、本稿で指摘してきたような三世以下に見られる「内なる他者」の存在を、一世・二世への架け橋としていくような、また日本における「多文化・他民族の共生」へのポジティブな要因としていくような、そのような「人権戦略」の構築がはかられるべきであろう。
(1) 『外国人登録者統計』(05年法務省入国管理局)
(2) こうした状況の変化とそれにともなう意識変化の問題は、「在日」知識 人たちによって、調査・検討を通じて自覚化されている。たとえば以下の諸論考を参照。
朴在勳「在日同胞三世の民族意識についての私的一考察」(『人権と生活』Vol.18,04 年6月)、
金昌宣「在日同胞社会の実態と権利課題」(『人権と生活』Vol.21,05年11月)、
金哲秀「各種データに見る在日同胞社会」(『人権と生活』Vol.17,03年12月)
(3) たとえば「人種差別撤廃国際条約」は1965年に国連において採択されたが、日本の加入は95年であり、また「難民の地位に関する条約」および「議定書」が、それぞれ1951,66年に国連で採択されたが、日本が両者に加入したのは81年である。
<日本ドイツ学会シンポジウム「他者との関係」・コメント、『ドイツ研究』41号>
長谷川長昭です。 醍醐聡さん(東京大学教授、NHKを監視・激励する視聴者コミュ
ニティ共同代表)の ブログに掲載されていたコメントをご本人の了解
を得て、お知らせします。日朝協会京都府連のブログへの掲載も了解
を得ています。 『ためにする強制の「広狭」論―「従軍慰安婦」問題を
めぐる安倍首相の理性に耐えない言辞―』 ■河野談話を継承すると言いつつ、謝罪を拒む安倍首相の支離滅裂な
言動米下院外交委員会の「アジア太平洋・地球環境小委員会」が「従
軍慰安婦」問題で日本政府に対して、元慰安婦への明確な謝罪を求め
る決議案を審議している。これに関して、安倍首相は5日午前に開かれ
た参議院予算委員会で、「決議案には事実誤認がある。決議がされて
も謝罪することはない」と答弁した。 安倍首相のこの国会答弁を聞いて、私は支離滅裂ぶりにあきれた。
安倍首相が継承するという河野談話には次のようなくだりがある。 「いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の
名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改め
てその出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の
苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々
に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。」 ここには、元従軍慰安婦への謝罪と反省が明記されている。
この河野談話を踏襲すると言いつつ、「謝罪はしない」と言うので
は、国の内外を問わず、言語意味不明である。 ■連行の強制性の「広義か狭義か」にこだわる底意 安倍首相が謝罪をかたくなに拒むために持ち出すのが連行の
「広狭」定義論である。そして、その意図するところは、狭義の強制
性が証拠で裏づけられないかぎり、学校教科書に載せるべきではない
し、謝罪には及ばないという論法である。 これについて安倍氏は昨年10月6日の衆議院予算委員会で、「本人た
ちの意思に反して集められたというのは強制そのものではないか」と
いう問いに対して、次のように答弁している。 「ですから、いわゆる狭義の強制性と広義の強制性があるであろう。
つまり、家に乗り込んでいって強引に連れていってしまったのか、
また、そうではなくて、これは自分としては行きたくないけれども
そういう環境の中にあった、結果としてそういうことになったこと
についての関連があったということがいわば広義の強制性ではないか、
こう考えております。」 こういう物言いを聞くと、家に乗り込んでいって強引に連れていっ
たのでなければ強制にはあたらない、したがって謝罪する必要はない
とでも言いたいのだろうか?
そうでないなら、強制の広狭を持ち出す意図はどこにあるのだろうか? 安倍首相の上記の議論には、二つのレトリックが仕組まれている
と考えられる。 一つは、従軍慰安婦を徴集する際に「狭義の強制」があったかどう
かだけが問題であるかのように議論を誘導し、これに該当しない「募
集」業務は非難に当たらないという回答に着地させようとするレトリ
ックである。 もう一つは、従軍慰安婦制度の犯罪性を慰安婦「徴集の局面」に意
図的に限定し、徴集後に慰安婦が「慰安所」でどのような状態に置か
れていたかを不問にするというレトリックである。 ■慰安婦徴集の犯罪性に狭義も広義もない 安倍首相が継承すると明言した「河野談話」は慰安婦の「募集」
方法について、次のように記している。 「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれ
に当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思
に反して集められた事例が数多くあり、更に官憲等が直接これに加
担したこともあったことが明らかになった。」 また、1994年に国連人権委員会によって「女性への暴力に関する問
題に関する特別報告者」に任命されたスリランカの法律家クマラスワ
ミ氏が1996年に提出した最終報告書は、慰安婦の徴集に次のような3
つのタイプがあったと記している。
http://space.geocities.jp/japanwarres/center/library/cwara.HTM
①すでに娼婦であった女性と少女からの自発的応募
②料理屋や軍の料理人、洗濯婦と称して女性を騙すやり方
③日本の支配下にあった国々での大規模な強制と奴隷狩に匹敵する暴力
的連行まず、指摘しておく必要があるのは、安部首相が言う「狭義
の強制的徴集も実在した証拠が提出されているということである。
クマラスワミ報告にあるように、徴集方法は地域によって一様ではなか
ったが、国内では軍が直接自国民を慰安所へ連行するのは好ましくない
と判断され、①が多く、一部②のやり方もあったようである。
しかし、当時、日本軍の統治下にあった朝鮮、台湾、中国等では、
軍人が直接現地の女性を拉致、誘拐して慰安所へ連行するケースや、
現地のブローカーや地元の村幹部などを通じて女性を集めたケースが
多かった。1956年に中国の瀋陽と太源で行われた日本人戦犯裁判で
有罪判決を受けた45人の自筆供述書、前記のクマラスワミ報告に収
められた元従軍慰安婦3人の証言、韓国政府が元慰安婦13人から聞き
取り調査をした結果をまとめた中間報告書(1992年7月31日)などから、
この事実を具体的に読み取ることができる。
しかし、このことから、物理的強制(連行)を伴わない徴集なら問題
はなかったなどと言い募るのは慰安婦徴集の実態に目をふさぐ暴論であ
る。例えば、「よい仕事があるから」といった甘言で軍の慰安所に連れ
ていかれ、最初は裁縫や洗濯などを割り当てられたが、しばらくた
って兵士の性的処理の相手をさせられた女性がおびただしい数にの
ぼる。こうした女性に対して、「家に乗り込んでいって強引に連れて
いったわけではない」などと殊更に言い募るのはモラルの退廃という
ほかなく、そうした人物が「美しい国づくり」を語るのは笑止の沙汰
である。
本来、インフォームド・コンセントというのは、必要な情報を得た
うえでの合意を意味し、詐欺や甘言で誤導された意思が「真正の意思」
でないことは言うまでもない。それどころか、暴力的連行とは区別さ
れる詐欺・甘言(この事案では女給か女中として雇うという詐欺)に
よる慰安婦の徴集を「国外移送目的の誘拐」として有罪とした大審院
判決(1937年)が存在したことが「朝鮮人強制連行真相調査団」の手
で発掘されている。
■「慰安所」における女性の性奴隷としての実態 (後半)
先に触れたように、従軍慰安婦問題の犯罪性は徴集の局面がすべて
ではない。強制連行か甘言による拉致・誘拐かを問わず、慰安婦とさ
れた女性の悲惨な姿は「慰安所」の実態を直視することなしには把握
できない。これについて、「河野談話」と同時に内閣官房外政審議室
が発表した「慰安婦関係調査結果の要旨」は、<慰安所の経営及び管
理>と題する項で次のように記している。
「慰安所の多くは民間業者により経営されていたが、一部地域
においては、旧日本軍が直接慰安所を経営したケースもあった。
民間業者が経営していた場合においても、旧日本軍がその開設に許
可を与えたり、慰安所の施設を整備したり、慰安所の利用時間、
利用料金や利用に際しての注意事項などを定めた慰安所規定を作成す
るなど、旧日本軍は慰安所の設置や管理に直接関与した。
==================================
慰安婦の管理については、旧日本軍は、慰安婦や慰安所の衛生管理
のために、慰安所規定を設けて利用者に避妊具使用を義務付けたり、
軍医が定期的に慰安婦の性病等の病気の検査を行う等の措置をとった。
慰安婦に対して外出の時間や場所を限定するなどの慰安所規定を設け
て管理していたところもあった。いずれにせよ、慰安婦たちは戦地に
おいては常時軍の管理下において軍と共に行動させられており、自由
もない、痛ましい生活を強いられていたことは明らかである。」
こうした記述を裏付ける資料や証言は少なくないが、前記のクマラ
スワミ報告は「慰安所」の状態に関する調査結果を次のように記して
いる。
「敷地は鉄条網で囲われ、厳重に警護され巡視されていた。『慰安婦』
の行動は細かく監視され制限されていた。女性たちの多くは宿舎を離
れることをゆるされなかったと語っている。」
「・・・・・・そのような状態のなかで、『慰安婦』は一日に10人
から30人もの男子を相手とすることを求められた。」
「軍医が衛生検査を行ったが、『慰安婦』の多くの記憶では、これら
の定期検査は性病の伝染を予防するためのもので、兵隊が女たちに負
わせた煙草の押し焦げ、打ち傷、銃剣による死傷や骨折でさえもほと
んど注意を払われなかった。」
「そのうえ病気と妊娠にたいする恐怖がいつもあった。実際『慰安婦』
の大多数はある程度性病にかかっていたように思われる。病気の間は
回復のための休みをいくらか与えられたが、それ以外はいつでも、
生理中でさえ彼女たちは『仕事』を続けることを要求された。
ある女性被害者が特別報告者に語ったところでは、軍事的性奴隷とし
て働かされていたときに何度も移された性病のため、戦後に生まれた
彼女の息子は精神障害者となった。このような状況はすべての女性被
害者たちの心に深く根付いた恥の意識と合わさって、しばしば自殺ま
たは逃亡の試みという結果をひきおこした。その失敗も確実に死を意
味した。」
■.「楽しみもある代わりに死んでくれ、と言っているわけでしょう。」
ーー元日本軍兵士の尊厳をも冒涜する政治家の発言―ー
「この程度のことは違う立場から見れば、戦争だったわけですから当然
のことなんですね。これが強制連行と言ったらひどすぎますが、連れて
いくのに全然自由意思で『さあ、どうぞ』という話などないわけですね。
しかし、この程度のことを外国に向けて本当にそんなに謝らなきゃい
かんのか。誰がひどいと言ったって、戦争には悲惨なことがあるのであ
って、当時、娼婦というものがない時代ならば別ですけれども、町にあ
ふれているのに、戦争に行く軍人にそういうものをつけるというのは常
識だったわけです。働かせなきゃいけないんです。兵隊も命をかけるわ
けですから、明日死んでしまうというのに何も楽しみがなくて死ねとは
言えないわけですから、楽しみもある代わりに死ん
でくれ、と言っているわけでしょう。」
(日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編『歴史教科書への疑
問』展転社、平成9年、435~436ページ)
これは「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が河野洋平
衆議院議員を講師として招き、同氏が官房長官時代(1993年8月4日)
に発表した前記の談話(「慰安婦関係調査結果の発表に関する河野官
房長官談話)の経緯を説明した後の質疑の冒頭で小林興起議員が行っ
た発言の記録である。
口を開けば、「英霊」と奉られる元日本軍兵士は、後世の政治家が
自分たちのことを「娼婦をつけ、楽しみを与えるから死んでくれと言
ったまでだ」と言ってのけるのを聞いてどんな思いをするだろうか?
意に背いて戦場へ連行され、性的奴隷扱いを受けたアジアの女性たち
にとって、自分たちが受けた仕打ちを「この程度のこと」と言っての
ける加害国日本の政治家の発言を聞かされるは、二重の意味でーー
一度は戦場で、もう一度は戦後の歪んだ歴史認識の持ち主である日
本の政治家の暴言でーー人格冒涜というほかない。
ちなみに、前記の小林議員の発言に対し、河野洋平氏は次のよう
に応答している。
「なるほど。私は残念ながら意見を異にします。この程度のことと
言うけれどもこの程度のことに出くわした女性一人一人の人生とい
うものを考えると、それは決定的なものではなかったかと。
戦争なんだから、女性が一人や二人ひどい目にあっても、そんなこ
とはしょうがないんだ、というふうには私は思わないんです。やはり
女性の尊厳というものをどういうふうに見るか。現在社会において、
戦争は男がやっているんだから、女はせめてこのぐらいのことで奉仕
するのは当たり前ではないか、と。まあ、そうおっしゃってもいない
と思いますが、もしそういう気持ちがあるとすれば、それは、今、
国際社会の中で全く通用しない議論というふうに私は思います。」
(日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編、前掲書、436~
437ページ)