日朝協会「京都府連合会」です。韓国・朝鮮との友好を進める、日本人の団体です。1カ月¥500 841-4316福谷気付

 世界の出来事から日本・韓国・朝鮮の未来を見る。
 皆さんの声を生かして活動を進めます。

一日から始まりました。どうぞご自由にご参加ください。5日には、日朝協会企画が組まれています。

2017-08-02 | 平和のための京都の戦争展

 

     

         「戦争展」日朝協会担当の催しにぜひご参加ください 

              青年のみなさんのご参加を呼びかけます (無料)

                                                   日朝協会京都府連合会 075-841-4316

                                                   右京区太秦安井一町田町10-41福谷気付

                       

Ⅰ 8月5日(土)10時~12時 平和ミュージアム二階会議室 

 講 演:テーマ 韓国の軍隊:徴兵制と青年の思い

講 師:韓国軍隊徴兵経験のある大学院生


日朝協会は、なぜ韓国の軍隊をテーマに選んだのか?

1、   北東アジアの平和、自衛隊の海外派兵・米軍との一体化、

動き出した「戦争法」をどうみるか?を学ぶため。

    2、   南北緊張の現場、韓国軍隊の実態を知り、青年の思いを聞く。  

                   3、   韓国文在寅政権誕生のもとで、日朝韓の友好・北東アジアの平和をどのように築くのか?

を話し合い理解する場にしたい。

 Ⅱ 8月5日(土)12時~13時  昼休みコンサート 一階ホール 

出 演:京都朝鮮歌舞団 歌と踊り

 

Ⅲ 日朝協会コーナーに掲示している「日朝韓中友好親善メールニュース」ご希望の方は、

micchan_oohashi@yahoo.co.jpに お申し込みください。

 

Ⅳ この機会に「日朝協会」にご入会ください。(会費1ヶ月¥500)  住所            氏名         電話・メール

 

       


ぜひ、ご参加ください!

2017-07-23 | 平和のための京都の戦争展

      

 

慰安婦象徴する「平和の少女像」メモリアルコインが国民公募で発行

登録 : 2017.07.21 04:04 修正 : 2017.07.21 06:22

 

少女像制作したキム・ソギョン、キム・ウンソン氏夫妻が主導 
少女像の胸像と共に「평화・平和・Peace」刻む

平和の少女像ネットワークのホームページキャプチャー//ハンギョレ新聞社

 世界慰安婦の日と水曜集会25周年を称えるメモリアルコインに対する国民公募が始まった。

 

 平和の少女像ネットワークは20日、同日から世界の慰安婦の日の8月14日まで、平和の少女像メモリアルコインに対する公募を進めると明らかにした。「小さな少女記念コイン」(The Little Girl Commemorative Coin)という公式名称がついたこのメモリアルコインは、「慰安婦」被害者ハルモニ(おばあさん)を象徴する平和の少女像の胸像が主な図案であり、少女像の隣には自由と平和を意味する一対の蝶が一緒に刻まれている。コイン左上には韓中日3カ国の「慰安婦」被害者をはじめ、全世界で戦争によって被害を受けた女性たちの魂を称えるという意味で、ハングルや漢字、英語の順で「平和」という言葉を刻み入れた。

 

 今回のメモリアルコインの発行は、国民の公募で行われ、純銀31.1グラム品位のプルーフライク方式で製造された直径40.5ミリの銀貨の価格は8万7000ウォン(約8680円)だ。メモリアルコインを購入した場合は、2万5000ウォン(約2490円)相当の小さな少女像も無料で提供される。少女像メモリアルコインは、最大の発行数量の3万5000枚(国内3万枚、海外5000枚)の範囲内で、公募された数量だけ製造・発行される予定だ。「平和の少女像ネットワーク」ホームページを通じて公募に参加することができる。

 

 今回のメモリアルコインを製作した作家のキム・ソギョン、キム・ウンソン氏夫妻は「記念コインは平和の少女像を記念するのではなく、少女で表現された『慰安婦』ハルモニたちを記憶し、平和への意志を示すもの」としたうえで、「純粋な民間活動レベルで、平和と和解のため、今回のコインを企画した」と趣旨を説明した。

 

ファン・クムビ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)


韓国の広島、陜川・ハプッチョン

2015-08-10 | 平和のための京都の戦争展

[コラム]知られざる韓国の広島、陜川

登録 : 2015.08.05 

 

1945年日本に投下された原子爆弾で後遺症を病んでいる原爆被害者2世ホ・ジン ヨン(45・左),チョン・ヨンヒョン(45)氏夫婦が2013年10月9日午後、慶南(キョンナム)陜川郡(ハプチョングン)陜川邑(ハプチョンウプ) の原爆被害者福祉会館慰霊閣で手を取り合っている。 ダウン症候群を病む二人はそれぞれうつ病と胃癌でも闘病中だ。 陜川/パク・ジョンシク記者

 慶尚南道陜川(ハプチョン)と聞き何を思い浮かべるだろうか。おそらく八万大蔵経がある海印寺(ヘインサ)を思いつく人が多いだ ろう。人によっては全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領の故郷や陜川ダムを挙げるかもしれない。あまり知られていないようだが、陜川は“韓国の広島”と も呼ばれる。陜川と1945年に原子爆弾が投下された日本の広島に、どんな関連があるというのか?

 

 まずは陜川の自然環境と歴史的な背景を振り返らなくてはならない。陜川は山奥にある。西、南、北に伽耶山、梅花山、飛鳳山、斗霧山、吾道山、黄梅山など、海抜千メートルを超す山々がある。以前は耕作地が足らず暮らしていくのがやっとだった。

 

 日帝強制占領期の1920年代に洪水とコレラが陜川を襲った。地主は小作農にでたらめに高い小作料を要求した。1922年当時、陜川の農業人口(1万 9575人)の82%(1万7128人)が小作人だったとされる。災害と伝染病、地主の横暴に苦しめられた陜川の小作農は故郷を離れた。彼らのうち相当数 が日本の広島に渡った。兵器を作る工場が密集し、仕事が多かったためだ。そして1944年、日帝の徴用令で陜川の住民3360人が日本などに連れられて 行った。

 

 1945年8月6日午前8時15分、米軍爆撃機が広島の9600メートル上空から原子爆弾を投下した。米軍は3日後の8月9日、長崎にも原爆を投じる。広島と長崎でおよそ70万人が原爆の放射能を浴び、約23万人が亡くなった。

 

 多くの韓国人は米国の原爆投下が日帝の抗戦意志を削ぎ降伏を導いたと考える。米国の原爆が8・15光復(解放)をもたらし、原爆で亡くなった日本の人たちは侵略戦争を起こした悪業の報いなのだと感じる。

 

 だが、原爆は日本人だけを狙ったものではない。韓国は世界で2番目の原爆被害国だ。各種研究によると、1945年8月に広島と長崎で朝鮮人7万人余りが被爆し、4万人余りが命を失ったと推定される。

 

 広島の朝鮮人被爆者の中で多数を占めるのが陜川の人たちだ。光復後、彼らが陜川に戻り2、3世が生まれ、陜川郡は“韓国の広島”と呼ばれることになっ た。古い統計ではあるが、1974年に原爆被害者援護協会の陜川支部が行った陜川郡被爆者実態調査によると、陜川地域の被爆生存者は3867人いた。被爆 者だけでなく、その子供まで各種疾病と貧困に苦しめられている。

 

 韓国人被爆者には被害者しかなく加害者はいない。日本は侵略戦争の責任をはぐらかすように“原爆被害者”を自任し、日本人被爆者だけを世話してきた。 “血盟”となった米国に原爆投下の責任を問うこともできない。そして韓国政府は国内の被爆者に関心がない。今年で原爆投下70年になるが、国内被爆者の被 害実態は誰にも分からない。政府は今までまともな実態調査すらしてこなかった。

 

クォン・ヒョクチョル社会2部地域デスク//ハンギョレ新聞社

 政府が対策をたてるを待ってばかりはいられない状況だ。そこで純粋な民間の力で2010年3月、国内の原爆被害者を救う市民団体であり被爆2世の憩い場 となる「陜川平和の家」がオープンした。陜川平和の家は、広島に原爆が投下された日(8月6日)の前日の5日、「原爆被害者、あなたを記憶します」という テーマで陜川各地で非核・平和の大会を開く。大会は2012年から毎年開かれている。被爆者の個人的苦痛を社会的記憶に引き上げる努力でもある。

 

 大会が開かれる陜川まで行くのが難しいなら、オンラインの認証ショットで参加することもできる。まず「私は韓国人の原爆被害者を記憶します」と紙に書い たり出力する。その紙を持ち写真を撮る。最後に写真を登録。登録場所はキャンペーン・フェイスブック (www.facebook.com/remember194508)参照。

 

クォン・ヒョクチョル社会2部地域デスク(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力2015-08-04 23:36

http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/703198.html訳Y.B