羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

江戸独楽展 轆轤屋

2009年12月16日 15時02分55秒 | Weblog
 江戸独楽作家の福島保さんの作品展が開かれる。毎年、十二月恒例行事である。
 思い起こせば、野口先生に連れられて、小岩の民芸品店に出かけたのが最初だったかもしれない。いや、もしかすると日本橋の民芸店‘いしずか’って言っただろうか、そこが最初だったか。
 かれこれ三十年近い歳月が流れたから、記憶が曖昧な彼方へ遠ざかっても不思議はない。

‘芥子独楽’と名付けられている、極小の独楽に出会ったことが、先生と福島さんを結びつけるキッカケだった、と伺った。
 先生に連れられて、独楽つくりを見せてもらったときの驚きは今でも忘れられない。轆轤が廻って、あてがわれている木材から次第に独楽が形をあらわす。色づけされ、艶を出すために蝋があてがわれて、最後に切り落とされる。
 皆が同じ感想を持つ。
「独楽が生れ落ちる瞬間に出会えるのは何てしあわせ!」

 先生は‘ひねり独楽’を上手く回すことはできなかった。
 関節が足らない指があって、独楽をつかみ回転を与えることが難しかったからだった。しかし、紐を使う独楽は、大きな独楽まで十分な回転を与えるだけのコツをしっかりつかみ、私にも伝授してくださった。
 今回は展示即売だけだが、物語が付加されている独楽の自由さが楽しい。
 干支独楽は寅だ。
 
 会期:12月17日(木)~23日(水)10時~19時 (最終日:17時閉場)
 会場:渋谷・東急本店 8階 工芸ギャラリー
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

合唱の醍醐味 明大混声合唱団を聴く

2009年12月14日 18時37分06秒 | Weblog
 大学生活の四年間は、遊んで暮らしても、勉強に明け暮れても、バイトに精を出しても、サークル活動に夢中になっても、とにかく四年は四年だ、ということしみじみ感じたのは昨日のこと。
 結成されて今年度で還暦を迎えた「明治大学混声合唱団第58回定期演奏会」を聴いた。
 プログラムは、映画音楽、イタリアオペラ合唱集、フォーレのレクイエムだった。その間にこの演奏会を最後に卒団する4年生の合唱が披露された。万感の思いが籠められていた。‘だから合唱はやめられない’醍醐味!
 その醍醐味には、アバウトが許されないクラシックの宿命が深く関っている。
 薄氷を踏むような緊張感、スリリングな綱渡り感である。とりわけピアノやピアニッシモで始めるフレーズの歌い出しのきめ細かさ、音程のズレといった初歩的で技術的な問題が、曲想解釈や表現以前に難しい、と感じた。
 それはそれとして、レクイエムは見事な演奏だった。
 願わくば、自分の死の床ではこの曲を流して欲しい。

 振り返って、先日の演劇ハムレットも今回の合唱も、若者に機会を与えることによって才能が開かれることが見事に証明された。これも大学の使命の一つだ。社会に巣立つ前の猶予期間に打ち込み‘アウトプット’する経験が如何にも大切。今回も少子化が嘘のように、ステージに立つ学生の数は演奏とともに圧巻であった。
 そして蔭で支えるスタッフの力がまた凄い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の贈りもの

2009年12月13日 08時44分31秒 | Weblog
 すっかり葉を落とした柿の木に、赤い実が一つ二つ、やってくる鳥のために残してあるかもしれない。
 北風もおさまり、雨上がりの翌日、お日様が顔を出すと、庭からはきっといいにおいが立ち込め、日向ぼっこにうたた寝は格別だろう。
 
 麻紐に絡められた干し柿。口にいれるとその甘さが拡がる。
 日本画とまで言わなくても、さっと一筆描き、水彩で色付けもいい。絵心のある人はこの自然さをまず描きたくなるだろうな、と思いつつ噛みしめる。
 俳句や歌心のある人も、きっと口に入れる前にしっかりと見届けて、一句したためるだろうな、と二つ目をあっという間に食してしまった。
 
 このいただきものの自家製干し柿には、数個の種が入っていた。
 その種に感動するところを見ると、最近の果物は、種無し葡萄に種無し柿、西瓜だって種が少なくなったことへの日ごろの鬱憤の裏返しかもしれない。

 そしてもう一品。
 柚である。こちらは少しだけ切り残された枝に青々した葉が黄色に映えていた。
 仏壇をあけると、朝の一番茶を置くところに袋入りの柚がのっていた。
 いい匂いを仏さまに、と母が昨晩のうちに供えたらしい。

 さて、この自然の二品は、杉並育ちである。
 決して暇をもてあましている方ではない筈なのに、干し柿や柚の包装にまでも独自の工夫がこらされていた。丁寧な暮らしぶりが偲ばれる冬の贈りもの。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シュウカツ、いや、就職活動。

2009年12月12日 08時56分21秒 | Weblog
‘草食系男子’などという言葉がある。
 その彼らの目の色が変わってきたのは夏ごろからだろうか。
 今年、後期の授業は、台風や体育会で授業回数が減ったクラスがある。それに輪をかけて、新型インフルエンザに就職活動、内定者向けの会社説明会等々も加わった。
 その他、四年生でこの時期にまだ内定をもらっていない学生に加えて、「これからしばらくは厳しいよ」といった巷の噂で三年生が動き出していて、これまでの倍以上の学生が休む傾向が強まった。

「先輩に話を聞いていたので、遅くなりました」
「こんなに」といいかけて顔を見たとたん「遅刻したら出席扱いにはなりません」
 ワンフレーズを言い終わることはできなかった。
 聞いてきた厳しい話が、彼の脳内をめぐっているようだから。
 今からそんなでは来年の授業は落ちついて受けられないだろう、といった危惧を先生方が共有している。
「大企業か、中企業で特色ある会社を皆が希望して、あろうことかエントリーシートの書き方を教えてくださいですよ」企業の研究所から転職した先生の話だ。
 時代が時代だから人にないものを活かし好きな道を歩くぞ、と気構えている男子学生も中にはいる。同じくらいにドロップアウトしている学生もいる。そして院生にはもっと厳しい現実がのしかかっているらしい。
 民主党さん経済対策しっかりして! 大学からも叫びたくなる年の瀬である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

洗顔法 たけし+ためしてガッテン

2009年12月11日 18時47分41秒 | Weblog
 かれこれ一ヶ月以上前になるだろうか。「たけしの本当は恐い家庭の医学」(正確ではありません)で、洗顔の仕方を教えていた。
 水あるいはぬるま湯で洗い流した後は、水滴がついたままの顔をパタパタと叩くことで、水分を皮膚に沁みこませてしまう感じの方法だった。
 さっそく試してみた。叩いたあとは化粧水や乳液などつけなくても突っ張ることはなかった。これは驚きだ!

 そして今週の水曜日「ためしてガッテン」を最後だけ見た。
 ここでのやり方は、石鹸を半端でなく泡立てる。泡が落ちないくらいの水分でとことん泡立てる。それを顔全体に軽く叩くようにして洗顔する方法だった。メイク用化粧品を泡がきれいに包み込む。皮膚をゴシゴシ擦さらないことが肝心要。
 さっそくその晩から試してみた。洗顔中も終わったあともとても気持ちがいい。泡が皮膚に接している感触は柔らかいが、マシュマロのような弾力がある。
 目を閉じて軽く押すように皮膚に馴染ませる。無心になれる。
 ぬるめの湯で洗い流す。皮膚は柔らかくなって深呼吸の後のような感じがする。
 
 昨日、近所の奥さんがこんな話をしてくれた。
「銭湯の女湯ではねパタパタパタ凄い音ですよ。皆やってるみたい」
 今日、ネットに入れて泡立てる石鹸の減り方が凄いことに気づいた。
 泡法を実行している私が言うのも些か気がひけるが、テレビの影響は侮れない。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子規も食べたか? ‘法隆寺の柿’

2009年12月10日 19時21分34秒 | Weblog
 柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺

 NHKが放送している「坂の上の雲」で、松山が人気になっているという。
 それに合わせたのだろうか、「歴史秘話」でも‘正岡子規’を取り上げていた。夏目漱石との交流にも触れて、二人の友情と絆は深く、尊敬と慈愛に満ちたものであったことを伝えていた。結核の病が小康状態を得た子規は再び上京する。その途中で斑鳩の里に立ち寄りこの代表作の俳句を詠んだ。

 以前、私は梅原猛の『隠された十字架』を読んだ時のドキドキ感は忘れられない。また山岸涼子の『日出処の天子』も夢中で読んだ記憶がある。ともに聖徳太子(信仰といいたい)にまつわる筋立てである。怨霊封じの西院伽藍の謎解きも面白い。しかし最近では太子は空想上の人物だ、という説も実しやかに論議されている。歴史的事実はどうあれ、飛び切りの聖人的人物像を子供心に植えつけられた私としては、法隆寺といえば夢殿と玉虫の厨子と聖徳太子と柿と子規である。

 前振りが長くなった。
 本日、体育教員室で、法隆寺の柿を食べた。
 ある先生が曰「門前町にある大きな土産屋を営む友達から贈ってきた正真正銘純正の柿」
「おっ、味が違いますね」それぞれに柿を頬ばりながら口々に同じ感想を言う。法隆寺の伽藍に鈴なりの柿が写っている観光客用のポストカードの図柄を思い浮かべながら。
 この柿、法隆寺も子規も差し引いても美味だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポカポカ 湯冷め知らずの冬の入浴

2009年12月09日 18時54分52秒 | Weblog
 冬至までまだ少し間があるが、暖冬傾向といわれてもさすがに師走の声を聞くと寒さが身に沁みる日がある。
 この日には、南瓜を食し柚湯にはいる、といった昔ながらの習慣は捨てがたいものである。
 殊に、冬の夜の入浴は、湯冷めさえしなければ、からだを温めるにはもってこいだ。その際に塩を入れる人もいる。柚などは香りがよくて自然アロマだ。柚代わりにミカンの皮もいい。‘○○温泉の入浴剤’などとうたったものも市販されているが、湯舟の材質によっては使えないものもある。

 さて、私事。入浴に関して、今月に入って始めたことがある
 風呂から上がる前に湯舟のなかで行っている。
 まず、二本の足の指の間を逆方向にぐっと引っ張る。次に、指を一本ずつ親指と中指ではさんで右に十回ほど左に同じ回数をまるく回す。最後に、足の指の間に手の指を組ませて、足首をぐるぐると回す。それらすべて息を吐きながらやっている。
 さらに駄目押しのように、両足をかるく浮かしながら、膝を曲げて胸につけたら膝を伸ばす動きを数回行って仕上げ、といった段取りである。

 昨年までは、やっていなかったが、最近試すようになった。
 これが滅法よい!のだ。
 芯から温まるポカポカ状態で今のところ寒さ知らずである。
 きっと皆さんそれぞれに工夫した入浴の仕方があるのでしょう。
 ぜひコメントをお寄せください。お待ちしてます。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリスマスツリー

2009年12月08日 09時11分13秒 | Weblog
 先週末に、‘週刊NY生活’のメールマガジンに一枚の写真が添付されていた。掲載一週間早い読者へのプレゼントだという。
 12月2日水曜日に点灯式が行われたロックフェラービルのクリスマスツリーの写真だ。文章を読むとなるほどと思えたが、詳しくはここに載せられない。
 毎年、飾り付けをする木は、厳選されて切り出されていることは以前から聞いていただけに、今年はどこからはこばれたのだろう、と気にかかる。

 転じて、この数日間で、東京都内でもあっちこっちでツリーを見かけるようになった。
 中でも伝統的にこれぞツリー!と言えるのは、池袋の立教大学のツリーだ、と個人的には思っている。
 地面から大きく育った樹木は、左右対称に揃っていて美しい三角形をしている。電飾は発光ダイオードではないので、温か味ある色彩に彩られる。
 では何故バランスがよいのかと問えば、周囲の建造物がレンガつくりの二階建てだからに違いない。因みに古い建物補修に使われるレンガは、未だにアメリカから輸入している。色合いが日本製とは微妙に違うのが理由らしい。
 正面右手がチャペル、左手が図書館、真ん中に時計塔があるが、どれも聳えるほどではない。今となってはこの低さが、ツリーを立派に見せているのだろう。
 日暮れとともに点灯されたツリーの傍を通り抜ける時、キリスト教徒でなくても‘祝福’に特別な喜びを噛みしめてしまう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『野口体操入門』 アクティブ新書 重版

2009年12月07日 14時12分41秒 | Weblog
 まだまだ夏の暑さが残る七年前の九月のことだった。
 自宅から一分もかからない所で、本に載せる写真撮影を行ったのは。
 撮影は佐治さん、モデルは翻訳家の常田景子さん。
 ほぼ一日がかりの撮影を終えて、お二人が肝臓癌を患っていたが切羽詰ってはいない父と話をしてくださった。
 その日以降、本つくりは着々とすすんだ。
 同時進行で父の病状は悪化の一途を辿った
 当時、私は、週に一回、茅ヶ崎の大学に通い、帰宅時には東京駅から二駅目の御茶ノ水で下車し、そのまま病院に泊り込む回数が次第に増えていった。
 地の利がよかった。岩波書店も近く、編集者の方が来てくださったり、私が出向いたりしながら十二月に校了に漕ぎ着けた。
 
 第一章には、父の病気や思い出を書いたのは、脱稿したとき既に残された時間は少ないことがわかっていたからだ。
 この年は、看病と大学の授業と朝日カルチャーのレッスンと家のことをこなしながら本を作った。
 
 父が息を引き取ったのは十二月十九日夕方のこと。
 残念なことに、出来上がった本を父に見てもらうことは叶わなかったが、納骨を行った四十九日法要には間に合って、お寺さんの配慮で父の位牌のそばに置かれていた。それから六年、昨日、九刷りが届いた。もしかするとあのときの読経は、本への入魂の儀であったかもしれない。不思議な感覚に囚われているが、ありがたいことです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食育

2009年12月06日 09時12分22秒 | Weblog
 最近の子供は食卓にのぼる形でしか食物を理解していないと言う。
 スティック状の人参やきゅうりはそれがそのままの形で、魚は刺身のまま泳いでいる(まさか?いやホントの話)と。食育を政府が言い出し教育の場に持ち込んだ。
 しかし、なによりもこの詩はいかがだろう。移すことをお許し下さい。
 
 追悼「自然の詩」春の食卓 高田榮一  

息子よ おまえのうしろから 静かに春が貌をのぞかせている おまえの若い体臭に ちょっと迷うようなふりをしながら

君はいつもそうだった 必らず新しい驚きやとまどいや ときにやわらかな恥じらいを 巡って来るたびに運んできた 父さんの少年の日の春の記憶が そのまま食卓の向こうのおまえにもある

さあ おまえのために 父さんとおまえを繋いでいる春のために 食卓を飾ろう

太平洋の波色を凝縮したアジの銀の肌を 春繭のようにふくらんだ卵焼のメルヘンを 油絵具でも描けないピーマンの濃い緑を おぼろ夜に浮かぶ月のレモンを ニンジンやコマツナのおだやかな主張を タマネギとブタ肉の美しい協調を そうして食卓を舞う新鮮な会話も

何から食べてもいい 笑いからでも 涙からでも 思い出からでも

おまえと 父さんが 噛みしめる味 食卓に二人の春の願いを盛ろう 
 
日本原子力文化振興財団
『原子力文化12月号』
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

挨拶

2009年12月05日 10時04分36秒 | Weblog
「おはようございます」
 最近の学生は、そう挨拶する。私の授業では筆記が出来ないこともあって、毎回‘レジュメ’を配っている。そこで学生がコピーをとりにくる際、いやでも顔をあわせる。いったいいつからそうなったのか、と以前から気にかかっていた。

「私の思い込みかもしれませんが‘おはようございます’というのは、演劇人が楽屋入りする時、昼過ぎでも夜でも使う言葉でしょ」
 そうした使い方をするのは特殊なプロの世界で、堅気の職業ではない、と言うような意味を、今週はある男子学生に思い切って話しそして訊ねた。
「普通に使うようになってますが、きっとバイトの影響じゃないかと思います」
 なるほど、バイトだとすると何となくわかる。
 あとはサークル活動だそうだ。
 体育会系以外にも、学生はさまざまな活動を行っている。
 バンド、合唱、オーケストラ、ピアノ、各種ダンス、演劇、格闘技、射撃、チア、等々。思いつくままに挙げてみたが、まだまだある。
「先生に‘こんにちは’では失礼な感じがして」
「後に言葉がつくからじゃない。お暑つございます、こんばんはお寒むございます。お久しぶりでございます。ご機嫌麗しく(笑い)なかなか言いませんけれど」
「あぁ!‘ございます’って言いたかった感じは、そういうことだったのか」
 納得の表情の後に再び首をかしげていた。きっと言葉を捜していたのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バカラ

2009年12月04日 11時21分55秒 | Weblog
《 あなたは、あなたに、どのバカラを贈りますか 》
 十二個のオンザロック用のグラスが並んだ全面広告が、朝日新聞朝刊に掲載されている。
… ポリニャック シャトル ローハン パルメ ネプチューン シュノンソー ピカデリー …
 丸の内‘出光美術館’の途中にバカラショップを見つけた。思わず歩道に佇んだまま見とれた。お陰で美術館での待ち合わせに遅れてしまったことがある。
 透明なガラスにそれぞれ洗練されたカットが施されている。基本はあくまでもシンプル。かなり凝った意匠でもこれ以上は無理というところまで削りこんである。

 カラン カラン 氷を入れる。少なくとも冷蔵庫で作ったものではない。ましてコンビニで買ってきた氷ではない。おっとあの頃まだコンビニはなかった。
 切り出された氷。時に南極から運ばれた氷!? 琥珀色のウィスキーを注ぐとピシッピシッと音をたてる。徐にグラスをとって香りを嗅ぐがすぐには口をつけない。無音の時が流れる。
 二十数年前、肝硬変で亡くなった年の離れた知人は、数個のバカラを宝物にしていた。
《 あなたは、あなたに、どのバカラを贈りますか 》憎いね!
 酒税が高かった時代、ジョニ赤、ジョニ黒が贅沢だった。夢を砕くようだがジョニ黒は一本一万円していた。
「ほんとにお酒が好きだったあなた。五十代でも天寿をまっとうしたのよ」 
 広告を見ながら呟いた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

洗濯

2009年12月03日 07時37分04秒 | Weblog
 学校体育に武道が導入される。
 剣道関係者によれば、一抹の不安があるのだ、とおっしゃる。
 不安の中身は、果たしてしっかり教えられる指導者がいるのか?
 何でもやればいいというものではなさそうだ。
 とくに剣道は、大学の中でもやっている学生の数は限られている。
 ネックになっているのは、防具をはじめ取り揃えるものも多く、また年々買い換えるのにも費用がかかることだ、というのは素人にも予想がつく。
「試合の日には、ヨレヨレの身支度ではいけませんから、大変なんですよ。私は始めたのが四十になってから。子供のころはお金がかかるので、出来なかったんです」
 昨年から授業をもっている大学の部活動で数十名の学生が剣道の稽古をしている時に発する‘声’と‘打ち合う音’にびっくりした。となりで授業をしている私の声がかき消されてしまった、と会話をつないだ。
「いやぁ、あの声じゃ咽喉を壊しそうだし難聴になるんじゃないかな」
 体育教員室での雑談。
「汗でぐしょぐしょの剣道着の洗濯は、コンクリートの上に置いて、タワシでゴシゴシ洗ってそのまま干すとアイロンをかけた以上にピシッとできあがって、気持ちがいいですよ」
 そこで思い出した。
 剣道着ではないが、野口先生はズボンを干す時、裾を上に吊るしておられた。重さでピーンと伸びるからアイロンはいらない。
 洗濯の仕方にそれぞれ奥義がある!
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

合掌。そして、これからの自分は。

2009年12月02日 18時54分36秒 | Weblog
 平山郁夫画伯が亡くなった。
 朝日新聞では一面トップで載せている。
 今年は昭和の巨人が、次々と鬼籍に入っていかれた。
 師走になって二日目の訃報は、なんとも寂しい限りだ。
 広島で被爆されて、七十九年生き抜かれた。
 東京藝大、当時はまだ東京美術学校だが、昭和二十二年入学とのこと。
 新制大学になったのが昭和二十四年で、その年から野口三千三先生は官立東京体育専門学校から移られた。因みに時同じくしてピアニストの安川加寿子先生も最年少の教授として迎えられていた。
 野口先生の思い出話として、先生にとっても平山さんが最初の卒業生だった、と伺ったことがある。
 ご冥福をお祈りしたい。

 来年は、はやいもので野口先生の十三回忌だ。我ながらよくここまで生き残ってこられたと思っている。見えないところでも、野口体操を支えてくださった方々があってのこと。とりわけ東京藝大の卒業生の方々の思いも深い。しかし、直接に授業で指導を受けた学生たちも、すでに定年を迎える年になっている。

 私自身も還暦に一年プラスした年を迎える。
 ターニングポイントのような気がしてならない。
 まだ母が健在なので、老いということに対する自覚があまり持てないのが実情だ。しかし、そろそろ‘老い仕度’とやらを考えなければならないのだろう。
 これまで手をつけてこなかった‘整理の本丸’に攻め入る?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

師走と聞けば……

2009年12月01日 07時42分22秒 | Weblog
 ゴミだしでの会話も「師走ですね~」。
 ニュースの冒頭も「今日から師走」。
 新聞各面にも「師走」の文字が。
 昨日と今日では、それほどかわらないはずなのに、‘師走’と聞くとなんとなく押し迫ってきた感じがする。
 筋向いのお宅では、六十半ばで発症して今現在七十代に入ってしまった認知症の奥さんをお連れ合いの方が介護している。先日来、高齢者ボランティアらしき男性が来ているようだ。庭に放置されていた使わなくなった家具を壊したり、木に寄生している蔦を払ったり、庭の枯れ草をまとめたりしながら、片づけをしている姿を見かけている。
 奥さんの介護だけで手一杯なのだろう。家のまわりが雑然としたままだった。先日は、このご主人、オートバイが置かれていることで大喧嘩をした挙句に、相手を殴ってしまった。おさまらないのは殴られた男性。騒ぎに誰かが110番連絡をしたらしい。結局のところ訴えられて、交番まで連れて行かれてしまった。
 そんなことがあって、家の周囲の片づけを頼むことにしたのだろう。
「イライラも募るだろう。お気の毒ね」近所の見方だ。
 もともと手が出やすい人だった。警察沙汰になって相当懲りたのだろう。
 
 いやはや今年も無事に終わってほしい。
 来年、我が家は建替えて五年目。そこで手入れする場所をピックアップしている。まず木戸や二階の手すりの塗り替えに畳換え等が浮かんだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする