羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

夜の舞

2007年06月11日 08時25分15秒 | Weblog
 今朝もまだやまぬ雨。
 本を手に東の窓辺に立って、ページをめくる。
 昨日から読み始め、最後の章の数十ページを、その姿勢で読み続ける。
 そういえばゲーテは立ったままの姿勢で、長編作品を書いていたということを思い出し、バレエの「ターン・アウト」の姿勢のまま読み進む。

ーー花とは一口にいえば何なのでしょうと訊いた時に、
「色気だ。惚れさせる魅力だ」
 とお答えになった。「幽玄」とは、とつづけて問うと
「洗練された心と、品のある色気」
 と答えられた。ーー   

 立ったまま本を両手で持ち、その先を読む。

ーー若草色の絹に包まれたわたくしは、若き日の奥方さまになりきっていた。花と幽玄がからみあい、溶け合った濃密な夜の舞があった。--

 秘すれば花なり 
 秘せずば花なるべからず

 佐渡に流された世阿弥の老いを、瀬戸内寂聴が描いた『秘花』新潮社は、最後にこのことばの意味を描いてみせてくれた。

 もっとゆっくりと味わいながら読めばよかった。
 後悔が立っているからだのなかをめぐった。
 速読や斜め読みではなかったが、かなりのハイスピードで読みすすんでしまった昨晩への後悔の念。

  命には終りあり
  能には果てあるべからず

 世阿弥に乗り移った鬼が能の名作を書かせた、という。
 世阿弥も養子元重も実子元雅もいつかはこの世から姿を消す。
 しかし、能の台本や芸論は、千年は軽くもつ和紙の白と墨の黒の記録として残っていくことを信じた世阿弥。

「夜の舞」は、和紙と奈良墨の幽玄の舞に昇華していくのだった。

 私は立ったまま、最後の章を読み終えた。
 世阿弥の波乱の生涯が、「秘花」によって書き残された。
 
 本を閉じ目を上げると、小雨は靄にかわり、まわりの景色を滲ませている。
コメント
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