羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

観音祭報告と檀家意識

2007年06月03日 19時04分22秒 | Weblog
 朝日カルチャー日曜クラスは、いい感じで終わった。
 久しぶりに演説をしてしまった。「姿勢」についてだった。

 そしてタクシーを飛ばして、墓参りに行った。
 というのも先日「観音祭」の際は、奉納野口体操だけ行って、そのまま帰宅してしまった。自宅に戻ってから墓参りを忘れたことを思い出し、気にかかっていた。
 4時半過ぎに寺に着いた。
 庫裏の玄関には、線香や花が用意されていて、そこに立ち寄ってから墓参りを行う。見ると、「観音祭」に野口体操の資料として送ってあった春秋社「春秋」と岩波「図書」のコピーがそこに用意されていた。この寺を訪ねた方に紹介してくださっている様子が手に取るように感じられた。
 その並びに毎月寺が出している「お知らせ」があったのだが、私がお抹茶をいただいている写真と「奉納野口体操」で司会をしてくださった方とツーショット写真が載っていた。

 花と線香をもち、手桶に水を汲んで墓参りをした。
 東京23区内の都心の寺だが、ここに移ってきたのが明治時代ということもあって、まぁまぁの広さがある。太陽は燦燦と降り注ぎ、風は思い切りよく通り抜ける。
 6月初旬の夕方は、まだまだ明るい。
 入梅前のさわやかな空気の中で、お参りを済ませた。
 なんとなくほっとする時間がゆるりと過ぎていく。

 寺というのは辛気臭いという人もいるが、嫌いじゃない。
 時間の流れ方が、普通の暮らしの時間よりもゆったりと流れてくれるような気がするから。潅仏会の生まれだからといってしまえばそれまでだが、落着いた雰囲気がすきなのだ。

 我が家は父が家督を相続したのだが、その年齢がたったの6歳だった。ということもあり本当はこちらが本家で仏事や法事を行い墓を守らなければならないのに、分家筋がずっとやってくれている。
 父が亡くなって同じ墓に入ったことがきっかけで、お寺の奥さんと話をするようになって、まだ5年しかたっていない。
 このたび檀家として「観音祭」に奉納をお引き受けし、急に親しさが増した。
 いちばんは父がここに眠っているということなのだが。身内が入らないと実感が湧かない。法事をしたり、奉納をしたりということで、檀家としての意識が生まれた。そしてこうした「お知らせ」に載ったり、コピーが並んでいたりすると、急に思いが深まった。

 来年は、潅仏会に出かけてみようという気持ちに自然になるから不思議だ。
コメント (4)
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