羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

ポッド・キャストとiPodと教育現場

2007年06月15日 19時37分01秒 | Weblog
 時代は変わっていく。それもものすごいスピードで。
 たとえば「iPodと教育の融合」がすでに始まっている話。

 アメリカで「ポッド・ファーザー」の異名をもつ大学教授は、スペイン旅行に行った学生が自分の講義を聞きながら(iPodを使って)マドリッドのプラード美術館を歩き回れように、数時間分の情報を詰め込んだ音源を制作しているのだそうだ。 他にも心理学の教授が講義でいちばん質問の多かった項目について答えるポッド・キャストを配信しているという。

 つまり大学の講義を配信することで、学生に履修させていくことが可能らしい。
「ポッド・キャスト」なんて今までに耳にしたことはない。
 しかし、確実にアメリカの教育現場に浸透して、早晩、日本の大学でも導入されることはまちがいなさそうだ。

 インターネットとiPodの融合、ブログとiPodの融合、そして教育とiPodの融合が、すでに現実のものとして、存在しているのが「現代」なのである。
 在るものは在るわけだ。どんなに文句を言っても、もうはじまってしまった。
 
 人類は現代における新しい「バベルの塔」を、インターネット上の仮想空間に建て始めてしまったのか?
 あるいは、人類は新しい翼を得て、時空を軽々超えてしまっていいのだろうか、という問いはナンセンスなのだろうか?

 iPodなるものが、どのようなものなのか、まったく知らないで「本」を先に読んでしまったが、1998年になんとなく考えていた「個人放送局構想」は、この分で行くと実現しそうな気配を感じる。それも思っている以上に速いスピードで。

 銀座にMacがありましたっけ?
 来週、銀座で知人の展覧会があるので、Macにも寄ってみようかな~! 
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外車ッ!

2007年06月14日 19時41分12秒 | Weblog
 我が家のまわりに、建売住宅が何軒も建った。
 半数の家に乗用車がある。
 母が家のまわりを散歩するというので付き添って、何気なくその車種を確かめてみた。驚いたことにすべてが外車だった。
 ベンツが2台・ジャガーが1台・パンダもいるのだ。そのほか今年の新車・ボルボがある。ブルー系の色がなんとも言えず落着いていていい感じ。

 高級住宅地とは程遠い下町の一角なのに、これだけ外車があるなんてオドロキだ。その上、道路が狭いのでベンツだジャガーだといっても大型車ではない。
 行きつけの医者の奥さんは真っ赤な小型のベンツに乗っていて、カッコいいことといったらない。

 やっぱり東京なのかなぁ~~。
 亡くなった父が戦後いち早く鮫洲で免許を取った。
 この時は「シボレー」の大型車で習い、試験を受けたのだと話しに聞いていた。

 父の最後の車「クーパーミニ」は、近くの不動産屋さんに懇願されて、生きているうちにお譲りした。そのとき父は78歳だった。20代から50数年間、車に乗り続けて免許証はゴールドだった。

 私も子供ころは都内を走る車を見ると、「どこの何車」と言えるくらいによく覚えていた。車の数も少なかった時代のこと。
 しかし、ここ30年は、まったく車に興味がなく日本車なのか外車なのかもわからなくなっていた。
 ところが、昨日のブログに、ベンツのことを書いたこともあって、散歩をしながら車種を確かめてしまった次第。

 隣のお兄さんは三菱系に勤めていたので、ここだけは三菱自動車なのである。
 いやはやこんなにも外車に乗る人がまわりにいるなんて、今の今まで知らなかった!
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iPod クールさについて あるいは「白」

2007年06月13日 16時29分01秒 | Weblog
 このブログのテンプレートの色を青系にしてほしいといわれたことがある。
 昨年、いや、一昨年だったか、定かではない。
 そこで、新年を機に変えようとしてテンプレートを捜し求めた。
 ところがなかなか丁度いいものに出会えなかった。
 そうこうするうちに時期を逸して、そのままになってしまった。
 
 そのうちにホームページにリンクをしてくださったときに、「赤系」でデザインされた。
 今年、動画ブログ「野口体操・身体感覚をひらく」は、白を基調にしたものになったので、二つが似通っていなくて明確に分けられたと思えたので、またまた変えないことにした。
 しばらくはこのテンプレートのままいくと思う。
 というのもリニューアル中のホームページのブログ紹介の二つのデザインと色合いがよくとても素敵なのだ。佐治さんのセンスのよさに、一日もはやく公開したいという思いが募ってきた。ますますこのままの色でいくことに迷いがなくなった。

 さて、ソフトバンク・クリエイティブ社刊『iPodは何を変えたのか?』を途中まで読んだ。
 iPodのクールさはデザインにあるという。
 クールさの探求に、メルセデス・ベンツを研究したのだというくだりが目に止まった。
 それも言語化できない特徴を徹底的に洗い出したそうだ。
「?」
「言語化できない?」

 たとえば
「ドアを閉めるときの音とか」
 なんでも
「ドアの音を再現するにはドアの枠全体が車のシャーシに『同時』に触れなければいけないことがわかった」
 さらに
「メルセデス・ベンツの感触を再現するには、音だけに注目して、その音が鳴るような仕掛けを後から追加しようとしても無駄」
 つまり
「高い次元での設計思想があってベンツのドアの音はクールなのだ」
 さらに先を読むと彼らが目指したのは
「デザインを排除することだった」

 町ですれ違う人、電車やバスに乗っている人、あらゆる風景の中で、左右の耳から白い筋をたらしている人を見かける。
 キーワードは「白」だった。

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伝書

2007年06月12日 14時52分24秒 | Weblog
 野口三千三先生を失って、9年と3ヶ月が過ぎようとしている。
 野口先生没後のこと、野口体操の本は岩波同時代ライブラリー『原初生命体としての人間』をのぞいて、市場から消えていた。
 どのような事情があったのか、まったく想像もつかないことだが、柏樹社がたちゆかなくなってしまっていたからだ。

 手も足ももぎ取られた状態に近かった。
「本を残したい」
 その思いを何年も持ち続けていたある日、春秋社の編集者の方から、メールが入っていた。その一通のメールが、今日まで野口体操の本が増え、また書店で求めることが出来るようになったきっかけだ。

 なぜ、そこまで本にこだわるのか、と聞かれたことがある。
 一つには「本が好きだから」と答えたところで答えになっていない。
 動きは文字では伝えられない。写真でも伝えられない。
「動く映像なら、いいわよね」
「お言葉を返すようですが、そう簡単なことではないんです」
 言われた方は、キョトンとなさる。
「レッスンをじかに受けても、受け取り方で真意が伝わないことだって往々にしてありますから」
 さらに怪訝な顔を向けられる。
「何事かを伝えるということは、どのような表現媒体をもってしても、難しいということなのです」

 今では活字とは言わなくなって久しいが、私の感覚としては「活字文化」が、からだにしみこんでいる。で、その活字によって伝わること、残ることへの愛着と信頼は、今でも私のなかで失われていない。

 昨日のブログに書いた『秘花』が出した答えは、瀬戸内寂聴さんが考えるところの”もの書きとしての一つの答え”だとしてももっともだと思う。
 世阿弥の能は、世阿弥が鬼籍に入れば、二度と見ることは出来ない。しかし、書き残された能の台本や芸論は、書いたものが残されてさえいれば、後世の人々に読まれ語られ演じられる可能性がある。事実、現代においても能楽堂に足を運べば、鑑賞することが出来るのだから。
 世阿弥が演じたそのままではないかもしれない。しかし、世阿弥がそこに顕したかったこと、命を懸けて作品をつくりあげていった「真実」は、伝わると信じている。

 野口体操も同様で、本の形で残していくこと、今の時代ならDVDとして記録を残していくこと、その仕事に私自身誇りをもってすすめている。おそらくその思いは一緒に行動をともにしてくださる方々に共通の思いに違いない。

 完璧はありえない。これですべてよし、ということもありえない。しかし、出来る限りの方法をもって、出来る限り伝えていきたいと、没後10年たってもその思いは変わらない。

 唐突だがホームページのリニューアル作業も、ゆっくりだが着実にすすんでいることをご報告。
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夜の舞

2007年06月11日 08時25分15秒 | Weblog
 今朝もまだやまぬ雨。
 本を手に東の窓辺に立って、ページをめくる。
 昨日から読み始め、最後の章の数十ページを、その姿勢で読み続ける。
 そういえばゲーテは立ったままの姿勢で、長編作品を書いていたということを思い出し、バレエの「ターン・アウト」の姿勢のまま読み進む。

ーー花とは一口にいえば何なのでしょうと訊いた時に、
「色気だ。惚れさせる魅力だ」
 とお答えになった。「幽玄」とは、とつづけて問うと
「洗練された心と、品のある色気」
 と答えられた。ーー   

 立ったまま本を両手で持ち、その先を読む。

ーー若草色の絹に包まれたわたくしは、若き日の奥方さまになりきっていた。花と幽玄がからみあい、溶け合った濃密な夜の舞があった。--

 秘すれば花なり 
 秘せずば花なるべからず

 佐渡に流された世阿弥の老いを、瀬戸内寂聴が描いた『秘花』新潮社は、最後にこのことばの意味を描いてみせてくれた。

 もっとゆっくりと味わいながら読めばよかった。
 後悔が立っているからだのなかをめぐった。
 速読や斜め読みではなかったが、かなりのハイスピードで読みすすんでしまった昨晩への後悔の念。

  命には終りあり
  能には果てあるべからず

 世阿弥に乗り移った鬼が能の名作を書かせた、という。
 世阿弥も養子元重も実子元雅もいつかはこの世から姿を消す。
 しかし、能の台本や芸論は、千年は軽くもつ和紙の白と墨の黒の記録として残っていくことを信じた世阿弥。

「夜の舞」は、和紙と奈良墨の幽玄の舞に昇華していくのだった。

 私は立ったまま、最後の章を読み終えた。
 世阿弥の波乱の生涯が、「秘花」によって書き残された。
 
 本を閉じ目を上げると、小雨は靄にかわり、まわりの景色を滲ませている。
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雨の日

2007年06月10日 14時25分17秒 | Weblog
 「雨が降る」と先週の木曜日から、ずっと予報が出ていた。
 毎日、しっかりした傘をもって出かけていたが、一度も使うことなく過ごしていた。
 天気予報をこれほど気にかけるようになったのは、父の盆栽を引き受けてからだ。雨が降るとなれば、盆栽の水遣りは控える。ところが天気予報を信じきっていると、土が乾ききってしまうことも何度かあった。
 野口先生は、雨が降っても水遣りをするとおっしゃっていた。事実、そうなさっておられた。植物には、水は欠かせない。
 土がカラカラに乾ききった鉢に、干からびた植物がそのまま放置されている姿をみると、悲しくなってしまう。野口先生は、烈火のごとく怒り、今にもその家に入っていきそうな気配のときもあった。今となっては懐かしい思い出になってしまったが。

 私の場合、そこまでは怒り心頭ではないにしても、見るに耐えない心境にはまってしまう。
 太陽と水と風さえあれば植物は、とりあえず安泰である。

 4日目にして東京はまとまった雨となった。
 昨年は高温と長雨で、毛虫が9月過ぎまで多く発生していた。
 松、くちなし、椿、花梨、それらの葉がずいぶんと食べられてしまった。
 今年はまだ少ない。これからかもしれない。

 そんなわけで、今日は外に出ることを控えて、原稿書きに時間を費やした。
 少年写真新聞社の「保健ニュース」の最終号を書き上げて、あとは締切日ちかくなったら、最後の推敲をすることになる。
 そうそう、毎回、写真をお願いしている佐治嘉隆さんに添付ファイルでメールしなくちゃ!

 雨は上がったようだ。
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テーマは「姿勢」

2007年06月09日 20時02分00秒 | Weblog
 我が家のそばに文庫本を専門として本屋が出来た。
 文庫や新書やマンガ本ばかりかと予想しつつ、入っていった。
 なかなかいい品揃えで、しっかりした本も置いてあった。店は小さいので、考え抜いておいてあるのがよくわかる。
 昨晩、夕飯をすませてから入ってみた。
 なんと『テレプシコーラ(舞姫)』の10巻を見つけた。
 迷わず手にとってレジへ直行。
 数冊ほしかった本もついでにもっていったような次第。

 調べてもらった結果『テレプシコーラ』は、版元でも在庫切れしているというわけで、第一部10巻がすべて揃うなんて運がよかったとしか言いようがない。
 結局大小3軒の書店をまわって揃ったわけだ。
 最後の店は、まさか置いてあるとはおもわずにフラリと入っていっただけだった。

 野口先生は、買い物上手だった。いいものがあったら、ほしいと思うものがあったら、気を引かれるものがあったら、迷わず買っておくことを実行していらっしゃった。後からでは、どうにもならないことが多い。何か、自分が思い惹かれるものというのは、そのときは意味はわからなくても、後になってきっと何かがあるのだから。

 なんで羽鳥さんが『テレプシコーラ』なの?
 今は、わからなくてもいいんです。そのうちに、なるほどという文章を発表します。ごめんなさい。待っていてください。

 今日の朝日カルチャー土曜日クラスは、また一歩前進できた。
 テーマは「姿勢Ⅱ」でした。
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創始者ゆえに……

2007年06月08日 09時44分38秒 | Weblog
 しばらく前から新しく勉強をはじめたことがある。
 数式やグラフ等々満載の分厚い専門書や、『体育の科学』などの機関誌を読んでいる。
 そこで出会ったのが、少女漫画の世界だった。
 わかりやすい。よくわかる。物語の展開の中に、滑り込まされた生理学の知識が、実にわかりやすいのだ。
 少女たちの……オッといけない! かめいどさんに頼まれていたっけ。
「これ以上内容は書きません」
 
 で、昨日の立教の授業は、麻疹休講で一週間あいたにもかかわらず、難しいテーマを話した。いやいや、テーマ自体は難しくはない。しかし、パフォーマンスの仕方がまだまだこなれていなかったので、難しい印象を与えてしまったかも。
 そのことを『テレプシコーラ』を読みながら、反省していた。
 実に、人に伝えるということは難しいことなのだ。

 だからといって新しいテーマを取り上げないというのでは、後ろ向き過ぎる。
 といいながら、次の瞬間には、「自分の中でマンネリになることを恐れるのだったら、やってみるしかない」とやってみたものの教室に思いを残して帰宅した。
 
 『テレプシコーラ』を昨晩のうちに読み終えて、今朝は、めげないで開拓してみたいと気を取り直している。
 
 だって……「野口三千三先生が、なぜ江戸独楽だったのか。なぜ、おもちゃだったのか。なぜ、石だったのか。なぜ、ことばや漢字だったのか。
 そして、なぜ、あのような授業形態をとったのか」……
 創始者ゆえのご苦労の中身が、ようやく見えるようになってきたのだから。
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舞姫

2007年06月07日 21時17分32秒 | Weblog
 池袋駅を降りて、東武百貨店・旭屋に直行。
「テレプシコーラ、調べていただけます」
「はい、お待ちください。何巻で……?」
「4巻と5巻を抜いて、全部お願いします」
「はい、……、10巻目だけ在庫ありませんが」
「では、あとのところをよろしく」

 待つこと数分で、本が届けられた。
「テレプシコーラ」とは、日本語では「舞姫」と訳しているが、ギリシャ神話に登場する太陽神アポローンが率いる九人のムーサイ(ミューズ)の一人で、合唱詩と舞踏をつかさどる女神のこと。
 
 第11回手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞作品である。
 作者は山岸凉子。少女漫画の世界で、バレエにみせられた少女たちを描いている。20年以上も前に『日出処の天子』を読んだことがある。そのときもはまった。

 今回は、日本のバレエ界を舞台に現代の少女の暮らしが描かれている。
 自宅近くの書店で、4・5巻は手に入っていた。あとは、大手の書店を探そうと、授業がはじまる前に立ち寄ったのだ。
「オー、10巻目がない!」

 帰りの電車は池袋発でしっかり座れた。
 帰宅してから、食事のあとずっと読み続けている。
 ブログを書いていないことに気付いて、パソコンを立ち上げた。

「華やかなバレエの舞台裏で、繰り広げられる壮絶な戦い」
 昨日の朝日新聞の広告欄である。
 股関節がバレエには不利な状況にある少女の戦いが描かれているようだ。
「最新のスポーツ生理学をとりいれた指導法も紹介されている」
 このフレーズに目が止まった。

 ところが、物語が面白い。
 止められないので、今日は、このへんで。
 
 6巻目に入ります!
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ルーの法則

2007年06月06日 13時36分56秒 | Weblog
 先週から今週にかけてレッスンのテーマとしている「姿勢」の問題で、つい口走ってしまった「ルーの法則」。
 高校の保健体育の教科書には、載っている基本原則・法則なのだが、忘れている人がほとんどだ。かくいう私も、記憶からはすっぽり抜け落ちている。
 しかし、このことはほとんどの方が、経験的に知っていることだと思う。

 教室の方から「ルーの法則」ってなんですか、と聞かれた。
 インターネットで調べた程度だが、ブログ上で報告することにした。
 母が、「脊椎骨粗鬆症椎体骨折」というありがたくない病名をいただいて、整形外科の医者がすすめることは、「ルーの法則」そのものだった。
 それは用心をしながら出来る範囲で動くことのすすめだった。寝たきりにならないために、座薬の痛み止めをつかってもいいから、動く範囲を少しずつ広げていくように言われたのだ。確かに、母の様子を見ていると、あのまま安静にばかりしていたとすると、寝たきりの道しか残されていなかった。その点では、動きはよくなりつつあるのが、目に見えている。本人の自覚もそうらしい。

◆ウィルヘルム・ルー(Wilhelm Roux)
 1850年6月9日イェーナ生まれ、1924年9月15日ハレ没。ドイツの発生学者。比較発生学。イェーナ大学でエルンスト・ヘッケルに学ぶ。ベルリン大学ではルドルフ・フィルヒョーに学ぶ。実験発生学。

◆ルーの法則
 生理学における基本法則。現代のスポーツや体育のトレーニングにおいてもこの考え方が用いられている。
 
 ●活動性肥大の原則
 ●不活動性萎縮の法則
 ●長期にわたる機能向上制限による器官の特殊な活動能力減退の法則。
 ●合目的的構造の機能的自己形成の原理

 まとめると次のように言うことが出来る。
「身体(筋肉)の機能は、適度に使うと発達し、使わなければ萎縮(退化)し、過度に使えば障害を起こす」という法則。

 医療現場でも、昔に比べたら、術後の患者をベットに縛り付けておかないで、かなり早い時期から歩かせている。
 適度な運動というのは、大切なのだが、「適度さ」を見極めるのは難しそうだ。
 母も、今度は、前回のように動きすぎないことを心がけているようだ。
 ということで、「ルーの法則」の話は、またレッスンで。
 楽天(球団)のブログを紹介:2006年9月13日
 http://plaza.rakuten.co.jp/conditioningteam/diary/200609130000/
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時間をください!

2007年06月05日 19時09分05秒 | Weblog
 6月に入ったら、母の様子が一転した。
 このままよい方向にすすんでくれるといいとひそかに祈っている。
 背筋が一時期よりも伸びてきた。顔の表情もつき物が落ちたように穏やかになって、いい感じなのである。
 思い返せば、一時、顔の表情も暗かったし、背中が異常に丸くなっていった。去年がいちばん変化が大きかったかもしれない。

 いつかまたぶり返すことは覚悟している。痛いときのあの騒ぎは一体なんだったのかと思うくらいにケロッとしている。動けない状態をみていたときは、このまま寝たきりになると本気で思った。
 それが階段はトントンと昇降出来るようになったし、食事の後の洗い物や、部屋の掃除、そのほか日常の暮らしは、ほとんど回復してきている。

 重いものを持たないこと、転ばないこと。この二つを気をつけるのだそうだ。
 それにしても人間の回復力は、なかなかのものだ。

 神様、もうしばらく今の状態を保った時間をください。
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石と少年

2007年06月04日 18時58分45秒 | Weblog
 第20回東京国際ミネラルフェア会場で、堀秀道先生の新刊本を手に取った。
『宮沢賢治はその作品に鉱物を多用し、すぐれた効果をおさめた。なぜ、彼は、それほどまでに石が好きになったのか? みちのくの大河、北上川の白い浅瀬には、大量の「北上川ダイヤモンド」が集積している。その結晶は、朝日や夕日をあびると、きらきらと美しく輝く。感受性に富む少年時代、彼がこの幻想的な光景に魅了されなかったはずはない……。』

 本の裏表紙にこう記されていた。
 本の名は『宮沢賢治はなぜ石が好きになったのか』どうぶつ社

 この「北上川ダイヤモンド」は、高温水晶である。
 端のとがった面が六面均等になる水晶だ。
 有名なところでは、ニューヨーク産「ハーキマーダイヤ」という美しい水晶がある。マンハッタン島は花崗岩の一枚岩で、ハーキマー一帯は元来海底のサンゴ礁が由来の石灰岩の岩石である苦灰岩が分布しているとこの本には記されている。
 小さな粒状のハーキマーダイヤをガラスの小瓶にたくさん入れて、その輝きを楽しむことを野口先生に教えられたのは、かれこれ20年前のこと。

「ダイヤじゃないんですか?」
 思わず、そうことばを発してしまった。
 先生はにやっと笑った。

 このハーキマーダイヤの母岩付きのものは、最近になってフェア会場でも多く見かけるようになった。鉱物の面白さは母岩にある。
「今年はどうしても母岩付きのハーキマーがほしくて」
 念願のそれを手にした方から喜びの電話を受けたのは、先週土曜日の夜のことだった。誰かに言いたい。誰かに見せたい。その気持ちは、石にはまった人間にはよくわかる心情なのだ。子供じみているといわれても、少しもかまわないというわけだ。

 野口三千三先生も、フェア開場にいらっしゃるときは少年だった。
 私は石も好きだが、石にまつわる思い出や話が好きなのかもしれない。
 毎年、新宿のフェア会場に出かけると、心がときめく。これまでたくさんの思い出があるから。そして新しい発見がその都度あるから。

 明日で、ミネラルフェアも終わる。
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観音祭報告と檀家意識

2007年06月03日 19時04分22秒 | Weblog
 朝日カルチャー日曜クラスは、いい感じで終わった。
 久しぶりに演説をしてしまった。「姿勢」についてだった。

 そしてタクシーを飛ばして、墓参りに行った。
 というのも先日「観音祭」の際は、奉納野口体操だけ行って、そのまま帰宅してしまった。自宅に戻ってから墓参りを忘れたことを思い出し、気にかかっていた。
 4時半過ぎに寺に着いた。
 庫裏の玄関には、線香や花が用意されていて、そこに立ち寄ってから墓参りを行う。見ると、「観音祭」に野口体操の資料として送ってあった春秋社「春秋」と岩波「図書」のコピーがそこに用意されていた。この寺を訪ねた方に紹介してくださっている様子が手に取るように感じられた。
 その並びに毎月寺が出している「お知らせ」があったのだが、私がお抹茶をいただいている写真と「奉納野口体操」で司会をしてくださった方とツーショット写真が載っていた。

 花と線香をもち、手桶に水を汲んで墓参りをした。
 東京23区内の都心の寺だが、ここに移ってきたのが明治時代ということもあって、まぁまぁの広さがある。太陽は燦燦と降り注ぎ、風は思い切りよく通り抜ける。
 6月初旬の夕方は、まだまだ明るい。
 入梅前のさわやかな空気の中で、お参りを済ませた。
 なんとなくほっとする時間がゆるりと過ぎていく。

 寺というのは辛気臭いという人もいるが、嫌いじゃない。
 時間の流れ方が、普通の暮らしの時間よりもゆったりと流れてくれるような気がするから。潅仏会の生まれだからといってしまえばそれまでだが、落着いた雰囲気がすきなのだ。

 我が家は父が家督を相続したのだが、その年齢がたったの6歳だった。ということもあり本当はこちらが本家で仏事や法事を行い墓を守らなければならないのに、分家筋がずっとやってくれている。
 父が亡くなって同じ墓に入ったことがきっかけで、お寺の奥さんと話をするようになって、まだ5年しかたっていない。
 このたび檀家として「観音祭」に奉納をお引き受けし、急に親しさが増した。
 いちばんは父がここに眠っているということなのだが。身内が入らないと実感が湧かない。法事をしたり、奉納をしたりということで、檀家としての意識が生まれた。そしてこうした「お知らせ」に載ったり、コピーが並んでいたりすると、急に思いが深まった。

 来年は、潅仏会に出かけてみようという気持ちに自然になるから不思議だ。
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第20回 東京国際ミネラルフェア:稀少価値のある石

2007年06月02日 20時29分18秒 | Weblog
 朝日カルチャー土曜クラスは、15分はやく終わった。
 隣のセンチュリーハイアット+第一生命ビルで行われているフェア開場に繰り出した。
 「スニーカーの石膏化」と「水入りオパール」の場所まで、ツァーを組んだようだ。

 ワイワイとケースの前で覗き込む。
「エッ、靴だ!」
「だからスニーカーだって言ったじゃないの」
 話を聞いただけでは想像はつかなかっただろう。
 私だって昨日見たときには、目を疑った。
 丁度そこに堀秀道先生がいらっしゃった。
「塩湖のようなもので、石膏濃度が強い沼地というか湖というか、たまたまスニーカーが落ちてしまった。腐らせないバクテリアのようなものがいて、石膏の結晶がスニーカーにあがってきたような……」
 つまりスニーカーが石膏の結晶をしている石というわけ。

 もう一つは昨日の二つ目のブログに載せた動画。
 ご覧になった方には、なんだかよくわからなかったと思うが、オパールのなかに水泡が閉じ込められている状態のもの。
 特別展示上のほぼ真ん中のケースの中、ルーペで拡大されてみることが出来る。
 昨日の動画も気をつけて見ていただけば、丸い玉はオパールで、向かって左側の上から下へ水泡が移動するのをみることができる。
 
 ということで、そのほかにも高価で美しいオパールを見てまわった。

 教室の皆さんとミネラルフェアをこんなに楽しんだのは久しぶりだ。野口三千三記念コーナーを、特別展入り口に持っていると、純粋に楽しめない。今年は久しぶりにお客としてファンとしてこの開場にいられる。そして石はほどほどに好きで、本当に惹かれるのは野口先生との思い出がついているからに違いない。石の物語が好きなのだ。

 ということで、希少価値のある二つの石を皆さんに自分の物のように自慢げに見せに行くのは、ある種の快感を味わえる。子供じみた楽しみでごめんなさいっていいたい。

 というわけで今日の土曜日は久しぶりに心がウキウキするミネラルフェアだった。一人楽しむのもいいし、教室の皆さんと楽しむのも一興。
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第20回 東京国際ミネラルフェア:3-3 オパール化した骨の化石

2007年06月01日 12時51分34秒 | Weblog
 この写真はフェア会場の二階、「特別展示」のなかのもの。
 オパール化した骨の化石。
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