羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

平凡パンチ時代

2007年06月29日 10時15分57秒 | Weblog
 梅雨の晴れ間、いや、違う。今年は、空梅雨なのだ。
 今朝は、窓という窓をすべて開け放った。

 早朝の仕事を終えて、二階の座敷に陣取った。
 数日前に手に入れていた本を思い出して、読み始めた。
 時折、風が夏の匂いを乗せて、部屋の中を通り過ぎる。
 からだから数ミリの空間に、涼しさを感じる。この種の気持ちよさは、子供ころから味わっているような気がする。南・北・東は、たっぷりと開ける。西は小窓を細く開ける。風は縦横無尽に入っては抜け、抜けては入る。
 さわさわとした音も聞こえる。つるしてある簾が、音をたてる。
 近所のワンルームマンションの小さなベランダで一年中なっている風鈴が、カチャカチャとした不快な音をたてている。不快といってはみたものの、風鈴は風鈴なのだ。

 1ページ、また1ページと、その本を読みすすんでいく。10代から20代のころ。昭和は、60年代から70年代。そうだった! ふーん、そうだったのか!
 時代への懐かしさを、行間に乗せていく。半分よりも少し手前、84ページで一休み。パソコンの前に座って、スイッチを入れた。パソコンを立ち上げ、このブログをログインして、今、書いている、私が居る。背中から先ほどまで感じなかった、熱気が風に運ばれる。
 
「三島にしても、自分の生涯のエッセーを発表するのなら、乳房とピンク映画の写真紹介などがあふれる雑誌ではなく、もっと、それらしい雑誌を、いくらでも選べたはずだ」
 そう70ページに書く著者は、最後の三島番記者椎根和氏。
 『平凡パンチの三島由紀夫』新潮社。
 滅法面白い。小気味よい文体で、あれよあれよという間に、読まされてしまう。
 自決までの三年間、剣道を三島に習った週刊誌編集者の三島像。

「軽い形で自分の考へを語って、人は案外本音に達してゐることが多いものだ」と三島は『行動学入門』に書いているそうだ。

 さて、今日の仕事に入るとしよう。
 重要で厄介な手紙を書き始めなければならない。(あぁ~、重いなぁ)
コメント
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