羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

物々交換

2007年06月27日 15時45分57秒 | Weblog
 日経新聞で「ネットと文明」が、第12部ー新しい現実ーがはじまった。
 本日、6月27日は、「統計が映さぬ市場の爆発」と題して、見えざる大経済圏の話だった。
 企業の買収・合併仲介会社が、ネット上に売りに出ている会社をずらりと並べているとか、「商業の国勢調査」つまり消費者動向把握の基礎データで全国の小売店が販売額などを細かく答えるなかにアマゾンが入っていないとか。ーなんと年商千億円超のアマゾンが! である。ということから話ははじまる。

 とんでもない現実が出現している。
 もう、ネット抜きにわれわれの暮らしはありえない、のだ。

 そのなかで面白いとおもった事例があった。
 それはー物々交換が「復活」-
 ヤフーが「物々交換サイト」を3月に始めたのだという。オークションと違うのでお金のやり取りは発生しない。貨幣を介さない物々交換は、国内総生産(GDP)には、計上されない。そこに登録者が5万人を超えたとある。
 文化人類学の初歩で習う「交換」が蘇ったのだ。いちばん先端を行っているネットによって、個人と個人とを「物」で結びつける形態(ある種のコミュニティー)が、これから拡がる可能性が大いに出てきた。

 野口三千三先生は、物々交換をどこかで待ちわびておられた。インターネットを信用するかどうかは先生の場合「?」マークがつくけれど、「物々交換」に関しては「OK」だろう。
 実は、先生は銀行振り込みが好きではなかった。昔のように月給袋に現金が入った給与や賞与を受けたかったのだ。つまり数字だけがひとり歩きする危険性を常に感じておられた。
 たとえば担保なしにマネーを貸し借りするから、破綻が起きると危惧された。そこには実体や実感がない。人間の感覚にとって大切なことは、実体や実感が薄れた「もの」と「こと」への怖れの感覚を失わないことだといわれた。
 で、先生は、買い物に出られるとき、「今日は、これだけは使ってもいい」という範囲の現金をお持ちなった。それを超える買い物はなさらなかった。「買えないものは諦める」というわけだ。「借金も財産のうち」という言葉が流行った時代があったが、そのことに対して理屈でなく拒否感をお持ちだった。戦後日本に、非常に個性的な生き方だったことは確かだ。
 結果として、一般的な価値が認められているの物から、「こりゃ、なんだ?」というものまで集められた先生だったが、破綻ということとは無縁だったわけだ。
 
 先生にとっては貨幣は「物」だったのだ。見合った物と交換する感覚で「もの」を集められたと、この記事を読みながら思った次第。

 いい・わるい、すき・きらい、そんなことは言ってられない。
 すでにネットは時空を越えて爆発している。
 
『統計で把握できない「見えざる経済圏」が広がり、企業や経済政策当局を揺さぶる』と最後にまとめられていた。
 撫明亭日乗で紹介されていた『ウイキノミクス』とかいう本は、ここに関係してくるのかしら?
 明日、授業の前に池袋の旭屋に立ち寄ってみようと、昨日から思っているのだが。
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