氷菓 第17話「クドリャフカの順番」
様々な期待の図。期待し、けれどもその期待が叶う事は無かった田名辺。期待を操ろうとしたが、向いていなかったために疲れてしまった千反田。「夕べには骸に」を読んでしまうと、友人に期待してしまう事が分かって途中までしか読まなかった河内先輩。奉太郎に勝ちたかったものの、期待せざるを得なかった里志。
相手と自分に差があるからこその「期待」。誰かに期待するという事は、それが自分には出来ないと言うことを認めてしまうことにもなりかねない。自分に自信がある時は「期待する」などと言ってはならない。それでも、期待してしまうくらいの差がある事もあるでしょうね。
個人的に河内先輩の「期待」が悲しかったです。さして「期待していなかった」相手が、「読めば分かる」ような素晴らしい作品を仕上げてきた。それを全て読んでしまうと、どうしても「期待」してしまうのでしょう。
「夕べには骸に」を全て読んだ上で、陸山に「クドリャフカの順番」を期待していたのが田名辺。けれども陸山にとっては一度限りの遊びに過ぎず、期待が叶えられる事はなく。その「遊び」でここまでの期待を持たせてしまったとは、陸山は思ってもいないでしょう。陸山が悪いとは言い切れませんが、意図せず他人に期待を抱かせてしまう場合もあるんだなぁと。
ただ「期待」は決して悪い事では無いと思います。自分に出来ないことを相手に期待する。それはそれ、これはこれ。だったら自分は自分に出来る事をやっていけば良い。期待しつつ、自分も出来る限りの事をする。河内先輩も、河内先輩にしか描けない作品を描いていって欲しいですね。
期待するだけでなく、時には行動もしてみる。今回の里志のように、最終的に奉太郎に期待せざるを得なくなったとしても、その思いは大切だと思います。
さて次回はオリジナル?
様々な期待の図。期待し、けれどもその期待が叶う事は無かった田名辺。期待を操ろうとしたが、向いていなかったために疲れてしまった千反田。「夕べには骸に」を読んでしまうと、友人に期待してしまう事が分かって途中までしか読まなかった河内先輩。奉太郎に勝ちたかったものの、期待せざるを得なかった里志。
相手と自分に差があるからこその「期待」。誰かに期待するという事は、それが自分には出来ないと言うことを認めてしまうことにもなりかねない。自分に自信がある時は「期待する」などと言ってはならない。それでも、期待してしまうくらいの差がある事もあるでしょうね。
個人的に河内先輩の「期待」が悲しかったです。さして「期待していなかった」相手が、「読めば分かる」ような素晴らしい作品を仕上げてきた。それを全て読んでしまうと、どうしても「期待」してしまうのでしょう。
「夕べには骸に」を全て読んだ上で、陸山に「クドリャフカの順番」を期待していたのが田名辺。けれども陸山にとっては一度限りの遊びに過ぎず、期待が叶えられる事はなく。その「遊び」でここまでの期待を持たせてしまったとは、陸山は思ってもいないでしょう。陸山が悪いとは言い切れませんが、意図せず他人に期待を抱かせてしまう場合もあるんだなぁと。
ただ「期待」は決して悪い事では無いと思います。自分に出来ないことを相手に期待する。それはそれ、これはこれ。だったら自分は自分に出来る事をやっていけば良い。期待しつつ、自分も出来る限りの事をする。河内先輩も、河内先輩にしか描けない作品を描いていって欲しいですね。
期待するだけでなく、時には行動もしてみる。今回の里志のように、最終的に奉太郎に期待せざるを得なくなったとしても、その思いは大切だと思います。
さて次回はオリジナル?
トラバがうまくないのでコメントで失礼します。
妖精帝國 臣民コンソーシアム 2012年02クール 新作アニメ 氷果 第17話 雑感
http://tdragon2000e.blog7.fc2.com/blog-entry-3094.html
最後の打ち上げ会を開く提案をするのが奉太郎から里志に変更されましたね。製作側にどういう意図があったんでしょうねぇ。
才能を持ち合わせた人と、それを憧れ・嫉妬・羨望・それぞれの感情を持って果敢にぶつかるも、やっぱり勝てない人達の対比がうまかったです。
今回の事件のポイントは里志に成し得なかった推理と、えるが完遂できなかった交渉を(偶然に助けられたとはいえ)奉太郎が1人でどちらも行ってしまったという対比構造にある…と分析します。奉太郎は他にも小麦粉や「夕べには骸に」を調達して摩耶花も助けました。
彼は前回の女帝事件(愚者編)で苦い経験をしただけに、今回は恵まれていたというわけですね。
皮肉ですが、愚者編で入須が奉太郎に言った、
「能力のある人間の無自覚は、能力のない人間には辛辣だ」
というのが、今回の話の状況にとてもリンクしていますね。里志はどんな辛辣な気持ちになっているのやら。
とはいえ、期待することそのものは決して悪いことではないと思います。人には得て不得手があるのですから。人々がスポーツ選手やらアイドルやらヒーローやらに憧れて応援するのは、自分にはないものを持っている人に「期待」しているから。それは羨ましさや嫉妬の気持ちと表裏一体。
自分にはできないことは他人に期待したらいいです。その代わり、自分にできることを精一杯やればいいのでしょう。そうすれば、誰でも「期待」の対象になることができるのだと思います。
原作を読んだときから1つ疑問に思っていたことがあったのですが…。なぜ折木姉・供恵が都合よく「夕べには骸に」を持ってきたのかということ。一説によると、漫研の湯浅部長に頼まれたから…らしいです。真偽は定かではありませんが、愚者編のパターンと同じだとすると納得がいくんですよね(^^;
もう1つ疑問なのは、摩耶花が「夕べには骸に」のあとがきを読んでいなかったらしいこと。これもちょっとばかり妙な話なんですよね。大好きな漫画のあとがきをなぜ読んでいない? 摩耶花があとがきを読んでいたら展開が変わっていたかもしれません。
次回は「連峰は晴れているか」。まだ文庫化も新書化もされていない短編作品らしいです。掲載された雑誌を読んだわけではないので、原作は未見です。「期待」させていただきますw
いつもお世話になっております。ご丁寧にありがとうございます。
>原作を読んだときから1つ疑問に思っていたことがあったのですが…。なぜ折木姉・供恵が都合よく「夕べには骸に」を持ってきたのかということ。一説によると、漫研の湯浅部長に頼まれたから…らしいです。真偽は定かではありませんが、愚者編のパターンと同じだとすると納得がいくんですよね(^^;
奉太郎姉の影響力って一体どれくらいあるのでしょうね?(汗。毎年文化祭を訪れていて、その際に購入。奉太郎姉も「クドリャフカの順番」に期待し、せっかくなのでそれを持って訪れた・・・とか。
>もう1つ疑問なのは、摩耶花が「夕べには骸に」のあとがきを読んでいなかったらしいこと。これもちょっとばかり妙な話なんですよね。大好きな漫画のあとがきをなぜ読んでいない? 摩耶花があとがきを読んでいたら展開が変わっていたかもしれません。
私もあまりあとがきを読まないので、気持ちは分からないでもないです(苦笑。本編に夢中になりすぎて、あとがきを読むのも忘れてしまっていたのではないかと。