みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

吉村昭著 「大黒屋光太夫」

2018-01-15 10:20:01 | 
短編ではないのに、読書力の衰えたこの私が、上下巻とも一日足らずで読み終えた。というか、読んでしまわずにいられなかったのだ。吉村昭の本で期待外れだったことはない。そこらの学者然とした輩など足元にも及ばない、史実の徹底した調査研究の上に構築された小説世界のリアリティーの凄さ。人間の運命を刃のように突きつける。



大黒屋光太夫は、18世紀の廻船の船頭。嵐で難破、漂流してアリューシャン列島(当時はロシア領)のアムチトカ島に漂着した。筆舌に尽くせぬ苦難を経て、極寒のシベリアを経由し、ペテルブルグでエカテリーナ女帝に拝謁。日本への帰国を許された。17名の船員のうち、寒気や飢餓等のため12名が病死。2名が帰国を諦めてギリシャ正教に改宗。帰国できたのは3名。うち1名は蝦夷で病死し、江戸に着いたのは光太夫と磯吉の2名だった。



苦難に耐える光太夫たちの、驚異的な体力・気力・知力。その強靭な意志と徹底的な行動力。そして揺るぎない相互の信頼感。現代人の目には、なんと眩しいことか。そして漂流先で迎えてくれた人々の温情の有難さ。

著者の「あとがき」から、少し以下に抜粋する。

漂流船の大半は激しい風波によって覆没し、辛うじて生き残って日本に帰ることができた船乗りは数少ない。しかもかれらは、帰国直後、鎖国政策によるキリシタン禁制をしく幕府によって罪人視され、キリスト教またはそれに準じる宗教に帰依しているのではないか、と奉行所できびしい取り調べを受けた。

疑いが完全にはれると、かれらは一転して異国事情を知る者としての扱いを受け、学者その他が聴き取りを行い、その記録が漂流記と称されるものとして残されている。

ロシアは、将来、日本との国交を予想し、ロシアの子弟に日本語を身に付けさせるため、漂流し漂着した日本の船乗りたちを押しとどめて日本語教師とし、帰国させない方針をとっていた。そうした中で、光太夫とその配下である水主の磯吉、小市は、ロシア政府の政策転換で漂流民として初めて日本に送還されたのである。

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