TBS報道特集で紹介された木村俊雄氏は、福島第1原発に勤務していた元東電社員です。10年前に彼が東電を退職した理由とその後の生き方に感銘を受けました。
読みたかったというわけではない、言わば義理で手に取った本でしたが、読み出したら止まりませんでした。
逃亡小説としてのスリルが読者を引っ張っている面もありますが、それだけにしては、生暖かい読後感が何日経っても胸の中で息づいています。
主人公は犯罪人ですし、その周辺の女性たちの生き方も、常識や良識から外れていて、一種、異様で非現実的です。にも拘らず、彼女たちには親しい存在感があります。
考えてみれば、現実の世の中の女性たちも、多かれ少なかれ常識や良識に囚われず、場合によってはそれらを破りながら生きています。私自身も、幼い頃から長年、非常識な人生を余儀なくされ、かつ自らそんな道を選んでもきました。
すべてを失い、願望や希望の類をいっさい持たない主人公の希和子が、みすぼらしい食堂で出されたラーメン1杯を食べるところの描写が秀逸です。
湯気をあげて運ばれてきたラーメンを一口食べ、それから希和子は丼に顔をくっつけるようにして夢中で麺をすすった。塩辛さも脂っぽさも懐かしかった。食べやめることができず、汁まで飲み干した。丼の底にこびりついた細い麺を箸でつかみ、そうしている自分に気が付いて希和子は愕然とした。おいしいと、自然に湧き上がってきた感想に愕然とした。
まだ生きていけるかもしれない。いや、まだ生きるしかないんだろう。
女性が、断固として女性の側に立って、女性のために書いた本、と言えそうです。この本によって心が救われる女性もいるのではないでしょうか。私も少しばかり救われたような気がします。
当庵には4枚の障子があって、その明かりと陰影が私は大好きです。今日は張り替えに取り組みました。本来は毎年すべきことでしょうけれど、怠けものの私は5年ぶりです。新しい障子紙を買いにゆきました。千円でお釣りがきました。障子は美しく、かつ機能的で、更に安価でもありますね。
古い障子紙は、桟との接着部分を濡れタオルで十分に湿らせると、まるで魔法のように穏や かに剥ぐことが出来ます。澱粉糊ならではの効果ですね。新しく貼るための澱粉糊は、5年前の残り物を水で溶いて使いました。
当庵の障子は伝統的な規格よりも幅広なので、途中の桟のところで継がなければなりません。不器用な私には、ドキドキはらはらの作業でした。
ようやく2枚、貼り終えました。真っ白に冴えた障子に満足
残り2枚の張り替えは、明日の予定にしました。体力に乏しい高齢者ですから、何でも無理をし過ぎないで少しずつやるように意識しています。
八郷内外の創作家が大集合して、田園風景の真っ只中に沢山の出店テントを張る恒例の”やさとクラフトフェア”(18~20の3日間開催)へ、3人連れで出掛けました。
ガラスアクセサリーの神秘的なデザインに見入ったり、空高くまで一気に舞い上がる竹トンボに驚いたり、草木染の色合いと手触りにうっとりしたり。陶芸や木工の数々の作品も個性豊かで楽しいアイデアも一杯でした。
’炎精工房’のテント内の「太陽光発電」という表示に目を引かれました。花入風の陶器の上にL EDのランプが載った形で、帽子?の上部が太陽光を受けるようになっています。窓際の室内に置いて昼間は蓄電し、暗くなると自動的にランプが発光するというもの。千円札3枚でオツリがくる値段も手頃で、連れの一人と私が購入しました。災害時の停電の際には貴重な灯になってくれるでしょうし、日常の暮らしでも重宝しそうです。
陶芸家の飯田卓也さん御夫婦のテントでは、恒例のドーナツが製造販売されていました。1個百円のこのドーナツは本当に美味しいので、毎年必ず戴くことにしています。私と連れの1人はブルーベリージャムが載っている方、もう1人は砂糖のトッピングの方で、3人とも満足
続いてJAやさとのテントで3百円のうどんを戴きました。軍鶏のダシが効いていて、葱と柚子の香味も良かったですよ。
友人たちが参加している’やさとジャムくらぶ’のテントでは、梨の生姜入りジャムと桑の実のジャムを購入しました。ブルーベリーやリンゴのジャム、それにチーズの燻製も美味しそうでした。
太い青竹を組んだ仮設舞台では、とっても大柄な黒人の方が一人でジャズを演奏されていました。アフリカの太鼓?と歌声で周りの空気も私たちの心も躍り上がるようです。コンゴ民主共和国出身のムクナ・チャカトゥンバというアーティストで、劇団四季のミュージカル「ライオンキング」の初代パーカッショニストだそうです。客席スペースの隅の、日頃はジャズとは無縁の私たちにも舞台から気くばりの声を掛けて下さったり、優しいお人柄で会場全体が温かく包み込まれたようでした。
最後に’まこと屋・萬’のテントで古代米1袋3百円を買いました。連れの方は、このほかにも山盛りの柿やトマトやラッキョウのキムチ漬なども買って満足顔でした 私は楽しみ過ぎて、会場の風景を写真に撮るのをすっかり忘れていました
明円寺の報恩講へ、知人に誘われて行ってきました。お寺の行事に参加するのは久しぶりです。
当庵から車で10分ほどの明円寺は、緑に包まれ、渓流の音が響く山里に位置しています。昔、親鸞聖人を殺害せんとした山伏の弁円が、聖人の教えを受けて「明法房」と名乗る念仏者となり、やがてこの地に一宇を築いたのが明円寺の由来と伝えられています。
報恩講は、浄土真宗の年中行事の中でも、最も重要とされています。明円寺はこじんまりとしたお寺ですが、それでも今日は本堂に沢山の方々が集まりました。
「正信偈」の唱和の後に人形劇が演じられました。題して「弁円のなみだ」。 創作したのも演じるのも、プロの人形遣い師でかつ僧侶でもある安藤けい一氏です。NHKテレビ放送番組の人形劇「新・三銃士」では、主役を演じたそうです。
人形劇なんて子ども騙し、なんて思ったらとんでもない、迫力満点! 随所に即興が入り、子どもから年寄までの観客を、何度も笑わせたり涙ぐませたり。1時間のドラマが夢のようでした。
茶道の研究会へ行きました。家元の名代である業躰(ぎょうてい)先生の御指導を直接受けることが出来る貴重な機会です。今日の内容は、茶通箱(さつうばこ)、入子点(いれこだて)、そして平花月(ひらかげつ)でした。
私は入子点の一客の役でした。一客ですから、正客と末客の両方を兼ねる役です。事前に特訓を受けてはいたものの、舞台上に設えられた茶室風スペースに上がる時間が近づくと、緊張で喉がカラカラになりました。客席側には、大勢の門人の皆様が固唾を飲むように舞台の方を見詰めていらっしゃます。
亭主役の方と共に舞台に上がったら、もう俎板の上の鯉の気分でした。動悸を打っていた心臓が意外に落ち着きました。
業躰先生の御指導は、当然のことながら少しのミスも見逃さない厳しさがありますが、同時に、深さと広がりのある話をして下さり、そして・・ユーモアをふんだんに交えて、先生ご自身も楽しそうでした。だから私も、不手際を注意されたにも拘らず、何だかとても楽しい気分でした。
舞台上で転ぶこともなく、卒倒することもなく、無事に終わったときはさすがにホッ 日頃の稽古だけでは味わえない緊張感と充実感でした。貴重な機会を与えて下さった皆様に感謝!
茶道の先生宅の炉開に参加しました。茶人にとって炉開は正月よりもおめでたい最高の日、といいます。先生はもちろん先輩の皆様も訪問着等の正装です。私は知人から譲ってもらった附下(つけさげ)に菊模様の帯を締めました。名古屋帯ですが金糸が入って華やか、知り合いの骨董商から求めたものです。
寄付待合の床には、 奥山の紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋はかなしき の短冊、猿丸太夫の作で、百人一首に入っていますね。脇に茶道具の箱書が並べられていましたが、いずれも達筆で、悲しいかな、私には判読困難な字が多くて
亭主役と半東役(亭主の補助)は先輩のお二人が務めてくださいました。私は思い切ってお詰めの役を志願し、先生のお許しを頂きました。お詰めとは末客のことですが、それなりの気配りが必要で初心者には難しい役です。大先輩が隣に付いて、お詰め初挑戦の私の補佐役を買って出てくださいました
本席の床には 月花や雪はことさら数寄の友 の掛軸。淡々斎(裏千家14代家元)のお筆です。大先生の御指示により、まず歴代お家元への感謝を念じ、併せて大震災の犠牲者の方々の御冥福を祈って一同合掌しました。
炉に掛けられた釜は高台寺蒔絵。炉縁は秀吉お手植えの朝鮮唐松の古材から製作された五客の一つだそうです。高台寺は秀吉の正室の北政所ゆかりの寺ですから、組合せが絶妙ですね。
亭主役による初炭手前のあと、懐石料理が運び込まれました。向付は鯛の昆布締め。一輪の薔薇のように盛りつけられていました。煮物は海老シンジョ。焼物は紅鮭の西京漬。強肴は柿の白和え。柿は先生のお庭のものだそうです。八寸の山のものは栗の渋皮煮でした。すべて若先生の御手製です。いずれも美味しくて美しくて、私たちのためにこんなに素晴らしい用意をして下さった両先生に、ただただ感謝感激です。
主菓子の猪子餅を戴いたあと、中立(なかだち)で暫時休憩してから亭主役の濃茶点前です。楽しい中にも緊張感が漲るひとときです。主茶碗は荒川豊蔵(1894~1985 人間国宝)の黒楽、お茶杓の銘は、大亀老師(1898~2005 大徳寺511世)の「紅葉狩」でした。
続き薄茶は立礼(椅子式の点前)で、皆が交代で点前と喫茶を楽しみました。大先生の大らかな御人柄全開の進行で笑い声が絶えない席となりました。
名残を惜しみながら散会しての帰路、今朝の東京新聞一面のトップニュースを思い出しました。福島原発2号機で、部分的とはいえ、核分裂していることが判明しました。冷温停止状態だなんてとんでもない実態です。小出裕章氏が警告されているように、水蒸気爆発で首都圏を含む広範囲の地域が高濃度に放射能汚染される危険性は去っていないことを、やはり認識しなければいけないのですね・・ 正直なところ私も、苛酷な現実から目を逸らしたくなるのですが。
水蒸気爆発したら・・当地でもお茶どころではありません。私の命もあるかどうか・・ そう思うと、今日の炉開の茶事がまさに一期一会だったのだ、と納得しました。
一期一会という言葉は、幕末の大老、あの井伊直弼の著作「茶湯一会集」に書かれたことに由来するそうです。安政の大獄で悪役のイメージが強い直弼ですが、一期一会のほか、余情残心、独座観念 という言葉で茶道の精神世界を説いた大茶人でもありました。
秀吉にしても直弼にしても、そして利休はもちろん、一筋縄ではいかない人物だったことは確かですね。
神保哲生氏のビデオニュース・ドットコムを時々覗いていますが、毎週土曜日にアップされる藍原寛子さんの福島レポート(無料放送中)のファンになりました。
藍原寛子さんの肩書は医療ジャーナリストですが、医療問題に止まらない総合的な視点で、福島原発事故後の人々の状況を丹念に取材されています。そのレポートには、人間愛の深さと、人々を苦悩させているのもへの憤りの強さ、そして真実を解明しようとする力強さが溢れているのを感じます。
10・29のレポートでは、経済産業省前の座り込みを挙行した女性たちが取り上げられています。経済産業省への要請書の主な内容は、第1に原発の廃止、第2に被災者の避難と補償、第3に電源三法の廃止 となっていて、単刀直入に言うべきことが言われています。
11・23には、「脱原発をめざす女たちの会」発足のためのキックオフ集会が高円寺で予定されていて、吉永小百合さんや竹下景子さんも賛同人に加わっているそうです。
KYなどと言いますが、読まなくてよい空気まで読みがちな男性に対して、女性は空気に縛られない精神の自由を有しやすいのではないか、という趣旨の藍原さんのコメントに、神保氏も苦笑しつつ頷いていました。
そういえば、あの児玉龍彦氏も、今、福島のお母さんたちが世の中を変えてくれています。文科省が20ミリシーベルト基準を1ミリシーベルトに変えたのもお母さんたちのおかげ とおっしゃっていました。
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