有斐閣から1992年の発行です。本書のあちこちの箇所で、私自身の前半生の精神史が説き明かされている、そんな思いが致しました。著者は1950年生まれ。団塊の世代のすぐ後の時代です。
自立した人間として生きようとすればするほどに個人主義的になってしまう状況、その結果として訪れる孤立と疎外、たとえ意識においては社会から自立しえても現実の行動は社会のなかにとりこまれていくしかない虚しさ、私にとって戦後とはこういうものでしかなかった。(P5)
いまの時代から過去の思想を批判するのは簡単なことだ。だがそのことによって、ひとつの思想を手にすることによって真剣に生きた人々がいたことを忘れてしまったら、それは思想的営みの死以外の何ものでもないのである。(P88)
批判は簡単。しかし批判対象の人々が真剣に生きて来た姿に心を寄せる著者の誠実な精神に敬意を覚える。
痛恨の戦争体験を、遅れた社会制度をもつ日本社会の結果と理解した人々は、競って進歩という感覚に憧れた。そして進歩をめざす人々は、資本主義をも超えた矛盾なき社会の像を、社会主義という言葉のなかに見出そうとしていた。(P75)
私の父も、この通りだったと思う。
社会主義思想にどんな問題があったにせよ、日本の戦後思想史は片手に社会主義思想をもつことによって、現実の社会の問題点を批判し、それを民衆の力によって解決しようとしてきた。反戦、平和の思想も、民主主義の思想も、戦後思想史のなかでは、どこかで社会主義思想と結びついてきた。(P71)
戦後の社会はさまざまな人々を社会主義者に変えている。二つの理由がそこにはあったように私は思う。一つは社会主義社会は、資本主義の矛盾をも解決した最も進化した社会だと考えられていたこと、それが進歩を求める戦後民衆の心を捉えた。もう一つ、社会主義社会こそ人間の自由と可能性を最大限に引き出す社会だという意識があった。(P96)
社会主義は資本主義と激しく対決したにもかかわらず、多くの点で資本主義的なものの考え方との共通性をもっている。たとえば生産力の発展が人間を幸せにすると考える点において、それが国家か企業かの違いはあっても、その目標を実現するための手段に人間が使われるという点においても、科学的、合理的な思考を正しい考え方とする点においてもである。(P207)
社会主義と資本主義との共通性を薄々感じながら放置していた私は、本書によって迷わず認めることになった。
(科学的思考)にひろく疑問がさしはさまれるようになったのは、~1980年代に入ってから以降のことであったように思う。経済的合理性を求めて、経済上の効率ばかりを追う社会のなかで疲れていく人間の問題、管理システムが大きくなっていく社会の内部で、のびやかさを失っていく私たちというようなことが意識されはじめる。(203)
どこからか新しい風が吹きはじめたと感じるようになったのは、この2~3年のことである。その風は私に戦後思想の転換期が訪れたことを告げているようでもあった。(P2)
本書の発行は1992年。それから23年を経過している。「新しい風」は確かに広がりを見せていると思う一方で、逆風の凄まじさにたじろいでもいる昨今だ。
~環境問題も近代的個人の問題も、どちらもが近代史の異常さを批判し、人間と人間の、自然と人間の新しい関係を築くためには、今日の経済社会が桎梏になっているという共通の思想を確立しはじめたのである。
おそらくはこの考え方と、労働の誇りを取り戻そうとした近代社会批判の思想が結びついたとき、私たちの思想史は全く新しい時代を創造していくことになるだろう。いまはその芽がみえはじめた時期である。(P227)
ほの暗い林床に芽生えた幼木は、どこまで生長できるか予断を許さない。人間社会の崩壊のスピードに果たして追いつくことが出来るかどうか・・・
自立した人間として生きようとすればするほどに個人主義的になってしまう状況、その結果として訪れる孤立と疎外、たとえ意識においては社会から自立しえても現実の行動は社会のなかにとりこまれていくしかない虚しさ、私にとって戦後とはこういうものでしかなかった。(P5)
いまの時代から過去の思想を批判するのは簡単なことだ。だがそのことによって、ひとつの思想を手にすることによって真剣に生きた人々がいたことを忘れてしまったら、それは思想的営みの死以外の何ものでもないのである。(P88)
批判は簡単。しかし批判対象の人々が真剣に生きて来た姿に心を寄せる著者の誠実な精神に敬意を覚える。
痛恨の戦争体験を、遅れた社会制度をもつ日本社会の結果と理解した人々は、競って進歩という感覚に憧れた。そして進歩をめざす人々は、資本主義をも超えた矛盾なき社会の像を、社会主義という言葉のなかに見出そうとしていた。(P75)
私の父も、この通りだったと思う。
社会主義思想にどんな問題があったにせよ、日本の戦後思想史は片手に社会主義思想をもつことによって、現実の社会の問題点を批判し、それを民衆の力によって解決しようとしてきた。反戦、平和の思想も、民主主義の思想も、戦後思想史のなかでは、どこかで社会主義思想と結びついてきた。(P71)
戦後の社会はさまざまな人々を社会主義者に変えている。二つの理由がそこにはあったように私は思う。一つは社会主義社会は、資本主義の矛盾をも解決した最も進化した社会だと考えられていたこと、それが進歩を求める戦後民衆の心を捉えた。もう一つ、社会主義社会こそ人間の自由と可能性を最大限に引き出す社会だという意識があった。(P96)
社会主義は資本主義と激しく対決したにもかかわらず、多くの点で資本主義的なものの考え方との共通性をもっている。たとえば生産力の発展が人間を幸せにすると考える点において、それが国家か企業かの違いはあっても、その目標を実現するための手段に人間が使われるという点においても、科学的、合理的な思考を正しい考え方とする点においてもである。(P207)
社会主義と資本主義との共通性を薄々感じながら放置していた私は、本書によって迷わず認めることになった。
(科学的思考)にひろく疑問がさしはさまれるようになったのは、~1980年代に入ってから以降のことであったように思う。経済的合理性を求めて、経済上の効率ばかりを追う社会のなかで疲れていく人間の問題、管理システムが大きくなっていく社会の内部で、のびやかさを失っていく私たちというようなことが意識されはじめる。(203)
どこからか新しい風が吹きはじめたと感じるようになったのは、この2~3年のことである。その風は私に戦後思想の転換期が訪れたことを告げているようでもあった。(P2)
本書の発行は1992年。それから23年を経過している。「新しい風」は確かに広がりを見せていると思う一方で、逆風の凄まじさにたじろいでもいる昨今だ。
~環境問題も近代的個人の問題も、どちらもが近代史の異常さを批判し、人間と人間の、自然と人間の新しい関係を築くためには、今日の経済社会が桎梏になっているという共通の思想を確立しはじめたのである。
おそらくはこの考え方と、労働の誇りを取り戻そうとした近代社会批判の思想が結びついたとき、私たちの思想史は全く新しい時代を創造していくことになるだろう。いまはその芽がみえはじめた時期である。(P227)
ほの暗い林床に芽生えた幼木は、どこまで生長できるか予断を許さない。人間社会の崩壊のスピードに果たして追いつくことが出来るかどうか・・・