みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

内山節著 「戦後思想の旅から」

2015-08-28 11:26:12 | 
有斐閣から1992年の発行です。本書のあちこちの箇所で、私自身の前半生の精神史が説き明かされている、そんな思いが致しました。著者は1950年生まれ。団塊の世代のすぐ後の時代です。



自立した人間として生きようとすればするほどに個人主義的になってしまう状況、その結果として訪れる孤立と疎外、たとえ意識においては社会から自立しえても現実の行動は社会のなかにとりこまれていくしかない虚しさ、私にとって戦後とはこういうものでしかなかった。(P5)

いまの時代から過去の思想を批判するのは簡単なことだ。だがそのことによって、ひとつの思想を手にすることによって真剣に生きた人々がいたことを忘れてしまったら、それは思想的営みの死以外の何ものでもないのである。(P88) 

批判は簡単。しかし批判対象の人々が真剣に生きて来た姿に心を寄せる著者の誠実な精神に敬意を覚える。

痛恨の戦争体験を、遅れた社会制度をもつ日本社会の結果と理解した人々は、競って進歩という感覚に憧れた。そして進歩をめざす人々は、資本主義をも超えた矛盾なき社会の像を、社会主義という言葉のなかに見出そうとしていた。(P75)

私の父も、この通りだったと思う。

社会主義思想にどんな問題があったにせよ、日本の戦後思想史は片手に社会主義思想をもつことによって、現実の社会の問題点を批判し、それを民衆の力によって解決しようとしてきた。反戦、平和の思想も、民主主義の思想も、戦後思想史のなかでは、どこかで社会主義思想と結びついてきた。(P71)

戦後の社会はさまざまな人々を社会主義者に変えている。二つの理由がそこにはあったように私は思う。一つは社会主義社会は、資本主義の矛盾をも解決した最も進化した社会だと考えられていたこと、それが進歩を求める戦後民衆の心を捉えた。もう一つ、社会主義社会こそ人間の自由と可能性を最大限に引き出す社会だという意識があった。(P96)

社会主義は資本主義と激しく対決したにもかかわらず、多くの点で資本主義的なものの考え方との共通性をもっている。たとえば生産力の発展が人間を幸せにすると考える点において、それが国家か企業かの違いはあっても、その目標を実現するための手段に人間が使われるという点においても、科学的、合理的な思考を正しい考え方とする点においてもである。(P207)

社会主義と資本主義との共通性を薄々感じながら放置していた私は、本書によって迷わず認めることになった。

(科学的思考)にひろく疑問がさしはさまれるようになったのは、~1980年代に入ってから以降のことであったように思う。経済的合理性を求めて、経済上の効率ばかりを追う社会のなかで疲れていく人間の問題、管理システムが大きくなっていく社会の内部で、のびやかさを失っていく私たちというようなことが意識されはじめる。(203)

どこからか新しい風が吹きはじめたと感じるようになったのは、この2~3年のことである。その風は私に戦後思想の転換期が訪れたことを告げているようでもあった。(P2)

本書の発行は1992年。それから23年を経過している。「新しい風」は確かに広がりを見せていると思う一方で、逆風の凄まじさにたじろいでもいる昨今だ。

~環境問題も近代的個人の問題も、どちらもが近代史の異常さを批判し、人間と人間の、自然と人間の新しい関係を築くためには、今日の経済社会が桎梏になっているという共通の思想を確立しはじめたのである。
おそらくはこの考え方と、労働の誇りを取り戻そうとした近代社会批判の思想が結びついたとき、私たちの思想史は全く新しい時代を創造していくことになるだろう。いまはその芽がみえはじめた時期である。
(P227)

ほの暗い林床に芽生えた幼木は、どこまで生長できるか予断を許さない。人間社会の崩壊のスピードに果たして追いつくことが出来るかどうか・・・

ノスリ

2015-08-26 14:03:01 | 野鳥
朝から雨が降ったり止んだりしている。雨脚が少し強くなるときもあるが、概ね静かな雨だ。中秋のように涼しい。

久しぶりに落ち着いた気持で本を読むことが出来た。ふと窓外に目を遣ると、雨の中を大きめの野鳥が飛んできて、菜園の向こうの栗林の一枝に止まった。鷹だ! 縁側に出てカメラを構えた。




この鷹は ノスリ ですね。名前の由来は、「ノ」は野が広がったところを飛ぶから、「スリ」は擦るように滑空するから、と聞いたことがある。この辺りではよく見かける鷹だけれど、私が写真に撮れたのは初めてかな。猛禽類の威厳ある表情には痺れます。

ゴイサギ

2015-08-23 19:43:05 | 野鳥
五月の連休の頃に田植えした田んぼの稲穂は、深く垂れてきている。村人は田んぼの水を落として田土を固くし、重機(稲刈機)の進入に備える。



稲穂がまだ立っている田んぼもある。そういう田んぼには水が必要だ。だから田んぼ用水を送るポンプは今月末まで運転する。遅盆以降はおおむね隔日運転だけれど。

今日は送水日。夕方5時半頃、ポンプを止めるために機場へ行ったら、そばの花卉ハウスの上にゴイサギが止まっていた。体色はアオサギに似ているけれど、姿がまるで違う。いわゆる「猪首」型で、正直なところ美しいとも可愛いとも言い難い。自らの不格好な姿に思い悩んでいる訳でもないだろうけれど、いつまでもジッとしていて静止画像のようだった。世間に評価されない哲学者が深く考え込んでいるように見えなくもない。




ゴイサギは夜行性だから、見かける機会は少ない。今夕は雲が厚くて黄昏が早かったから会えたのかも知れない。




中山の五葉松

2015-08-18 22:02:39 | 俳句
俳句の会で、五葉松が見事な中山(小幡地区内)のお屋敷周辺を吟行しました。石岡市のホームページには、この五葉松について次の通り書かれています。

小桜川の源流を辿り、中山集落中ほどの小松崎家の庭に「中山の五葉松」と呼ばれる市指定記念物の松が、石垣のたもとに翼を広げたように枝を伸ばしている。斜めに傾いた幹から西へ水平に張り出した枝は、延々16mにも達し、ひとめ見て誰もが驚く「中山の五葉松」の雄姿である。当家によると、この樹は数代前の先祖が伊勢神宮に参拝した際、その記念樹として持ち帰った五葉松と伝えられる。



本当に素晴らしい枝ぶりに、皆、感嘆しきりでした。五葉松とは姫小松の別称だそうです。一般の松は針状の葉が2本ずつ出ていますね。子供の頃、「松葉相撲」と言って、向かい合った二人が手に持った松葉を引っ掛け合って2本の葉元が切れた方が負け、という遊びでした。五葉松は針状の葉が5本ずつ出ているし、その長さも短めだから、松葉相撲には向かないでしょうね。

このお屋敷には五葉松のほか、高野槙・北山杉などの名木や苔むした石なども配置され、紅白のサルスベリや白百合の花も咲いていて、ご当家の丹精がしのばれました。

中山は緑に深く包まれていて、五葉松の根元近くにも、集落の道沿いにも、筑波の山清水が軽やかな音とともに流れていました。傍らの畑で野良仕事にいそしんでいらっしゃったご婦人は何と95歳! 

               水澄むや卒寿女多き村と云ふ

ある先輩俳友のこと

2015-08-15 07:05:47 | 社会
8/15を終戦日と言うべきか、敗戦日と言うべきか? 手元の暦には「終戦記念日」と印刷されている。これが公式名称らしい。20余年ほど前だったか、ある先輩俳友が 敗戦日あへて終戦とは言はず という句を作った。終戦という語句の方が、客観的な表現でいいのではないか、と当時の私は考えていた。敗戦という語句には敗者の無念さが込められているので、「あの戦争で勝利出来なかったのは実に無念だ。出来ることなら復讐の戦争を起したいぐらいだ。」という好戦的な句だ、と私は思って、この先輩俳友をガチガチの軍国主義者だと見なした。

この先輩俳友は天皇・皇后両陛下への尊崇の念をしばしば口にする人でもあった。ナントマア時代錯誤な人だろう、と私は思っていた。戦争の首謀者でありながら何食わぬ顔を晒している昭和天皇を私は毛嫌いしていたので、その子の平成天皇に対しても素直にはなれなかったのだ。

今では、ナントマア浅はかな私だったことだろう、と思わざるをえない。終戦という語句からは「あの戦争がどのようにして起こり、どのような戦争となり、どのような結果を招いたか」という具体性が感じられない。歴史の真実が脱色されている。責任も犠牲も隠蔽する語句だ。今なら私は迷わず「敗戦」と言う。そして痛恨の思いを込めて、8/15を「敗戦忌」と言う。

昨日、アベが内閣決定の談話を発表した。このヒトの声を聞くと私は気分が悪くなり体調を崩しそうになる。ラジオ(当庵にはテレビはない)でこの声が始まると、いつもだったら直ぐにスイッチを切るのだが、昨日の談話は我慢して聞いた。こうともいえる、ああともいえる、みたいな、焦点を外すことに専念した、無責任を徹底したような言葉の羅列だった。国民と世界をケムに巻いて欺こうという魂胆だ。

今では私は、平成天皇・皇后両陛下を厚く尊崇している。両陛下ほど広く深く反戦平和の心を培ってくださる人を私は外に知らない。今日発表されるであろう陛下のお言葉を謹んで承りたい。

あの先輩俳友は今日をどんな気持で過ごされているだろうか? あの頃、すっかり誤解していたことを恥じ入っている私です。

一瞬の出会い

2015-08-12 09:09:01 | 野鳥
近くの山路を飼犬ユキと散歩していた昨夕のこと、林の中のほの暗い中空を黒いものが横切った。一瞬の光景だった。黒揚羽かしら? でも黒揚羽にしては飛び方が直線的で速い。形も何だか細長い感じがした。もしかしたら・・・ そうだ、三光鳥(サンコウチョウ)だ! ツキヒボシホイホイホイ という個性的な鳴き声は、この林から幾度か聞こえてきている。でも姿を見掛けたことはなかった。暗い林に生息する黒っぽい色の鳥なので、視力がよくない私には到底見ることは出来ないだろう、と半ば諦めていた。そして、長い黒い尾を持ち、目の周りと嘴だけが鮮やかなコバルト色をしている姿を図鑑で眺めて、まるで小悪魔のような妖しい魅力のあるこの鳥への憧れを募らせるばかりだったのだ。

今朝、いつものように村の田んぼ用水ポンプ機場へ行った。ポンプ運転開始の前に取水口付近の状況確認のため用水路に近付いたとき、水面の少し上あたりを青白く輝くものが下流に向って水平に一直線に飛び去るのが見えた。一瞬の光景だった。翡翠(カワセミ)だ! ほぼ毎夏、この用水路で数回目撃できるカワセミだけれど、今年は一向に出会わず、機場の担当も今月末で終了するので、今夏はダメかも・・と半ば諦めていたのだ。

憧れの野鳥との出会いは一瞬でも、否、一瞬だからこそ心が躍ります。



内山節著 (創造的であるということ~下)「地域の作法から」

2015-08-09 14:39:03 | 
同じ著者の(創造的であるということ~上)「農の営みから」の続編です。   社団法人 農山漁村文化協会 2006年発行



主旨を私なりに要約すれば 、自然とともに、土とともに、村とともに生きてきた農山村の人々が風土として諒解してきたもの・・それは「地域の作法」として表現されている・・は、近代以降の私たちの精神世界を検証する基盤となり、そしてこれからの自然と人間の世界を見つけだす思想として輝いてくる ということか。

歴史は「進歩」のためにあり、その「進歩」を促すものは合理的思考だと考える精神 が何故一般化したのか? それは近代社会のエネルギー源であった近代的市場経済が、つねに過去の経済を超えていく経済として、或いは超えていくことを価値とする経済として、つくられていたからでしょう。

その結果として、今日の私たちの精神的世界はひどく荒廃してしまったのです。

市場経済は、まことに不思議な経済なのです。何が不思議かというと、市場経済を市場経済の原理だけにまかせておくと、かえって危機になってしまう。~逆に経済合理主義から逸脱した様々な要素によって制約を受けているとき、市場経済としてもうまく展開してしまう。戦後の高度成長などはその代表的なもので、逆に、今日のようにアメリカ的な「純粋資本主義」に向かおうとすると、たちまち頽廃や労働意欲の低下などがあらわれてきて、矛盾だらけになってしまうのです。

著者はここで、「総有」という概念を提示する。 伝統社会にあっては、総有関係をこわさない「作法」があった と。総有とは、私有でありながら共有的に関係する状態であり、経済的所有関係を超えた、総合的関係を含意しています。
しかも総有は拡大して考えれば、人間の間だけで成立しているわけではなく、自然との間にも成り立ちます。それは、私の森であっても自然の生き物たちの森でもあるというような関係ですが、そうなると私が生きていること自体もまた、自然界のなかの出来事でもある、というふうにもなってきます。そして、ここからも「作法」が生まれてきます。

世界を概念的にとらえるような思考方法に邪魔されるより、「作法」のなかに実現されているその地域で暮らした人々の思想を考えたり、「総有」の世界がつくりだした人間たちの思想を考える。そこにある論理化できない思想をつかむ。合理性だけではとらえられない思想を、自分のイメージのなかに取り込んでいく。そんな思想的営みのなかに、これからの自然と人間の世界を見付けだしていきたいと思っています。

最後に、「自分」とは何か、という問題に関して。

現代の哲学は、とらえ方にはさまざまあっても、関係をとおして実体をとらえる発想が大きく広がっているように思えます。固有の実体どおしの間で関係が成立するのではなく、関係的世界がさまざまな実体をつくりだしているのだ、という視点です。

共同体の人間、つまり、現実に生きている人間としては、自然とともに、村の人々とともに生きているわけです。けれども、現実的な生き方を超えて、つきつめた世界の自分としては、もはや共同体もなにも関係ない。ですから、生死のレベルにおける考え方としては、ある意味では徹底した個人主義なのです。

現実の自分と現実を超えた自分、この二つは(次元が違うから)矛盾しない と著者は言うけれど、私には割り切れない思いもします。全体として大変読みやすく、素直に頷かされること多々の良書でしたが、今一つ食い足りない(?)という感じの本ですね。





大都会という虚像

2015-08-06 07:59:13 | 社会
JR京浜東北線の架線事故では、立ち往生した電車に乗客が1時間半近く閉じ込められるなど、影響は35万人に及んだという。事故が発生したのは4日午後7時頃で、先行電車の遅れにより一時停止した電車の再発進した位置がエアセクション(各変電所の受持ち区間の繋ぎ目)であったため、過電流により断線したという。



直接に死傷者が出たわけでもないからか、マスコミは少々「お気楽に」騒いでいる感じがしないでもない。影響を受けた人々は大変だったろうと思うし、運転手のミスやJRの事故予防態勢の不備について責任の所在を明らかにし、今後の対策に反映すべきは当然だろう。ただ、首都圏から離れて暮らしている私には、正直なところ醒めた?感想も持っている。

個人にも組織にもミスは付きものだ。今回のようなミスで35万もの人々に影響が及ぶという事態は、大都会というものの脆さと、そこに暮らす人々の生活の危うさを垣間見せたと思うのだ。もっと深刻なミスや、災害やテロが発生した場合には一体どうなることやら。

やむをえず大都会で暮らしている人はいざ知らず、大都会から離れられるのに離れない人々は、危機意識が半ば麻痺しているのではないか、と疑う。