俳句の会で、中山(八郷地区の南西端、不動峠の手前辺り)の開拓村の跡を吟行しました。午前中は雨の予報で、空模様が心配でした。でも、どんよりした曇り空ながら、吟行の間はほとんど降らず、暑くもなくて、私たちには有難い日和でした。
現在の中山の集落は、江戸時代に開拓されたそうですが、その集落から更に山路を分け入った先に、昭和の戦後に開拓された村の跡があります。開拓した人々は茶畑を作り、製茶工場を建設して、一時は軌道に乗っていたようですが、事業は頓挫して離散。今は草木が茂る中、とろこどころに低い茶の木が残っています。製茶工場の建物も残っていて、破れた窓から覗いたら、機械設備がそのまま放置されていました。
赤錆の棄工場や昼の虫
山路の脇の斜面に、見知らぬ花穂が小さく佇んでいました。
私の不器用な写真では定かではありませんが、とても繊細な造りの花です。実際の花の色は真っ白ではなくて、ピンクとも薄茶とも言い難い、霞が懸かったような感じです。
帰庵後に図鑑等で調べたら、ラン科のヒメミヤマウズラ(姫深山鶉)のようです。足元の葉に鶉の卵のような模様があるらしいのですが、他の草の葉が多くて、私は気付きませんでした。植生地は亜高山帯。絶滅が心配されているこの花たちの無事を祈りたいです。
開拓の歴史を秘めたこの地は、自然が豊かで眺望も素晴らしいところでもあります。都会から離れたこの地に魅かれて、(たぶん平成の時代になったころ)素敵なログハウス風の家を建設し移住された方がいらっしゃいます。私たちがここを吟行するのは今回で3回目。いつもこの方が、高齢の私たちに椅子を出してくださったり。ご親切に心から感謝!です。
現在の中山の集落は、江戸時代に開拓されたそうですが、その集落から更に山路を分け入った先に、昭和の戦後に開拓された村の跡があります。開拓した人々は茶畑を作り、製茶工場を建設して、一時は軌道に乗っていたようですが、事業は頓挫して離散。今は草木が茂る中、とろこどころに低い茶の木が残っています。製茶工場の建物も残っていて、破れた窓から覗いたら、機械設備がそのまま放置されていました。
赤錆の棄工場や昼の虫
山路の脇の斜面に、見知らぬ花穂が小さく佇んでいました。
私の不器用な写真では定かではありませんが、とても繊細な造りの花です。実際の花の色は真っ白ではなくて、ピンクとも薄茶とも言い難い、霞が懸かったような感じです。
帰庵後に図鑑等で調べたら、ラン科のヒメミヤマウズラ(姫深山鶉)のようです。足元の葉に鶉の卵のような模様があるらしいのですが、他の草の葉が多くて、私は気付きませんでした。植生地は亜高山帯。絶滅が心配されているこの花たちの無事を祈りたいです。
開拓の歴史を秘めたこの地は、自然が豊かで眺望も素晴らしいところでもあります。都会から離れたこの地に魅かれて、(たぶん平成の時代になったころ)素敵なログハウス風の家を建設し移住された方がいらっしゃいます。私たちがここを吟行するのは今回で3回目。いつもこの方が、高齢の私たちに椅子を出してくださったり。ご親切に心から感謝!です。