みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

開拓村の跡

2019-08-28 22:00:52 | 俳句
俳句の会で、中山(八郷地区の南西端、不動峠の手前辺り)の開拓村の跡を吟行しました。午前中は雨の予報で、空模様が心配でした。でも、どんよりした曇り空ながら、吟行の間はほとんど降らず、暑くもなくて、私たちには有難い日和でした。

現在の中山の集落は、江戸時代に開拓されたそうですが、その集落から更に山路を分け入った先に、昭和の戦後に開拓された村の跡があります。開拓した人々は茶畑を作り、製茶工場を建設して、一時は軌道に乗っていたようですが、事業は頓挫して離散。今は草木が茂る中、とろこどころに低い茶の木が残っています。製茶工場の建物も残っていて、破れた窓から覗いたら、機械設備がそのまま放置されていました。



           赤錆の棄工場や昼の虫

山路の脇の斜面に、見知らぬ花穂が小さく佇んでいました。



私の不器用な写真では定かではありませんが、とても繊細な造りの花です。実際の花の色は真っ白ではなくて、ピンクとも薄茶とも言い難い、霞が懸かったような感じです。
  
帰庵後に図鑑等で調べたら、ラン科のヒメミヤマウズラ(姫深山鶉)のようです。足元の葉に鶉の卵のような模様があるらしいのですが、他の草の葉が多くて、私は気付きませんでした。植生地は亜高山帯。絶滅が心配されているこの花たちの無事を祈りたいです。

開拓の歴史を秘めたこの地は、自然が豊かで眺望も素晴らしいところでもあります。都会から離れたこの地に魅かれて、(たぶん平成の時代になったころ)素敵なログハウス風の家を建設し移住された方がいらっしゃいます。私たちがここを吟行するのは今回で3回目。いつもこの方が、高齢の私たちに椅子を出してくださったり。ご親切に心から感謝!です。

『聞かせてよ、愛の言葉を』

2019-08-26 13:50:02 | 
片山杜秀氏(かたやまもりひで 1963~ 思想史)が「図書」(岩波書店)8月号に、『聞かせてよ、愛の言葉を』と題して一文を寄せている。

書かれている出来事は、あの昭和の戦争の時代のことだが、しかしそれらの出来事を織り成す人々の心の危うさは、この国の今を生きている人々の心の在り様と如何ほども違わないように思われる。



以下、内容の一部を書き留めておく。(原文を一部編集しています。)

1945年の夏、武満徹(1930~1996)は学徒勤労動員で、埼玉県内の(本土決戦用)食糧備蓄基地の建設作業に従事させられていた。

その基地に、学徒動員で来ていた或る見習士官が、手持ちの蓄音機でフランスのシャンソン『聞かせてよ、愛の言葉を』を聴かせてくれたそうだ。その歌は、武満にとって「私にとっては初めて知った、軍歌とはまるで違う別の、しかも甘美な音楽でありました。」(武満徹著「音楽を呼びさますもの」1985年、新潮社)

「もし戦争が終わったら、なんとしても音楽をやりたいと思いましてね」「(音楽の道に進んだのは、)それが大きなきっかけです。もうそれ以外にはないですね。」(「武満徹 自らを語る」2010年、青土社)

(当時の日本の)政府機関によって(「敵性音楽」であると)名指しされたのは、米英音楽である。
対独敗北によって成立したフランスのヴィシー政権は当然親独的であり、ということは親日的であると考えられた。フランス音楽は問題なかった。
にもかかわらず、実質にはフランス音楽も、もう西洋からの舶来音楽全般が、敵性音楽のような扱いを社会の中で受けがちだったというのは、当時の日本の真実であった。

これはもう国家の方針というよりも草の根のファシズムの問題である。

舶来信仰と西洋崇拝とそれがより行き渡ったのが有閑階級であるということへの不快感と反感。それが、民衆のレベルでの自主的な検閲の論理というよりも情念であった。

20歳になっても例外的に兵役を猶予され高等教育機関に通い続ける「青白きインテリ」と、その予備軍としての中学校以上の学徒に対する、国民の多数派である小学校出の庶民の怨念が、総動員を社会で下支えした。

そんな庶民の情念からすると、ベートーヴェンもシャンソンも、反時代的ブルジョワ趣味の反映であり、理想的な国民総動員の一元的秩序作りを阻害するものであった。

1938年に制定された国家総動員法は、戦争に必要な資源や労働力を、時局の様相に応じて、国家が統制しうるという大枠だけを定め、時局の様相に基づく判断を行政に丸投げした。

それは狡猾な法でもあった。私の自由は、企業から個人まで、大日本帝国憲法によって、原則としてはあくまで守られるという体裁である。

学徒の動員も、建前としては、国家による強制的命令ではなく、学校に自主的に組織された報国隊という名の団体が、国家に自らの意思で協力するかたちをとった。国家はいざというときに曖昧さの森の中に逃走でき、免責されうる。

いわゆる無責任の構造である。日本ファシズムの恐ろしさはそこにある。

この国は西洋崇拝から対米従属へと成り下がった。近隣アジア諸国への蔑視・憎悪と、車の両輪だ。国家ファシズムが草の根ファシズムを煽る時代の真っ只中。





採れたてトウモロコシ

2019-08-13 18:24:36 | 暮らし
昨日の早朝のこと。いつものように杖を突きながらヨタヨタと犬の散歩をしていたら、通り掛かった軽トラが止まって、「やあ、久しぶり!」と声を掛けられた。隣村の大きな農家の御主人だった。

「杖を突きながらじゃ、犬の散歩も大変じゃないかい?」と問われて、「ホントに大変なんですよ。もう、修業ですよ!」と、本音に冗談をまぶして応えたのだった。

今朝、犬の散歩の後、ヨタヨタ、フラフラしながら畑仕事を少しやり、汗びっしょりの野良着を着替えて、俳句関係のパソコン入力していたら、昨日出会った隣村の御主人が訪ねてきて、勝手口から顔を出した私に、採れたてのトウモロコシを3本渡すと、「じゃあ、またね!」と、サッと軽トラに乗って去ってゆかれた。

トウモロコシ栽培は、カラスの被害の防除が難しいこともあって、私の自家用菜園では作っていない。

立派に育って良く熟れたトウモロコシ。早速蒸して1本戴いた。新鮮な香りと程よい甘みで美味しかった!

昨日ヨタヨタの私の姿を見て、元気づけようと思われて、今朝、トウモロコシ持参して下さったのだろう。感謝・・・

元デリヘル運転手の発言

2019-08-05 09:38:50 | 社会
梅雨明け後、猛暑が続いている。ただでさえ辛い老体と弱った心を自ら労りながら生き延びている。そんな毎日だが、ネットで太郎さんの発信に出会うと、元気を貰える。

先の投開票から10日後の8月1日夜、太郎さんは新宿駅前で「街頭記者会見」を実施した。約1000人が集まったそうだ。烈しい選挙戦の疲れも見せずに、この日も熱烈で、かつ冷静な論理性を以て。

メディアの記者を集めて会見したわけではない。集まった人々のうち、質問や意見のある人に手を挙げてもらい、発言してもらって、それに太郎さんが応えるという方式だ。動画を再生して聞いた。

最初の発言者は、朝4時起きで遠方から駆け付けた人だった。その発言内容(以下に抜粋)に私は驚いた。

俺、いろいろ街歩いて、いろんな人に聞いたんですよ。 俺、どこ行って投票していいかわかんねえって言うんですよ、俺みたいな刺青入っている奴らっていうのは。
顔認証で投票できるようにとか、そういう、なんかできないっすか?

どうですか、駄目ですか? 俺、わかんない、中卒なんで。
とにかく今の日本、このね、シングルマザー80パーセントが貧困ですよ。で、俺、デリヘル運転手もやったことありますよ。かわいそうですよ。やりたくないっすよ、みんな。泣きながらやってんすよ。こんな国でいいと思いますか?


住所不定で住民登録もなしえない人々は、投票できない、そんなことは私も当然知っていた。しかしそれは、ただ知っていただけ。そこに何らの感情移入もしていなかったことに、ようやく気付かされた。政治から最も見放された人々は、投票する権利、政治に参画する権利も奪われているのだ。

デリヘルとか聞いても、何のことだか皆目見当がつかなかった。ウィキペディアで検索してみたら、デリバリーヘルスという和製英語の略だという。店舗がなく、客のいる自宅やホテルなどに風俗嬢を派遣し、性的サービスを行う業態である、という。

発言者は、このデリヘル嬢を送迎する運転手をやったことがあるのだった。声を詰まらせながら、泣き叫ぶように「かわいそうですよ。やりたくないっすよ、みんな。泣きながらやってんすよ。」と言ったのだ。その声は私の心を切り裂くように響いた。

太郎さんは、いつになく静かな口調で、「ありがとうございます。非常に、今、この国の状態が最悪な事態を迎えているということを、よくご存じの方だと思います。」と受けてから、持論を展開された。

なお、この発言者は「俺、わかんない、中卒なんで。」と言っているが、太郎さんも高校中退で中卒だ。でも太郎さんほど天才的に頭脳明晰かつ努力家の政治家は、他に何人もいないだろう。

太郎さん、よろしくお願いしますね。

この国の権力者が、今、最も怖れているであろう、太郎さん。 命を狙われませんように祈ります...