みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

泪橋

2016-09-22 22:49:35 | 文化
今日も雨、雨、雨・・・ 聞くともなしにラジオを聞いているとフォークソング特集とかをやっていて、それなりに懐かしい歌も流れている。途中から歌手らしい女性がスタジオに参加。タキさん、とか呼ばれている(後で、チャキさん、の聞き違いだったことが分かった・・)が、私の知らない歌手だ。シンガーソングライターらしく、司会者に促されて演奏を始めた。演奏が始まって5秒と経たないうちに、私の耳と心がその歌に引き寄せられた。ただごとではない、という感じだった。

     京の日暮は東山 雨に打たれる疎水辺り 行きつ戻りつ偲びつつ 
     あの日の友はいま何処 泪でかすむこの橋は 誰が名づけた泪橋 

     一人二人とこの橋を 泪で渡って帰らない ともに語ったあの世界 
     昔話と笑うのか きっと帰ると手を握り 友と別れた泪橋

     川の流れか時は過ぎ 友の便りもすでに絶え 乾いたこころが残るだけ 
     死んだ友さえ幻か 渡りきれずにまた戻る 虚しさだけか泪橋

     独りぽっちが耐えきれず 思わず友の名を呼べば 泪の顔は雨の中 
     みんな優しい友なのに どこまでつづく悲しみは 独りぽっちの泪橋


歌詞も悪くないけれど、特筆すべきはその声と歌い方だ。1974年のリリースだったらしいが、’泪橋’という題名も、「茶木みやこ」という歌手の名前も、私の記憶には無かった。こんなにも心を直撃し心をわしづかみにするような歌声なのに。

1974年=昭和49年・・私は第2子を産んだ。内臓系の先天性難病で、生まれてすぐ大手術。苦しむために生まれたような短い命の子だった。まだ幼い第1子の育児や、優しかったとはいえない夫との関係や、休職せざるをえなかった勤務先のこと等々、無我夢中で生きていた私だった。

レストラン ’スタインベルグ’ 

2016-09-20 17:27:41 | 
関西在住の息子夫婦が来てくれました。多忙な日程を縫ってのトンボ返りだけれど、仲良く助け合いながら暮らしている様子の二人を見ると嬉しくなる私です。日頃私がお世話になっているご近所に3人で挨拶廻りしました。

昼食は「レストランふらの」でお蕎麦のつもりだったけれど、臨時休業との告示にがっかり。気を取り直して、医師会病院内のレストラン「スタインベルグ」に行きました。バイキングのランチが770円。コーヒー付きで870円。値段が手ごろで、それなりに美味しい。病院関係者を主たる客層として予定しているような雰囲気だけれど、一般客も自由に利用できる。洒落ているような、洒落ていないような、ミスマッチ感が漂う雰囲気が興味深い。スタインベルグって、希少なピアノの製造会社の名前らしいけれど、どうしてこんな名前をレストランに付けたのかも不思議。

私はコーヒーは飲まないけれど、飲んだ息子たちはいい味だと言っていました。

小さな病気の大きな悩み  その7

2016-09-14 18:50:29 | 健康・病気
腰背痛は相変わらず辛いけれど、鼻の皮膚炎はK子さんと河島智子医師のおかげで徐々に軽快しています。発赤と爛れは最悪時の十分の一ぐらいになった感じです。

最寄りの皮膚科医院に通い続けても治らなかったとき、他の医師のセカンドオピニオンを求める、という考えが脳裏にチラチラ浮かんではいた。それでも私が7カ月もの長い間、通院先を変えなかったのは何故か? 振り返って反省してみたい。

①通い慣れた医院への信頼感を問い直そうとしなかった。
 ひょうそ疽を始め幾つかの病気を治してもらった経緯があったし、特に悪い噂も聞かないし、受診の印象も悪くなかった。➡反省:信頼感を問い直す勇気?が無かった。

②病気が小さかった。
 患部が小さく痛みも局所的で、多少の我慢で日常生活も一応出来たし、こんなに小さな病気なのだから、そのうち治る筈だ、と思い続けた。➡反省:病気は小さいから簡単に治るという訳ではないのだ。また局所的な痛みでも長期に渡れば、心身へのダメージは大きくなってしまう。

③自ら得る情報の不足
 体力・気力の低下で、じぶんの病状や処方薬や医師情報についてインターネット等で調べようという気分になれなかった。➡反省:自分の体にまともに向き合う勇気が欠けていた。

④人から得る情報の不足
 人は、他人の病気にはあまり関心を持てないのが普通だし、もしそんな話を聞いてもらったら、相手をも暗い気分にしてしまうだろうから、愚痴は人には出来るだけ話さない方がよい、と自粛していたので、人からの情報が入りにくかった。➡反省:人と心を開き合う習慣が少なかった。

⑤セカンドオピニオンへの不安
 近隣の都市の総合病院に皮膚科があることは分かっていても、はたしてそこの医師が適切な診療をしてくれるかどうか分からない。もし不適切で、しかも最寄りの医院の医師がセカンドオピニオンを不快に思って見放されたらどうしょう・・という懼れもあった。➡反省:セカンドオピニオンの意義について、あまり理解していなかった。

以上、反省だらけ。なお、セカンドオピニオンについては、今回はK子さんのおかげで良き医師に出会うことが出来たけれど、場合によっては難しい問題が多いのではないか・・と思う。

雨の大場葡萄園

2016-09-13 18:41:58 | 俳句
今日は俳句の会ですが、朝から雨。雨脚が時々強くなる本降りですが、ほぼ予定通りの人数が集まり、乗合いタクシーで吟行先の大場葡萄園へ行きました。



お皿にいっぱい試食の葡萄が出されました。巨峰とシャインマスカットです。高級品として名高いシャインマスカット(キロ当たり2千円でした。巨峰は千2百円)を緊張感を以て試食しました。味覚が柔らかい感じで、とても気に入りました。でも人によって好みは様々で、巨峰の方が美味しい、という人もいたし、デラウェアが最高、という人もいました。

         顎引きて高級葡萄を噛み締める

大場葡萄園は葡萄狩りを楽しめるだけでなく、茅葺の母屋が素晴らしい外、お庭も美しく、秋雨も風情が感じられて、いい時間を過ごすことが出来ました。

         紅(くれない)を濃ゆくし雨の鳳仙花

小さな病気の大きな悩み  その6

2016-09-11 08:02:33 | 健康・病気
9月2日、河島智子医師の再診を受けた。8月26日の初診後、その処方薬を内服・塗布して1週間である。鼻の皮膚炎の発赤や爛れは一進一退しながらも僅かずつ改善の兆しが始まった。鎮痛薬は処方されなかったのに、刺激痛はほぼ無くなり、疼痛は弱くなった。河島医師と出会ってからの何より大きな変化は、精神面の安定を不規則ながら回復してきたことだ。

この日の診察結果は下記のとおり。

 ① 抗生物質を長期に渡って断続的に服用しているので肝臓機能を懸念していたが、血液検査の結果は問題なかった。
 ② 患部検体培養検査の結果、感染菌として MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)が認められた。 
     ・外用薬はMRSAにも比較的効くが、内服薬には耐性的。フロモックス(従前の医院処方の抗生物質)にも耐性的。
     ・検出されたMRSAは、8月26日処方のルリッド錠には感受性があり、この間の症状改善も認められるので、引き続き処方する。


抗生物質の普及は、結核を始めとする様々な感染症の克服に大きく寄与してきたものの、一方ではMRSAを発現させてきた問題がある、とは一応知っているつもりだったけれど、まさか、我が身のことになるとは・・ MRSAは、病院内感染菌だと思っていたが、今ではどこにでも、日常的な環境に常在する時代になったそうだ。健康な人が保菌しているだけでは心配する必要はないが、抵抗力の弱い人には感染しないように注意しなければならない。(河島医師の説明&国立国語研究所HPによる)

MRSAに対しては、効かない(耐性がある)薬と効く(感受性がある)薬とがある。個々のMRSAごとに判別して処方しなければならない。私が7か月間通い続けた最寄りの皮膚科医院では、耐性がある抗生物質を処方され続けていたわけだ。治らない筈だった・・

小さな病気の大きな悩み  その5

2016-09-09 09:24:15 | 健康・病気
8月26日、河島医師の初診断は次の通り。

① 現時点での症状はヘルペスではなく、常在菌感染による炎症と思われる。従前の鼻孔内吹出物の症状もヘルペスではなかったかも知れない。
                            (ヘルペスの場合、複数の吹出物が同時に列ぶが、私の場合は一つずつだった。)

②血液検査のための採血、および感染体の培養検査のための患部こすり取り。 

③検査結果が出るまでの当面の処方
  ・内服薬はルリッド錠(軽めの抗生物質で、ステロイドは含まない。)と胃薬を処方する。
  ・鎮痛薬は(局所的な痛みに対して全身的な鎮痛は不要だし、胃にも良くないから)処方しない。
  ・外用薬はゲンタマイシン硫酸塩軟膏(抗生物質で、ステロイドは含まない。)と亜鉛華単軟膏(炎症抑制&皮膚の保護)を処方する。




明快な論理性と繊細な感性が行き届いた診察だったと思う。それは溺れる者への助け舟のように感じられた。そして・・この日の夜から痛みが軽くなってきた。今までは鎮痛薬を服用しても強い痛みを感じることが多かったのに。

1週間後の再診の結果は次回記事に予定します。

小さな病気の大きな悩み  その4

2016-09-08 10:17:47 | 健康・病気
K子さんの勧めにより石岡医師会病院皮膚科を初めて受診したのが8月26日。河島智子医師と出会えた日。K子さんは初診を申し込む私に付き添ってくれた。

セカンドオピニオンを仰ぐに当たって、7か月間余の皮膚炎の経過をメモした。これもK子さんのアドバイスがあったから。お薬手帳を捲りながら衰えた記憶力をふり絞りつつ、症状、通院してきた医院の診断、処方薬などを記した。経過の一覧票はエクセルA4で3ページになった。そして下記の手紙を添えた。

 本年1月、指先の「ひょう疸(一応完治済)」の治療を受けていた頃から、鼻孔内の吹出物が再発を繰り返すようになりました。(最寄りの医院の)皮膚科で「ヘルペス」と言われ、通院を続けましたが治りません。(中略)5~6月頃、鼻孔内の吹出物の再発が間遠になったように思われましたが、7月上旬、発赤の皮膚炎(最寄りの医院の某医師は帯状疱疹と診断、院長は否定)が一挙に左鼻翼に広がりました。通院を続けましたが、皮膚炎は鼻下と右鼻翼にも広がりました。
 患部の疼痛と刺激痛に悩まされ、治る希望も見出せず、精神的なダメージによる胃の不調も多く、体力も気力も衰えてきました。助けてください。


私のメモ等に目を通された河島医師は、低く静かな声で「これは・・辛いでしょう・・長いですからね・・」と、呟くように言われた。私の辛さに共感し、私の気持に寄り添ってださったのだ。そして語りかけてくれた言葉を、私は忘れられない。「あなたは悩まなくていいんですよ。悩むのは私。私が悩むんですからね。」と。心まで弱っている患者に代わって、河島医師が患者の悩みを引き受けてくれるのだ。精神的にも参っている私にとって、何と有難い言葉だったことだろう!

落着いたご様子ながら、診察、判断、処置、処方は早かった。

小さな病気の大きな悩み  その3

2016-09-07 08:17:55 | 健康・病気
一向に治らない鼻孔の吹出物に、最寄りの皮膚科医院で処方された軟膏を私は一所懸命塗ってきた。抗ウィルス剤ビダラビン軟膏とデルモゾールG軟膏という薬だ。



デルモゾールG軟膏について、担当医師からは「細菌の感染を防ぐ薬」という説明を受けていた。評判は悪くない医院だし、真面目な印象の医師でもあり、その説明に何の疑問も抱かなかった。ヘルペス患部の二次感染を防ぐため、と理解していた。

確かにデルモゾールG軟膏の成分にはゲンタマイシン硫酸塩という抗生物質が含まれていて、細菌感染を防ぐ効能がある。しかしベタメタゾン吉草酸エステルというステロイド(副腎皮質ホルモン)の成分の割合の方が大きい。K子さんに指摘されて、ようやく私は自分の迂闊さに気が付き始めた。

強力な炎症抑制作用があるステロイドは、副作用も強い・・という問題に加えて、K子さんが指摘してくれた問題点に私は驚いた。「ヘルペスにステロイドはタブーの筈・・」というのである。それは本当だった。ステロイドの効果で免疫が抑えられれば、ヘルペスウィルスは喜んで繁殖するのだ!

私の吹出物が本当に皮膚科医院の診断の通りヘルペスだった(実はそうでなかった!という問題もあるのだが・・)とすれば、全くお門違いの処方をされていたことになる。

K子さんの指摘に納得した私は、その日からデルモゾールG軟膏を塗るのを止めた。内服薬として処方されていたレダコートというステロイドの服用も止めた。止めたら症状が悪化したということはもちろん無かった。

抗ウィルス剤ビダラビン軟膏の方も、ヘルペス初期しか効果が出ないし、7日間使用して効果が無ければ他の治療方法に変更するべきもの、ということが後でわかった。そんな薬を7か月間も私は塗り続けてきたのだ。



小さな病気の大きな悩み  その2

2016-09-06 09:06:21 | 健康・病気
昨年末以降、私がめっきり衰えた体調不良の内容は、主に二つ。一つは腰背痛だが、これは程度の差はあれ高齢女性によくあることだ。この一連の記事では、差し当たってもう一つの「皮膚炎」、特に鼻付近の皮膚炎の経過等について述べたい。炎症の面積や傷みに着目すれば、それは「小さな病気」だ。ところがそれが、こんなにも大きな悩みになるとは・・当初は予想だにしていなかった。

最寄りの皮膚科医院に通い、ヘルペス(単純ヘルペスの一種の鼻ヘルペス)と診断されて処方薬の内服と軟膏塗布を続けたが、鼻孔内の吹出物は再発を繰り返す。1ヶ月経っても2ヶ月経っても3ヶ月経っても治らない。たかがこのくらいで!と軽視に努めたが、次第に精神状態にも影響が出てきた。私の場合、心の不調は胃の不調に直結。食欲不振は更なる体力低下と更なる心の不調を招く。悪循環に陥り始めた。免疫も落ちる一方だったと思う。

鼻孔内の吹出物がやや間遠になったかと思われた5~6月を経て、7月上旬、発赤と爛れと痛みを伴う炎症が鼻翼と鼻下へ一挙に広がった。通院している医院の医師の一人は「帯状疱疹」と診断した。抗ウィルス薬などを処方されたが、治るどころか、鏡を覗くたびに炎症範囲が少しずつ少しずつ広がっている。怖ろしくなってきた。そのうち顔ぢゅうに広がって「お岩さん」のようになるのだろうか、或いは、脳にまで達して死病になるのか・・とまで不安に苛まれる。元々虚弱傾向の私がこの齢まで長生きしたことの方が不思議かも知れないが、悲しいかな、私は死ぬ覚悟が未だ出来ていないのだ。お恥ずかしい話だが。

7ケ月以上にわたる今回の病状経過の中で、大きな転換点となったのが8月19日!

心身の悩みを独りで抱えきれなくなった私は、近所の友人のK子さんに特に請うて来庵してもらい、体も心も弱った私の状態をありのままに聞いてもらったのです。真摯に向き合ってくださったK子さんの実に貴重な知的アドバイスと優しさは、私の体と心の立ち直りを、そっと、そして確実にスタートさせてくれた・・

小さな病気の大きな悩み その1

2016-09-05 08:07:53 | 健康・病気
他人の病気や加齢の話には関心を持てないのが人間の通常だし、気力も体力も衰えたので、ブログ更新も途絶えがちだった。

ところが8月末頃から、微々たる歩みながら病状の一部に改善の兆しが現われ始めた。これはひとえにK子さんと河島智子医師のおかげである。

体力は相変わらず衰えているけれど、先ずは気力のリハビリとしてブログ記事の作成に取り組むことにしました。そして、7か月以上にわたる病状の経過を自分なりに考え直したいし、このブログを訪ねてくださる皆さまへ役に立つ情報にしたいと思う。体力と気力に応じ、数回に分けた記事にするつもりです。よろしくね!