みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

K子さんが綺麗に!

2008-08-27 20:09:44 | 化学物質過敏症

 化学物質過敏症(CS)のK子さんが、とっても綺麗になりました 原因は幾つかありそう・・ まず、髪をカットしたこと。香料等によるCS症状が辛いK子さんは、美容院へ行くことが出来ず、髪が伸び過ぎていました。K子さんから頼まれたお嬢さんが、実に上手にカットしてくれたのです。

 原因の第2は・・村の田んぼが熟れ色に染まる季節となり、農薬が盛んに撒布されるシーズンが終わって、K子さんのCS反応も落ち着いてきたのです。

 原因の第3は・・K子さんが「気功」を自ら試みたのです 彼女は東洋医学系の代替療法について考察を重ねていました。 CS反応の時、K子さんはバンバンという音のようなもの=波動を感じます。この波動が実は、東洋医学で言う「気」に通じることに気付いたのです。気功の要領で、この「気」をコントロールすると、CS反応を鎮めることが出来たそうです。K子さん、凄い!

 もともと顔立ちが整っているK子さんですが、CSの辛い症状という重い影のようなものが着実に払われてきて、綺麗な耀きを取り戻してこられたのですね。


初秋

2008-08-25 11:40:06 | 八郷の自然と風景

Dscn0107  当菜園の花オクラが咲いています。普通のオクラの花もとても綺麗ですよね。その普通のより二回りぐらい大きくてあでやかな花です。

 食用になるのは実ではなく、花びら。レタスのようにサラダ感覚で食します。一日花で長持ちせず、出荷には向きませんから、お店で買うことは殆ど出来ないと思います。

Dscn0112  Dscn0111 村の田んぼは黄金色に染まり、稲穂が優しいカーブで垂れてきました。

 収穫の季節が近付き、担当している用水ポンプの運転も今月末で終了です。

 


本を読みたくて・・

2008-08-16 09:12:03 | 化学物質過敏症

 化学物質過敏症のK子さんは、紙や印刷インクに含まれる化学物質にも反応するので、印刷物を読むのが困難です。でも最近はクリアフォルダーに挟めば、多少は読めるようになりました。Dscn0101

 K子さんは本を読みたくて「読書箱」を手作りしました。ダンボール箱の上部を切り取り、中に本を入れ、上に透明なプラスティック板を載せます。ページを繰るときは右手前の丸い穴から右手を入れます。

 この手作り読書箱で、K子さんは何とか本が読めるようになりました。でもプラスティック板やダンボールには弱いながらも反応するし、あちこちの隙間を通して本から揮発する化学物質が出てくるので、読むのは少しずつです。


雷下の法要

2008-08-15 09:28:25 | 仏教

 亡母の初盆と七七忌の法要は、先日の埋葬法要時に繰り上げて済ませた。Img_3385_1 法要開始を待っていたかのように雷鳴が轟き稲光が走り、何度か近くに落雷したのでは!と思った。怖ろしくて、私は内心、法要どころではなかった。

 読経の僧侶は・・動揺の気配を微塵も見せなかった。凛とした声色だった。プロだから当然、とも言えるが、俗人以上に俗物的な坊主が一般的だから、いわゆる高僧の説法よりも私は感銘を受けた。

 この齢になっても私は自分の死を受容できない。死の淵を覗くだけで戦慄が走る。その上「生きている今」さえ、恐怖を感じることがある。この生死の苦悩は科学では救われない。哲学(これは科学の一種だ・・)では解けたとしても、私は救われないだろう。縋るべき残されたものは宗教だけだ。

 親鸞聖人によれば、「信心」は仏様が賜るものだそうだ。「仏様」とは、仏像でイメージされるような人格神ではなく、影も形もない、単なる「方便」として編み出された記号に過ぎない・・という趣旨の一文を、親鸞聖人の「自然法爾章」に見つけたとき、仏教に纏わり付く襤褸が一斉に取り払われた思いがした。

 しかし私は未だに信仰心を持てない。いわゆる「科学的合理精神」が骨の髄まで沁み込んでしまった現代人にとっての宗教、そして「信心」について、森三樹三郎氏(1909~1986)の心惹かれる言説(「老荘と仏教」第Ⅲ章:死の象徴としての阿弥陀仏)がある。

            


マウスに触れると・・

2008-08-13 11:17:52 | 化学物質過敏症

 化学物質過敏症(CS)のK子さんは電磁波過敏症(ES)を併発しているので、パソコンを利用することは困難です。でも最近は数分程度ならインターネットで検索・閲覧できるようになりDscn0103 ました。クリックは、手に握った鉛筆でマウスを押します。

 先日K子さんはネットの内容に引き込まれ、ウッカリ素手でマウスに触れてしまいました。途端に筋肉が強張り、耳の奥にバン!バン!という音。この音はK子さんのCS反応に出るのですが、ES反応で出たのは、この時が初めてです。

 K子さんは直ぐに手を流水で洗い、足を塩入りの湯に漬けました。そして塩を振った西瓜を沢山食べました。筋肉の強張りは少しずつ治ってきました。イオン水は、体内の電気の流れを変えるのかも知れません。

 人間の感覚は神経を伝わります。神経細胞同士の間の隙間は神経伝達物質(体内で作られる化学物質の一種)が伝え、神経細胞の中は電気信号が伝えるそうです。

 K子さんは磁石片を掌と足裏に貼ってみました。すると・・あのバンバン という音が消えたではありませんか! 夜は塩入りの湯で入浴し、翌日には落ち着くことが出来たようです。


晩夏

2008-08-10 11:48:48 | 八郷の自然と風景

Dscn0091  当菜園の落花生の花が咲きました。落花後に花の跡から柄(子房)が伸びて地面を突き刺し、やがて土中に豆果を実らせます。柄が伸びていく様子を初めて目の当たりにした時は神秘の感に打たれました。

Dscn0093  大きな葉の陰で南瓜が大きく育ってきました。品種名は「伯爵」、大それたネーミングですが、確かに色白肌のなかなかのイケメンです。

Dscn0092  

菜園の隅に植えた紅葉葵(別名、紅蜀葵)です。この花の真っ赤な耀きには気後れを感じます。逆光で暗く写ってしまったし、空模様も少々怪しげですが・・・ 


毒針

2008-08-05 21:30:02 | 化学物質過敏症

 早朝に電話の呼出音、K子さんからだ。昨日、野良仕事と飼犬の世話を了えたご家族が家の中に入られた後、K子さんは突き刺さるような苦痛に見舞われ、昨夜は気が狂わんばかりの辛さに苛まれた、と。

 数日前のこと。K子さん宅の飼犬に蚤取り首輪が付けられた。この首輪の殺虫剤の成分は極めて微細な粒子で、私たちの目には見えないが、空中を舞い、犬の体表面に纏い付く。犬へ餌をあげる人間にも付着する。蚤取り首輪は外された。しかし殺虫剤の毒素の粒子は犬に付着したままだった。

 殺虫剤の粒子は言わば小さな毒針のようなものだ。毒針を纏ってしまったご家族が歩く床、手を触れるドアや家具、すべてに毒針が付着し、空中を舞う。化学物質等の毒素に通常の百万倍レベルの過敏性があるK子さんには、この毒針の大きさが百万倍あるようなものだ。その毒針がK子さんを襲った。

 常は気丈な彼女が声を震わせて電話口で泣いた。お隣の土地に先日撒かれた除草剤も影響している。撒布の予告をもらっていたK子さんは、ガラス戸も雨戸も閉め切った。その日から一昨日までは心配された化学物質過敏症の反応も軽かったから、K子さんも私も安堵していたのだが・・たまたま御家族の屋内外の出入がなかったから、その間は除草剤の毒素も蚤取り首輪の毒素も持ち込まれずに済んでいたのだ。

 今日の未明の雨で外気が洗われて、K子さんはようやく人心地を取り戻したらしい。もう2度と昨夜のような辛さは味わいたくない・・K子さんの体の底から振り絞るような願いだ。


父恋

2008-08-02 22:31:12 | 文化

   「岡部嶺男展」へ行った。鈍感な私でさえ圧倒されそうな迫力の作品群である。嶺男(1919~1990)は加藤唐九郎(1897~1985)の長男。

 1959年、いわゆる「永仁の壷」が、鎌倉時代の焼物の傑作として国の重要文化財に指定された。直後から贋作の疑惑が指摘されて、まず嶺男が「自作である」と告白、続いて父の唐九郎が「自作」と告白した。父子で庇い合ったのか・・いや父と子が競って己が力量を誇示したのか・・

 結局、唐九郎の作だったとして重要文化財の指定を解除され、唐九郎は人間国宝の指定も解除された。美術史界、古美術界、文化財保護行政などを巻き込むスキャンダルだったが、唐九郎と嶺男の創作への世評はその後も決して衰えなかったようだ。

 この「永仁の壷」について先日、嶺男の次女である美喜さんが証言した。それは、唐九郎と嶺男との暗黙の共犯・・唐九郎が正犯、嶺男が幇助犯・・というニュアンスだった。唐九郎の家長としての権威に、嶺男は従わざるを得なかったのだ、と・・・真相は、私には分からない。

 嶺男の写真を見ると、その作品の凄まじさからは意外なほど律儀な職人風である。唐九郎の方は奔放な野人、といった趣きだ。

  展示会場の一角で、嶺男作の茶碗に点てられた抹茶を、茶道の先生や友人等と共に戴いた。それらの茶碗について、美喜さんが親しく説明して下さった。もう若くはない筈の美喜さんだが、「お嬢さん」という呼び名が似合う風情の方だ。父の作品を語る彼女の声は、父恋の歌のようだった。

 今日はkoreiの誕生日。父は芸術とは縁遠い下級官吏だった。その父を、私も恋しくなるときがある。