みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

台風の後~ツマグロヒョウモン

2019-10-23 13:56:05 | 八郷の自然と風景
1週間以上前の話。最大風速が50メートル以上にもなる台風19号が関東を直撃するという予報に、鈍感な私もさすがに緊張して、対策を考えた。

当庵は、建築的には不安はほとんど無い。もしかしたら屋根瓦が何枚か飛ぶかも、ぐらいだろうと考えた。一番心配なのは停電だった。裏山の鬱蒼と茂った木々の間を縫うようにして電線が通っているのだから、大きく揺れる木の枝で電線が切れてしまう危険性が高い。

停電で困るのは、まず水だ。深井戸を利用しているので、停電すると井戸ポンプが動かなくなる。停電は各地で発生するだろうから、復旧に数日を要する恐れもある。浴槽に水を溜めただけでは不安で、洗濯機の槽にも溜めた。

鶏舎が強風をまともに受ける向きなので、使い古しの厚手の大型ビニール袋を4枚、風除けに取り付けた。愛犬ユキは外飼いだが、犬舎が飛ばされる恐れもあると思い、玄関土間に入れた。屋内に入れたのは初めてのことだ。

12日の夜、案の定、物凄い風音と不安で寝付けない。午後11時近くに突然?風音がしなくなった。これは台風の目に入ったに違いないと思い、吹き返しの襲来を警戒していた。ところが、いつまでも静かなままだ。そのうち眠りに落ちていた。

台風は隣のつくば市を通過したらしい。

13日の朝。菜園の野菜たちは雨風に傷めつけられていたが、心配だった停電もせず、水対策は空振りで幸いだった。大きな被害に会われた人々には申し訳ないような気分。

正直、東京の下町の浸水を危惧していたが、それはかろうじて回避された。今後の課題はあまりにも大きいが。

台風20号くずれの低気圧の影響による大雨もあり、暗い日が続いた。

今日は本当に久しぶりの青空だ。

菜園の夏野菜の残骸を片づけたりしていたら、オレンジ色の蝶が目の前を横切った。前羽の先端の黒紫色の模様が美しくて、胸が高鳴った。

手元の図鑑で調べたが、それらしい蝶は判明しない。ネットでしつこく調べたら、どうやら ツマグロヒョウモン の雌らしい。希少種かと思ったが、都会周辺でもよく見られるという。ただ、関東地方でよく見られるようになったのは、温暖化が進んだ最近のことらしい。

雄は前羽先端の模様が無い。雌の方が美しいのは、動物界では珍しいと思う。 


峰寺のヒメヤブラン

2019-10-15 22:34:07 | 俳句
5人連れの吟行で峰寺西光院へ行きました。筑波山系の中腹にあり、岩を馬頭観音とみなして本尊としています。「関東の清水寺」とも言われる懸造(かけづくり)の構造が見事です。

          摩崖仏背負ふ御堂や秋の声

眼下には、稲刈りが終わった八郷盆地が広がり、竜神山の向うには霞ヶ浦の水面も見えます。
鷹が二羽、飛んでいました。飛んでいる鷹を上から、つまり鷹の背面を間近に見たのは初めてのように思います。

          峰寺の四囲を警邏や秋の鷹

本堂の近くに、十一面観世音菩薩像が祀られています。1本の立木に刻まれていて、高さが6メートル近く。平安時代の作だそうです。素朴な彫りのお顔が何ともいえぬ憂愁・・・を湛えていて、魅せられます。
      
          千年の悲の木仏や小鳥来る

寺域には、ハナタデ、キンミズヒキ、ゲンノショウコ 等々、秋草たちが小さな花を咲かせています。
連れの一人が、あまり見掛けない小さな花を見つけました。



帰庵後に図鑑で調べたら、ヒメヤブラン(姫藪蘭 ユリ科)だと分かりました。「姫」の名にふさわしい可憐な花です。

「死者」論

2019-10-12 14:18:43 | 生死
加藤秀一(1963~)という社会学者が、「あんじゃり 37号」(親鸞仏教センター 2019.6月発行)に一稿を寄せている。冒頭から直球を投げ付けられた。

 「死者」という言葉は誰を指すのだろうか。死んだ人はもうどこにもいないのに。だからこそ「死者」と呼ばれるはずなのに。

確かに「死者」という言葉は矛盾で成り立っている。しかし、およそ矛盾でない言葉なんて在り得るだろうか?



霊魂や幽霊の実在を本気で信じているオカルティストたちは別としても、英語圏の分析哲学者のなかにも、人は死後にも実在しうると主張する人がいる。
 
日本におけるその代表格は、仏教学者の末木文美士(1949~ 仏教学)である。過去十数年の「死者」論を精力的に領導してきた末木は、「<死者>と<死者の記憶>はまったく違う」ものであり、「死者は<経験>される」ことを力説する。

この<死=生>という胡乱な等式の源泉というべき京都学派の哲学者・田辺元の「死者」論を概観してみたい。

<死=生>という等式こそは、田辺がその生涯の後半に追究した「死の哲学」の核心に位置するものである。

たしかに戦後の田辺は、もはや『歴史的現実』(<国のために死ぬこと>を宣揚した1939年の講義)のように「国家」のための死を鼓舞することはなかったけれども、個としての死を経てより大いなるものの一部へと転移し永遠の生を得るという構想そのものを手放すこともまたなかったのである。
この思想的核心において、田辺は微塵も「懺悔」などしていなかった。

死こそが永遠の生への道であるというこの種の思想は、しかし独り田辺だけのものではないだろう。むしろそれは、今も私たちの多くが心の底で希求する境地ですらあるかもしれない。

死者が「共同体」の--田辺なら「実存共同」というだろう--なかで永遠に生きるという教説は、死者に対する喪失感や罪悪感を慰撫し、おのれの死への不安を鎮めてくれるものであるのかもしれない。

そのようにして死を讃えるとき、その話者自身は紛う方なき生者である。かれらはしばしば死者に成り代わってその「無念」を語り、そうすることで生者たちをさらなる死へと呪縛しようとするが、自らは一度も「共同体」のために死んだことなどない以上、それは「死者」という非在者を傀儡としておのれの呪詛に権威づけする<非在者の騙り>でしかありえない。

ただひとつの顔と声をもつ近しい人々との束の間の生よりも、「生死を超えた」「永遠」の方が優れているという奇妙な価値観は、いったいどこから来るのだろう。いや、それは人々のほんとうの願いなのだろうか。少なくともこの私がほしいのは、喰い、貪り、愛し、触れ合い、憎み、励まし、去る、そんなありふれた日々だけだ。そこには顔のない「死者」のための場所などはない。


ちなみに浄土真宗の教義は、「霊魂」の存在を否定している。このことが、浄土真宗へ私が心を寄せている理由の一つだ。だからと言って、「<死者>のための場所などはない」などと言われると、ちょっと待って! と言わざるを得ない。

一之沢

2019-10-09 22:13:06 | 俳句
俳句の会で久しぶりに駒村清明堂へ行きました。大きな水車で杉の葉を搗いて、線香を作っているところです。地名は「一之沢」。筑波山系の山清水が勢いよく迸っています。



上の写真では肝心の大水車(私の背丈の2倍位ありそう!)が暗い影になっていてよく見えませんが、木枠の樋で誘導された清水が水車にぶつかると、千万の玉雫になって散り落ちます。そして水車小屋の中から搗音が轟き、迫力満点です。

見上げれば、まさに「天高し」の青空。鷹が来て舞い始めました。

          峡の空大きく祓ひ秋の鷹