みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

着物の洗濯&宅急便

2009-12-30 19:54:58 | 家族

過日、Dscn1232「着物が好きだったけれど、もう着る機会が無くなったので」と、友人のkSさんが下さったこの着物、赤系だけれど落着いた色合いで私好み。袖丈が長過ぎるので、4cm詰めた。不器用で和裁の知識ゼロの私は悪戦苦闘 。不恰好ながら、どうにか袖らしい形になった。

それから洗濯することにした。ネット上で洗濯方法を調べた。洗い桶代わりのプラスティック製ケースの中で、袖口や裾などをつまみ洗いした後、全体を軽く手洗い。濯ぎには、洗濯機の脱水機能をほんの少しずつ使った。柔軟剤の液を通してから軽く脱水後に和服用の衣紋掛けで袖先まで伸ばして室内干し。

9割がた乾いたのでアイロンを掛けてから試着。生地全体が綺麗になり、着心地も爽やかで、すっかり嬉しくなった。縮むのは覚悟していたが予想より激しく、縦方向が6%近く縮んだ。それでも普段着には支障ない。袷の裏地の方の縮みは3%位で、たるんだ裏地が裾から覗きそう・・ 明日、裏技?で直す予定。

着物の洗濯や寸法直しとかは、昔の人は当たり前のこととして手早くやっていた筈、と思うと自分が恥ずかしいが、それでも生きている内に初体験出来たことを良しとしよう。

Dscn1235_2  夕方、宅急便が届いた。息子のお嫁ちゃんのkさんが送ってくれたのだ。

kさんの実家の田んぼでは、合鴨農法で無農薬栽培している。田草捕食の役目を終えて田んぼを卒業?した合鴨たちのお肉をお裾分けしてくれたのである。

離れているからなかなか逢えないけれど、お嫁ちゃんのこうした心遣いが無性に嬉しい私です。


新田の村

2009-12-27 17:26:21 | 暮らし

Dscn1227 近所の篤農婦のkOさんが、先日に引き続き着物を譲って下さった。左写真の小紋は、kOさんのお母様が機織りされて染めに出した反物を仕立てたものだそうだ。

大切に仕舞われていたらしく、新品同様に綺麗で躾け糸も付いている。お母様の娘(kOさん)を思う心が伝わってくる思い出の品を戴いて、感慨を覚えた。

お茶請けに出して下さった御手製の白菜漬とキンピラを戴きながら、kOさんと御主人のsOさんに、この村のことを少し教えてもらった。

当村は「新田(しんでん)」と呼ばれているから、昭和の初め頃の開墾かと思っていたら、聞けば5世代以上前の、天保の頃だったそうだ。本田(ほんでん)の方には殿様が居た、という。どんな殿様だったのだろう。

Oさんの家はコンクリート造の2階建だ。昭和45年築という。その頃の農村でコンクリート造は珍しかっただろう。内部は和風で、お座敷の欄間には松木立の風景が彫られていた。

Dscn1228_5 Oさんのお子様方も都会 で暮らしていて、農業は継がないらしい。

kOさんは帯板も譲って下さった。伝統的な鶴の絵模様だ。帯を締めるときの楽しみが増えた。


冬季

2009-12-25 17:15:17 | 八郷の自然と風景

Dscn1224 当菜園もひっそりとしている季節だが、ほうれん草とターサイは大地に張り付いて頑張っている。冬季の貴重な青物だ。

大根は、引き抜いてみると割れたり腐ったりしているのが例年より多い。秋季の凄まじかった虫害に起因するのだろうか?

Dscn1220_2 当庵傍らの枯木立には、メジロ、エナガ、ジョウビタキ、シロハラ、ヒヨドリなどがよくやってくる。樹肌に棲む虫などが目当てなのだろうか? メジロやエナガが群れで行動するのは、小型の野鳥としての自衛の智恵なのだろう。

Dscn1218 大掃除というほどではないけれど、日頃は手を付けないところの整理をしている。数年前までは大切なものと思っていた物が、今見ると何の意味も見出せなくなっていることが多い。その逆もたまにはあるけれど。

今日はプラスティックのゴミの大袋と、溜まっていた段ボールを縛ったのを愛車に載せて、のゴミ集積所へ運んだ。現代の田舎は、ゴミを棄てるにも車が必需品だ。

Dscn1219_2 集積所はで管理されている。の正式な構成員ではない私が利用できるのは、皆さんの御好意のおかげ、と言える。人体にとって排泄が重要であるように、暮らしにとって「廃棄」は切実だ。

集積所の扉を閉めて振り向くと、筑波山の頭が望めた。冬田の風景は寂しいようでいて明るさがある。篤農のsOさんはトラクターを動かして、田土の荒起こし中だった。


高い、高い、高~い!

2009-12-21 18:33:12 | 家族

Dscn1207_sh01 12年前の今日、父は85歳で逝った。苦しい喘ぎが束の間途切れるごとに見開く父の瞳が、赤子のそれのように澄んだ光を湛えていた。あれは・・・どうして・・・ああだったのだろう・・・

庭の冬菊を少し剪った束と線香などを用意し、車と電車を乗り継いで2時間半のH市営霊堂へお参りに行った。広い霊園の中に、霊堂はこじんまりと建っている。

Dscn1209 Dscn1211 父は持病のため上級学校へ進めなかった。地元の役場に律儀に勤めて、やっと出張所長となってから退職した。

時々、畳の上で四つん這いの逆の形になり、その四肢の上に幼い私を載せ揺すって遊んでくれた。「高い、高い、高~い!」と父。キャッ、キャッ、キャッ!と私。

実母の理不尽な横暴で暗く萎縮していた子供時代の、数少ない明るい記憶だ。父の自転車の荷台にまたがって、釣りのお供に行ったことも思い出す。このように私が父に親しむことさえも、実母は怒り、妨害するようになった。

父と二人でお酒を酌み交わすのが、私のささやかな夢の一つだった。それが叶えられたのは、ある正月の3日間、老人ホームに入所していた父を、母に内緒で私の自宅に「外泊」してもらっDscn1217_3 た時である。既に父は老人性痴呆の症状が始まっていたが、仏様のような温顔が満足そうだった、と思う。

お参りを済ませた帰りの電車で、快い居眠りに誘われた。目が覚めた車窓に、双峰の筑波山が現れていた。


半分ずつ

2009-12-19 17:23:46 | 家族

Dscn1201 周辺に降り積もった落葉を掻き集めて、堆肥用に踏み込んでいる。発酵促進のための米糠をまぶして散水しながらの作業だが、米糠が足りなくなった。

今日は気功の同好会。会場の公民館の近くにコイン式の精米所があり、精米の過程で排出される米糠を無料で戴くことが出来るから、気功の前に寄った。

私の直ぐ後から来た男性も米糠が目的だという。ちょっと怖そうな顔に見えた。肝心の米糠はあまり多くは溜まっていない。私を押しのけて米糠を全部持っていってしまうのでは?と一瞬不安がよぎった。ところがその人は、私の持参の袋に米糠を入れるのを手伝ってくれたのだ! 半分ずつ戴くことにした。漬物に使うのだ、とおっしゃった。そして「それで足りるの?」と、私を気遣って下さった。その人を一瞬疑った自分が恥ずかしい・・

mM師から新しく習った気功は、両手を水平に動かしたりで、簡単な動作だけれど、手指とその周りがビンビンと張り詰めるような強い気を感じさせられた。

帰庵して携帯電話を覗いたら、息子のtからメールが来ていた。n事務所へ就職が内定した、という。以前勤めていた会社を辞めて、猛勉強後に資格試験に合格したtだが、こういう経済情勢だから、資格があっても就職は安泰ではない、と聞いていた。正直ホッとしたし、しみじみ嬉しかった。n事務所は、社会的弱者のための事業にも積極的に取り組んでいるらしい。


盆点の稽古

2009-12-16 19:49:15 | 仏教

Dscn1197 今年最後の茶道稽古日。先日kOさんから頂戴した無地(地模様)の袷を着て行ったら、大先生から「まあ!いいお着物だこと!」と褒められた。

「近所の農家の方が下さったので」と私。すると大先生は「じゃあ、大きな農家の方なのね」とおっしゃる。確かにkOさん宅のお屋敷は立派な構えだ。kOさん宅に限らず、八郷には堂々たる農屋敷が多い。

農作物に適した風土で、首都圏という大消費地にも遠くない八郷、そして働き者が多い八郷。おそらく昭和30年代頃は「豊かな農村」だったに違いない。そして心ゆたかな人情も、着物文化も花開き、堂々たる瓦屋根の農屋敷が建てられていったのだろう。

Dscn1196_sh01 小雪でもチラつきそうな空模様だったので、念のため道中は雨コートを羽織っていった。ibakasumiさんから戴いたものだ。この明るく鮮やかな色模様を身に纏うと、今日のような鬱陶しいお天気でも気持が晴れる思いがする。

稽古は「盆点」だった。唐物(からもの)の大名物(おおめいぶつ:最も格が高い)の茶入を小ぶりの盆に載せて、大切に扱う点前である。これを稽古するのは、私は2回目。ちょっとした手指の使い方にも、「大切に扱う」という心が徹底している。

いざ自分がやるとなると、分からなくなったり、間違えたり。先生に笑われると、私も何だか可笑しくなってしまって、楽しい。

名物の格付けをしたのは、利休亡き後の小堀遠州だそうだ。「本当は利休自身が格付けしたかったのではないか」と、若先生がおっしゃった。しかし、「利休がその眼力を誇示した」という風に秀吉から不興を買うだろうから出来なかったのだろう、と。

掛軸は「明歴々露堂々」。南宋の時代に編纂された「五灯会元」から引かれた禅語らしい。真理を悟るのは至難だが、実は真理というものは明々白々に現れているものだ、というような意味か? 筆は大徳寺三玄院の先々代住職だった誡堂和尚。三玄院は石田三成が建立したのだそうだ。悪役として聞くことが多い三成だが、その実像はどうだったのだろう・・


起死回生

2009-12-14 18:39:32 | 文化

Dscn1193 福岡の友人tEさんが送ってくれたDVD「遊牧」(監督・撮影は小貫雅男氏)を見た。時代遅れの私・・当パソコンでのDVD視聴は、初体験だった。

この作品は、小貫氏等の調査隊が1992年から1年間、モンゴル砂漠の一隅のツェルゲル村に住み込んで、村の自然と人々の暮らしを撮影して制作されている。

「モンゴルを深く知ることによって、初めて捉えることの出来る迫力が画面に溢れ、1年間を共に過ごした何組もの遊牧の家族たちへの熱い愛情と、その人たちの暮らしのあり方への敬意が胸を打つ」と映画監督:山田洋次氏も推薦している。強いて言えば、上澄液だけ飲まされたような感があるのは、ダイジェスト版だったからだろうか?

Dscn1195 「砂の女」(安部公房著)との対比は突飛かも知れないが、先日読んだばかりなので・・ どちらも、舞台は砂の世界だ。しかし、「砂の女」の方の条件設定はグロテスクの極みで、実に暗い。しかし闇の中で闇に慣れれば、見えてくるものもある。そのようにして著者は、人間のぎりぎりの姿を示そうとしたのだろうか? そして示された姿は、妙に明るかった。この明るさは、「遊牧」の明るさとも通底しそうな気がする。

小貫雅男氏は、「菜園家族」という構想を世に問うている方だ。週の内の5日間は農夫(婦)、2日間はワークシェアリングによる賃金労働者として暮らす、というイメージらしい。菜園家族のイメージは、色々なバリエーションが考えられるだろう。モンゴルだったら「農」ではなく「牧」になるように。

菜園家族による社会形成は、市場競争に翻弄され貶められた人間の尊厳の回復と、地球破局の淵から起死回生を図る唯一残された道だ、という小貫氏の説に私も異論はない。省エネ技術開発で地球環境が守れるかのように囃し立てる世間の言論には、私は辟易している。

だが果たして「起死回生」は出来るのだろうか?

  


星の王子さま

2009-12-13 18:27:20 | 暮らし

Dscn1181_2  昼下がり、近所のkSさんと「こんこんギャラリー」へ行きました。小田島久則さんの木工と絵画を企画展示中です。

円卓には可愛い小物が沢山飾られて、ささやかなクリスマスの雰囲気です。

Dscn1183_2 雪ぞりも、箱車もあります。

Dscn1185 壁際に並べられているのは、人形? どこかユーモラスで微苦笑・・・

Dscn1186_sh01_3 小田島さんは東京都出身で、八郷に移住して8年。ハンググライダーのクラブを運営されています。

お若い頃(今も十分お若い!)のハンググライダーの腕前はかなりのものだったようで、当時の全国ランキングにお名前がありました。

Dscn1180_sh01 kSさんは、大好きなお馬さんの絵のカード(150円)を小田島さんから手渡してもらって大喜び 私は穏やかな風景の絵のカード(150円/枚)を購入しました

空を飛び、生きものたちと風景を優しく描き、木っ端をアートに変身させる小田島さんを、私は「星の王子さま」と呼ぶことにしました。

 


常陸風土記の丘

2009-12-10 19:43:42 | 俳句

Dscn1166 午前10時、公民館前に「笹鳴会」(当地の俳句の会)のメンバーが集まりました。高齢で病気がちの人もいるけれど、「おはようございます!」と挨拶して、皆、明るい表情が生き生きしています。

片道三百円の乗合タクシーに乗り込んで、今日の吟行地「常陸風土記の丘」へ行きました。

Dscn1171_2 大きな長屋門を潜ると、曲屋を移築復元した蕎麦屋があり、そこから変化に富んだ風景が広がっています。

この地には「鹿の子遺跡」があり、昭和50年代の常磐自動車道建設の際に、数多くの竪穴式住居や大量の公文書などが発掘されて、「地下の正倉院」とも称されているそうです。

Dscn1173 春は枝垂桜、夏は古代蓮が一面に咲き溢れるけれど、寒いこの季節は・・と心配したのも束の間、舞い散る木の葉を浴びながら積もった落葉たちを踏んでいく心地良さに、仲間とのお喋りが弾みました。

   天よりの光を散らす落葉かな      小零

Dscn1175_sh01 江戸時代後期の会津の民家も移築復元されていました。

  古民家の縁側を借り日向ぼこ  小零

お昼に公民館に戻って持参のお弁当などを食べてから句会。穏やかで優しい句が多い会です。


お月様を掬い上げる

2009-12-05 16:45:39 | 暮らし

愛車でK子さんと一緒に気功の同好会へ行った。今日の会場は、石岡地区のB&G海洋センター。K子さんは、私が知らなかった近道を教えてくれた。田畑と雑木林の間を抜けていく気持の良い道だ。

色々な種類の気功を、mM師は丁寧に指導して下さる。私は「海に沈んだお月様を両手で掬い上げる」のと、「大事な壷を両手で高く支え上げる」というイメージの気功が特に好きだ。この所作に入ると、両手に「気」が沸くような感じになる。そして心身がゆったりとしてくる。

気功が終わってK子さんを愛車で御自宅へ送ったら、お屋敷で採れた柚子をDscn1164下さった。柚子ジャムと柚子味噌を作ろうかな・・ そして柚子湯も!

K子さん宅の田んぼ産の屑米(精米の規格外の米)も戴いた。当庵のウコッケイたちが大好きな餌になる。ぎっしり詰まった重たい米袋を、御主人が私の愛車に積み込んで下さった。

午後は公民館の文化祭を見に行った。気功同好会もパネル展示で参加。会長のmSさんが、写真撮りも展示作業も一手に引き受けて下さったのだ。

Dscn1162 館内では、公民館図書室の本のリサイクルも行われていた。石岡市民であることを証する免許証を呈示して入室した。廃棄の運命にある本が沢山並べられている。

「東京ローズの悲劇」 「仏教のこころ(真継伸彦)」 「ガンジー~魂はわれわれとともに」 「砂の女」 「井筒俊彦著作集別巻」 の5冊を有難く戴いた。てんでんバラバラの選び方ですね

追記 最近愛覧するようになった「きっこのブログ」の今日の記事「普天間移設を急ぐ人たち」は特に必見もので~す