みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

2011-01-30 15:26:12 | 田んぼ

午前10時、村の草焼(野焼ともいうが、廃棄物の不法焼却と区別するために、この村では草焼と言うことが多い)が始まった。害虫の駆除が主な目的だ。各戸から人が出て、田んぼ周りの土手や畦の枯草に次々と火がつけられてゆく。火の用心のため消防車1台が出動し、隣村から消防団も派遣されて待機している。女性は、焼跡に残った空缶やビンなどを拾うのが役目だ。

稲作の後継者がいなくて放置された田んぼには鬱蒼とセイタカアワダチソウが生えて、この季節はさながら枯草林だ。そこに付けられた火が見る見る広がり立ち上がり、炎が大きく渦巻いて、火炎の屏風が目の前の風景を遮った。私は恐怖を感じた。草はもちろん、大気も土も乾燥しきっている。休耕田は年々増えてゆく。悲しく残念なことだ。

火炎から離れていても、煙が目に沁みる。風向きは刻々と変わり、火炎と煙の舞い上がり方も次々に変化していく。突然、ヤマに移ったぞー と叫ぶ声がした。 田んぼの向うの小高い森の縁に火が見えた。森の向こうには集落がある。煙の中を男たちが走った。山火事になったら大変なことになる。幸い森の火は消しとめられた。

食文化も、農業も工業も、なしにはあり得ない。は有難い。そしては恐ろしい。村の草焼きは昼過ぎに無事に終わった。


冬菫

2011-01-25 19:29:40 | 俳句

Dscn1835_2 寒い日が続き、懐かしいひとが逝去し、正直なところ悄気ている。そんな心を引き立てるつもりで花を探した。

庭の木瓜に沢山の蕾が付いていた。小さいけれど、大切なものをシッカリ握り込んでいるような蕾だ。

Dscn1830_3 水仙は、僅かな風にも震えている。

      水仙の花の裡にも影差して    

Dscn1836 寒中というのに、菫が一輪、足元に咲いていた。(写真上クリックで拡大します) お若い遺族の方を想起した。

   遺されし娘の挨拶や冬菫


泣く

2011-01-19 17:23:35 | 生死

毎年この季節になると、何通かの寒中見舞状を書く。また何通かの寒中見舞状を受け取る。年賀状が一段落した後で、大概は地味な内容だ。今日受け取った寒中見舞状には泣いた。懐かしい旧友の逝去を知らせる、遺族からの書状だった。

Dscn1826_sh01 中学校生活を共にした彼女は、繊細でありながら奔放なところもあり、既に大人の女の雰囲気を漂わせていた。一方の私はクソ真面目な世間知らずの小心者で、まるでソリが合わない筈なのに、お互いにふと振り返り合うような、そんな仲だった。

一つだけ共通点があった。彼女も私も、その家庭が異様だったことである。開き直ったような、大胆な言動を見せるときの彼女は、今思えば、淋しかったのだろう。

卒業後は進路を異にし、街で数回すれ違うぐらいだった。10年程前に、私は彼女に会いに行った。ひどく喜んでくれて、病後の体を押して、あちこちと案内してくれた。穀倉地帯の緑風の波を丘の上から一緒に見渡したときのことが鮮やかに思い出される。沢山の写真を撮ってくれた。帰りの電車に乗った私へ、彼女はプラットホームからずっと手を振ってくれていた。

自分の死を人一倍怖れているのに、人の死には冷淡な私だが、彼女の死は、自分の一部が死んだような感じがして、郵便受のそばで泣いた。ひとしきり泣いてから、犬のジュンが私を見詰めているのに気が付いた。


酔生夢死

2011-01-14 19:30:15 | 仏教

地元の俳句の会で、板敷山の大覚寺へ行った。境内の裏見無しの池は、どの方角から見ても裏ではなく表のように整って見える池という意味。この名にちなんで、人への恨みと人からの恨みが本当に消えるといいのだけれど、凡人の私には無理・・

池面は凍っていたけれど、明るく澄んだ日が注いでいた。寺域のあちこちに水仙がかたまり咲き、早梅も咲き始めていた。

    紅梅の空深々と青むかな     小零

Dscn1812_2 茅屋根の庫裏の広間に、1間四方近くある囲炉裡がある。お寺さんは太炭を真っ赤に熾して、私たちを迎えて下さった。御手製の甘酒も振舞って下さった。

本堂の大屋根の瓦が、珍しい青色であることについてお伺いしたら、昭和45年の葺き替えのとき、大屋根全部を葺くに足る数量の瓦がなかなか調達できず、確保出来るのは三州瓦の青色だけだったから、という御説明を頂いた。それにしても大胆な色で、最初に見たとき、私は呆気に取られたものである。でも今では、このお寺の自由闊達な気風の反映のようにも思う。

本堂の前方に旧道が残ってる。親鸞聖人が通っておられた道、という。山伏の弁円は、この近くで聖人を待ち伏せして襲おうとしたが、聖人のお人柄に触れた弁円は、たちまち信服した、という。

修業も適わない大多数の庶民を救済することこそ、仏が最も願われたこと(=本願)だ、と説かれた親鸞聖人に、私も敬愛の情を深くしている。しかしこの齢になっても一向に信心を得ることは出来ない。亡父が最晩年になって、マダラボケの狭間で頬笑みながら「酔生夢死だよ」と私に告げたときのことが、頻りに思い出される。


気持を新たに

2011-01-12 20:18:12 | 茶道

Dscn1806_2 茶道の先生宅で初茶会があった。床の間の軸は、淡々斎(14代家元)筆の「五雲繞蓬莱」。真台子(しんだいす)が設えてあった。大先生の鷹揚とした風格の炭手前のあと、お正月らしい点心と花びら餅を美味しく戴いた。

濃茶点前は若先生。美しく凛としたお点前が終わる頃、ナ!ナント!薄茶点前を私がやるように、との御指示があった 新しい許状が出ているから、と。

先生はもちろん、居並ぶ諸先輩からも、逐一御指導を賜りながら、稽古をさせてもらった。水屋に下がった私に、若先生が微笑みながら薄茶を点てて下さった。その美味しかったこと

Dscn1811 閉会後、大先生から「真之行台子」・「大円真」・「正引次」の許状を戴いた。許状は免状とは違って、次の段階の稽古を受けることが出来る、という趣旨だ。体も心も老化が進んでいる私だけれど、もう少し頑張ってみよう、と気持を新たにした。


衰退のシンボル

2011-01-09 19:57:24 | 文化

東武鉄道の業平橋駅が「東京スカイツリー駅」に改称される、という。 ・・名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと 在原業平・・ 伊勢物語や古今和歌集の風雅を想起させてくれる名が消える。 

この正月には沢山の人々が、建設中の東京スカイツリー周辺に押し寄せたという。東京都版の年賀はがきは完成予想の絵付きだった。マスコミもネットも、東京スカイツリーに関しては底抜けに明るく楽しく囃すばかりだ。

高さを競い、634mにもなるという電波塔が、そんなにお目出度いものだろうか? 人にはそれぞれの価値観があるから、とにかく高いというだけで素晴らしい!という人もいるだろう。しかしそれが誰も彼も、となると異様ではないか。

高い、ということは分かり易く、複雑な分析は不要で、気軽な対象なのだろう。行動も言説も思考も感情も、みんなと同じだったら仲間外れにされず、安心で、大勢だから気分も盛り上がってしまうのだろう。

人々の気分が盛り上がっている間に、消費税が増税され、福祉は切り捨てられ、軍備の増強が進められるのだろう。

1889年、パリ万博のときに建ったエッフェル塔は、近代産業の華やかな幕開けのシンボルだった。1958年(昭和33年)に建った東京タワーは、戦後日本の復興のシンボルだった、と思う。

産業技術の急速な進展は、人々の暮らしと心を必ずしも豊かにせず、功罪があること、そして地球環境と生態系を損ない、人類の生存をも脅かすようになってきたこと・・これらが明らかになった現在において、技術を誇示し、高さを競うことにどんな意味があるというのだろうか。

軟弱地盤における耐震性、下町の景観、電磁波が人体に及ぼす影響、地元の生活の混乱等々の問題が危惧されるばかりではない。建設そのものに要する膨大なエネルギーの消費は、地球環境の破壊を加速させる。

開業後に発せられるテレビや携帯端末向けの電波情報は、マインドコントロールを更に促進させ、人々の気分は一層盛り上がり易くなることだろう。

東京スカイツリーの批判は、タブーなのか? 批判する発言者を探したら、一人だけ見付かった。日本人ではなかった。レジス・アルノー という仏フィガロ紙記者である。ニューズウィーク日本版の12/20号に、スカイツリーは東京衰退のシンボルだ と書かれていた。


凍る朝

2011-01-07 19:51:34 | 健康・病気

外水栓が凍る朝だった。8時になっても霜は融けないが、犬のジュンが待っているから、防寒服に身を包んで散歩に出る。

冷え症の私は、指先が氷のように冷たくなり、皹割れを発症する。茶道の稽古に通うようになってからは、罅割れの手指で点前するのが憚れて、対策に苦慮するようになった。特に右手の方が冷えが酷いことに、この齢になって初めて気付いた。背骨が歪に曲がっていることに気付いたのも最近だ。自分の体のことを、自分は知らなさ過ぎていた。自分の心の歪のことも、たぶん自分は知らなさ過ぎているのだろう。

例年、毛糸の手袋をし、その上から更に合成皮革の手袋を嵌めているが、それでも罅割れを招く。今日は、右手の2重の手袋の間にミニサイズのカイロを入れてみた。掌が温かくなり、指先への血行の改善を感じることが出来た。

犬の散歩と犬・鶏への給餌を終えてから、菜園の裸土を耕した。昨年・一昨年とネキリムシの被害が甚だしい。土を起こして寒気に当てれば、越冬中の虫の卵などを退治出来る、と聞いている。

冬晴の日に照らされながら鍬を振るっていると、たちまち体が暖かくなり、防寒服を脱ぐ。毛糸の帽子も取った。うっすら汗ばんだ体に、冷たく澄んだ大気が心地よい。


権力の掌握

2011-01-03 19:52:05 | 国際・政治

菅首相は1日、首相公邸で新年会を開き、「やりたいことをやるために権力を掌握してがんばる」と述べた。

産経ニュースが報道する菅首相のこの発言が、もし本当なら何と恐ろしいことだろう・・ 「国民のために自分の力を尽くしてがんばる」とは言わず、自分がやりたいことをやるために国の権力を支配し行使しよう、というのだ。独裁者のセリフだ。

Dscn1805 ジョージ・オーウェルが1948年に執筆した反ユートピア小説”1984年”を読んでいる。独裁体制の国が舞台だ。そこでは、人々の行動や態度は当局に監視され、思想や心も支配され操作され、常態化した戦争に人々は熱狂する。

~印刷技術の発見は世論操作をより容易なものにし、映画とラジオの出現はその操作法を更に発展させた。テレビの発達に伴い、その技術的進歩が同一セットによる同時受信、発信を可能ならしめると、遂に私的な個人生活は終わりを告げるに到った。全市民、或いは少なくとも要注意に値する市民は警察当局による一日24時間制の監視下に置くことが出来るし、他の全チャンネルを塞いで政府の宣伝だけを聞かせることも出来るのだ。国家の意志に対して完全な服従を強制する許りか、あらゆる問題に対して完全な意見一致を強制する可能性まで、今や初めて存在するに到った。

オーウェルが呈示するディストピアの描写は、別世界の出来事のようでありながら、膚に纏わりつくような実感をもたらす。大手の新聞やテレビが足並みを揃えた報道を流し続け、その論調のままに人の心が流されている現代日本の現実は、当局の意志のままに精神まで操作される”1984年”のディストピアの写しに見えてきて、眩暈を感じる。

独裁者が権力を掌握すれば、インターネットも本格的に個人を監視する装置となる。猜疑心の強い小心者ほど、独裁への願望を強くするのではないか、と危惧を覚える。


会いにゆく

2011-01-02 19:42:34 | 家族

リュックの中に線香とローソクなどを入れ、庭に咲いていた水仙と冬菊の小さな束を手に、電車に乗った。30余年前のこの日、幼い娘は先天性難病で逝った。降りた駅から30~40分歩くと墓地に着く。何の変哲も無い郊外の道だが、この道を歩く時間、それは私の心にとって必要な時間だと思う。

墓には娘のほか、娘の父親だった人とその両親も葬られている。死者たちに会いにゆく私は、若かった私、希望と絶望の渦中にあった私、人の心を知らなさ過ぎた私にも会いにゆくのだ。


小さなお宮

2011-01-01 20:43:03 | 八郷の自然と風景

Dscn1787 意外に寒くない元日を迎えた。穏やかな初御空だ。裏山のお宮まで歩いて5分程度。Dscn1780

メジロ、シジュウカラ、コゲラなどのお喋りが聞こえる。藪の中では冬鶯がジャッ、ジャッと笹鳴く。私を警戒して藪奥へ逃げ込む音は、たぶん雉だろう。

Dscn1778 Dscn1776 小さなお宮だが、鳥居には新しい注連縄が張られ、いつもは落葉が溜まっている参道が掃き清められている。ほかに誰もいない、ひっそりした境内である。鞘堂の木格子の下手前に、切餅と白米、それに小銭が供えられていた。私も十円玉をお賽銭とした。

Dscn1792 午後は丸山古墳の一角にある佐志能神社へ行った。丸山古墳は5世紀初頭の築造と推定される前方後墳(前方後墳ではない)で、崇神天皇の第一皇子、豊城入彦命の奥津城と伝承される。といっても、やはり小さなお宮だ。

Dscn1788 餅、白米 飲物、小銭などが供えられていたが、私のDscn1793 ほかには、やはり誰もいない。

周りには石碑や石仏が色々並んでいて、その中の一つが目を引いた。胸に抱いているのは赤子のようだ。悲母観音だろうか? 字は風化して読み取れない。左右の石仏には、天明とか文政とかの字が見える。それらよりもっと古そうだ。

風化で淡くなった彫りに、何とも言えぬしみじみした表情が浮かんでいた。どんな時代に、どんな人が、どんな思いで彫ったのだろうか・・