みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

風と共に去りぬ

2015-06-24 13:27:19 | 
『風と共に去りぬ』と反戦思想 という記事を見て私は首を傾げた。岩波書店の「図書」6月号巻頭に掲載された、荒このみ(1946~ アメリカ文学)の一文である。

外国文学に疎い私は、『風と共に去りぬ』という有名過ぎる小説を読んだことがなかったし、興味も無かった。スカーレットとかいう奔放な女主人公の恋愛小説らしい、ぐらいにしか思っていなかった。ところが、荒このみ に依れば、

作者は、サザン・ベル(南部のレディ)の典型のように振るまう16歳のスカーレットを創り出しながら、その魂には人並み外れた反骨の精神を埋め込んだのである。 ・・・ 理性ではなく感性で悲惨な戦争に否定的に反応している。それは思想というよりも体に染みついている根源的な反戦の思想であ (る)

というのだ。『カラマーゾフの兄弟』(原卓也訳)のおかげで外国文学への心理的障壁を和らげることが出来たこともあって、図書館から マーガレット・ミッチェル(1900~1949)著 大久保康雄・竹内道之助 訳 『風と共に去りぬ』(河出書房新社)を借りた。



読みだしてまもなく思った。登場人物たちの人間性が一面的な型に嵌っていて、心理描写や場面の展開に意外性が乏しく、恋愛小説としては退屈と言ってもいいくらいだ、と。スカーレットは、確かに奔放で個性的だから、型に嵌ってなんかいないかも知れないが、「型に嵌っていない」という型に嵌っているようにも見える。レット・バトラーも然り。

登場人物たちが型に嵌っているから、この小説はつまらないとは言えないのも確かだ。分かりやすい小説なのだ。恋愛小説としてはB級小説なのだ。それも偉大なB級小説なのだ。そして私にとっては意外なことに反戦小説なのだ。南北戦争、否、あらゆる戦争の愚かさと悲惨を描きだした偉大なA級の反戦小説。 荒このみ の記事の通りだ。

南北戦争におけるデマ情報の氾濫と人々の思い込みは、かっての日本の大本営発表を連想させるし、兵隊たちが病気と飢餓に斃れていく戦場は、太平洋戦争における南の島々で死んでいった人々と重なる。人々が南へ南へと追いつめられ犠牲になっていく有様には、沖縄戦の悲劇を思わずにはいられない。

廻り花之式

2015-06-21 17:25:09 | 茶道
田んぼ用水ポンプ機場の今日の担当は相棒の方なので、私は心置きなく茶道の稽古へ出掛けることが出来た。梅雨空で、時折サッと雨が降ったと思うと止むことを繰り返していたが、暑くもなく寒くもなく、意外に心地よい日だ。

濃茶付花月の前に「廻り花之式」という花月の稽古をした。皆が順番に進み出て、花台に盛られた色々な花々の中から1~3種ぐらい選んで、床の間の花入に入れる。

   

鬱陶しいと思いがちな梅雨だけれど、意外に心魅かれる花が多い季節なんですね。クチナシ アジサイ ホタルブクロ ハンゲショウ ネム 等々。雨に濡れたこれらの花々と出会うと、どうしてこうも心がしみじみとしてくるのだろう ・・・

花台から花を選ぶときも、花入に入れるときも、理屈を忘れて気持のおもむくままにした方が、花も花入も引き立つ感じがする。ああでもない、こうでもないと理屈に囚われていた若い頃の自分を思い出して、我ながら苦笑した。こんなことを思いながら帰庵して、復習のつもりでテキストの「廻り花之式」のページを開いたら、「自然に型にとらわれることなく活けるようにと願われてこの式はつくられました。」と書いてあった。「花を入れるときに思量をこらして考えるとよけい真実に背いてしまう」云々とも。そうだったんだ!

それにしても今日は降ったり止んだりだったから、機場担当の相棒は落ち着かなくて大変だったかも。

生協宅配の申込み

2015-06-19 13:57:40 | 暮らし
近所の方に勧められて生協に加入した。当地では生協の宅配を利用している人が大変多い。店まで遠くて買物に不便だからだろう。今まで生協とは無縁だった私も、そのうち加入した方がいいかも、と思っていた。これから更に老齢となれば愛車での買物も困難になるだろうし、かといって新しいこと(生協の利用)を始めるのは益々億劫になるだろうから、と。

当地には幾つかの生協が出入りしている。今回勧められたのはパル・システム。添加物がよくチェックされているなど、品物の質が良いという噂を既に聞いていた。



今日は購入申込みの初回日。申込票には小さな字がギッシリだし、厚みのあるカタログには情報が満載で目が廻りそう。視力も気力も知力も更に衰えたら、申込みをすることも困難になるだろう。今回、勧められたのは本当に良い契機になった、とあらためて思った。

しめやかな霧雨

2015-06-14 07:56:23 | 田んぼ
この季節は4時頃起床します。(ちなみに夜は9時頃就寝してしまいます。) 晴れの日はもう十分に明るい時間だけれど、今朝は曇り。軽い早朝食を摂って飼犬ユキと散歩していると、しめやかな霧雨に包まれてきました。庭先の夏椿(沙羅)の花も濡れています。



自家用菜園の手入れをし、鶏たち・ユキへの給餌を済ませたのが6時40分頃。傘を差さずに野良仕事をして、うっすらと濡れていると心もしずかに濡れていくようです。降雨のときは田んぼ用水ポンプの運転は不要ですし、中干(なかぼし)している田んぼも増えているので少し迷いましたが、運転することに決めて機場へ行きました。今日から1週間は私の担当です。稲の分けつが進んで株が大きくなり、遠目には水面が見えなくなってきました。



昨シーズンは相棒の事情で連日ほとんど私が担当しました。機場へ行くのは私の楽しみですし、相棒は私への小遣いも弾んで下さった!ので、満足でした。でもこの1年で身体がめっきり衰えたのを感じる私にとって、今シーズンの新しい相棒の方が1週間交代で担当して下さることになったのは有難いことでした。



十薬の灯

2015-06-09 22:27:32 | 俳句
俳句の会で上曽(うわそ)の太子堂へ行きました。関東も梅雨入りして昨夜来の雨が今朝まで本降りでしたが、乗合タクシーで皆が出発した10時過ぎには霧雨程度となり、太子堂へ着いたときは傘を差さずに済みました。たまたま出会った地元の方が、堂まで私たちを案内して下さいました。聞けば80歳とのこと。矍鑠としたお姿からはとてもそんなお歳に見えないのですが。野良作業中だった御様子ですが、笑顔を絶やさずに足元の注意をして下さったり、御自身も楽しそうでした。

紅殻色の可愛らしい御堂が深い緑に包まれています。この堂の建築年代は享保年間(1716~1736)で、常陸の宮大工の桜井瀬兵衛(二代・三代)によるものと推定されています。三百年ほどを経ている筈なのに目立った破損も無く、この堂の維持補修を絶やさない人々の繋がりが続いているのでしょう。



正面の格子から暗い堂内を覗くと、中ほどに円柱が2本立ち、その奥に厨子らしきものが仄かに見えました。扉は閉じられていて、おそらく螺鈿細工と思われる円紋模様で飾られています。この厨子の中には、檜寄木作りで漆塗りと金箔の彩色仕上げの太子像(聖徳太子16歳の等身大像)が納められているそうです。

御堂の天蓋のような緑の中で、鶯が美声の披露を続けていました。そして何と、ホイ ホイ ホイッ と弾むような声が頭上から! 三光鳥(サンコウチョウ)です。姿は見えなかったけれど、長い尾を持つ美しい姿を想像するだけでドキドキします。堂まわりは草刈や清掃もされている様子で、野鳥たちの声と山清水のせせらぎの音の外は静かな、慎ましくも心地よい時空間です。

          十薬の灯(ともし)あまたや太子堂

                                十薬(じゅうやく)=ドクダミ

帰りの乗合タクシーを待つのに、地元の87歳という翁が縁先を私たちに貸して下さいました。お庭には百日草やサツキや薔薇の花が咲き、揚羽蝶や紋白蝶などが訪れていました。菜園の胡瓜やトマトも見事に育てられていて、形よく剪定されている植木も御自分で手入れされているとのこと。本当に凄い87歳です。ちょっと色っぽい話題も含めて楽しいお喋りが続き、乗合タクシーで帰るときは皆で手を振って別れを惜しみました。


葭切

2015-06-07 12:29:21 | 野鳥
暑い日が多かった5月が嘘のように涼しい日が続いている。走り梅雨とか迎へ梅雨とかいう微妙な季節。今朝は肌寒いほど涼しかったが、8時からの草刈・缶&ゴミ拾いがスタートする頃から温かい日差しが注ぎ始めた。

のメイン道路の両脇を、男衆が草刈機で刈る。刈り終わって露わになった缶や瓶やペットボトルなどのゴミを、私達女性陣(と言っても、今日は3人だけ!)が火鋏で拾い上げてビニール袋に集めていく。の長さは3㎞ぐらい。その間に20戸ほどが散在しています。家が途切れている辺りが特にゴミが多いですねぇ。



例によってお喋りを弾ませながら。空は薄曇でほどよい風も吹いて、快い作業日和です。田んぼの稲は分けつが進んで、緑が濃くなっています。休耕田や放棄田が目立つのは寂しいけれど、致し方ないですね。

葦(アシ ヨシともいい「葭」と書く)が生い茂った放棄田の方から ギョッ、ギョッ、ギョギョシ! ギョッ、ギョッ、ギョギョシ! 葭切(ヨシキリ)の声です! 八郷にいない筈はないのに、なぜか今まで会うことが出来なかった野鳥の声に、ついに会えました! 大きく響く強い声の特徴に因んで、「行々子」(ギョウギョウシ)とも呼ばれます。帰庵してから図鑑を開いて見たら、ヨシキリにはコヨシキリとオオヨシキリの2種類がいることが分かりました。ギョッ、ギョッ、ギョギョシ と濁った声で鳴くのは、オオヨシキリ でした。

八郷で出会った野鳥は、これで62種となりました。

の端から端まで缶・ゴミ拾いを終わったら、世話役の方が軽トラの荷台に私達女性陣を載せて下さいましたので、帰り道が楽でした。身体を動かし、お喋りもし、の風景からゴミが消えて、心地よい気分です。 


花月「三友之式」

2015-06-02 22:06:47 | 茶道
5/22に、愛車で70分ほどのところの先生から6/2の茶道稽古の御案内を頂いたときは是非行きたいと思って、田んぼ用水ポンプ運転担当の代りを相棒にお願いした上で「参ります!」と返事した。ところがその後、体調不良に陥ってしまった。ようやく軽快してきたとはいえ、国道を1時間ほど運転するだけの気力が出ない。残念ながら稽古はキャンセルしよう・・と思った一昨日、社中の仲間から彼女の車への同乗を勧められた。有難い御好意に甘えることにしました。

稽古は花月(かげつ)の「三友之式」(さんゆうのしき)。 ①花を入れ、②香をたき、③薄茶を点てる という変化に富んだ花月です。花は全員が順に入れますが、その他の役回りは籤(「折据」という小さな紙袋の中に入っている札を取る)で決まります。私は亭主役になった上に、香をたく役にも当たりました!

香をたくのは初体験です。香炉の上に銀葉を載せ、その銀葉を薬指で押さえたとき、「アチッ!」と思わず声を上げてしまい、皆さま微苦笑。しっかり押さえ過ぎたんですね。香炉の火もやはり火、熱いんですねぇ。香包から銀箸で香を取り出すときの要領とかも、人様の所作を見たことは何度かありましたが、見るのと自分がやるのとでは大違い。夢中で務めました。

「三友之式」を2回、更に「濃茶付花月」も稽古、充実の時間に恵まれました。完治していない体調のことなどスッカリ忘れていました。



床の間のお軸には先ず「東宮御歌」と書かれています。昭和天皇が皇太子のときの御歌で、現代仮名遣いで書くと「広き野を流れゆくとも最上川 海に入るまで濁らざりけり」となるようです。筆は入江侍従長(当時)。昭和天皇在位60周年のときに真筆の写しが60部作成され、その1部がこの軸だそうです。

昭和天皇に対しては複雑な思いを払うことが出来ません。この歌に対しても、巧みだけれどイイ歌と言えるかどうか・・・ 率直に言えば、独善的な臭いを感じるのです。とはいえ、貴重な軸であることは確かですね。