みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

良寛さん   その7《三車一車の喩え》 

2021-05-26 14:52:28 | 仏教
法華経に用いられている喩え話の一つに、いわゆる「三車一車の喩え」がある。

ある大長者の家が火事になる。中に子供たちがいて遊びに夢中であり、逃げようとしない。長者(父)は子供らに、「お前たち、速やかに出でよ」と呼びかけるが、子供らはなお遊びに熱中したままである。そこで長者は一計を案じ、「お前たちが欲しがっていた玩具の羊車・鹿車・牛車が門の外にあるぞ、早く出てこい」と呼びかけた。すると子供らは、我れ先に火事の家から出てくる。しかし門の外に車はなかった。そこで子供らはその玩具が欲しいとねだると、長者はみんなに等しく大白牛車を与えたという。(竹村牧男氏による要約)

この喩え話は、「仏は、煩悩が燃え盛る火宅から衆生を救うために、先ず方便として三乗を説いてから一乗(誰もが救われる仏の教え)へ導いて、衆生の救済を果した。」ことを意味するという。

この喩え話について、良寛さんはその著書「法華讃」で何を語っているかというと・・・

火宅の子供たちは、奔走して何処に向かおうというのか? 
それは、おかしな犬が土塊を追い掛けるようなものだ。
(竹村牧男氏の解説から)

法華経が説く仏の方便の三乗を真っ向から否定しているのだ。自分の外に、対象的に、救いを求め探しても、一向にらちは明かないのだ、と。(竹村牧男)

道元の「正法眼蔵」にも、誰か知らん、火宅の内、元是れ法中の王なることを と書かれているという。
火宅から外へ逃げる必要はない、火宅の中が既に悟りの場なのだから、というわけだ。

その上さらに良寛さんは、一乗についてこんな風に言っている。

既に人はみな一乗の大白牛車を乗り回しているのだ、と。(竹村牧男氏の解説から)

人々が救われるための唯一の方法だといわれている一乗の教えも、わざわざ用意する必要はない、既に人はみな、その教えを身に着けて生きているのだから、というわけだ。

法華経の要ともいうべき「法華一乗」の教えを、良寛さんは一刀両断している。



良寛さん   その6《「法華讃」は解説書か?》

2021-05-19 14:28:14 | 仏教
良寛さんは越後へ帰郷後、取り敢えず寺泊郷本の塩焚小屋で寝泊まりされたらしい。しばらくしてから旧友の勧めで、国上山(くがみやま)の中腹にある「五合庵」(国上寺(こくじょうじ)の隠居所)に入られた。

「法華讃」が執筆されたのは、小島正芳氏(全国良寛会副会長)によれば、五合庵時代から乙子神社の草庵時代初めにかけて、と推測されている。訂正や書き込みも多く、かなり長い期間、推敲を重ねられたと見られている。

水上勉は、良寛さんの帰郷の理由として「文芸への野心」を強調しているけれども、「法華讃」は果たして文芸と言えるだろうか? 法華経という仏典の解説書であるならば、それは、読者を教化しようとする仏教啓蒙書であって、文芸とは言い難いのではないか、と私は疑った。

ところが、である。逐条解説によく見られるような、型に嵌まった解説とはまるで異なっていた。法華経をダシにして言いたい放題、時に天を突き、時に地の底を掘るようでもあり、或いは法華経を貶し、法華経を弄し、そして「法華経」というよりも自身の「法華讃」を自讃している。まさに自由自在な精神の発露であり、文芸の創作だと言わざるを得ない。

そもそも「法華経」自体が文学的だと言われている。

一般に大乗仏教経典は、空思想、唯心思想や如来蔵思想(仏性思想)などを説くものである。しかし『法華経』は、思想的な教理を展開することは少なく、譬喩物語が多く用いられていて(三車一車・火宅喩、長者窮子喩、等々の法華経七喩がある)、いわば終始、文学的な作品であるのが特徴である。(竹村牧男氏)


古刹の僧

2021-05-12 21:39:39 | 俳句
コロナ禍の中、俳句の会も昨春から試行錯誤です。今年は1~3月休会しましたが、4月に再開。感染予防と心の健康とのバランスに苦慮しながらの運営です。

今回は、真壁(桜川市)の「椎尾山薬王院」を吟行しました。仲間の車に乗り合わせて、筑波山の峠を越えました。新緑の連山のあちこちに山藤の薄紫色が懸かり、麓の平野には一面の植田が広がっています。

薬王院は筑波山の北側中腹に位置している天台宗の古刹で、御本尊は薬師如来でした。
     

木組みが見事な仁王門(仁王様はお留守でしたが)は、名高い桜井一門の大工棟梁により1688年に竣工したものだそうです。現存の本堂は1680年、三重塔は1704年の竣工。いずれも素晴らしい木組みと彫刻で、実に堂々たる構えの伽藍です。私は特に、三重塔の迫力に圧倒されました。
 
          気魄もて夏空へ反り塔の屋根



伽藍も見事ですが、境内に数多のスダジイの大樹も見事! 樹齢300~500年だそうです。

          老いぬれど樹幹隆々椎の夏

そして最も印象に残ったのは、実は寺僧でした。

          風薫る古刹の僧のベレー帽

とても気さくな雰囲気の僧で、草をむしったりされていたので、いわゆる「寺男」と呼ばれるような身分の方かと最初は思いました。仲間とともに、なんとなく言葉を交わすうちに、確固たる精神の持ち主らしい風格が伝わってきました。御住職なのでしょう。去り際の自然態も心に残りました。
 





ラディッシュの優しい味と香り

2021-05-06 10:13:10 | 菜園
新緑のこの季節は、野良仕事が沢山!

いわゆる「ゴールデンウイーク」中は、村の田んぼの田植えが真っ盛りだった。手植えの昔と違って、今は田植機でみるみる終わってしまう。だからといって、決して楽な作業ではない。苗を運んできて田植機にセットする手が必要だし、田植機の運転には細心の注意を要する。人様の田んぼでの田植機運転を臨時に頼まれて引受けた人が、終わってから、「クタクタに疲れた。もう二度と引受けない。」と語っていたことがある。

一面の植田が、周りの新緑と青空を映し出している村の風景は、本当に美しいと思う。
村の人々は、もしかしたら、この美しい風景を作り出したいために、苦労して田植えをしているのかも? などと、ほんの少しだが本気で思うときもある。

当庵の小さな自家用菜園も、この季節は、種々の夏野菜の苗の植え付けや、遅霜対策のアンドン(植え付けた苗をビニールで囲う)作りや、春まき人参の細かい間引きや、支柱用の篠竹刈り、そしてもちろん際限のない草取り等々、多種多様の野良仕事が目白押しだ。

少量ずつながら、嬉しい収穫もある。



ラディッシュ=二十日大根は誠に可愛らしく、人の目を喜ばせてくれる野菜だと思う。ヨーロッパ原産で明治時代に渡来したものだそうだ。こんな素敵な品種を開発したのはどんな人だったのかなあ・・・

ラディッシュは、サラダの飾りを兼ねて生で食べるもの、という既成概念に私は囚われていた。私は生野菜がやや不得手ということもあり、ラディッシュを栽培したのは十余年ぶりである。 実はラディッシュは、熱を加えても十分に美味しく、その葉も柔らかくて栄養も豊富、捨てるのは惜しいことを知った。鮮やかなその色を楽しむには生食が一番だけれど、加熱後の淡いピンク色も優しい感じで悪くない。葉ごと荒く刻んで煮れば、すぐに柔らかくなる。大根らしい味と香りがほのかで優しい。