みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

花子の威嚇

2014-11-30 18:37:52 | 
巣籠りの夕子(烏骨鶏と矮鶏のハーフ)に卵1個を抱かせたのは11月6日の筈だった。途中から花子(クォーター)も抱卵に参加した。3週間で孵化する筈だが、27日にその気配なし。28日も気配なく、駄目か・・と半ば落胆していた。

ところが昨日、夕子と花子が固守する巣箱の奥の方から、蚊が鳴くほどの微かな声が聞こえたような気がした。空耳かも・・と半信半疑だった。でも今日、はっきり聞こえました。ヒヨコの声が!

夕子が空腹に耐えかねたのか、数日ぶりの摂餌のために巣箱を出た。ヒヨコの姿がチラッと見えたが、花子が急いで隠す。覗き込む私へ、花子は尾羽を逆立てて威嚇! 凄まじいほど偉大な母性だ。


道普請

2014-11-28 21:01:34 | 暮らし
かっての私は、公道ならば役所の担当職員がその管理に携わるもの、と考えて疑うことを知らなかった。地元の人々はせいぜい掃除や草取りぐらいだろうと。

十余年前に八郷へ移住して少し驚いたことの一つは、市道の管理を実質的には村の人々が担っていることだった。沿道のゴミ拾いや草刈りはもちろん、舗装工事の計画や作業まで。

当庵に繋がる市道の舗装工事が進んでいる。土のままの道は心に優しくて好きだけれど、いつも車で走る道がヌカルミになったり、丈の高い草や篠竹に繁盛されるとやはり困る。事前の打診を受けたとき、若干の躊躇はあったけれど舗装は有難いと返事した。

市からは砂利とコンクリートの材料費だけが支給される。村の人々が田畑の作業や農産物加工等で忙しい時間を割いて、路面を均し砂利を敷く。まさに道普請。重機(小型のユンボ)の操作に慣れた人もいる。皆それぞれ本来の仕事があるから作業の日程は飛び飛びだ。今日は午後からコンクリート打ちだった。

不器用でひ弱な私は役立たずで、作業をボンヤリ見ていたり。せめてもと休憩時のお茶とお菓子を用意した。働き者の人々はさぞかし食欲旺盛だろうと思っていたけれど、手に取られるのはお茶ぐらい。煎餅や饅頭は殆んど残る。今日は林檎を剥いたのだけれど、ほんの数片を食されただけ。働き者の人々はエネルギー効率が良いのかしら? 体型もとてもスマートで、六十路七十路でも敏捷に動く。

コンクリートを打った後、表面に滑り止めの刷毛目を付ける作業を教えてもらった。T字型の長い道具をスーッと動かす。最初はオッカナビックリで刷毛目が歪んだ。でもやっているうちに楽しくなってきた。「オッ 上手になったな!」なんて声を掛けられて思わず笑顔に。作業やお茶を御一緒する中で色々な話が聞けるのも嬉しい。

今日のコンクリート打ちは全長の半分ほどで薄暗くなってきて終り。皆さんに感謝!

いつも有難う

2014-11-28 19:16:23 | 野鳥
秋に渡ってきたジョウビタキは、当庵のそばにも毎日のようにやってくる。フィッ フィッ カタカタッ という個性的な鳴き方ですぐ気付けるし、胸~腹の美しい柿色と左右の白い紋(下の写真では小枝が邪魔して見え辛い)が目立つから、見てもすぐ分かる。その上、人家の近くまで訪れてくれるから出会う機会が多い。ジョウビタキさん、いつも私を楽しませてくれて有難う。今朝も当菜園のそばまで来てくれたので、庵内からパチリ。



雪入ふれあいの里

2014-11-23 19:14:08 | 俳句
俳句の会で、雪入ふれあいの里へ行きました。この公園は、筑波山系の雪入山の地形と採石場の跡地を利用して造られたものだそうです。会の長老の話では、かっては茅葺屋根の葺き替えのための萱場(かやば)でもあったそうです。

標高は2~300mぐらいでしょうか? 中腹の駐車場から歩いて少し登りました。高齢の身には楽ではありませんでしたが、ゆっくりお喋りしながら無事に展望台めいたところへ着いたので、記念写真を撮りました。もう2度と来れないかも知れないから・・などと言い交しながら。


公園としては十分に整備されていないのが幸いしてか、野鳥が多いようで、立派なカメラを抱えて野鳥の姿を追う老若男女が目立っていました。彼らの話では、ルリビタキもハヤブサもいるそうです。池には水鳥もいました。


                   風を知る逆さ紅葉の細波に
         

森羅荘

2014-11-22 18:49:54 | 八郷の自然と風景
友人たちと7人連れで、中山(筑波山系の不動峠の東側です)の山小屋カフェ「森羅荘(しんらそう)」へ行きました。他市在住のOさんが、週末だけ予約制で営業されています。野菜カレーとケーキをOさんが一人で作り、もてなして下さいました。なかなか結構なお味でしたよ。

食事の前に、山路を1時間余り案内して下さいました。この附近は戦後の開拓村で、お茶の生産地となっていましたが、結局行詰って、皆ブラジルなどに再移住されたそうです。名残のお茶の木が散在する辺りに、石碑がありました。

碑文の主人公は満州開拓団の一員だったところ、敗戦でシベリア抑留。辛酸を舐め尽して帰国後に心機一転、中山に入植し飢餓に耐えながら開拓。ようやく製茶産業を軌道に乗せましたが、御子息に先だたれ、やがて御自身も病死されたそうです。この石碑は遺された奥様が建立されたものでした。

更に山路を進むと、眺望が開けて穏やかな風景でした。

筑波詣での峠道

2014-11-18 18:32:36 | 俳句
俳句の会で風返峠へ行きました。初冬の碧天に筑波の双峰を見上げ、彼方に関東平野の一部を遠望しました。

ブログ「まほらにふく風に乗って」様に拠れば、江戸時代には筑波詣でが盛んだったそうで、水戸から八郷地区を経由し風返峠を越えて筑波山に至る巡礼道(物資運搬道でもあった)は、更に群馬県の瀬戸井まで通じていたので、瀬戸井街道と呼ばれていたそうです。筑波山は江戸から見て鬼門(東北)方向に当たるので、筑波詣では徳川家の保護を受けていたとか。

              古人また越えし峠や冬蕨

オオタカの威厳

2014-11-16 17:03:37 | 野鳥
当季一番の寒い朝、野は霜白だった。日が上ると、小鳥たちのお喋りが賑やかになる。庭先には目白の群れがよく訪れて、ひっきりなしにお喋りし、ひっきりなしに動く。

縁側から向こうの風景へ目を遣ったら、大型の鳥が飛来した。オオタカだ。たぶん雌。サシバ(夏鷹)より一回り大きい。鷹は、いったん枝に止まると暫くは移動せず、首を時折動かすぐらいだ。猛禽類の崇高ささえ感じられる威厳が私は好きだ。

不穏な国ですが

2014-11-15 08:10:56 | 
キャベツがなかなか立派に育ってくれたので、収穫前に記念撮影?しました。大きい野菜は一人暮らしには不向きと思ってキャベツを敬遠していた私ですが、古新聞紙2~3枚でくるんで外側から順に戴けば、意外に長持ちしますし、炒めたり煮たりすれば美味しく、量も多く消費するので、栽培に積極的な気持になってきました。

昨夕は春キャベツ用の苗を植付け、今朝、食害除けのサンサンネットを被せました。野鳥に啄まれないように。そして蝶がまだ飛んでいるので、卵を産み付けられて青虫になると大変なので。昨季はネット被せを怠けているうちに、野鳥に食い荒らされて大いに後悔。犯人(鳥)は雉だったようです。雉にとっては冬季の貴重な青菜だったのですね。

小豆の収獲は一莢ずつ。熟れ具合に応じて数回に分けての収穫で、手間が掛かりますがほぼ終了。虫害の粒を除けて天干中です。栄養豊富で保存が効く小豆は一人暮らしに重宝します。大豆も天干中です。

野菜はほぼ自給自足。でもカルデラ噴火とかが発生したら、ひとたまりもないですね。日本列島では何処で起こっても不思議ではないとか。例えば阿蘇山で発生したとしても、北海道まで火山灰が降るとのこと。あらゆる流通もストップ。近代文明の脆さは列島規模の大惨事に。原発も電源喪失。守る人もいなくなり、列島中の原発がメルトダウン。放射能禍は列島のはるか外まで及ぶことでしょう。

考えたら怖ろしい。覚悟も出来ないから考えないことにしがちです。カルデラ噴火の警告を受けてもなお、原発再稼働を策する人々の心は、想像を絶する狂気なのだろうか?

秋菊が枯れ、冬菊が咲き始めました。直径2㎝に満たない小菊ですが、不穏なこの国で、花の少ない季節に清純な趣きを見せてくれて有難いです。

悲痛な警告

2014-11-10 13:52:01 | 社会
この国の舵取りが常軌を逸したとしか思えない、とんでもない時代になって怒る気力も失くしている。

田中宇(さかい)が11/5付の国際ニュース解説で、悲痛な警告を発している。タイトルは「 米国と心中したい日本のQE 」分かり過ぎるような内容だ。こんな当然のことを誰も言わなくなったこの国が怖ろしい。

上記の田中宇の解説から、最後のくだりを引用したい。

やがて非常に悪い時代がやってくる。今よりもっとひどいことになる。そのことを政府やマスコミは全く無視している。ほとんどの国民は何も知らない。悲しい状況だ。

どうにもならないひどさを隠しおおせなくなったとき(それはもうすぐだと思う)に、この国の舵は戦争へ向かうのではないか。否、もう相当に向っている。国民を地獄へ、この国を滅亡へ導く戦争へ。原発が攻撃されれば、滅亡はこの国に留まらないかもしれない。

早暁の鳥風

2014-11-07 09:48:26 | 八郷の自然と風景
東の空が早暁の茜色に染まるころ、飼犬のユキと山路を散歩していたら、いきなり頭上の林冠あたりを強風のような気配が吹き過ぎた。の字の編隊を組んだ一群の鳥たちが南を指して、物凄い速さで飛んでいく。時速百キロは優に超えているのではないか。

手元の俳句歳時記(角川書店編)の渡り鳥の項に、「~春、夏に渡ってくる夏鳥は群をなさないので、この冬鳥類の壮観には到底比ぶべくもない。空をおおうばかりに大群でそれが澄んだ空にはっきりと見え、大きい羽音を立てて過ぎるが、これを鳥雲・鳥風という。~」とあるので、鳥風は秋の季語だとばかり思っていた。

ところが先年、鳥風は春の季語だと俳友に指摘されて、大いに驚いた。前述の俳句歳時記を確かめてみたら、鳥曇の項に、「雁・鴨などの渡り鳥が春になって北方へ帰っていくころの曇り空で、この雲を鳥雲といい、また群れ飛んでいく音がちょうど風のように感じられるのでこれを鳥風という。」とある。

これまでに私が鳥風に出会ったのは数回。いずれも秋だった。秋の渡り鳥のコースと春のコースとは異なるのだろうか?

羽音とないまぜになった衝撃の風音を残して、たちまち空の彼方へ消え去った鳥たち。生命の不思議に呆然とする。