みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

リベラルでない現実の私たち

2022-11-03 09:20:05 | 国際・政治
岩波書店の「図書」11月号に、西平等(にしたいら 1972~)氏が「リベラルな理想の世界とリベラルでない現実の私たちーロールズ『万民の法』をどう読むか」と題して寄稿されている。



一読して、学ぶところが多かったし、また、現在のこの国の一方的な情報の氾濫による洗脳状態の中での本稿には、学識者としての誠実さと勇気を感じた。以下、抜粋引用する。

「相当程度に正義に適ったリベラルな」体制を一国内で作り上げるだけでなく、それを国際関係にも拡張することを目指すべき、という高邁な理想をロールズ(1921~2002 アメリカ合衆国の哲学者)は掲げている。

冷戦が終わった前世紀末には、リベラルな民主主義だけが人々を幸福にする政治秩序のモデルである、という高揚感があった。

今日では事情は大きく異なる。アフガニスタンやイラク、リビアの現状は、積極的な関与と介入によるリベラルな民主主義国家の建設というプラジェクトが失敗したことを物語っており、リベラルの世界正義プログラムに対する信頼を揺るがしている。

リベラルな諸国の民衆の間には戦争が生じないという「事実」をロールズは繰返し指摘する。それは、つまり、「リベラルな諸国の民衆が戦争をするとすれば、それは(中略)無法国家との戦争以外にはあり得ない」ということを意味する。この事実命題は凄まじい破壊力を持つ。リベラルを自認する諸国の民衆にとって、戦争の相手は必然的に「無法国家」でしかありえないということになってしまうのだから。

戦争が、リベラルな民衆と無法な国家との間の敵対関係として構成されるとき、国家への限定も平等原理も機能しえない。

あらゆる利用可能な手段を用いて無法国家をこの世から消し去る、というような殲滅的な戦争が出現しないためには、理想が理想であるということを常に意識し、現実には私たちもまた全きリベラルではありえないという自覚の下で、『万民の法』を読み解いていくべきだろう。それがロールズのリベラルな読み方だと思う。


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