みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

非戦の国防論

2022-02-11 14:30:06 | 
暗いニュースが多い。コロナ禍、世界各地での紛争、数多の難民、一触即発の軍事的対立・・・ そしてこの国では中国・朝鮮半島への嫌悪と憎悪が蔓延し、もはや「戦前」から「戦中」へと足を踏み入れた感がある。

そんな時代への貴重な治療薬になりそうな本が、出版されていることを知った。



こんな真面目な本は、えてして小難しかったり退屈だったりしがちだが、実に読みやすく書かれていたのは、著者に「編集者」の経歴があるからだろうか。そして読んでいくうちに、「非戦の国防なんて非現実的なのでは?」という懸念が、「米軍基地と自衛隊増強による防衛こそ非現実的」なのではないか、という疑問に置き換わっていく。

軍事基地のない国土を取り戻し、農地や山林に支援の手を差し伸べる国家的組織が出来、食糧などの支援物資が世界の貧困地域に届けられることにより諸外国からの尊敬の眼差しを受ける・・・ここに来て、やっと日本が本当の意味の平和国家になるのではないでしょうか。


          人の世の幸なほ有らむ初桜    小零





飢餓海峡

2021-08-13 11:10:14 | 
水上勉(1919~2004)著の『飢餓海峡』(1963年 朝日新聞社刊)は、映画化され、テレビドラマ化され、舞台化もされていたらしいが、私はそのいずれとも接することはなかった。この本を手にとることもなかったが、ややセンセーショナルな題名のためか、そんな本があるらしい・・・ぐらいの認識だけだったのが恥ずかしい限りである。

     

誠に遅まきながら、この齢になってようやく読んだ。
図書館から借り、最初のページを開いたら、後はもうグングン牽引されて読み進んだ。若くて体力があれば徹夜でもして読み切りたい気分だったが、いかんせん衰えた体だし、野良仕事もあるので、はやる心を抑え数日間を掛けて読了した。

とにかくリアリティが強烈だ。登場人物たちも出来事も。特に主役たちのリアリティは本当に強烈で、読んでいる私のすぐそばで動いているような感覚だ。まさに命を吹き込まれているのだ。夢にまで何度か登場した。
水上勉自身も「あとがき」で、この『飢餓海峡』は作者の心の中で生きている と語っている。

推理小説的であり、社会派小説的でもあり、思想小説でもある。人間の業の深さへの哀憐の情が染みわたっているような物語である。

先に読んだ『良寛』も素晴らしかったが、水上勉の他の作品も出来るだけ読みたいと思う。



信田さよ子著 「家族と国家は共謀する」

2021-06-26 14:20:31 | 
「最も身近な家族ほど、暴力的な存在はない」

冒頭の言葉に私たちが衝撃を受けるのは、「家族は愛情で結ばれた共同体」という思い込みがあるからだろう。本書を読み進めると、そんな「常識」こそが被害者を苦しめてきた現実だと実感することになる。




東京新聞の読書欄に目が吸い寄せられた。このことこそ、長年にわたって私に鬱屈した心情を強いた元凶を告発する言辞だから。

それでも「家族は良いもの」という固定観念は社会にはびこる。だからDVや虐待の被害者の多くは訴えを信じてもらえず、今も口を封じられる状態が続く。

そんな実態が「国家の暴力と似ている」と信田さんは思った。きっかけは、戦時中に軍内部のリンチなどで心を病み、送還された日本軍兵士の調査研究書を読んだことだった。兵士らの存在は国によって隠された。「死をも恐れぬ」という軍隊イデオロギーに反したからだ。


もちろん、家族は愛情によって結ばれているという面もあり得る。しかしそれは、あくまでも一面に過ぎない。「その構成員に労働を強いる暴力装置」という面も大いにある。児童虐待も介護虐待もある。性犯罪もある。

家庭内の弱者にとって、家庭とは「逃れられない日常的な暴力装置」だということを、多くの人々に気付いてほしいと思う。


オバマ元大統領と上皇后様の孤独

2021-03-06 06:59:24 | 
アメリカのオバマ元大統領の回顧録「約束の地」が、日本でも集英社から先月発売された。
昨日のTBSラジオで本書が激賞され、その内容のごく一部が紹介されていた。

オバマ(当時)大統領が来日して両(当時)陛下に会われた時についての記述の中に、次のような一節があるそうだ。

年老いてはいるが、上品で美しい皇后陛下(現・上皇后様)は、「どんなに孤独でいるときも、音楽と詩が私を慰めてくれました。」と、驚くほどの率直さで語られた。

上皇后様の孤独も深かったのだ。偉大な人ほど、その孤独は深いのだろう。
おそらく、オバマ元大統領の孤独も深かったのだろう。その孤独に接してこそ、上皇后様は率直になられたのだろう。

上皇様の孤独も深かった。その孤独を、上皇后様の深い孤独が支えてこられたのだ。

蘇ってもらいたい 緒方貞子さん

2021-01-15 10:03:15 | 
緒方貞子(1927~2019)、この名前を時折ニュースで小耳にはさんで、素敵な人のようだ、とは思っていた。しかし、こんなにも素晴らしい人だったとは知らなかった。こんなにも凄い人だったとは知らなかった。


(岩波書店 2015年 第1刷)



国連難民高等弁務官として難民キャンプの現地を視察したり、防弾チョッキを着て内戦の地へ降り立つこともして、生命の危機に晒された人々への国際支援を精力的に先導した、その原動力は何だったのか?

まずは実態を知ることが重要です。それに合わせて必要なことを考える。制度や法よりも前に、まずは人間を大事にしないといけない。耐えられない状況に人間を放置しておくということに、どうして耐えられるのでしょうか。 そうした感覚をヒューマニズムと呼ぶならそれはそれで一向に構いません。でも、そんな大それたものではない、人間としての普通の感覚なのではないでしょうか。
 
見てしまったからには、何かをしないとならないでしょう? したくなるでしょう? 理屈ではないのです。自分に何ができるのか。できることに限りはあるけれど、できることから始めよう。そう思ってずっと対応を試みてきました。


理屈ではないこの心情があって、かつ深い学識に基づく理論を駆使した人だった。犬養毅を曽祖父とする才智と実行力の血筋にも恵まれた人だった。編者の言葉を借りれば、「人道主義と政治的リアリズムが共存あるいは融合するところに緒方氏の真骨頂がある。」

終章「日本のこれからのために」にも、貴重な示唆がある。

(編者)緒方さんの眼から見て、いまの日本の対外関係が抱える最も重要な課題とは何でしょうか。

(緒方)やはり中国だと思いますね。「中国とどう向き合うのか」。このことは、実は「日本が自分の国とどう向き合うか」ということと同じ問いではないかと思うのです。日本は近代以前から、中国と深い関係を持っていましたし、中国を通して世界を見てきました。中国の文明圏の中に日本もあったと言っていいのではないですか。

そうした日中の政治、経済、文化にまでわたる重層的な関係は、アメリカと日本との関係以上のものとも言えます。その中国との関係が日本の対外関係において最も気になることのひとつです。

(編者)領土問題や歴史問題をめぐって、日本と中国は緊張関係にありますが、どうしたらよいのでしょう。

(緒方)いたずらに緊張を煽るようなことを、指導者がしてはならないのはもちろんです。ナショナリズムというのは、一度過激になると、手が付けられなくなるものです。

一般民衆の間でナショナリズムが燃え盛ると、外交で処理するのが難しい時代になります。日本と中国は、いろいろ問題を抱えながらも、冷戦期ですら政府から少し距離を置く形で「日中友好」を掲げて一緒にやってきた経験があることを、もう一度よく振り返ることです。

たとえ両国関係が一時的に危機的な状況に陥ることがあったとしても、深い信頼に裏打ちされた人間関係の層が厚く存在していれば、心配する必要はないと思います。日本は中国と一緒にやっていけるとはっきり言うほうがいいのです。今の日本は中国に警戒心を持ちすぎなのではないかと思うときもあります。

いろいろ言い合うより「協働」の経験が大事なのです。


もし緒方貞子さんに蘇ってもらうことが出来るのであれば、今のこの国のリーダーになってもらって、メルケル首相にも匹敵するだろう指導力を発揮してもらいたいものだが・・・

赤い月

2021-01-04 10:59:31 | 
音痴だし、音楽鑑賞が趣味だなんて冗談でも言えないし、流行りの歌にもあまり関心のない私が、何故、なかにし礼(1938~2020.12/24)の訃に胸を突かれたのか・・・ 直木賞とかの文学賞にもほとんど関心が無い私だが、今更ながら なかにし礼 を知りたくて、年末の図書館から「赤い月」(なかにし礼著 2001)を借りた。



たちまちこの本の世界へ引き込まれた。若い時ならいざ知らず、年老いてからはなかなか得られない感覚だ。
凄惨で魅惑的で、歴史と個人が格闘し、熱情と怜悧と悲哀が交錯する世界だ。

物語としては、あの「風と共に去りぬ」に匹敵する、と思った。その満州版だと思った。しかし文学としては「風~」をはるかに凌いでいると思った。

「赤い月」の主人公を一人挙げよ、と言われれば「波子」ということになるのだろうが、エレナも氷室も草太郎も、その他の多くの登場人物も、それぞれが主人公と思える生々しい存在感を示している。

全体を覆っているのは、国家の欺瞞と戦争の悲惨。全体に通底しているのは、人間の醜悪を超えんとする意思。


漱石の『こころ』

2020-02-02 13:36:02 | 
長谷川櫂が、岩波書店の「図書」2月号に再び夏目漱石について述べている。



やはり俳人らしく?簡潔にして要旨明快だ。明快過ぎて、返って「これでいいんだろうか・・・」と不安になるぐらいだ。以下、一部抜粋する。

人間の根源にあって人間を衝き動かす二つの欲望、お金と性こそが文学の永遠のテーマなのだ。
この文学の基本的な性格がぴたりとあてはまるのが夏目漱石の『こころ』(大正3年、1914年)なのである。

お金の争いで敗れて深刻な人間不信に陥ってしまった先生は、恋の争いでは勝ったものの生涯、自己不信に苦しめられることになった。

漱石の小説にはしばしば「高等遊民」が登場する。仕事をせず、親の財産で遊んで暮らすインテリのことである。

『こころ』の先生もまた高等遊民である。

明治の国家主義は天皇から庶民まで国家の役に立つ「有為の人」となることを求めた。そこからみれば職業をもたず国の役に立とうとは思わない、むしろ職業を軽蔑する代助(漱石著『それから』の登場人物)や先生のような高等遊民は反国家主義的な存在である。

立派な大人ではあるが、親の経済的支援を受けているから自立した人間でもなく永続もしない。しかし国家のためではなく自分のために生きる、新しい生き方にもっとも近いところにいたのが高等遊民ではなかったか。
 
ところが自由の光に目のくらんだ動物が檻へ後退りするように先生は明治の国家主義へ逆戻りしてしまうのである。

   すると夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。其時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。
   
   私は妻に向ってもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死する積りだと答へました。



自分の生と死は自分の責任で完結させる。それが高等遊民というものだろう。それなのに、なぜ明治の精神に殉じるのか。自分で自分を支えるという孤独な営みに耐えきれなかったのか、明治の国家主義の亡霊にひれ伏す先生の最期は、やがて訪れる国粋主義時代の大衆の姿を予見しているかのようである。

ずいぶんと分かりやすい解説だ。正直なところ「目からウロコ」が落ちたかと思わせられる。しかしまたあまりにも分かりやす過ぎて、それでいいの?と反問したくなる。文学も歴史も、もっともっと複雑で混沌としていて、その解説は少なくとも重層的、多面的でなければならないのではないか。長谷川櫂の解説では「深層」どころか「表層」ではなかろうか、と疑ってしまう。もっとも、「表層」を暴いただけでも手柄ではあるとも思う。

悩める漱石

2020-01-18 13:36:44 | 
長谷川櫂(1954~ 俳人)が岩波書店1月号に「悩める漱石」と題した一文を寄せている。俳人らしいというか、簡潔で印象的な文章だ。以下、抜粋する。

漱石は正岡子規と同じ慶応三年(1867年)生まれだから、明治の年数が満年齢と一致する。漱石は東京、子規は四国松山の生まれだが、一高(第一高等中学校)で出会うと生涯の友となった。しかし、子規が明治の国家主義の優等生として生きたのに対して、漱石は国家主義からの自覚的な脱落者となった。

漱石を明治の脱落者にした決定的な要因はロンドン留学だった


明治三十六年(1903年)一月、帰国した漱石は鬱々と過ごす。親友の子規は前年秋、世を去っていた。輝かしい明治の青春は子規とともに過ぎ去り、時代は日露戦争(1904~1905)へと動いていた。

日露戦争の最中、高浜虚子は漱石の気を晴らそうと朗読会(山会)の文章を書くように勧めた。そうして生まれたのが最初の小説『吾輩は猫である』である。『猫』は世の中を皮肉に眺める苦沙弥先生と仲間たちの物語である。

明治四十年(1907年)、漱石は東京帝国大学の講師を辞めて朝日新聞社に入る。官職を投げ出して一新聞社の社員となるなど、これも当時としては非常識な反国家的な選択だった。しかし明治の脱落者の烙印が何より鮮やかに見てとれるのは『三四郎』(1908年)の一節だろう。


(主人公の小川三四郎が列車で乗り合わせた髭の男が、日本はいくら日露戦争に勝っても駄目だ、という話をするので、)三四郎は、「然し是からは日本も段々発展するでせう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、「亡びるね」と云った。

日露戦争の勝利に浮かれる日本人の頭に冷や水を浴びせる髭の男は漱石その人だろう。「亡びるね」。この一言は日本がこれからたどる過酷な歴史、第二次世界大戦、広島と長崎への原爆投下、焼け跡で迎える敗戦、そして現代の末期的大衆社会の滑稽な惨状まで見透かすような不気味な予言である。

   菫程な小さき人に生れたし

明治三十九年(1906年)、日露戦争の翌年の作。漱石の心の奥に鬱々と眠る夢を取り出したような句である。小さな菫の花とは明治の国家主義から外れた漱石のささやかな理想だった。


ただし私は、現代日本の惨状を「滑稽な」と形容する長谷川櫂の心情には共感できない。



「砕かれた神~ある復員兵の手記」

2019-11-28 18:38:22 | 
先般読んだ「敗北を抱きしめて」(ジョン・ダワー著)に、この手記の一部が引用されていて強く深い印象を受けたので、地元の公民館図書室に依頼して、他市の図書館蔵を取り寄せてもらった。 2004年発行の岩波現代文庫だが、初版は1983年発行の朝日選書。

著者の渡辺清(1925~1981)は、「聖戦」を信じて志願した少年兵で、戦艦「武蔵」の乗組員だった。
本書は、その彼が20歳の昭和20年9月2日から翌21年4月20日までの日記である。



巻末に渡辺総子(1935~著者の妻 2014年から『わだつみの声記念館』館長)の解説がある。この解説によれば、昭和19年10月、少年兵の渡辺清が乗った戦艦「武蔵」は、フィリピンのレイテ島をめざしていた。シブヤン海上で米空母機群に捉えられ、猛攻撃を受け、10月24日夕、「武蔵」はその姿を海中に没した。

「武蔵」の乗組員2千3百余名のうち約半数近くが戦死、少年兵の渡辺清は海に飛び込み僚艦に助けられ辛くも生き残り、復員したが・・・

昭和20年9月30日の日記から、一部を以下に抜粋する。

天皇がマッカーサーを訪問(9月27日)。昨日ラジオでも聞いたが新聞にも五段ぶちぬきでそのときの写真が大きく出ている。
それにしても一体なんということだ。こんなことがあってもいいのか。「訪問」といえば聞こえはいい。しかし天皇がこれまで自分の方から人を訪ねたことがあったろうか。日本人にしろ、外国人にしろ、そんなことは明治以来ただの一度もなかったことだ。拝謁といえばいつの場合でも「宮中謁見」だった。相手はきまって向うから足を運んできていた。それが今度はどうだ。こともあろうに天皇のほうから先方を訪ねているのだ。しかも訪ねた先方の相手は、おれたちがついせんだってまで命を的に闘っていた敵の総司令官である。

その男にこっちからわざわざ頭を下げていくなんて、天皇には恥というものがないのか。いくら戦争で敗けたからといって、いや、敗けたからこそ、なおさら毅然としていなくてはならないのではないか。まったくこんな屈辱はない。人前で皮膚をめくられるように恥ずかしい。自分がこのような天皇を元首にしている日本人の一人であることが、いたたまれぬほど恥ずかしい。

マッカーサーも、おそらく頭をさげてきた天皇を心の中で冷ややかにせせら笑ったにちがいない。軽くなめてかかったにちがいない。その気配は二人の
写真にも露骨にでている。モーニング姿の天皇は石のようにしゃちこばっているのに、マッカーサーのほうは普段着の開襟シャツで、天皇などまるで願中にないといったふうに、ゆったりと両手を腰に当てがっている。足をいくらか開きかげんにして、「どうだ」といわんばかりに傲岸不遜にかまえている。天皇はさしずめ横柄でのっぽな主人にかしずく、鈍重で小心な従者といった感じである。

だが、天皇も天皇だ。よくも敵の司令官の前に顔が出せたものだ。

わざわざ訪ねたあげく、記念のつもりがどうかは知らないが、二人で仲良くカメラにおさまったりして、恬(てん)として恥ずるところもなさそうだ。おれにはそう見える。いずれにしろ天皇は、元首としての神聖とその権威を自らかなぐり捨てて、敵の前にさながら犬のように頭をたれてしまったのだ。敵の膝下にだらしなく手をついてしまったのだ。それを思うと無念でならぬ。天皇に対する泡だつような怒りをおさえることができない。

おれにとっての”天皇陛下”はこの日に死んだ。そうとでも思わないことにはこの衝撃はおさまらぬ。


以下は、昭和20年10月11日の日記から。

最近、今度の敗戦に対して、「一億総懺悔」ということがよく言われているが、おれはこの言葉にはおおいに疑問がある。だいたい懺悔というからには、まず誰が誰に対して何を懺悔するのか、それをはっきりさせるべきだと思う。それをあいまいにしておいて何が懺悔かと言いたい。それに一億国民みんなが懺悔したら、結局懺悔にならないのではないか。敗戦の懺悔と言うなら、天皇をはじめ戦争を起こした直接の責任者や指導者たちが国民に向かって懺悔するのが本当だろう。それをウヤムヤにしておいて、敗戦の責任を一億みんなのせいにしてしまうのは、あまりに卑劣だとおれは思う。

以下は、昭和21年4月14日の日記から。

種屋は朝から人が出たり入ったりして大騒ぎだった。昨夜突然、戦死して村葬まですました長男の辰平が還ってきたのである。

辰平は土間に入ってきてすぐ妻の幸子の体の異常に気がついたらしい。幸子はすでに7か月の身重でもうかくしようがなかった。それが辰平にはよほどショックだったに違いない。靴も脱がずに土間につったったまま、みるみる顔の色が変わったかと思うと、「このアマ、誰とくっつきやがった、誰と・・・、そんな体しやがって、おれが帰ってくるまで待てなかったのかよお、畜生、ぶっ殺してやるから・・」と怒鳴りながら、いきなり隅の立ち臼の上にかけてあった尺鎌をひっぱずして、駆け寄ってきた幸子に振りかぶったが、それを弟の安造が一瞬早く後ろから羽交い絞めにおさえたという。そこへ騒ぎを聞きつけて風呂から飛び出してきた孫一(辰平・安造の父?)が、口から泡を吹くようにして、幸子が実は去年の秋ごろから(辰平の戦死を知らされ、村葬も済ませた後、)安造と直った前後の事情をあわてて言って聞かせたそうだ。辰平はそのあいだ安造に後ろから両手をおさえられたまま、興奮して、はあはあ言っているし、幸子は幸子でその辰平の足に母親の志乃といっしょに両手でしがみついて、「あんた・・・堪忍して、堪忍して、ご無心だから堪忍してよお、よお・・・」と、身をもみたてて狂ったように泣き叫んでいたという。

辰平はしばらくして自分から握っていた尺鎌をわきにほっぽりだすと、「相手が舎弟でなかったら、二人ともぶっ殺してやるところだぞ。もうてめえの面(つら)なんか二度と見たくねえ」と言いながら幸子を二、三度足蹴にして、また毛布と風呂敷の包みを振り分けにかついでそのままうちを出て行ったという。

読んでいると、もうすべてのページをここに引用したい気持になってしまうが、そういうわけにもいかないので、最後に、渡辺総子の解説文の一節を引用して終わりたい。

日記には、めまぐるしく変わる世相とそれに対する怒りと同時に、変わらぬ父母への愛、一家協働の農作業、「ほくほくとしたあたたかい土」、初恋、裾野の秋から冬、そして春への描写の中に、青年が徐々に感性を取り戻していく様子が私(妻の総子)には読みとれる。生来の、働くことをいとわず、小さき者、弱き者へのやさしさも。





敗北を抱きしめて

2019-09-28 13:20:03 | 
愛車で10分弱のところこに、市の中央公民館がある。「中央」という立派そうな名が付いているけれど、隣の支所の影のような目立たない施設だ。その一隅にささやかな図書室がある。

児童書が多く、家庭的な趣きを主としているが、書棚をゆっくり眺めてゆくと、ハッとさせられる本に出合うことがある。こんなに小さな図書室なのに、品揃えがいいな・・と思う。県立図書館等の本も快く取り寄せてくれる。

この図書室で先日見つけたのが、ジョン・ダワー(1938~)著、(三浦陽一・高杉忠明 訳)「 敗北を抱きしめて」(岩波書店 2001年 第1刷発行)。



ピュリッツァー賞を受賞しており、当時、大きな反響を呼んでいたのを私も記憶している。だのに、お恥ずかしいことに、私はまだ読んだことがなかった。世間一般も、今ではまるで話題に上らせなくなったようだ。

上下の2巻で構成されていて、取り敢えず借りた上巻だけで400ページ近い厚さだ。加齢と共に読書力が衰えた私にはハードルが高いかと不安だったが、読み始めたら止まらない。全てのページが劇的であり、かつ詩的でもあった。私の精神もまた、この国の戦後の渦中で血肉が形成されたことを、改めて思い知らされるものであった。

私にとっては、言わば、私の前半生を照らし出してくれる本だ。

序文の一部を以下に抜粋しておく。

現代の日本には、新ナショナリズム的な強い主張があり、そのうちもっとも強力な声のいくつかは、まさに本書が論じた敗戦後の年月に照準をあわせている。それは敗北と占領の時期を自由な選択が実際には制限され、外国のモデルが強制された、圧倒的に屈辱的な時代として描きだすのである。私自身は、この時代がもっていた活力と、日本の戦後意識の形成において日本人自身が果たした役割の創造性とを(略)、このような見方よりも積極的に評価している。大切なことは、当時、そしてその後、敗戦というみずからの経験から、日本人自身が何を作り上げたかということである。これこそは、敗戦から今日までの半世紀、日本人の多くが「平和と民主主義」と自分との関わりを考えるとき、たえず試金石としてきた問いであった。