みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

森澄雄著 「澄雄俳話百題」(下)

2019-12-28 07:38:35 | 俳句
雑事の合間に森澄雄を読み継いでいる。人を、そして澄雄自身を追い詰めるような文意に惹かれている。

毎回繰り返すことですが、最近の「杉」(森澄雄主宰の俳句結社)を見ていて気がつくのは事柄に頼っているということです。そしてそれを情緒で丸めて作っている。

俳句というのはもともと潔いものなんです。そういう潔さが全然なくなって、べたべた、べたべたして、ものを言いすぎている。だから一句が「こうだからこうだよ」というふうに理屈でできています。そしてその理屈が一つも面白くない。

当たり前の人情の世界の理屈、自然を見ても人事をうたっても、驚きがないんですね。そういう驚きのない俳句をいくら見せられたって感動するはずがないんです。

最近ことに「杉」の俳句は、言葉遣いがうまくなっている。言葉遣いだけで一句ができているわけですよ。だから非常に手触りがいいし、言葉だけ見てるとうまいなあと思う。そういううまさというものは警戒しなけりゃいけない。ものをしっかりつかまないで俳句を斡旋していたのではいくらでもうまくなる。しかし、甲斐のないうまくなり方じゃないかな。

句はなるほどうまい。しかし、作者はどこに痛みを感じ、どこに喜びを感じ、どこに感動したのか、まるっきり「自分」がない。そういう作品が多すぎはしないかと思う。

俳句だけうまくなったってしょうがない。俳句ばかりうまくなろうとするから、ろくな俳句ができないのです。


概ね昭和50年代の「杉」東京句会での澄雄の談話が基になった本だそうだが、昨今の俳句界にもそっくりそのまま当てはまる内容だと思う。ただ、澄雄のようにここまで俳句を追い詰めると、俳句の方が悲鳴を上げて俳句が成り立たなくなるのではないか・・・という感じもするのだ。

森澄雄著 「澄雄俳話百題」(上)

2019-12-10 13:34:33 | 俳句
久しぶりに俳句関連の本を読んだ。



自分が所属している俳句団体の発行誌の外は、俳句関係の本を全くといっていいほど読まなくなった私だが、ふとした動機から「森澄雄(1919~2010)」を知りたくなった。

澄雄の名句から、夫人を描写した2句を参考までに。

          除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり
          木の実のごとき臍もちき死なしめき


本書には松尾芭蕉に言及したくだりが多い。まあ当然かも知れないが。その一部を以下に引用する。

『奥の細道』に 文月や六日も常の夜にあらず という句がありますが、これは僕の非常に好きな作品なんです。これには現代俳句が考えているような「写生」というようなものは一つもない。しかも、なんとなく大きな空間があって、芭蕉の体温のようなものも出ています。

子規が写生を唱えて蕪村を拾い上げ、芭蕉を否定した。それはそれで仕方がないんだけれども、同時に芭蕉の持っていた「無情」も「造化」も切って捨てた。僕はその方が大きな欠陥だという気がします。

いい文章ですね。澄雄の誠実な人柄を感じます。

大峯あきら君(1929~2018 哲学者、浄土真宗僧侶、俳人)(中略)僕の芭蕉観には生の視角はあるが死の視角はないといっている。僕は『俳論集』で、父親の死、波郷の死を語り、そこから自分の世界を開いてきたわけです。まして戦争で仲間が沢山死んだ。

僕の小隊は百六十何人いて、還ってきたのは八人しかいない。そういう惨憺たるところを生きてきて、いま、名残の人生を歩んでいるようなものなんです。

だから『花眼』の時代は、死から照り返してくる人間の生というものをどうとらえたらいいかというのが僕の課題だった。大峯氏は少し深刻に死の視角を強調するわけですが、そこに僕は大峯氏の若さと誠実さを感じました。

だが老人は死ぬことより生きることを考えてますからね、やっぱり人生にやさしくなっています。


戦争の実体験がない私、そしていい加減に生きている私には、森澄雄の真意を捉えることは難しいだろうが、「老人は死ぬことより生きることを考えてますからね」・・・これは逆説的なようでいて、妙に納得させられる。

いつ死んでも当然のこの歳になってもまだ自分の死を受け入れる気持になれない私だが、一方では死がどんどん身近になって、その反射作用のように、生きよう、生きよう、という気持が前面に出てくるようになってきた、確かにそんな感じがするのだ・・・

真夜中の獣声

2019-12-02 10:49:10 | 暮らし
11月30日の夜のことだ。もうすぐ日付が変わろうかという時間だったと思う。裏山の方からの異様な鳴声が私の眠りを破った。続いて愛犬ユキが猛烈な剣幕で吠え出した。

          霜の夜を裂くや人声めく獣声

今まで聞いたことがない怪しげな獣声は、ヒャアーー 或いは、シャーー あるいは、ギャーー とも聞こえる。1~3頭かと思えた。裏山の方から当庵南側の畑地の方へ移動している。

ユキが物凄い勢いで吠えているから、獣は直に退散するのではないか、寒い夜に布団から出たくないし・・・と、私は寝返りを打ちながら待った。しかし、ユキの激しい声は一向に収まらないし、異様な獣の声も続く。

やむなく私は起き上がり、板戸を開けて畑地の方をライトで照らした。獣の姿は見えないが、鳴声はピタリと止んだ。

やれやれと思い、板戸を閉めて再び布団に潜り込んだ。ところが30分余り経た頃だったろうか、再びユキが吠え出し、獣声も聞こえてきた。私はもう一度ライトで照らした。やはり獣の姿は見えないが声はしなくなった。

それから1時間ぐらい経た時間だったろうか、またユキが吠え、獣声が聞こえる。3度目のライトで、庭先をさっと横切る影が目に入った。姿は分からなかったが、あまり大きくはない影だった。
         
人に尋ねたりネット検索した結果、特定外来生物に指定されているキョン(シカ科)に違いない、と判断した。決め手はネット上で聞いたキョンの鳴声。そっくりだった。

成獣は体重10㎏ぐらい。中国南東部や台湾に自然生息する。1980年代に千葉県勝浦市の「行川アイランド」から逃げ出して野生化。繁殖力が強く、動きが素早くて捕獲が難しいため、推定約5万頭にまで増えているという。伊豆大島でも動物園から逃げたキョンが野生化。推定約1万5千頭という。

草食が主で、草や木の根、木の葉、果実などのほか、ネズミや鳥類も食べる。千葉では農作物の被害が深刻化している。

千葉県とは隣り合せの茨城県へも進出してきたということか。今後、八郷での農作物被害が懸念される。とりあえず近隣の農家へ状況報告した。

キョンの皮革は工芸用として高級品だそうだ。その肉料理も美味らしい。キョンには申し訳ないが、農政側で効果的な捕獲作戦を展開してもらうことを期待するしかない。