みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

オオムラサキ 再び

2018-06-28 13:38:20 | 八郷の自然と風景
お昼の個食を終えて、お皿洗いをしていた時のことです。

背腰脚痛のため立っているのが辛いので、台所仕事はなるべく椅子に掛けてやるようにしています。友人が、「母が施設に入って使わなくなったので」と譲ってくださった、台所専用のキャスター付き椅子です。この椅子に座って、窓越しに目の前の紫陽花の花や鶏舎の様子や、その向こうの雑木林の緑などを眺めながら、お皿を洗っていました。

すると、鶏舎の脇に鮮やかな色模様の蝶が現れたではありませんか! オオムラサキです! 6日前に菜園で出会った蝶と同一の個体かどうかは分かりませんが、この地にオオムラサキが棲息していることを確信することが出来ました。

今日のオオムラサキは、短く飛翔しては鶏舎の金網に止まって翅を開閉するのを繰り返してくれました。私は台所仕事の手を休めてうっとりと眺めていました。5~6分間ぐらい経ったでしょうか、写真を撮らせてもらおうと思い、カメラを取りに立ち上がろうとした途端、蝶はサッと視界から消えました。

まったく見事な退場ぶりです。

白昼夢の蝶

2018-06-22 22:37:44 | 八郷の自然と風景
梅雨晴間に菜園を見回った。ネギに小さなカタツムリが取り付いて食害している。丹念に探して摘まみ取ったりしていた時、突然、目の前に鮮やかな色模様の蝶が現れた。あまりの美しさに声を上げそうになった一瞬、蝶はもう視界から消えていた。

見たことがない蝶だった。手元の図鑑とネットで調べた結果、あの蝶はオオムラサキに違いない、と判断した。理由①輝くように美しい色模様 理由②素早い飛翔 理由③近くに雑木林がある(幼虫はエノキの葉を食べ、成虫は主にクヌギの樹液を吸う。)

まるで白昼夢のような出会いでした。

この華麗なオオムラサキは、国蝶に指定(1957年 日本昆虫学会)されています。


梅雨に咲く野草たち

2018-06-18 14:50:36 | 八郷の自然と風景
当犬舎の傍らの草地に捩花が咲いている。寂しげでもあり、孤塁を守る風情でもあり、妖艶でもある。広場などに群生しているのを見ることもあるが、群れると花の魅力が半減するように思う。

     

木陰の半夏生は化粧を始めている。 梅雨に咲く野草たちは個性的な花が多いようだ。下の写真の花はキキョウのような色形だけれど、花径は1センチ足らず。真直ぐな茎に妙な形の葉を段々に付けている。20センチぐらいの高さまで伸びると、斜めに倒れてからまた立ち上がってくる。この野草?の名前を私は知らない。近年あちこちの野で見かけるようになった。新しい外来種だろうか? この花も、なかなかの個性派だ。
 

歎異抄第9条は感動的、でも・・・

2018-06-17 10:20:38 | 仏教
「念仏申し候えども、踊躍歓喜の心おろそかに候こと、また、急ぎ浄土へ参りたき心の候わぬは、いかにと候べきことにて候やらん」と申し入れて候いしかば、「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房同じ心にてありけり。よくよく案じみれば、天に躍り地に踊るほどに喜ぶべきことを喜ばぬにて、いよいよ往生は一定と思い給うべきなり。喜ぶべき心を抑えて喜ばせざるは、煩悩の所為なり。しかるに、仏かねて知ろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば、他力の悲願はかくの如き我らがためなりけりと知られて、いよいよ頼もしく覚ゆるなり。また浄土へ急ぎ参りたき心のなくて、いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんと心細く覚ゆることも煩悩の所為なり。久遠劫より今まで流転せる苦悩の旧里は棄てがたく、未だ生まれざる安養の浄土は恋しからず候こと、まことによくよく煩悩の興盛に候にこそ、名残り惜しく思えども娑婆の縁尽きて、力なくして終るときに、彼の土へは参るべきなり。急ぎ参りたき心なきものを、ことに憐れみ給うなり。これにつけてこそ、いよいよ大悲大願は頼もしく、往生は決定と存じ候え。踊躍歓喜の心もあり、急ぎ浄土へも参りたく候わんには、煩悩のなきやらんと怪しく候いなまし」と云々。 

この第9条に関して筧次郎さん(1947~)は、著書「ことばのニルヴァータ」で以下のように述べている。

第九条の問答を読んで私が思うのは了解(りょうげ)ということです。

もし私がロビンソン・クルーソーのように孤島で一人生きるとしたら、金持ちであることも有名であることも権力も美も、成り立たないことは明らかでしょう。しかし孤島に生きても、生死の問題は依然として切実ですし、仏道はなくなりません。
そこでは自分の了解がすべてです。いくら知識を積み上げても、「ああ、そうであったか」と腑に落ちることがなければ意味がありません。

唯円房の問いには率直さは感じるけれども、まだ自分の了解がすべてという覚悟がありません。「信心が確かなら踊躍歓喜するべきだ。するはずだ」という思いがあるから疑念が生じるのです。自分の了解よりも「こうなるべき、こうなるはず」ということが優先する考え方を教条主義と言うのですが、唯円房はここで教条主義に陥りかけているのです。


唯円房の疑念の由来は、教条主義だけだろうか? 本音として、踊躍歓喜したいのではなかろうか? 本音として、急ぎ浄土へ参りたいと思いたいのではないか? 死を怖れて「死なんずるやらんと心細く覚ゆる」ようなことがない生き方をしたいのではないか? この私と同じように。

親鸞聖人のお答えは、「娑婆の縁尽きて、力なくして終るときに、彼の土へは参るべきなり」 つまり、死ねば浄土へ行く、と。この答で、はたして安心を得ることが出来るだろうか? 筧さんの言葉を借りれば「了解」することが出来るだろうか?

生きている今、死が怖ろしいのだ。生きている今、安心したいのだ。唯円房はいざ知らず、少なくとも私は、安心できないまま死にたくないのだ。

親鸞聖人のお答えは、唯円房の心に寄り添った温かいもので、感動的でさえあるけれど、その実は、良く言って対機説法、悪く言えばマヤカシではないか、と疑ってしまう。

高史明氏(1932~)も、この条に躓いていたという。「頷けなかったのです。これでは臨終往生のすすめになるのではないか、と思われていたのでした。」(「歎異抄のこころ」P.168)

「死ねば浄土へ行く」と言う場合、「死ねば」の主語を、例えば「私」であるとしよう。ではそのとき、「浄土へ行く」の主語はどうなるのか? 死んだ「私」はもう「主語」にはなり得ない。人はそこで急遽、魂だとか霊だとかの言語イメージを借りてくる。

このことを、筧次郎さんに問うたら 浄土は「行く」ものではない、今、この世と共にある・・・ と。 「ある」と言っても、普通に物が「有る」と言う場合の「ある」とは、全く違う・・・ それは私にも、うっすらと予感できるような気がする。 無分別の世界。時間も空間も超えた世界。生も死も超えた世界。 そういう世界を確かなものとしてこの身で実感できれば、自らの死をも受容できるのかも知れない。しかしそれは、煩悩の身、すなわち生きている身では到底実感し得るものではないのだろう。

青連寺(常陸太田市)住職の藤井智さん(1961?~)は、仏になって救われるということではなく、仏を仰ぐ衆生として救われていくということではないか・・・ 念仏に出会うと、ゴールの喜びではなく、常にスタートに立たされる、そういうことを感じます。 と語る。 ウーン、そうかも知れないが。

 第9条に躓いていた高史明氏は、後に少しばかり違ってきたという。「かっての私は、この教えを、なお字面において読んでいたと思うのです。」「親鸞さまは、その信心の促すままに、まるで阿弥陀さまが生きとし生けるものの、あるがままに寄り添ってゆこうとされているのと同様に、唯円房のありのままに寄り添い、真実への歩みを励ましておられたのでした。そこではもう、臨終往生であるのかどうかは、いかなる意味でも問題ではなかったのです。」

親鸞聖人のお答えは、唯円房と共に歩み出すスタートの立ち位置を示されている、ということだろうか。 親鸞聖人よ、もし叶うことなら今、貴方様の生きた声で語ってほしい。そしてこの私を安心させてほしい。




大悪人の大きな善

2018-06-12 22:31:46 | 社会
悪人はもちろん悪を為す。
悪人も善を為すことがある。

大悪人はもちろん大きな悪を為す。
大悪人も大きな善を為すことがある。

大きな善は喜ばしいことだ。

2018年6月12日は、アジアの歴史に残る日となった。
私の心にも残る日となった。

トラと金という大悪人が、アジアの戦争の危機を回避する方向へ舵を切った。
これは大きな善だ。
喜ばずにいられようか。

喜ばないのは、この列島を支配し、アジアの戦争への道を邁進している連中だ。そして彼らにマインドコントロールされている人々だ。

ところで、善人はもちろん善を為す。
善人も悪を為すことがある。

そして善人の悪は、悪人の悪よりも始末におえないのだ。

梅雨入りの鳴滝

2018-06-06 22:42:53 | 俳句
俳句の会で鳴滝へ行きました。梅雨入りらしいどんよりとしたお天気ですが、雨は ポツ ポツ と遠慮がちに落ちてくる程度。しずかに心を落ち着かせてくれて、梅雨も悪くないな・・・という感じ。



小さな滝だけれど、ひっそりとした趣きに心引かれます。俳友の一人は地元の「鳴滝友の会」の一員で、滝まわりのゴミを片づけたり、歩きやすいように整備したりしているそうです。有難いことですね。「イヤー 実は飲み会が主目的の会で!」なんて、照れていますが。

滝壺の傍らの不動尊は、「鳴滝友の会」が安置してくださったものだそうです。一尺ほどの小柄な御不動様ですが、なかなかの面構えですね。滝のまわりには十薬(ドクダミの花)が群れ咲いていました。

          十薬を灯明として不動尊

       
          
滝の水が流れ落ちてゆく谷には、ヤマアジサイが沢山咲いていました。近くの路傍には蝮草が、花後の緑色の実を覗かせていました。村里からほんの少し登ったところなのに、まるで深山のような感じがします。


          
私たちが乗合タクシーで着いたとき、既に先客の車が一台ありました。那須ナンバーです。滝頭に近い岩上で青年がカメラを構えたりしていました。降りてきた青年に「遠くからおいでになったんですね」と声を掛けたら、「この滝は有名ですから」と応じられて、少し意外でした。まさか、有名ということはないと思うのですが。知る人ぞ知る、といったところでしょうか。