国会議事堂を包囲して脱原発を訴える抗議活動が、昨日(7/29)ありました。毎金曜夕の首相官邸前抗議を呼び掛けてきた「首都圏反原発連合」の主催です。
昨夕、参加した友人からメールが来ました。凄い人の数!と。主催者発表で20万人、マスコミは数万人と報道しています。
NHKは26日、クローズアップ現代「デモは社会を変えるか~声をあげはじめた市民たち」を放映しました。脱原発、再稼働反対を訴える動きを殆んど報道しなかったNHKテレビですが、6.29首相官邸周辺での抗議や7.16代々木公園の「さようなら原発10万人集会」で示された圧倒的な数の人々の声を、さすがに無視することは出来なくなったのでしょう。そういう意味では、この放映は抗議活動の成果の一つと言えます。
しかし、この番組内容には心に引っ掛かる点が幾つかありました。
脱原発デモに多くの人々が参加している理由の基本は、3.11以後も原発推進を止めようとしない国への憤りでしょう。しかしNHKは、この「原発推進の国家」対「脱原発を望む市民」という政治現象としての構図については、前置き程度に触れただけで、「組織や団体のデモではないから」とか、「平和的なデモなので参加しやすいから」などという社会現象としての捉え方を強調していました。
60年安保から70年安保に至る時代のデモは、労働組合や全学連のような組織や団体や政党が来ていて危険だった、と番組は言っていましたが、聞き捨てならないことだと思います。60年安保反対デモでの樺美智子さんの死は忘れられないものですが、この犠牲者を出した危険な状況は、国民の声を無視した国の外交施策が招いたものですし、直接的には機動隊の弾圧・暴力に責任があります。
60年安保反対デモには、組織に属さない多くの市民も参加していました。鳥越俊太郎氏は報道ステーションの中で、6.29官邸前デモについて、60年安保のときの市民デモが52年ぶりに復活した、非常に感慨深いものがある、と語っています。
26日の「クローズアップ現代」の中で森達也は、脱原発デモにはイデオロギーが無い、それがいい、と持論を述べました。はたして、イデオロギーとはそんなに悪いものでしょうか?
手元の岩波の辞典には、イデオロギー=人間の行動を左右する根本的な物の考え方の体系。俗に政治思想。社会思想。等と説明されています。
体系的な思想を有しない人間。脱原発は望んでも、原発が政治や経済等々とどう関係しているのか体系的に考えようとしない人々ばかりだとしたら、国家権力の中枢を握る者にとって、何と御し易い国民でしょうか。そんな国民だったら、何度サイカドウハンタイを叫んでも、国家権力にとって痛くも痒くもないことになるでしょう。
大規模なデモになっても、怪我人や逮捕者が出ない方が良いのはもちろんです。しかしだからと言って、警察の過剰な警備、規制に唯々諾々と従うというのも、如何なものかと思います。
イデオロギーを持たず、組織化もされずバラバラのままの人々が「脱原発」「再稼働反対」のみを叫び、よもや「野田政権打倒」など一切口にせず、警察の規制に協力する平和なデモ・・・これが、NHKが推奨し公認できるデモ、ということのようです。さすがは国営テレビです。
東京新聞の記事によれば、昨夜の抗議行動では、参加者の一部が抗議場所を歩道上に限定しようとする警視庁のバリケードを破って国会正面の車道にあふれ、一時騒然とした。管轄する麹町署は午後7時半ごろ、国会前で警備していた警視庁機動隊員に暴行したとして、公務執行妨害の疑いで、40代と60代の男二人を現行犯逮捕した。とのことです。
主催者側は「今夜だけの抗議では原発は止まらない。今後も抗議を続けられるようにするため、歩道に上がって事故を防いでほしい」と繰り返し呼び掛けていた。のだそうです。しかし、少なくとも数万人規模となった人々を歩道に閉じ込めようとすることの方に無理があり過ぎるのではないでしょうか?
主催者の首都圏反原発連合は、二人を逮捕した警視庁に対し、厳重抗議してほしいと思います。