みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

土の恵み&日の恵み

2018-12-18 09:46:35 | 暮らし
当菜園の薩摩芋はいつも大豊作。小さな胃袋一つの身としては困ってしまう。村の人たちも薩摩芋ぐらい皆作っているから、お裾分けも出来ない。遠方からの来客へのお土産としては、嵩張るし重た過ぎる。ならば、貯蔵して少しずつ消化するしかない。ところが、薩摩芋は寒さに弱くて、年を越すころには傷んでくる。

干すに限る。お天気が3日ぐらい続きそうなときを狙って作業に取り掛かる。先ず洗い、両端を切り落としてから蒸かす。大きなサイズだから1時間半ぐらいかかる。熱いうちに皮を厚めに剝く。冷めたら幅1センチ弱ぐらいに切り分ける。柔らかいから崩れないように注意して、網に並べる。

昨季までは手製の網枠に干していたけれど、今季はネットで見つけた「万能干しネット(ワイド)」を購入した。2948円。予想以上に使い勝手が良い。

   

品種は「べにはるか」。3日ほど干して二回りほど小さくなり、色も深くなったのを口にすると、まさに絶品! 土の恵みが日の恵みを受けたのですから当然ですね。軽く焙ってから戴くのも結構。冷凍保存すれば、1年後でも美味が味わえます。

長老の句柄は人柄

2018-12-16 06:37:09 | 俳句
当地の俳句の会で尽力されてきた長老の一人が退会された。

戦後まもなくの頃から子規門で地道に活躍されてきた人だ。句柄は人柄そのまま。穏やかで繊細で美しい句が多い。時に艶っぽい句を作って、読者を微笑させる。難しい言葉は使わないが、しみじみとした感慨を齎し、余韻が続く。

お若い頃から、当時は珍しかったであろう自家用車を運転していたそうだ。数年前までは、俳句の会の吟行の時、ご自分のマイクロバスに私たちを載せて運転してくれていた。とても上手な安全運転で、私たちは安心して、はしゃいでいたものだ。

高齢者の事故の多発を懸念されたご家族からの懇願を受けて、卒寿を前にした今春、免許証を返上された。止むを得ないことだけれど、御本人は「手足を捥がれたようだ」と嘆かれた。過疎の当地では、ちょっとした用事も車が無いと果たせないから。

俳句の会の集合場所には御家族が送迎された。御家族も優しくて俳句にも理解があるのだが、長老は多忙な御家族を思いやって遠慮の気持が強かったようだ。

その年代の人としてはかなりの長身で、顔立ちも整っている。お若い頃はさぞかし美男だったことだろう。句柄も人柄も皆から愛されている。私ももちろん大好き! だから、今回の退会にはかなりのショックを受けている。

致し方ないことなのだ。私も遠からず後を追って行く。

観音様の丘

2018-12-05 22:55:33 | 俳句
俳句の会で久しぶりに石田の観音様へ行った。「石田」は小字(こあざ)で、住居表示は「瓦谷」。「石田」と名付けられているぐらいだから、かっての開墾時代は大変な土地柄だったのだろう。観音様が祀られている小高い丘の麓に、家々が肩を寄せ合うように集まっている。俳句の仲間には、この村で生まれ育った人が多い。会で一番の大長老もこの村の出身だ。

こじんまりとした丘の上に、小さな観音堂と更に小さな薬師堂がある。丘の麓にはもっと小さな不動堂がある。これらの堂の周辺には、様々な野仏たちが祀られている。

          野仏の面淡々と小春村

観音堂は修理工事中で、勝手を知っている仲間の案内で堂内を覗かせてもらった。天井や欄間には、微かに絵らしきものが見える。風化で消えかかっているものの、昔は絢爛たる絵巻物風だったであろうと推測できた。御本尊は千手観音菩薩だが、数年前に盗難に遭い、二本の上肢のみが残っているのが痛ましかった。その手指に触らせてもらったが、何と繊細な細工だったことか!




薬師堂への石段は急で、私たちはなだらかな女坂から上った。御本尊のお薬師様は、盗難を怖れて水戸の博物館に預けられたそうで、代わりにお薬師様の写真が飾られていた。
丘の上からは、麓に広がる田園風景とその向こうの筑波連山が一望できる。早朝の雨に洗われたためもあってか、本当に素晴らしい眺めで、皆と一緒に暫し見惚れた。そしてこの地で生まれ育った人々の心を思った。