みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

白鵬関の品格

2018-10-27 16:43:56 | 社会
ネットには魑魅魍魎が跋扈しているけれど、稀に正論に出会うとほっとします。

署名者:宮田正樹氏の10/3付け記事を、今朝、遅まきながら見つけました。以下、抜粋します。

(幕内1000勝した秋場所で)その成績以上に、強さとしなやかさが際立った土俵であった。

「日本人横綱」を望む相撲協会と「日本人相撲ファン」の「ひいきの引き倒し」の高いげたを履かされ、ヨロヨロと危なっかしい勝ち方と、ぶざまな負け方を見せる稀勢の里と比べると、「横綱としての品格」は雲泥の差であった。

長きにわたり安定して抜群の強さを維持しているのであり、彼を置いて「大横綱」の名に値する者はいないといえるのである。

土俵を降りると温厚ながらもインテリジェンスを感じさせる応対を行える点では力士の中でも出色の存在である。また、さまざまな社会貢献活動に参加、関与している点でも群を抜いている。

「鵬」の字の使用を許してくれた故大鵬を敬愛してやまず、相撲の技、取り口の研究も半端でないという。さらに、自身の相撲を後世に残すため、自らの取り組みをバーチャル映像化し、体の動きなどを360度、あらゆる角度から確認できる映像ツール作成にも取り組んでいる。相撲に対する愛着と情熱が尋常ではないのである。

その白鵬に対するこれまでの、そして今後も懸念される「外国人力士」という偏見に満ちたバッシングを行う偏狭なナショナリスト、それに便乗するマスコミ、日本相撲協会の対応に筆者は怒りを禁じ得ない。

貴乃花(現役)引退後の相撲界を救い、牽引したのは朝青龍をはじめとするモンゴル勢であり、その中でも白鵬は際立った貢献者である。相撲協会そして相撲ファンは彼に対して当然抱くべきリスペクトと感謝の念を示していないように思われて仕方ない。



豊下楢彦著 「昭和天皇の戦後日本」

2018-10-17 09:37:41 | 
岩波書店から2015年7月28日に第1刷発行、2015年8月6日第2刷発行。市立図書館蔵の第2刷を借りて読んだ。



私はうかつにも、昭和天皇は御神輿に担がれただけの無能な人物だと思っていた。あの間の抜けたような発声を聞くたびに、そう確信していた。

あの昭和天皇が、こんなにも(或る意味では)有能なリアリストとして強いリーダーシップを発揮していたとは・・・ 悲惨極まる戦争を推し進めたときのみならず、いわゆる「戦後レジーム」を確立したときも。

本書の序「『昭和天皇実録』の衝撃」から、一部を以下に引用する。

・・・昭和天皇は日本の敗戦から講和条約の締結に至るまでに、天皇制の維持それ自体が危機に瀕するような、二つの重大かつ深刻な危機に直面した。まず第一の危機として、憲法改正作業の成り行き次第では天皇制が廃止される危険性があり得たし、さらに東京裁判の展開次第では昭和天皇自身が訴追される恐れもあった。そこには、退位を迫る内外からの圧力が加わった。
 
 こうした、敗戦に伴う深刻な危機を、新憲法の成立と東京裁判の決着という形で乗り越えた昭和天皇が、とりわけ1947年以降に直面することになった第二の危機が、内外の共産主義による天皇制打倒という脅威であった。この脅威に対抗するために天皇がなりふり構わずに選択したのが、米軍による天皇制の防衛という、安保体制の形成に他ならなかった。



正法寺の秋

2018-10-10 22:40:45 | 俳句
俳句の会で大増の正法寺へ行きました。森に包まれた小高いところにある禅寺です。先ずは18人の羅漢像と一緒に皆で写真を撮りました。



庫裏に声を掛けましたが留守で、ひっそりとしていました。山清水がお寺の脇を流れる音と、虫の音に耳を傾けながら吟行しました。千葉ナンバーの車で来られた若い人が、本堂に向って手を合わせていらっしゃいました。

          秋高し青年ひとり焼香す

山清水のせせらぎの周辺はぬかるんでいて、猪が出没している跡がありました。そこに沢山の蓼の花が咲いています。どこでもよく見かけるイヌタデではありません。穂が長く、緩やかに垂れていて、花は小さく疎らですが綺麗です。ボントクタデのようでした。実物を見るのは初めてでした。

見上げると中空をトンボの群れが飛び交っていました。小さめのトンボで、羽根の端の模様はアキアカネのように思われましたが、体色が赤色ではなくて、茶色っぽく見えます。この季節のアキアカネだったら、赤く成熟している筈なのに・・・ もしかしたら、異常気象のために羽化が遅れた一群なのかしら?