みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

秋彼岸過ぎ

2012-09-29 19:41:59 | 家族

久しぶりに乗った電車を降り、故人を偲びながら歩いて約30分、墓地に着きました。当庵のまわりで摘んだ草花を供えました。

Dscn27299月は姑だった方の祥月です。(命日は秋彼岸より前ですが。) 姑と嫁との間に特有の陰鬱な些事が無かったわけではありませんが、私が先天性難病の娘を産んでからは、生死の境で苦しむその孫娘を懸命に慈しんでくれました。また、複雑な家庭環境の渦中にあった少年期の息子の心を支え続けてくれました。私が、夫つまり姑の息子と別れた後も、私のことを気遣い続けてくれました。

最晩年の姑を見舞ったときのことを思い出します。もう眠っていることが多く、目覚めた束の間に枕もとの私に気付いて、微かな声で「**さん、きょうは仕事は?」と言いました。ぼんやりした意識の中にありながら、私が仕事に行かなければいけないのに、見舞いのため無理して休んだのではないか、と心配したのでしょう。私は既に退職済みでしたが、「今日は仕事は無い日なんですよ。」と答えると、安心したように頷いて目を閉じました。自身のことよりも、家族のこと、人のことを先ず考える方でした。

亡娘も舅も姑も、夫だった人も、この墓に納骨されました。夫の籍を離れた私自身は、この墓に納骨される道理はない、と考えてきました。でも最近は少し気持に変化を生じています。

死後のことは本人は分からないのだから、どうなろうと関係ない、と以前は考えていました。でも・・お墓を考えることは、現生を考えることになるんですね。

墓なんか無意味だ、と考えたこともありました。でも・・お墓へ行くこと、お墓の前に立つことは、故人を思い、自分の生と死を考えることになるんですね。

Dscn2731お線香って美しいなあ、と思います。見るみる増え崩れていく灰は過去、まだ燃えない部分は将来、ほんの僅かに赤い火の部分は現生、風に揺らぐ煙は情念、というべきでしょうか。


叫びと羽音

2012-09-28 19:29:23 | 八郷の自然と風景

鵙(モズ)は、夏季はもちろん冬季でも鳴くことがありますが、彼岸過ぎのこの季節になると、盛んに激しく鳴きます。この一帯はオレサマの狩猟場だぞ、と誇示しているのでしょう。林の中の一番高い梢から聞こえるその声は、まさに「命の叫び」の感がします。

そんな鵙の声を聞きながら、自家用菜園で草取りをしていたら、蜂の羽音が急迫! 蜂が獰猛になる季節です。慌てて身を伏せました。幸い私は攻撃されず、2匹のスズメバチがもつれ合いながら地面に落ちました。

Dscn2727やがて一匹の方が勝ち誇ったように飛び上がり、傍らのヤブカラシの花々へ。地味な小花の集合体ですが、蜜が豊富。2匹のスズメバチは、どうやら餌場を争ったんですね。


己を弔う

2012-09-25 11:06:43 | 暮らし

Dscn2715連日の雨に、裏庭の水引草も濡れています。

ふるさとの高校の同窓会名簿が、過日開催の大会写真等と共に送られてきました。名簿欄のところどころに「ごDscn2718
逝去」と記されていて、驚きと傷みを覚えました。50余名の各クラスに数名ずつ・・ 考えてみれば、もう皆そういう齢なのだと思い直しました。私の欄でなかったのは偶然なのだ、と。

図書館から借りている「陶淵明詩選」(石川忠久著)の中に、「己を弔う」詩を見出しました。

Dscn2719有れば必ず死有り  早く終うるも命のちぢまれるに非ず  昨暮は同じく人たりしに  今旦は鬼録に在り  (挽歌の詩 其の1より)

天は寒く夜は長く  風気蕭索たり  鴻雁干き征き  草木黄ばみ落つ  陶子まさに逆旅の館(仮の宿)を辞し  永えに本宅に帰らんとす  (自祭文 第1段より )

人生実に難し  死は之れを如何せん  嗚呼哀しいかな  (自祭文 第7段末)

陶淵明は、この「自祭文」を書いて2か月後に病死したそうです。行年63歳。一切の官職を辞して田園生活に入ったのが、41歳。いわゆる「晴耕雨読」の暮らしは22年ほどだったんですね。

帰りなんいざ  田園まさにあれなんとす  なんぞ帰らざる  (帰去来の辞 第1段より)

Dscn2721暖暖(あいあい)たり 遠人の村  依依(いい)たり墟里の煙  狗は吠ゆ 深巷の中  鶏は鳴く 桑樹の巓  (園田の居に帰る 其の1より)

晴耕雨読というと、のんびりした暮らしのイメージですが、土を耕すというのは体力を費やし、神経も使う作業で、ましてやそれで生計を立てるのは、昔も今も大変なことです。それでも陶淵明は、田園を愛し、酒を愛し、そして何よりも人々との交流を愛していたようです。

鶏が鳴き、犬が吠えている・・なんだか当地にそっくり。読むほどに、1600年ほど前の詩人を(畏れ多くも)親しく感じました。

 


脱帽

2012-09-22 20:05:11 | 暮らし

昼間も涼しくなってきました。村の田んぼの殆んどは刈田となり、葡萄狩りも終わってきて、今は梨と栗の収穫の季節です。

昨日は、近所の方から沢山の栗を貰いました。栗畑で収穫した毬栗(いがぐり)から中の栗の実を(イガで怪我しないよう注意しながら)取り出して、虫喰いか否かを選別する・・綺麗な栗を揃えるまで、大変な手間が掛かっています。本当に有難いことです。

貰った栗は、1分余り煮沸してから冷蔵しました。こうすれば1ヶ月ぐらい保存できるそうです。今朝は数十個を1時間近く茹でて、少し賞味しました。秋の風味はいいですねぇ。 明日は栗御飯にしようかしら

昼過ぎ、愛車で出掛けたら、栗を下さった方が道端の草刈りをしていらっしゃいました。狭い道なので、私の車が通りやすいように、草刈機のエンジンを止め、体をよけてくださいました。

愛車の窓ガラスを開けて、私が運転席から「ありがとうございます!」と言うよりも早く、その八十路の方は帽子を取って姿勢を正し、お辞儀をされました。

当地の皆さまの挨拶の仕方の礼儀正しさには、まさに脱帽!です。私の方は、自分の頭に帽子が乗っていることさえ忘れていることが多い始末


戦争の危機

2012-09-18 19:18:20 | 国際・政治

強い日差しが照り付けたり、いきなり激しい風雨となったり、雷が鳴ったり、止んだり、空には異様な形の雲が行き来する一日でした。

「中国漁船1000隻 尖閣海域へ」との朝刊記事に、いよいよ戦争の危機が迫ってきたのを実感しました。戦争=国家レベルの大量殺人行為ほど罪深いことはない、と私は思います。

尖閣諸島は、日本国家から見れば日本の領土、中国から見れば中国の領土です。問題の「棚上げ・先送り」こそ、最良の解決策です。

戦争の危機が迫ってきて、米軍の駐留が何ら抑止力にはならないことがあからさまになってきました。もし日中戦争となっても、米国は日本国民のために中国と闘う理由も余裕もないことでしょう。

日本と中国の経済力、政治力、軍事力、精神力等々を比較すると、今、日中戦争になったらどちらが勝つか、自明なのではないでしょうか。そして、勝っても負けても、戦争には真の勝者はいません。

死地に赴くのは庶民です。今回、戦争が回避されたとしても、日中関係の悪化は、中国だのみの日本経済にとって大きな痛手となるでしょう。そのしわ寄せは、結局は私たち庶民に、とりわけ弱き人々に押し付けられることでしょう。

マスコミに煽られて、対中国強硬路線を唱える人々が多いようですが、その強硬路線の行き先を考えると、私は暗澹たる思いになります。


山路の出来事など

2012-09-14 13:23:36 | 暮らし

Dscn2700昼間は30度を越す暑さが続いていますが、夜はめっきり涼しくなり、当庵前の萩の花も咲きました。村の田んぼの収穫も、8割ぐらいは済んでいます。昨日は、揚水機場委員会の委員長から電話があり、用件の話と共に、ポンプ運転管理を担当した私へのねぎらいの言葉を戴いて、嬉しかったです。

秋は収穫の季節であるとともに、種蒔きと植え付けの季節でもあります。当菜園では、一昨日に大根の種蒔き。そして白菜・ブロッコリー・キャベツの苗を植え付けました。旱が続いているので、毎夕の水遣りが欠かせません。

Dscn27047月に種蒔きした大豆と小豆は、順調に育って茎葉を茂らせていまDscn2703
す。大豆は既に結実、小豆は、葉影に花(よろしかったら、写真上でクリックしてご覧ください。私は野菜たちの花が大好きです)を咲かせています。小豆は、開花期の乾燥に弱いので、特にたっぷりと水遣りしています。

薩摩芋・落花生・ヤーコンの収穫も間近です。南瓜は収穫終了。茄子・ピーマン・シシトウ・胡瓜・マイクロミニトマト・ゴーヤ・花オクラ・パセリ・ツルムラサキ等を収穫中です。

Dscn2690今日は、ホウレン草・チンゲン菜・ターサイの種を買いました。ターサイは、ホウレン草以上に寒さに強いので、真冬期の緑菜として重宝します。

愛車で帰庵の山路で、向こうに軽トラが止まっているのが見えましDscn2696
た。北側は森、南側は発芽したばかりの大根畑で、車がすれ違うことは出来ない狭い路です。

軽トラの持主夫婦らしい人影は動いているのに、軽トラを脇道によけてくれる気配がありません。私はいらだってきました。でも、よく見ると、お二人は伐採したらしい枯木を、一所懸命片付けていることが分かりました。

20分ぐらい待ったでしょうか、枯木の主幹や枝が脇に寄せられ、軽トラは脇道によけられました。私は「有難うございます」と声を掛けながら通りました。「済みませんでしたね」と謝られました。

Dscn2695枯木をそのままにしていると、倒れて事故になる恐れがあるので、山の持主としての責任感から、思い立って伐採されたようでした。この山路を常時通るのは私だけですから、私の身の安全を守るために、伐採し片付けてもらったようなものです。有難いことなのに、最初、いらだってしまったことを恥ずかしく思いました。


鶏たちの愛

2012-09-11 13:35:59 | 

Dscn2660_2烏骨鶏の雛が誕生してから16日目。ウララ(育ての親の矮鶏 顏から首が茶で、尾が黒)から離れての単独行動が多くなりました。主羽根と尾羽根が小さいながら、もう出来ています。動きも素早くなり、小さな嘴と脚で床土を蹴散らしながら餌を漁る姿は、なかなか堂に入った感じです。

数日前からは、夕方、ウララも止まり木に上がるようになりました。地面よりも高いところの方が、安心して寝めるのです。でもヒヨコは、まだまだ止まり木まで飛び上がることが出来ないので、ピィーッヨ ピィーッヨ と精一杯声を張り上げて騒ぎます。やがて根負けしたウララが下へ降りてきて、ヒヨコを胸の下に匿って一緒に寝みます。

Dscn2689雛の孵化後は巣籠りを止めた雌鶏たちに、キンタロウ(雄の烏骨鶏 白くて、顏が赤黒い 首がうっすら金色)が、盛んに恋を仕掛けます。ところが、巣籠り前は積極的だったギン(白い烏骨鶏)から、振られてばかり。ヒロは先日急死してしまいました。ウララDscn2675
には全く興味を示していなかったキンタロウですが、気持を変えたらしく、このほど愛の契りを結んだのです。ウララはとても素直に応じていました。そして羽色が艶やかになりました。めでたし、めでたし

そのうち、烏骨鶏と矮鶏との混血雛が生まれるのではないか、と今から楽しみです。


大場葡萄園

2012-09-07 20:04:00 | 俳句

今日は俳句の会でした。長く休まれていた方が久しぶりに元気な顏を見せてくださって、皆、おお喜び! 

   再会に声弾みけり豊の秋   小零

暑かったけれどカラッと晴れて、黄金色に稔った田んぼの風景を見ながら、乗り合いタクシーで大場葡萄園へ行きました。

Dscn2636大場家の母屋は、明治14年築の茅葺です。茅の間に細竹を入れて、茅と細竹の切口が見える軒端は、幾何学的な美しい模様になっており、「筑波流」という独特のDscn2632_4
葺き方だそうです。ぐし(屋根の最上部)には、特に入念Dscn2638_2
な装飾が施されています。

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広い土間に一歩入ると、外の暑さが嘘のように涼しく、エアコンなぞを使うのは、本当は非文化的な暮らしなのだと思ってしまいます。

大鯉の彫りもの付きの自在鉤が夏炉に下がり、周りには藁細工などが飾ってありました。別棟には「小さな村の小さな資料館」という看板が掛かっていて、一昔前の農具や生活用具が保存され、無料公開されています。

大場葡萄園の御主人は小柄な細身で、背筋がスッとされています。お顔立ちも含めて、何だかお公家さんを連想しました。

味見の葡萄を沢山いただき、近くの「佐久の大杉」(樹齢1300年 大場家が保存に尽力)も見にゆき、お土産の葡萄も買って、午前中の吟行終了。お腹も心も豊かなひとときでしたが、肝心の俳句の方はイマイチでした


孤独死という言葉

2012-09-05 21:26:30 | 俳句

茶道の稽古に出掛ける前のひととき、東京新聞にザッと目を通していたら、「孤独死という言葉」(杉本真維子さん筆)という記事に目が止まりました。

そもそも自宅で一人で死ぬということに、なぜ無条件に「孤独」という言葉を付すのだろうか。

孤独死という言葉には、私も多少の違和感を覚えていましたが、いわゆる善意、すなわち弱者への同情と救済の必要性を喚起する立場から語られているために、その言葉を批判することには躊躇いがありました。

しかし、杉本真維子さんの言説に叱咤されて、私自身の違和感の由来を考えてみました。ちなみに杉本さんは、主として「残された者」の立場から語っていますが、私は、主として死者或いは死すべき者の立場から考えたいと思います。

人が病院で死ぬとき、それは孤独死とは言われません。でも実態はどうでしょう・・ 住み慣れた家から離れ、見慣れぬ壁に囲まれて横たわり、容態が緊急措置を要するときは家族さえ集中治療室から追い出されて、機械的な蘇生術を施されたりします。これこそ孤独死、いや孤独以下の死かも知れません。

(だからと言って、病院や施設よりも、自宅での死を特に推奨するわけではありません。孤独か否かは、場所の問題や家族の有無とは直接の関係は無いということを言いたいのです。念のため )

どんな死のかたちであろうと、死ぬときは誰でも一人だ。そこにわざわざ孤独と付すことで、付けられている差異は、死について何かを本気で考えた結果ではない。そんな言葉で人間の死を形容している現代こそが不幸ではないか。

孤独死が問題とされるとき、それは実際には、孤独な心の問題というよりも、発見が遅れがち、ということが最大の問題となっているように見えます。延命治療の可否の問題は確かにありますが、はたしてそれだけが、問題とされている理由でしょうか。

強者の論理で成り立つ社会では、弱者は遠ざけられ切り捨てられがちです。ましてや「死者」なぞは、一刻も早くこの世から消してしまいたいのでしょう。現代日本では、「死」が隠されるようになって久しいものがあります。

そもそも「死」は人間にとって、パスカルが言うように、太陽と同じく見詰めることが出来ないものです。

死者が何日も何十日も、消されずにいる、ということは、公衆衛生上の問題だけでなく、「死」が身近になってしまうことへの恐れや嫌悪を人々に齎しているのではないでしょうか。

しかし、死は生の鏡であり、死こそ生を考える「よすが」でもあります。

一人暮らしの人々の死の問題と、心のありようとしての「孤独」の問題とは、区別して語られてほしいと思います。

     独り居や耳打ちほどに鉦叩    小零