みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

搗きたての餅

2013-12-29 19:17:57 | 健康・病気

都会では疾うに廃れた伝統行事でも、当地では今も続いていることが多いのですが、杵と臼で餅を搗く家はさすがに少なくなりました。それでも、出来あいの餅を店頭で買うようなことはせず、餅搗器を使う家庭が多いようです。

当庵には餅搗器はありません。でも今年も、搗きたての餅を笑顔と共に届けて下さる方々があって、有難く頂戴しました。おかげさまで、正月の御雑煮作りが楽しみです。

k子さんもお餅を持ってきて下さいました。体調が不安定になりやすいk子さんですが、今日は元気そうで、明るい笑顔を見せてくれました。難しい病気に悩ませられながらも、自らの病気についての知識を深め、冷静な判断で病状の軽快を図っているk子さん・・ 早急な全快は無理でも、本当に賢く病気と付き合いながら生きているk子さんに、今日も凛とした精神を感じました。


腎臓が素晴らしい?

2013-12-27 18:05:14 | 健康・病気

庵内の気温は10度前後あるのに、身も心も寒々しい曇り日です。
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庭の南天は、常緑樹ながら少し紅葉して、窓辺の風景のささやかな彩になっています。

愛車で10分余、いつもお世話になっている漢方の先生の所へ行って、先日受けた市の健診の結果通知書を見てもらいました。

体格指数がやや痩せ過ぎと判定されているのは、生来の体質で致し方ありません。先生曰く「メタボよりはいいですよ」

糖代謝の指標のヘモグロビンA1c が、基準の5.5以下を僅かながら超えて5.6 、尿糖はマイナス。先生は「心配する必要は無いでしょう」と、軽く一蹴? 

Dscn0186先生に言わせると、私の腎臓機能は素晴らしくいいのだそうです。血液中のクレアチニンが 0.58 だから、とのこと。

総じて、検査結果の数値はいずれも特に悪くないのですが、数値が良ければ健康だということにもならないと思います。実際の私は、体力が乏しくて、すぐにバテてしまうし、冬はひどい冷え性に悩み、持病の腰痛は年々ひどくなって・・でも、数値が悪いよりは良い方が、やはりいいのでしょうから、神さまだか仏さまだかに感謝! 漢方の先生にも感謝!

大量殺戮の犯罪人たちの霊を崇め奉る社へ、ジンゾウならぬシンゾウが大手を振って行ったり、南の島に巣食う金の亡者たちの代表が、シンゾウの見せ金に大喜びしたり・・・ 絶句するばかりの世の中ですが、それでも、日々の営みにささやかな生きる実感を得ながら、希望の光を見つけたいと思っています。

Dscn0184_2関西の息子夫婦が、名産の黒豆などを送ってくれました。一人暮らしの年寄りには、こうした贈り物はやはり嬉しいですね。漢方の先生から頂戴した御屠蘇と共に、私も正月気分を少し味わうことが出来そうです。


久しぶりの電車

2013-12-23 20:16:11 | 家族

早朝の野は強霜で一面真白。屋外の水栓が、今季初めて凍りました。犬と鶏の飲水の取換えには、屋内水栓からの水を持ち出さねばならない季節です。

愛車も霜で窓もボディも真白。亡父の祥月命日を少し過ぎたけれど、久しぶりに墓参に行くことにしました。9時頃出発。フロントの霜をヒーターで融かして前が見えるまで10分ぐらい掛かりました。

最寄駅からは電車です。電車に乗るのは数か月ぶり。途中で乗り換えて、空いている席に座ろうとしたら、横からサッと割り込んだ若い男が座ってしまいました。それで別の空いた席に座ろうとしたら、その席に向って突き進んでくる男が目に入ったので、私は慌てて急いで座りました。ヤレヤレ。首都圏で暮らしていたときは、これが日常だったんだ、と思い出してゾッとしました。

ボックス席の向こう側は中年のキリっとした感じの女性。その隣には少し年上に見える白人男性。電車が動き出し、私がリュックから新聞を出して読み始めたら、二人の会話が始まりました。二人は夫婦のようで、何の気取りも感じられないリラックスした会話です。日本人女性は日本語で話し、白人男性は英語で話しています。こういう会話の仕方を私は珍しく思い、暫くの間、聞くともなしに聞いていました。

日本人には日本語、英米人には英語が一番リラックスできる言葉ですから、こういう会話の仕方が、むしろ自然でいいのかも知れないですね。

新聞には、天皇誕生日にあたっての天皇陛下の記者会見でのお言葉が掲載されていました。

80年の道のりを振り返って、(略)やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです(略)この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失なったことを思うと、本当に痛ましい限りです。

戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ改善していくために、当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持を抱いています。また当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないと思います。

戦争犠牲者を悼む気持をまず述べられ、平和と民主主義を大切に守るために日本国憲法が作られたこと・・・穏やかな語り口でありながら、深い心情と確固とした信念を感じさせられるお言葉・・・私は何だか胸が一杯になりました。

天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています。

これからも日々国民の幸せを祈りつつ、努めていきたいと思います。

今年、この国の平和と民主主義は、白昼堂々と踏み躙られるようになりました。ひどい時代ですが、平和と民主主義そして日本国憲法を、おそらく誰よりも深い心で尊重されている今上天皇の存在は、かけがえのない希望の光です。お体を大切に、長生きしていただきたいと心から願わずにはいられません。

片道約2時間半で、亡父が納骨されている某市営霊園に着きました。風は冷たいけれど、降りた駅から霊園まで30分ぐらい急ぎ足で歩いたら汗ばんできて、防寒ジャンパーを脱ぎました。

霊堂で掌を合わせると、私が幼かったころの若かった父、私が年頃になったときの父、そして年老いた父、私が一人で傍らにいた最後のときの父・・・それぞれのときの父の姿が脳裏をよぎっていきました。そしてこの私も、遠からず往くのだ、と。

Dscn0183参拝を終えてから、霊園内の休憩所で(降車駅前の店で購入した)パン二つと(休憩所内の自動販売機の)ボトル茶の昼食を摂りました。50人ぐらいは入れそうな部屋ですが、私以外はトイレを借りてすぐ出ていった方が一人いただけ。殺風景ながら暖房が効いていて、有難い部屋です。

霊園の清掃等の管理を担当しているらしい職員の方が3人、入ってこられましたが、電気ポットのお湯をカップに注いで退室。寒い屋外のベンチで食事をされている御様子。参拝客である私に遠慮されてのことのようです。祭日のお仕事、御苦労様!


忘年句会

2013-12-22 17:34:23 | 俳句

風は冷たいけれど、冬晴れで気持のよい今日、隣地区の公民館で俳句の会がありました。

       寒禽の一声に景あらたまる

忘年句会ということで、いつもと違う趣向でした。各自が500~1000円相当の景品を用意し、特選とした句の作者に手渡したのです。80円切手10枚のシートというシンプルな景品があるかと思うと、養鶏業を営む方は大きな寒卵を一杯! 

私が用意した景品は日高昆布。無難だったとは思うけれど、喜んでもらえたかどうか。プレゼントって、難しいですねぇ。今回は特に、渡す相手が誰になるか、事前に分からないですしね。

Dscn0178いつものように私の俳句はパッとしなくて成績不振。でもお一人だけ揚句を特選にして下さって、戴いた景品は真っ赤なシクラメン。大事に抱えて持ち帰りましたが、鉢ものの世話が苦手なので、先行きがちょっと心配ではあります。


千利休の侘び

2013-12-20 10:45:06 | 

Dscn0175県立図書館蔵の、唐木順三(1904~1980)著「千利休」(筑摩書房 第1刷:1963発行)を、公民館図書室に取り寄せてもらって読みました。茶道に係る貴重な論書です。

著者は、茶の湯における利休の境地をわびと名付けて、能における世阿彌のさびと対比させています。

・・さびは無を根柢としてゐるのに對して、わびは有と有との對比の観念である。巨大なものに對する狭小、派手に對する地味、豊富に對する缼乏、豪奢に對する謙虚でありながら、どこかに自己の優越を感じてゐるといふところにわびがある。

藁屋に名馬(をつなぎたるがよし という珠光の言葉)といふところがその限界といってよい。名馬意識から離れ得ないのである。

・・比である以上、そこに何等かの氣取りをまぬがれない。わびた心によって、對比の對照を批評し、また評價するといふ性格をもつ。・・

利休の場合、當の相手は関白であり、絶對権を握ってゐるものであった。権力者への批判、評價は死を賭しての行為である。

利休の孫の宗旦は、「乞食宗旦」と云われるほど侘びに徹した茶湯者でした。

「無の一字を添へざれば、俗茶にて、全く遊興の戯れに落べし」と彼(宗旦)は書いた。・・この宗旦と、「君父に忠孝を盡し、家々の業を懈怠なく、ことさらに舊友の交をうしなふことなかれ、春は青葉がくれの郭公鳥、秋はいと淋しさまさる夕の空、冬は雪の暁、いづれも茶の湯の風情ぞかし」と書いた小堀遠州とをくらべてみれば、中世的禅精神と、江戸期の御用儒教のマナリズムとの相違のほどが知られるといふものである。

著者は、宗旦の後に宗旦なく、侘びの極北として侘びを否定した乞食宗旦を最後として、侘びもまた時代から消えたといってよいだろう。と書いています。さてでは、現代の茶道の現実は?


目くらまし

2013-12-18 19:01:12 | 社会

イノシシならぬコブタ顔の小悪人に対するバッシングが賑やかです。小悪人とはいえ悪人には違いないから、責任をとってサッサと退場してほしい。

ただ、この小悪人には小善も無いわけではなかった。トウデンに対するささやかな抵抗とか。原子力村にとっては少々ケムタイ存在だったかも知れない。

相手のトクダも大悪人とはいえない。医療過疎地に対する貢献とかは、それなりにあったと思います。小悪は重ねてきたのだろうが、難病の床にある顔貌を見ると、コブタよりもずっと上等の人間のように思えます。

小悪人へのバッシングは目くらましではないか、と疑っています。その間に希代の悪法を公布し、専守防衛の国是を覆し、原発推進へおおっぴらに舵を切り、生活弱者への苛酷な政策を矢継ぎ早! 

大悪人へのバッシングこそ本命にすべきです。


冬来たりなば

2013-12-17 15:30:21 | 暮らし

Dscn0169白い冬菊に続いて紅い冬菊も咲き始めました。枯庭の中の貴重な色彩です。秋菊に比べると花径が小さい上に、花びらが短いのが特徴です。寒風に耐えるためなのでしょう。

Dscn0167_2菜園では、キャベツが虫害を乗り越えて一人前に育ちました。そろそろ収穫して・・生までは食べ切れないから、スープの具にしようかしら・・

「喪中につき年頭の挨拶はご遠慮・・」という葉書が来ることも少なくなりました。親の世代の人々がもう残り少なくなられたのですね。代わって自分と同年代や年下の人々の訃報が目に付くようになりました。そろそろ自分も・・と思わざるをえません。

近年は、「このたび考えるところがあって、来春からの年頭の挨拶を失礼させていただきたく・・」云々という書状が、時々舞い込むようになりました。こうした発信者は、必ずと言ってよいほど私が敬愛してきた方々です。寂しさは拭えませんが、彼なら、彼女なら、深い考えがあってのこと・・と受け止めています。

年賀の欠礼は、いわば部分的な出家のようなもの。出家に憧れながらも勇気のない私には難しいことです。それに、年賀状を受け取った時の嬉しさを想うと・・未練を断つことが出来ません。

Dscn0171_2明けない夜は無いとか、冬来たりなば春遠からじなどという言葉を、素直には聞くことが出来なくなりました。老いのためだけでなく、原発事故や核戦争の脅威の切迫を実感するようになりましたし。

庭前の沙羅の木は冬空へ裸枝を伸ばしています。その枝々には小さな芽がもうしっかり付いています。来春の芽吹きを信じたいと思います。

 


懺悔道としての哲学 第三章(田辺元哲学選Ⅱその5)

2013-12-16 14:28:39 | 仏教

第三章 絶対批判と歴史性との聯関

時の構造に即していえば、未来に向う不断の革新が実践的に行ぜられることが、過去をいよいよ深く遡り根源に迫る復興となる、という循環なのであって、この革新即復興の行的循環の軸として、現在の永遠が信証せられるのである。

歴史は・・未来に関する自由と対蹠的に対立する。・・相通じながらかえって相容れない対立をなすのが偶然の過去性と自由の未来性である。

時は単に存在の立場から十分に解明せられるものでなく、自己の立場で自覚せられるものなのである。

時の構造、などと聞くと、私なぞはつい X軸や Y軸に例えて想起してしまうのですが、そんな抽象的な時間ではなく、あくまでも歴史として自覚される時間について、著者は語っているようです。

(ハイデッガー)がアウグスティヌスの永遠の如き不動なる媒介者を見捨てて、直ちに被限定即能限定なる自覚に立脚し、被投的投企として過去と未来との矛盾的統一を規定したのは、どこまでも自覚の立場に徹底しようと欲したものと解せられる。

・・その自覚が自力的行為に止まるとするのが、実存哲学の限界であって、実はそれが他力大行の転換でなければならぬことを懺悔道は主張するのである。この転換の必然が、すでに被投的投企の否定的肯定、すなわち無の媒介に暗示せられて居る。

無の媒介、と言われても トホホ。無とは何なのか分からない私は、取り敢えず考え方を逆転させて、私には全く分かりようがないもの=無、と定義しておこうと思います。まんざらでもない定義だと自画自賛?

時の過去というものは単に我々に負わされた限定に尽きるのではない。その限定そのものが、これを如何なる限定として如何なる存在として自ら肯うかに相関的なのである。かくて過去がある意味で未来を含み未来に媒介せられるといわれる。・・懺悔においては過去が・・不断に意味を新たにする現在となり、それを媒介する未来に相即して無限に循環するのである。・・自己というのはこの循環の中心に外ならない。

時の構造における自己とは何か、が定義されています。私の心も、確かにこんな感じ。

アウグスティヌスの永遠は無でなく有であるから、時を包む包越者となり、・・時が時でなくなり空間化される危険を免れることができない。・・永遠の今は超越的でなければならぬ。従ってそれは直観せられないのである。

永遠、と聞くと、私も空間化されたものを想起していることに気付かされました。

彼(ハイデッガー)の問題とする死は、どこまでも単に、存在の全体可能の自覚に対する媒介としての限界境位たる死に止まり、自覚存在はいわゆる「死に対する存在」として死を肯い覚悟するに止まり、決死行において復活を証する絶対無の現成ではないのである。

ハイデッガーの限界は分かったような気分になりましたが、懺悔道の核心らしい 決死行において復活を証する というのは、私の脳味噌ではどうにも消化できない!

(ハイデッガーは)現存在の無底虚無が自覚を過去的有から解放して、投企の自由へ転する媒介となるというのである。・・それはただ賢者英雄の自信に止まる外ない。

絶対は必然に自らの媒介として相対有を必要とし、しかもその相対を媒介するはたらきも直接ならずして、相対の相対に対する交互作用に媒介せられたものたることを要する。かかる絶対媒介の立場に立てば、絶対と相対とは同時であり、・・アウグスティヌスが、時において世界創造が行なわれるのでなく、世界と共に時が創造せられるとした所以である。

絶対と相対との関係、フムフム 分かるような。

未来は過去に媒介せられると同時に、過去がかえって未来に媒介せられる・・その絶対媒介の原理たる無は、永遠の現在を軸として貫き、不断に現前して時の転換発展を可能ならしめる。

本章前半の、カント、ヘーゲル、ハイデッガーなどへの論究は、小難しく感じたのですが、本章末のニーチェ論は、大変興味深く読みました。ニーチェに関する本なぞほとんど読んだことがなく、ニーチェ=奇人・変人のように思っていた私は、反省! 

・・ニイチェは・・理性の制限限定、いわゆるアポロ的なるものが、欧羅巴の精神史を支配するに到った結果、・・人類の弱力頽廃を来すに至った、これを救うもの権力意志の教であり、能動的虚無論であって、古代希臘の悲劇的精神に還り、死の破滅をも喜び迎えて一切転変を肯い愛する強き生命力すなわちディオニュゾス的なるもの、・・君主道徳、の外にはないと考えたのである。

・・絶対無の代わりに絶対有を哲学の原理たらしめようとしたのがニイチェである。それはカントの代表する理性の理的立場を生命の事的立場に転換し、絶対無の現成としての理性の懺悔的否定に生命の絶対肯定を代置し、一切を自己の支配下に置かんとする権力意志を以て生命の本質とする。

・・超人は価値的見地から聖者と思惟せられるものを価値対立以前に置いた概念であって、・・ディオニュゾスは、理性の自己突破をその即自的還帰性において生命として捉えたものに外ならない。

仏教にいう柔軟心こそ真の権力意志でなければならぬ。

第二章でかなり躓いた私ですが、本章はそれなりにのめり込んで読みました。理解できない部分が相変わらずあるものの、著者の誠意というか、純粋さのようなものが、ひしひしと伝わってきます。生きている田辺元に会いたかった、とあらためて思います。

ハイデッガーの現在が・・ニイチェの無に自由自覚の実存を立脚せしめたことは、・・独逸民族の賢者英雄主義の現れともいえる。それに対し私の懺悔道がキェルケゴールの信仰に合するのも、・・愚者凡夫の立場としてやむを得ない。 


冬夕焼

2013-12-11 19:15:54 | 八郷の自然と風景

落葉樹の枝の葉数がめっきり少なくなりました。その残り少ない葉たちが、風がなくても ハラリ・・・ハラリ・・・と散ってゆくのを見ると、さすがに寂しい気持になります。

Dscn0161枯庭の中、小さい冬菊が真白に咲いてくれています。当地の畏友が数年前に根分けして下さったもの。寂しい心を慰めてくれます。

Dscn0159_2この時季の日暮は、冬至の頃よりも早いとか。ほんのりとした冬夕焼は、たちまち暮れなずんでしまいます。

Dscn0157庭の柿の木を最後まで守ってくれている?木守柿もそろそろ枝を離れてしまいそう。その枝の向こうにお月さまが輝き始めました。夜になれば冬星たちが神々しく瞬くのだけれど、私の腕では残念ながら撮影困難。

明日は買物デー。愛車の軽自動車で(運転が出来ない)近所の御婦人お二人と共にショッピングセンターへ出掛けます。当地のように公共交通機関が少ない地方では、軽自動車は庶民にとって生活必需品。その軽自動車への課税を大幅に上げるなんて、どこまで弱い者苛めをする気なのか!


優しい言葉に

2013-12-07 18:56:28 | 俳句

八郷には俳句の会が幾つかあって、そのうち二つの会に私は参加しています。小さい方の会では、事務局のような担当をしているのですが、今日、思いがけないことがありました。

Dscn0140会の皆さまから、感謝!の言葉と寸志!を戴いたのです。突然のことで面喰ってしまいましたが、私をねぎらう優しい言葉を聞いているうちに胸が一杯になって涙ぐんでしまいました。柄にもないことで・・・涙もろいのは齢をとった証しかも知れませんが。

Dscn0141不器用な私が右往左往しながらも、努力して事務局役を続けていることを、皆さまは気に留めて下さっていたのですね。有難いことです。

俳句の会に参加していることが、私の心の支えにもなっていることを再認識しました。