みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

よみ人知らずの歌のように

2011-06-30 14:14:44 | 原発

岩波の「図書」7月号に、西川裕子氏(フランス文学)が標記のタイトルの一文を寄せている。3月下旬に鬱症状に見舞われて関西へ一時避難した私には特に興味深い内容だ。

(3/11の)次の日から、こんどは首都圏から我が家へ避難してくる人が続いた。この場合にも、私は大地震と津波に襲われた東北地方だけでなく、停電や交通機関の麻痺に襲われた首都圏もまた被災地であることに思い至っていなかった。到着した人たちの疲労の表情を見てはっとした。

ばらばらに到着した互いに初対面の3組4人だが、着く早々に、それぞれのケイタイとパソコンを取り出して充電やセッティングを確認、そこでようやくほっとするところが同じであった。

食卓では不安によって気持が高揚するような場面が数日続いた後、今度は気鬱の見える沈んだ表情が客人たちの顔に替わるがわる浮かぶようになった。昼間に街に出ると、繁華街の賑わいに強い違和感を抱くらしい。それにどの人も、無数の死者たちと形容し難い大きな不幸とに対し負い目を感じている。話題もそこに落ち込んでしまう。

避難した人たちは一人ずつ持場へ帰っていき、4月になると我が家はまた老夫婦だけの普通の家になった。

落ち着いてから周囲を見回すと、ほとんど何も変わっていないかのような日常生活が不思議に思えた。

~もし静かな時間があるとしたら、それは自分軸を確かめるために与えられているのかも知れない。早急にいずれかの群に合流して不安を宥めるのは止めよう。戦争後のように、家族と国力の再編成が言われている。そのときの家族とは国家の基礎単位としての家族である。そうではなくて~

「個人的なことは政治的なことである」は、かって私領域に封鎖され公領域から疎外されたことを自覚した女性たちの発した言葉であった。女性だけでなく全ての人が今、私領域が経済と政治の闘技場であることを知っている。「個人的なことは」を「個人的なことが」と言い換えてみたらどうだろう。「個人的なこと政治的なのである」。政治嫌いの個人一人ひとりが大きな政治に立ち向かって考え始め、祈りであり抗議である無数のよみ人知らずの歌が詠まれるときなのだと思う。

いまや反原発の象徴的存在となった小出裕章氏も「政治は嫌いなのです」と言うが、氏の条理と礼儀を尽くした言葉は一人ひとりの心を動かして、政治的な力になってきている、と思う。


福島原発事故現場から

2011-06-26 10:14:50 | 原発

福島原発事故現場で日々格闘されている方がTwitterで発信されているのを知った。ハンドルネームはHappy20790 現場の主任級の技術者、と拝察する。ご自身も被災者・・ 現場からの情報だから真実、とは限らないが、貴重な情報だと思う。何よりも大変な日々の中での発信の心意気に敬意を覚える。この画面の左下欄リンク集に掲示したので、よろしかったら貴方様もクリックして御覧を!


7羽に!

2011-06-21 20:02:56 | 

Dscn1970 地上1m弱の巣箱で孵化した雉のヒヨコの内4羽(撮れたのは2羽だけ)が、床土へ降りて(落ちて、と言うべきか・・まだ羽根らしきものは生えていないのだから)きた。ウララ(茶羽のチャボ)とヒロ(白羽のウコッケイ)も降りてきてヒヨコたちを守っている。

巣箱にギン(ウコッケイ)と共に残っているヒヨコを数えたら4羽、合計7羽だ! 雉の巣から卵を保護してきた知人は、今日もヒヨコたちに面会しておお喜び

当鶏舎は狭いので、ヒヨコたちが少し大きくなったら知人の鶏舎へ引越し予定。しっかり大きくなったら野へ返す予定だ。それまで無事に育ちますように・・


5羽に!

2011-06-20 10:47:54 | 

雉の巣卵を保護した知人が朝一番で来られて、当鶏舎へ。「おっ、見えたよ! 2羽いる!」 ヒヨコとの対面が出来て、大満足のご様子

Dscn1963_2 それから暫くして又覗いたら、今度は5羽に! その内の良く動く1羽は昨日孵化した子かな?

ヒヨコ撮影も成功、2羽は隠れていて3羽だけですけど・・(写真上クリックで拡大します)

雌鶏3羽の内、一番奥のヒロ(白いウコッケイ)は雄鶏にモテるタイプだけれど抱卵・育児に不熱心、でもこの2日間はさすがにヒロも飲まず食わずで頑張っている。もう1羽のウコッケイのギンはしっかり者の母さんという感じ。手前のウララ(茶羽のチャボ)は母親役初体験、緊張の表情で入口を守っている。

この巣箱は地上1メートル弱の位置にある。雄鶏のシロウ(ウコッケイ)は、昼間は地上で、夜間は巣箱のそばの止まり木で警戒態勢だ。


雉のヒヨコ

2011-06-19 20:08:12 | 

母雉が思わぬ事故で傷付いて、抱卵を諦め巣から離れた後に残された卵8個を、知人が保護したのが10日前。その卵を当鶏舎で預かって温めさせていた。本日、1個が孵化して雉のヒヨコが誕 生! 黒胡麻のような目をして、幼い命の何と可愛いことか! 

Dscn1957_2 私が覗くと、ヒヨコはキョロキョロ。チャボのウララ(写真手前の茶羽)とウコッケイのギン(ウララの奥)と同じくウコッケイのヒロ(奥隅)が、小さな巣箱の中で一緒くたになって卵を抱き、そしてカメラを構えた私を警戒して、雉のヒヨコを隠した。

孵化の連絡を受けた知人が飛んで?来たけれど、残念ながらヒヨコとの面会は叶わなかった。

明日も、次のヒヨコが誕生しますように!


気を練る

2011-06-18 19:33:55 | 気功

公民館で定例の気功同好会では、先生の指導で「気を練る」ことがある。下丹田(臍の少し下)の前で両手を近付けたり離したりすると、両手の間の空気圧が増すような感じがしてくる。次に、水飴を大きく練るように両手を回すと、空気に粘りが出てくるように感じる。

気を練っていると、掌がだんだん腫れてきたような温かくなってきたような感じになる。左掌に対して、右手人差指をピストルのように向けると、向けられた左掌の部分が騒ぐような感じがする。右手人差し指を左掌に対してゆっくり廻すと、左掌の騒ぐような感じがする部分もゆっくりと動いてゆくようだ。

こんな感じがするという話は、気功に親しむ以前の私だったら笑い飛ばしていただろう。そんな非科学的なことはあり得ない、それこそ「気」のせいだろう、と。

気功の「気」の正体は、ある程度科学的に証明されてきてはいるものの、完全には解明されていない、と聞く。科学は万能ではないこと、功罪があること、場合によっては本当に罪深いものであることは、今回の原発事故で悲劇的に暴かれたのだ。


蚯蚓

2011-06-14 16:04:55 | 俳句

Dscn1956 梅雨曇の今日、加波山麓を俳句の会で吟行した。八郷の北のはずれだが、真壁へ抜ける旧道沿いに村落がある。母屋も門構えも見事な瓦屋根を載せた堂々たる御屋敷が多いのに目を奪われた。

お庭の手入れをされていた御主人のお許しを得て見学。刀鍛冶の家系で屋号は「鍛冶屋」だそうだ。庭木Dscn1952 の渋茱萸の実を摘んで賞味させてもらった。渋い味も悪くない?

更に旧道を辿ると、梅雨湿りの路傍に蝮草が花茎を伸ばしていたり、小紫陽花がひっそりと咲いていたり。足元には蚯蚓もちゃんと?生きていた。蚯蚓だって、やっぱり放射能に被曝しているんだ・・と思ってしまう。

      分け入って山の蚯蚓を驚かし      小零


「非現実的な夢想家として」

2011-06-13 14:27:12 | 原発

村上春樹がカタルーニャ国際賞6/9授賞式で「非現実的な夢想家として」というタイトルでスピーチした。NHKは全く取り上げなかったが、TBSは報道ステーションで紹介したようだ。

村上春樹の小説は、正直なところ私は苦手であまり読んでいない。今回のスピーチの情報にも飛びつく気持は無かった。ところが公開されている全文を読むと、普通の言葉で普通の人々に語りかけている雰囲気だ。気負いや気取りは無く、むしろ朴訥と言ってよいくらい素朴な話し方である。意外だった。私の先入観が間違っていたのか、それとも村上春樹が変わったのか・・ 以下、抜粋する。

(東電や国の原子力政策の)過ちのために、少なくとも十万を超える人々が土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。

しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、或いは黙認してきた我々自身をも糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深く関わる問題であるからです。

1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。 

僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけでなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。

広島にある原爆慰霊碑には、このようば言葉が刻まれています。「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味が込められています。

そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一原子力発電所は、3か月にわたって放射能を撒き散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にも分かっていません。これは我々日本人が歴史上体験する2度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。

電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのもまあ仕方ないか」という気分が広がります。

原発に疑問を呈する人々には「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でも何でもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

それは日本人が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に加害者でもあるのです。

我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

我々は夢をみることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを「効率」や「便宜」という名前をもつ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。

壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや負った傷を無駄にするまいという自然な気持からその作業に取り掛かります。それは素朴で黙々とした忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、一つの村の人々が揃って畑に出て土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれ出来るかたちで、しかし心を一つにして。

鬱々した私の心をも、さりげなく見守ってくれているような、そんな気がするスピーチだ。 私にも「出来るかたち」があるのかも・・


事故調査・検証委員会

2011-06-11 19:34:46 | 原発

国が先ごろ設置した「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の委員長は、畑村洋太郎 (東大名誉教授 失敗学)。

委員は、尾池和夫(前京大総長 地震学)、柿沼志津子(放射線医学総合研究所放射線防護研究センターチームリーダー)、高須幸雄(前国連日本政府代表部特命全権大使)、高野利雄(元名古屋高検検事長)、田中康郎(元札幌高裁長官)、林陽子(弁護士)、古川道郎(福島県川俣町長)、柳田邦男(作家)、吉岡斉(九大副学長 科学史)

以上のメンバーの中に原子力の専門家が一人もいないことを知って、私は愕然とした。いくらいい加減な国の委員会と言ってもホドがある。これまで原発を推進してきた国家権力の中枢にいた人物が複数いるのも目立つ。

そもそもこの委員会は内閣官房内に設置されていて、国からの独立性など望むべくもない。客観的な調査・検証などとは無関係の存在なのだ。

栁田邦男の名は、目くらましに使われているのだろうか・・  


唱和式

2011-06-08 19:04:04 | 茶道

今日の茶道の稽古は「唱和式」だった。この花月は、①全員の花入れ ②亭主のお香 ③亭主の濃茶点前 ④薄茶の花月 ⑤全員の唱歌 の5段階から成っている。

亭主役は出番が多く、進行役でもある大役だ。大先輩がその役を務められた。私の出番は④での仕舞花の役だった。分からないところは先生や先輩方に教えてもらい、緊張しながらも務め了えて ホッ。

①の花に因む歌を⑤で詠まなければならないから、②から④までの間に歌を作らねばならない。歌の方に気を取られると所作がおろそかになるし、所作の方にばかり集中していると歌が出来なくなる。この心の揺れが、この花月の魅力の一つにもなっているようだ。私は和歌はとても出来そうにないので俳句に代えた。

花は口紅草、そして3/11以降、生命について改めて考え、感じざるをえなくなっているので・・・

      生命あるものみな美しや口紅草     小零

唱和式は淡々斎(裏千家14世)が創案され、その没後に公開されたそうだ。全体の構成が明快な感じがするのは14世のお人柄の反映だろうか? 慣れれば大いに楽しめそうな花月だと思う。