村上春樹がカタルーニャ国際賞6/9授賞式で「非現実的な夢想家として」というタイトルでスピーチした。NHKは全く取り上げなかったが、TBSは報道ステーションで紹介したようだ。
村上春樹の小説は、正直なところ私は苦手であまり読んでいない。今回のスピーチの情報にも飛びつく気持は無かった。ところが公開されている全文を読むと、普通の言葉で普通の人々に語りかけている雰囲気だ。気負いや気取りは無く、むしろ朴訥と言ってよいくらい素朴な話し方である。意外だった。私の先入観が間違っていたのか、それとも村上春樹が変わったのか・・ 以下、抜粋する。
(東電や国の原子力政策の)過ちのために、少なくとも十万を超える人々が土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。
しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、或いは黙認してきた我々自身をも糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深く関わる問題であるからです。
1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。
僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけでなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。
広島にある原爆慰霊碑には、このようば言葉が刻まれています。「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味が込められています。
そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一原子力発電所は、3か月にわたって放射能を撒き散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にも分かっていません。これは我々日本人が歴史上体験する2度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。
電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのもまあ仕方ないか」という気分が広がります。
原発に疑問を呈する人々には「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でも何でもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
それは日本人が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に加害者でもあるのです。
我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。
我々は夢をみることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを「効率」や「便宜」という名前をもつ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。
壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや負った傷を無駄にするまいという自然な気持からその作業に取り掛かります。それは素朴で黙々とした忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、一つの村の人々が揃って畑に出て土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれ出来るかたちで、しかし心を一つにして。
鬱々した私の心をも、さりげなく見守ってくれているような、そんな気がするスピーチだ。 私にも「出来るかたち」があるのかも・・