みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

いなくなったら

2019-07-26 10:03:28 | 芸術
「伊藤比呂美編 石垣りん詩集」(岩波文庫 2015年発行)を、公民館図書室に取り寄せてもらって読んだ。
今や「戦前」となった時代において、この詩集の「戦後」の感覚が懐かしい。手放し忘れてしまった感覚の尊さが眩しい。



人間の宿命の感覚も、鮮やかに表現されていると思う。特に私の心に鋭利に刺さった一篇を記しておく。


     声

 釘に
 帽子がひとつ
 かかっています。

 衣紋かけにぶらさがっているのは
 ひと揃いのスーツ。

 本棚に本
 玄関に靴
 石垣りんさんの物です。

 石垣りんさんは
 どこにいますか?

 はい
 ここにいます。

 はい
 このザブトンの温味が私です。

 では
 いなくなったら片付けましょう。


石垣りん詩集から ・・・ 旅情 ・・・

2019-07-15 13:06:53 | 芸術
長梅雨のこんな日にふさわしい詩ではないが、あまりにも心に沁みるので、以下、書き留めておく。

          ふと覚めた枕もとに
          秋がきていた。
    
          遠くから来た、という
          去年からか、ときく
          もっと前だ、と答える

          おととしか、ときく
          いやもっと遠い、という

          では去年私のところにきた秋は何なのか    
          ときく。

          あの秋は別の秋だ、
          去年の秋はもうずっと先の方へ行っている  
          という。

          先の方というと未来か、ときく。
          いや違う、
          未来とはこれからくるものを指すのだろう?
          ときかれる。
          返事にこまる。

          では過去の方へ行ったのか、ときく。
          過去へは戻れない、
          そのことはお前と同じだ、という。

          秋
          がきていた。

          遠くからきた、という。
          遠くへ行こう、という。

石垣りん

2019-06-27 11:01:10 | 芸術
俳句は別として、「詩」を読みたいと思うことはめったにない私だから、「石垣りん」という名前に既視感はあっても、その人と詩には無関心だった。ところが先日、たまたま出会った「この世のなかにある」という詩によって、石垣りん(1920~2004)という存在が、私の目の前に迫ってきた。

        この世のなかにある、たった一つの結び目
        あの地平線のはての
        あの光の
        たったひとつのむすびめ
        あれを解きに 
        私は生まれてきました
        私は地平線に向かって急いでおります
        誰が知っていましょう
        百万人の人が気付かぬちょっとした暇に
        私はきっとなしとげるのです
        -まるで星が飛ぶようにー
        「さよなら人間」
        私はそこから舞い出る一片の蝶
        かろやかな雲、さてはあふれてやまぬ泉
        ふく風
        ああそこから海が、山が、空が
        はてしなくひらけ
        またしてもあの地平線
        ゆけども、ゆけども、ゆけどもー。


ギター文化館ミュージアムコンサート

2019-01-19 22:34:48 | 芸術
近所の友人を誘ってギター文化館へ行きました。愛車で5~6分です。午後2時から3時まで、チケットは千円というお手軽なコンサートですが、演奏者=北口功氏(1963~)を囲むような数十人ほどの席で、久しぶりに優しく美しいギターの音色に身をゆだねた至福のひとときでした。
プログラムはフェルナンド・ソル(1778~1839)作品の演奏と解説付き。北口功氏は演奏家であると共に、フェルナンド・ソルの研究家でもあるそうです。若かりし頃、京都大学工学部に入学したものの、ギターへの夢を捨てきれず、退学してパリへ留学した、という異色の経歴があるんですね。

音楽に関する知識が貧しすぎる私ですが、北口功氏の解説は、そのギターの音色のように優しく心に響きました。ソルには、古典主義(絶対音楽)とロマン主義(標題音楽)の両方の魅力がある、とのことでした。

《「もしもシダになれたなら」の主題による変奏曲》も演奏されました。「もしもシダになれたなら」とは、当時のフランスの流行歌だそうです。北口功氏が訳したこの歌詞が、うっとりするほど優しい! 以下に一部を引用します。  「シダ」は彼の地では役に立たないものの代名詞だそうです。

     もしも、シダになれたなら、
     ふとしたある日の夕暮れに、
     あの人に、その陰ですこし休んでもらおう、
     きっと愛の神様も見守って下さるに違いない。
     もしも、そよ風になれたなら
     うまく吹いて、あの人に、いっそう輝いてもらおう、
     あの人の、足もとに咲く花も、きりっとさせておこう。

     もしも、清い泉になれたなら、
     あの人をその中にお迎えしよう。
     もしも、柔らかい布になれたなら、
     水浴びのあとのあの人をやさしく包んでさしあげよう。
     

     

路傍の画家

2018-05-30 10:24:41 | 芸術
江上茂雄さん(福岡県出身 1912~2014)の絵画展が、武蔵野市立吉祥寺美術館(吉祥寺駅北口から徒歩約3分)で開催されています。7月8日までです。作品集は手元にありますが、直接この目で鑑賞して体感したい! ・・・けれどヨタヨタのこの体では、吉祥寺は遠い・・・諦めざるを得ません。



江上茂雄さんは12歳のときに父親を亡くされました。高等小学校卒の15歳で就職し、定年まで働き、7人家族を養いました。この期間を含め101歳まで独学で絵を描き続け、2万点以上の作品を遺されました。土地の人々からは「路傍の画家」と呼ばれていました。

高価な油絵具が買えないため、クレヨンやクレパスで描かれた期間が長かったようです。加齢と御病気のため手に力が入らなくなってからは水彩画に取り組み、さらに最晩年に屋外写生が難しくなられてからは、かっての自作の風景画を元にした木版画に取り組まれました。



無名の画家でしたが、最晩年に、御子息たちの支援によりささやかな個展を開かれたところ、衝撃といってよい感動と反響を呼び、美術界関係者の目にも止まりました。以来、福岡県立美術館など、各地で展覧会が開催されるようになりました。東京での開催は今回が初めてです。

有難いことに、江上茂雄さんとは少し御縁があって、当庵に掲げさせてもらっている作品があります。



いつかどこかで見たことがあるような風景。でも、もしかしたら、どこか遠い遠い知らない国の風景のような気もしてくる、そんな不思議な絵です。(不器用な腕で撮った画像を載せてしまって、ごめんなさい。)

いばらき詩画展

2017-10-18 22:40:13 | 芸術
近所の友人と一緒に「いばらき詩画展」(茨城県詩人協会主催)へ行ってきました。会場は、石岡の香丸資料館2階です。こじんまりとした会場ですが、多彩な詩と絵と写真等々のコラボレーションが、新鮮かつ奥深い気配を漂わせていました。

そして・・・私が心から畏敬する詩人、硲杏子様(八郷在住)にお会いすることが出来ました。硲様の詩集「水の声」と「望郷のバラード」が手元にありますが、感性の鈍い私の心にも、深く入り込んできます。

茨城県詩人協会の会長という大変なお立場でもいらっしゃるのに、私のような凡庸な者にもお気遣いしてくださり、恐縮の限りでした。

香丸資料館を訪れたのは初めてでしたが、旧い土蔵を改修した、趣のある素敵な空間でした。1階は喫茶店になっており、友人は珈琲、私はお抹茶を戴きました。久しぶりのお抹茶の滋味が、体と心に染みわたるようでした。

この「いばらき詩画展」は、「いばらき詩祭2017石岡」の一環だそうです。10月22日の午後には、石岡市立中央図書館で、「講演と朗読の会」も開催されるようです。(私は残念ながら行けませんが・・)選挙の日でもあり、雨がひどくならないことを祈ります。

尾崎豊の声

2015-11-01 17:13:49 | 芸術
茶道の稽古を終えて帰庵し、着替えて遅い昼食を摂っていた。いつものように何となくFMラジオの「日曜喫茶室」を聞きながら。すると、尾崎豊(1965~1992)の「卒業」(1985)だという紹介があって、その楽曲が流れてきた。途端に私の心が揺らめいた。この声は嘘ではない! と。茶道の稽古で神経が高揚していたからかも知れない。

尾崎豊には私は何の関心も無かった。彼が急死したときの大騒ぎだけは記憶にある。どうせ浅はかな若者たちだけが騒いでいるのだろう、と思っていた。

「卒業」の歌詞をネットで見た。惹かれる言葉が多い。最終節を引用する。

     仕組まれた自由に 誰も気付かずに
     あがいた日々も終わる
     この支配からの卒業   
     闘いからの卒業


「I love you」(1991)の歌詞も見てみた。やはり惹かれる。

     それからまた二人は 目を閉じるよ
     悲しい歌に 愛がしらけてしまわぬように















浜田知明の声

2015-10-11 17:51:09 | 芸術
午前4時過ぎに起床してラジオを付ける。午前5時までが深夜放送番組で、昼間の番組では外圧或いは自粛で聞けないような内容が聞けることも多い。今朝は浜田知明(1917~)へのインタビューだった。美術に疎い私でも、「初年兵哀歌」を中学校の参考書か何かの頁の片隅に見出したときの衝撃的な印象は、半世紀を過ぎても鮮やかだ。

ラジオで人の声を聞いていると、真実を語ろうとしている人なのか、それともゴマカソウとしている人なのか、その声の感じで分かる。浜田知明の声は真実の声だ。知性と感性が澄み渡っているような声だ。これが97歳を過ぎた人の声だとは、奇蹟に近いのではないか。

浜田知明は、こんなことを言った。本土空襲の被害の悲惨を語る人は多いが、中国大陸の重慶を日本軍が爆撃したことは語られない と。シベリア抑留の悲惨を語る人は多いが、日本兵が中国大陸で男を見れば殺し、女を見れば強姦したことを語る人は少ない と。

浜田知明の言葉は自身の体験から発している。今の日本は戦前に似ている とも言った。戦前も、戦争直前まで平和な日常だったが、それが一挙に付和雷同して戦争へなだれ込んでいった と。

漆黒

2010-03-14 19:55:47 | 芸術

昼下がりに「こんこんギャラリー」(創作家が共同で建設運営)へ行ったら、yNさんが当番で詰めていた。淹れて下さったお茶を戴きながらお喋りをひとしきり。

yNさんは陶芸家だが、茶道の御趣味もある。「大日本茶道学会」という流派で、「口伝」(文字で記録して伝えることが禁じられている)が無く、従ってテキストが揃っているそうだ。私が習っている裏千家では、テキストには書かれていない「口伝」の点前を教えてもらった時は、帰庵後忘れないうちに思い出しながらせっせとメモることになる。どちらの方が良いのか、私には分からない。たぶん、人により、場合により、だろう。

Dscn1472 桜井利男さんが戻ってこられた。ギャラリー周辺の林を廻って創作に使えそうな木を探していたらしい。木工漆器の創作家で、作品の企画展示の最終日だ。私が手に取ったのは欅の漆塗。節穴や不整形な切り口が生かされていて、漆の色も飴色から黒に近い色まで変化しているのに心引かれた。切り取られてからの年月が長い木部には漆が濃く沁み込んで漆黒色になっていく、と教えていただいた。


夜桜

2009-04-14 17:32:58 | 芸術

Dscn0485_sh01 愛車で10分程のySさん宅へ、お招きを受けて伺った。淑やかなySさんの御点前のお抹茶を、出来上がったばかりの茶庭を眺めつつ庭師のjOさんと一緒に戴いた。

jOさんは当庵の茶庭も造って下さった方だ。会社を定年退職後に一級造園技能士の資格試験に挑戦し、見事合格されて第2の仕事に情熱を燃やされている。

ySさんのお棗(薄茶器)を拝見した。全体が黒漆で真っ黒に見える。手に取って少し角度を変えながら見ていると、不意に桜花の模様が透けるように浮かび上がった。少庵(利休の跡継ぎ)好みの「夜桜」という銘が付いている。

昨今のライトアップなどとは無縁の、本当の夜桜だ。真の闇の中でこそ、桜の色香も濃く想われる。