みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

見えないものに

2013-10-31 19:14:38 | 

岩波の「図書」11月号で、「津軽三味線の彼方へ」と題した佐々木幹郎(1947~)の記事を興味深く読みました。

代高橋竹山(1910~1998)は、2歳のときに麻疹をこじらせて半盲目になった。十代半ばから二十代後半まで、世間から「ホイド」(乞食)と卑しめられながら、三味線を奏でる「ボサマ」として・・門付け芸で食べるために、東北一帯を歩き、北海道から樺太まで足を伸ばした

・・労音」を通して若者たちに出会い、それまでの「客」ではなく「聴き手」と出会ったことは、竹山にとっては驚くべきことだった、と佐藤貞樹(1926~2001)は言っている。

竹山はそれまで短時間でしか演奏されなかった津軽三味線の「曲弾き」を、・・長い独奏曲にまで仕上げようとしていた。そのために、佐藤貞樹はさまざまな国の唄や曲を竹山に聴かせた。難題を押し付け、二人で喧嘩をした。それは「高橋竹山」という世界が出来上がるまでの二人三脚の歩みだった。

3・11大震災が起きたとき、佐々木幹朗が一番欲したのは、東北の声を聴くことだったそうです。ところが・・・ 

佐藤貞樹は、大岡信の「詩歌折々の話」(講談社、1980)から、ドイツのロマン派詩人・ノヴァーリス(1772~1801)の次のような詩を引用していた。

  すべての見えるものは見えないものに、
  聞こえるものは聞こえないものに、
  感じられるものは感じられないものに
  付着している。おそらく、
  考えられるものは考えられないものに
  付着しているのだろう。

佐藤貞樹が初代竹山の音色から受け止めたのは、このことだった のだ、と。

衝撃を受けた。わたしは東北の声を聴きたいと言いながら、「聴こえるもの」にだけ、耳をそばだてようとしていたのではないか。これまで、見えるものと、感じるものと、考えられるものにだけ、信を置いていたのではないか。

見えるもの、聞こえるもの、感じられるもの、考えられるもの、とりわけ言葉になっているものにだけ信を置いてしまう悪癖が、私にも染みついています。

初代高橋竹山の津軽三味線が、無性に聞きたくなりました。生演奏はもう叶わぬことですが。

 


穏やかな筑波嶺

2013-10-28 19:58:32 | 俳句

戦後60有余年の社会の基層を成していた平和主義が、根底から覆されようとしています。怒涛の勢いです。NHKの最高人事も政権が牛耳ることになりました。マスコミを支配下におけば、民の心も政権の思うがままに変えられます。もう既に半ばはそうなってしまっていますが。

海外へ原発(=核)を売り込み、隣国には戦争を仕掛け、核と軍需による資本の増殖を先導するのに躍起となっているアベ政権。総理の顔がヒトラーの顔とダブってきました。

昨日に続いて抜けるような青空が広がった今日。この国を襲っている暗雲を暫し忘れて俳句の会に参加し、瓦谷の雲照寺付近を吟行しました。境内に多い松が綺麗に手入れされています。赤蜻蛉が低く飛んできました。

     赤蜻蛉止まりて石の気息めく

薄紅葉の野の向こうに、筑波嶺が穏やかに見えます。この国の穏やかな平和が脅かされている現実との対比を思わずにはいられません。

Dscn0009


裏千家の地区大会

2013-10-26 21:25:31 | 茶道

今朝は未明の3時過ぎに起床。簡単な食事、ヘッドランプを点けての犬の散歩等の後、訪問着(古着を扱う友人が選んで下さったもの)に着替えて、6時過ぎに愛車で出発。裏千家淡交会の関東地区大会会場(水戸の文化センター)へ向かいました。

地元の私たちはスタッフとしての役割があるので、昨日の昼間に続き今早朝から大会準備に携わりました。昨夜は緊張のためか、熟睡できないところへ2時過ぎの地震ですっかり目覚めてしまいました。当地の震度は3だったようですが、揺れが長くて恐怖感が募りました。マグニチュードは7以上。三陸海岸の一部には数十センチの津波も来たようです。

台風の影響の長雨にも見舞われましたが、大会自体は盛大でした。当代お家元(坐忘斎)とそのご家族も出席されて、その御姿を私は初めて直接仰ぐ機会を得ました。講演された家元のとても柔らかい声が印象的でした。

スタッフとしての役割は大変な部分もありましたが、皆で協力し合い、何とか乗り切ることが出来ました。

帰庵したのは夕方の6時過ぎ。着物から野良着に着替え、ヘッドランプを点けて犬の散歩。鶏たちは止まり木に並んで、静かに休んでいました。


ニコンのデジカメ

2013-10-22 19:50:34 | 八郷の自然と風景

新しいデジカメを買いました。ニコンのCOOLPIX S9400 です。ケーズデンキで 16,910 円。SDカードは別途 950 円。細々とした家計上は痛い出費ですが、これまでのCOOLPIX  L15 は光学ズームが3倍。野鳥などの撮影が難しかったので。S9400  は18倍。ただ、使いこなせるかどうか・・・

Dscn0001Dscn0003向こうの山並みの写真。L15 では左側ぐらいまで。S9400で、山並みの一部を拡大できました。

Dscn0005接写の性能も少し良くなりました。菜園の白菜。そろそろ芯のところから巻き始めそうです。葉の上のオンブバッタが見える(写真上クリックで拡大します)でしょうか? 親が子をオンブしているのではなくて、オンブされているのは実は雄だと知ってから、このバッタが何だか憎らしくなりました。この小さな雄は逃げ足(羽根)が非常に速くて、雌だけが捕まることが多いのです。

Dscn0007キャベツも巻き始める兆し。青虫(退治済)に喰われて、穴だらけになりましたが。おんぶバッタも青虫も、その完璧な保護色に脱帽です。

 


30周年の「お茶とお香をたのしむ会」

2013-10-19 19:32:49 | 文化

Dscn3791笠間稲荷神社の参集殿へ行き、澄心会 の「お茶とお香をたのしむ会」に参加しました。お香(志野流)が2席、お茶が2席(表千家・江戸千家)です。

参集殿3階での香席は、銀閣寺内の香室の 写し という静かで清らかな趣きの10畳室で催されました。

香席の経験が数えるほどしかない私は、やはり緊張してしまいます。でも御指導くださる御婦人の穏やかな語り口を耳にしていると、心も体もやわらかになって白雲にでも乗っているかのような幸せな気分になりました。かなりの御高齢と仄聞していますが、とてもそのようなお齢には見えません。

「ごあんざ」という言葉の申し送りをするのは、「緊張しないで、お気楽に。」という意味だそうです。その後からお香が廻ってきます。お香を聞く感受性は、そのときの心身の状態によって違うようです。今日の私は、比較的おちついて聞くことが出来ました。

大寄せの会ではありますが、大都市でのそれのようにひどい混みかたはしないのが有難いです。お茶席での薄茶もお菓子(2席とも素敵な主菓子でした)も美味しく、点心(昼食)も例年通り味わい深くて、一緒に参加した仲間と共に大満足でした。

Dscn3793_2その上、この澄心会は30周年ということで、お土産まで戴きました。「心ばかり」と書かれていますが、源氏香のデザインの上質の干菓子です。感謝!


「岡倉天心~その内なる敵」

2013-10-16 18:50:06 | 

台風通過の風雨の音を聞きながら、松本清張(1909~1992)の標記の著書(1982~3 「藝術新潮」連載)を読みました。

岡倉天心(1863~1913)は、明治の美術界を牽引したことで名高いけれども、自身は創作家ではありません。「茶の本」は名著とされていますが、茶人というわけでもありません。

Dscn3787_2数年前に「茶の本」を読んだとき、その強引な文脈に抵抗感を覚えました。昨年訪れた五浦の記念館の展示や六角堂(大震災後再建)の様子からは、とてつもなく偉大なようでありながら、その人物像を不可解に思いました。

本書は、関係資料(清張が発掘したものを含む)の引用に多くの頁を割いています。ノンフィクションと言ってよいでしょう。それらの資料が示す情報は多角的に比較検討されて、天心像が丹念に構築されていると思います。

岡倉天心は文部官僚だったということ、この明らかな事実を私も等閑視していました。もちろん、タダの官僚ではなかった。特異なカリスマ性を有していて、だからこそ今日に至るまで信奉者が多いわけです。しかし信奉者は転じて仇敵になることもある。官僚の派閥争いに敗れて、落ち延びた先が五浦であり、越後赤倉であったのですね。

三人(横山大観、菱田春草、下村観山)のすぐれた画家が天心を崇めたからといって、かれら弟子の言葉どおりにわれわれまで天心を師と仰ぐ要はない。天心の行動に見られる矛盾を彼のカリスマに溶けこませて雲烟視するのは、天心信者のすることである。わたしがこれまで書いてきたことを、「天心の尊像」の破壊者として非難する声があるかもしれないが、それもまたやむを得ない。

確かに「尊像」は引きずり下ろされたかも知れないけれど、天心の「実像」に著者ほど親愛を寄せた人は稀有ではないか、とも思います。以下は天心の最後についての一節です。

天心、五十二歳であった。まだ若い年齢だったが、明治の「巨人」がほとんどそうであるように、鬱然たる長老に思われた。

天心像に対する私の漠然とした違和感の由来が、今回の読書によってかなり明確に意識化できたように思います。


風返峠

2013-10-10 20:52:00 | 俳句

俳句の会で風返峠へ行きました。筑波連山の一角で、八郷の西端に位置します。この峠は「とにかく名前がいい!」ということで、仲間と意見一致。

風返峠は五叉路になっていて、つくば市側からのバス便もあります。私たちはもちろん八郷側から乗合タクシーで、国民宿舎「つくばね」の脇を経由しました。十三塚経由の道は狭隘かつ急坂な部分があって、車の運転は危険です。

Dscn3772五叉路のところは何の変哲もないのですが、数歩ほど脇に入ると、そこはもう 峠 の風景。穂芒がそよぎ、ガマズミや臭木の実が色鮮やかに熟れ、小鳥が鳴き、向こうには筑波の男峰と女峰が並び、峰の先端を掠りながら霧が流れています。

      夢運ぶロープウェイや霧の峰


気功の効果&戴きもの

2013-10-07 19:51:35 | 健康・病気

このところ腰痛がひどくて、就寝中も気になるほどでした。齢だから致し方ない・・と思っていたのですが、腰痛に効果のある気功を最近ずっと怠けていたことに気付いて、一昨日から再開。すると途端に症状が軽くなりました。

遠くの山を両手で真っ二つに裁断するイメージの動作と、池に沈んだお月様を掬い上げて天高く持ち上げるイメージの動作を含んだ気功です。簡単で短時間で出来ます。気功は、イメージ が大事な感じがしますね。

でも腰痛に対する気功の効果は、症状により、人により、違うだろうとも思います。そもそも 気 というものへの思いも人それぞれですから、押し付けがましく推奨するつもりはありません。

弱い私にしては比較的良い体調となり、朝の野良仕事などを終えて庵内で一息入れていたら、軽トラが止まる音とユキ(飼犬)の声。勝手口を開けたら、近所の御主人が「北海道から送ってきたのが今届いたばかり・・」と、お裾分けの秋刀魚3尾!クール便の氷もお裾分けで一緒にポリ袋に入っていました。 

Dscn3766秋刀魚は私の大好物なのですが、今年は不漁とかで、高級魚なみの値段に恐れをなして、買うのも躊躇していました。本当に有難く頂戴しました。2尾は冷凍し、1尾を早速塩焼きにして昼食の膳に。秋刀魚専用の長~いお皿からもはみ出しそう。

Dscn3769夕食は栗ご飯にしました。3週間ほど前に近所の別の方から戴いた栗です。冷蔵庫のチルドで0℃保存しておくと、甘味が増すことをネット情報で知ったので、試してみました。包む新聞紙を2~3日おきに取り換えるのが少々面倒でしたけど。

確かに、甘いというか、旨みが増していました。あんまり美味しくて、ついつい食べ過ぎ、お腹がパンパンになりました。私にしては珍しいことです。たまにはいいか!


岩崎駿介著「地球を生きる」

2013-10-03 20:25:09 | 

Dscn3765八郷には様々な個性の人が移住していますが、岩崎駿介(1937~)ほどに異色な個性は珍しいと思います。

いわゆる まちづくり行政 の先駆けとなった横浜市の都市づくりを田村明の右腕となって推進。その後、国連のスラム課長を経て筑波大学で教鞭。その一方、NGO「日本国際ボランティアセンター」の代表やNPO「市民フォーラム2001」の事務局長として、難民・飢餓・紛争・環境破壊問題に取り組んだ、という経歴の持ち主です。

・・建築より社会問題に興味を抱くようになって、海外を遍歴し、建築より都市、都市より農村、農村より森林、森林より地球という風に問題を訪ね歩き、結局最後は人と人の争いが地球を滅ぼしているのだと感じるようになった。

61歳から63歳までの3年間は、政治にアプローチしようと(国政選挙に立候補し)頑張ったが落選し、それを契機に人知を超えた「時の流れ」というものを強く感じ、いまこの時代にあっては、いかなる善意にもとづく努力や行為もなかなか実を結ばないと感じるようになった。 

そこで長くかかわってきた南北問題と地球環境問題解決の現場から離れ、自分のエネルギーをより有効に生かそうと落日荘の建設に取り掛かった・・

Dscn37642012年度の日本建築家協会・環境建築最優秀賞に選ばれた我が家「落日荘」は、2011年度から8年をかけて、女房とほぼ二人だけで作り上げた。

著者は、・・開発途上国の自然資源・・人的資源を食いつぶすことによってのみ成長してきた先進国経済が、もう食いつぶす資源そのものが枯渇に近付いている・・  私は、人の利益を横取りして有頂天になりやすい先進国都市人には加わりたくないと思い、茨城県の田舎に住み、自分の食べるものはできるだけ自分で作りたいと努力してきた。・・と述べていますが、更なる内省も吐露しています。「落日荘」の空間もまた「都市」そのものではないのか?・・・と。

確かに率直に(私流に単純に)言えば、落日荘は大き過ぎます。過剰に自然を潰し、過剰に資源を消費しています。

以下は、「地球を生きる」上巻38ページ掲載の アメリカ先住民の心 です。思考の逆転を促す美しい詩文だと思います。 

 私たちアメリカ先住民最後の一人が死に絶えれば、私たち民族の記憶は、白人たちの神秘的な物語になってしまうだろう。岸辺のここそこは、私たち民族の見えざる死体に満ちあふれ、あなたたち白人の子どもたちのそのまた子どもたちが野原で、岸辺で、町の店々で、あるいは道なき森の静寂の中で寂しく思うとき、彼らは決して一人ではない。・・・・・夜、あなたの町や村の通りは静まりかえって、砂漠のように感じられるかもしれない。しかし、心配することはない。そこには、かってこの地に満ち、いまだこの美しき国土を愛し続ける私たち先住民の魂が満ち溢れているのだから。
 白人たちは、決して一人ではない。私たちと一緒にいるのだ。
 平和・・・・・平和は、私たちが私たちと宇宙との関係をよく理解し、宇宙と一つなのだと理解したとき、私たちの心の中にやってくる。その宇宙の中心には、偉大な心があり、その中心とは実際、世界のいたるところ、つまり私たち一人一人の心を意味していると理解したとき、平和は自ずとやってくるのだ。

『The Spirit of Native American by Anna Lee Walters:1989』 から抜粋