みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

波佐見焼

2010-10-31 16:42:24 | 文化

畏友から「波佐見焼(はさみやき)」を頂戴した。伝統工芸士、吉川千代子さん(号は千彩)の作である。私は迂闊にも波佐見焼というものを知らなかった。

Dscn1632 沢山の花が咲いている絵模様だけれど、楚々とした慎ましさが感じられて、ややもすれば権威臭が漂うこともある「絢爛豪華」とは異質だ。私はコーヒー・紅茶は飲まないが、別の友人から頂戴した黒糖入り生姜湯や、自家製ジャムを熱湯に溶かし入れた林檎ティーなどをこの器で賞味するのが楽しみになった。

16世紀末、豊臣秀吉の朝鮮出兵のとき、大村藩主が連行してきた朝鮮陶工が波佐見町(長崎県)に窯を築いたのが、波佐見焼の始まりらしいが、侵略者の国へ拉致されてきた陶工は、どんな思いで器を焼いたのだろうか・・

江戸時代からは、庶民向けの磁器を巨大な登窯で大量生産するようになり、「磁器は高級品」という一般の常識を変えた。食器類のシェアは、最近まで国内トップクラスだったそうだが、波佐見焼の名は、近隣産の「有田焼」の影に隠れがちだったのだろう。

昨今は中国や東南アジア産の陶磁器に押されて厳しい状況にあるようだが、庶民の食文化に貢献してきた伝統工芸の継承と発展を願わずにはいられない。


イエスの絶叫

2010-10-29 14:57:58 | 

大貫隆(聖書学)が岩波の「図書」十月号に「イエスの絶叫をめぐって」と題する一文を寄せている。

「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」 (わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか!)

十字架に磔されたイエスが神への問いを絶叫した場面をどう解釈するか? 「罪」は本来、それを犯した人間が償うべきところを、イエスが身代わりとなり血を流してくれたことによって贖われた、という「贖罪信仰」の解釈が伝統的な多数意見である。イエスの絶叫は絶望の叫びのようでありながら、実は神への信頼のうちに自らをその腕の中に投じたのだ、と解されてきた。

[しかし、考えてもみよう。]と、大貫隆は問題提起する。[今、仮に秋葉原の惨劇の犠牲者たちの葬儀を司るのがキリスト教の牧師あるいは神父だとして、彼は「イエス・キリストが私達の罪を贖うために死んで下さっている」などと語りうるものであろうか。それでは、神自らは超越的な高みに悠然としていて、人間の犯した罪の贖いの供え物を受け取ることで、何よりも自分の計画の遂行に心を配っている、ということにならないだろうか。そのような神が何の力になりうるだろうか。]

大貫隆は[イエスの生涯は未決の問いで終わった]という。十字架上の絶叫は[自分の死の意味を神に問い返す叫びであった。] イエスは[自分自身にとって意味不明の謎の死を死んだのである]・・ 伝統的な贖罪信仰に対する真っ向からの反論だ。

[十字架上で神に敵対する未決の問いを発して絶命したイエス、そのイエスとこそ、神は自己を同一化した。神自らが十字架につけられたのである]と。「神概念」の革命が必要なのだ、と。(ユルゲン・モルトマン著「十字架につけられた神」から)

[供犠的キリスト教の特徴は、人間の暴力ではなくて神の暴力である。イエスの受難を贖罪のための供犠とみなしてきたこと、それこそが、歴史的にみたキリスト教が迫害者的性格のものであり続けてきた原因だ]と云う。(ルネ・ジラールの「供犠論」から)

[死ぬことができる死ばかりではなく、死ぬに死ねない非業の死が歴然と存在することは、秋葉原だけにとどまらない。ナチスの強制収容所のユダヤ人たちの死も同じことを示している。人間の生と死の現実そのものに照らしても、イエスの受難を贖罪の供犠と解する伝統的・規範的な見方の限界は明らかだ]

 [死ぬに死ねない死を死ぬほかなかった犠牲者とその遺族を支えることができる神は、同じ死の苦しみを自ら経験したことのある神、すなわち「十字架につけられた神」でしかありえない](ポール・リクールの神学から)

イエスの贖罪という概念は、私がキリスト教に馴染めない原因の一つだった。大貫隆の4ページ足らずのこの一文によって、イエスを少し身近に感じることが出来た。  


鳥風

2010-10-25 17:14:51 | 俳句

Dscn1563 飼犬のジュンを連れて当庵付近の山路を散歩していたら、林の向こうの気配に異変を感じて立ち止まった。一陣のざわめきが迫ってきて得体の知れない不安に眉をひそめた。ざわめきが大きくなって頭上を越えるとき、梢を渡る風だったのか?と見上げたら、それは鳥たちの群れだった。それはまさに風よりも速く、筑波嶺の方向へ去っていった。

渡り鳥たちだったのだ。数百羽はいたと思うが、一糸乱れぬ飛翔だった。一羽ずつの意志と群れ全体の意志とに区別が無い飛翔だった。鳥たちの渡る意志には、不安や希望というような言葉が入る余地は無いように思われた。必然の運命をひたすら生きる、命の真実の飛翔、とでも云うべきだろうか・・

        大空を一気呵成の鳥風よ         小零

「俳句では渡ってくる鳥、ガン・カモ・をはじめ、ツグミ・ヒワ・アトリ・カシラダカ・アオジ等の小鳥の冬鳥類を渡り鳥(秋の季語)としてつくる。春・夏にくる夏鳥は群を成さないので、この冬鳥類の壮観には到底比ぶべきもない。空を覆うばかりに大群で、それが澄んだ空にはっきりと見え、大きい羽音を立てて過ぎるが、これを鳥雲・鳥風という。」(角川書店編「俳句歳時記」より)

        渡り鳥みるみるわれの小さくなり    上田五千石

 


台天目と大円草

2010-10-20 19:28:39 | 八郷の自然と風景

Dscn1609 今日の茶道の稽古は「台天目」だった。中国への留学僧が学んだ禅宗の中心地の天目山に由来する茶碗を用いる。大陸からはるばる渡ってきた茶道具を賓客に対するかのように丁寧に扱う。天目茶碗は必ず両手で扱わねばならないし、下座側には絶対に置いてはいけない。

先日は師の御配慮により奥儀の「大円草(だいえんのそう)」の稽古を付けてもらった。円能斎(裏千家13代家元)考案の大円盆に、唐物(中国大陸から渡ってきたもの)の茶入と和物(日本国内で制作されたもの)の茶入とを載せて始まる点前である。唐物はもちろん、和物も格が高いものを用いるから、どちらにも礼を尽くして丁寧に扱う。円能斎は、没落寸前だった裏千家を辛苦の中で復興した方である。時代は日中戦争の前夜に入らんとしていた。大きく円かな盆の上で、唐物と和物を対等に恭しく扱い、しかも美しく調和させる点前を、円能斎はどんな思いで考案したのだろうか・・・

Dscn1608 1978年の日中平和友好条約締結の際に、尖閣諸島に関する論争は棚上げされた。これについて鄧小平(当時の中国の最高実力者)は、「我々の世代には良い智恵がない。次の世代の日中国民は、我々より良い智恵を出してこの問題を解決するだろう」と言ったという。この発言こそ、まさに智恵そのものだと思う。現実の問題を解決し、かつ奥床しいユーモアさえある発言である。

現代の日中間に鄧小平の智恵を超える智恵は無理としても、それに次ぐぐらいの智恵が出されて、関係修復を具体化し、互いの文化を敬愛し合えるようになることを願わずにはいられない。

当庭のモッテノホカ(食用菊の中で一番美味しいと言われる。鑑賞用にも適している。)の蕾が色を深めてきた。キクは、手元の図鑑によれば漢名「菊」の音読み。中国で園芸的に発達した品種が奈良時代に渡来したものが始まりらしい。

Dscn1612 Dscn1604_3 文化も中国抜きでは語れない。

ススキは、日本の伝統的な秋の風景のシンボルと言えるだろう。日本各地の外、朝鮮半島と中国に分布する。一衣帯水の東アジアは、自然も文化も実質的に共同体なのだと思う。


笠間稲荷神社の香席

2010-10-16 19:45:57 | 文化

Dscn1602 今日は重陽の日(陰暦9月9日)、菊の節句でもある。当庵から愛車で30分余りの笠間稲荷神社は「菊まつり」の初日だった。

私は先輩方と共に拝殿手前脇の参集殿に入った。茶道と香道の席が設けられている。

Dscn1600 神社というと国家神道を連想して膚に合わないと思い込んでいた私だけれど、参集殿の中は豪華さに抑制が効いていて、心が落着く空間だった。屋上の一部を利用した茶庭も、限られた条件下ながら確かな精神性を感じさせられた。l

最初に入った席は「三夕香」だった。香道の席は私は初体験で、以下の記述には錯誤があるかも知れない、あらかじめお許しを!

3種の香が用意されている。それぞれ、新古今集の三夕(さんせき)の歌にちなんで、「槇立山」「鴫立澤」「浦苫屋」と名付けられている。まず前2種の香を聞いて記憶に努める。次に3種の内のいずれか分からない香が回されて、その香名を推量する。

聞香のとき、その印象を何らかの「言葉」に置き換えようと、心中で右往左往している自分に気付いた。強めとか弱めとか、真直ぐとかふんわりとか、波立っているとか平面的とか、重層的とか純粋とか・・・ 香りは言葉にすることによって初めて記憶の範疇に入れる、というルールが予め私に与えられていたかのように。

人間より桁違いに臭覚が働く犬は言葉を持たない。言葉の機能は存在の分節だから、人間は言葉によって物事を・・たぶん香りをも・・分類する。犬は、はるか彼方の微弱な臭源にも気付くけれど、それは単に気付くだけで、細かな分類はし得ていないのだろうか? それとも、言葉に非ざるもの・・人間でいえばアラヤ識のようなもの・・が優れていて、それが分類にも働いているのだろうか?

もう一つの香席は「月見香」という乱箱席だった。「月」と「ウ」と名付けられた香2種が用意されている。まず「月」の香のみを聞いて記憶に努める。次に香元は3種の香を用意する。その3種はいずれも「月」か「ウ」のどちらかではあるが、どちらであるかは、それぞれの香を聞いて各自が推量する。3種が「ウ 月 月」ならば「十六夜(いざよひ)」、「月 ウ ウ」ならば「夕月夜」という風に名付けられている。

「三夕香」で伏せられていた香名は「浦苫屋」、「月見香」の3種は「月 月 ウ」で「待宵」と名付けられている組香だった。ちなみに私は・・どちらも、当たり! 周りの方々に驚かれたが、一番驚いたのは私自身である。ご教授下さった今日の香道の師は、「いろいろ考えたりしないで、ただ香を聞いたほうが当たりやすい」旨、おっしゃっていたから、さしずめ私なぞは、考える材料を全く持ち合わせていないド素人の単純さがまぐれ当たりを招来した、ということでしょうか。

香道というのは、香名を当てる成績を競うものでは断じてなく、香を通して精神世界を豊かにする、というものらしいので、当たったからといって「鼻」をうごめかしたりしていたら、それこそ本末転倒になってしまうのだろう。

Dscn1601 香道はわが国独自の伝統文化らしいが、重陽も菊の節句も中国伝来の行事である。日本の文化の多くが、中国文化の大きな懐から育ってきたことを改めて思った。日中双方とも、もっともっと敬意を深め合えば、私たちの精神世界を更に豊かにすることが出来るだろうに・・


安心の感覚

2010-10-13 19:52:11 | 家族

Dscn1593 私の父には「学歴」と言えるものは無かった。しかし独りでコツコツと本を読む人だった。その父が、介護施設に入所してもなお定期購読していたのが「図書」(岩波書店)である。心身共に弱った最晩年には、ただ枕元に置いてあるだけだったが。

13年前に父が亡くなった時、これからは「図書」を自分が定期購読するのだ、と思い定めた。父の言い残したことが、この本を通して伝わってくるような気がしたのは、私の思い過ごしだったろうけれど。

Dscn1596_2 編集者のあとがきは「こぼればなし」と名付けられている。10月号のそれには、今の子どもたちに一番欠けているのは、(この世の不安や恐れからしっかり護られているという)「安心」の感覚ではないか、という趣旨が述べられていた。子どもたちを包む家庭、地域、そして日本という国の劣化の問題が身に沁みてくる。


わさび菜のことなど

2010-10-11 19:03:35 | 八郷の自然と風景

Dscn1581 筑波連山の裾野に霧が漂う朝だった。日が高くなるにつれて霧は浮かび上がりつつ消えていく。

Dscn1586当菜園では遅蒔きの胡瓜が今、次々に 実っている。塩もみにしたり、味噌漬けにしたり。

Dscn1578 採れたての茗荷の食感の爽やかなこと!

Dscn1589_2 サンサンネットの中で「わさび菜」が急生長してきた。お刺身に添えるワサビの葉、というわけではない。

Dscn1591_2

下葉を折り取って試食。辛味がある、と聞いていたが、辛いというよりもシャキッとした感じ。少し噛み締めたら、ほんのりと甘味が出てきたのには驚いた。サラダは敬遠しがちな私だけれど、これなら大いに生食できそう


言論統制と「民意」

2010-10-10 09:27:12 | 国際・政治

ノーベル平和賞受賞の劉暁波氏が共同起草者だった「〇八憲章」は、2009年12月10日(世界人権デー)インターネット上に発表された。発表前に劉氏は当局に拘束されたが、中国の共産党独裁の廃止と選挙による民主政治等の要求を掲げるこの憲章は、ネット上で賛同の署名が広がった。

言論統制の国では、ネット上であっても当局の規制を免れることは出来ないが、それでもインターネットの発達は社会変革の力になることもある。

日本における言論は自由があり過ぎるように見えるけれど、それはこの国の支配体制が極めて巧妙だからではないか、と思わせられることが増えてきた。あからさまな統制ではないだけに、却って悪質な場合もある。

最近のマスメディアは「民意」という言葉を頻用する。ところがその「民意」は、当のマスメディアが誘導し煽り立てたものだったりする。端的な例が小沢一郎への執拗なバッシングだ。

小沢一郎は自民党政権時代の小沢一郎とは違う。転身した小沢一郎は、外交では対米自立を唱え、内政では「国民の生活が第一」を掲げた。対米従属の利権屋勢力にとっては脅威の的となったのだ。現政権を操る勢力は検察審査会の制度まで悪用し、マスメディアと総ぐるみで政界からの小沢一郎追放の「民意」を煽っている。

私は小沢一郎を善人だとは思わないし、ましてや民主党を積極的に支持するものではないが、「民意」の誘導によって小沢一郎を政界から追放しようとする動きは、日本の政治や社会の危機を深刻化するものだと畏れている。民意の誘導は言論統制と紙一重の差だ。

今、オンライン署名サイトで「小沢一郎議員の民主党議員としての地位保全を求める署名」が進められている。ネット上だから、過疎地に住む無力な私でも参画することが出来る。功罪があるインターネットだが、「功」を活用してマスメディアに対抗する力になることを望む。


永遠の嘘をついてくれ

2010-10-05 21:19:20 | 文化

当ブログでリンクしている「世を倦む日々」のお勧めに従って、吉田拓郎&中島みゆきが歌う永遠の嘘をついてくれ(中島みゆき作詞作曲)をYoutubeで視聴した。ずいぶん前に小耳に挟んで妙に心に残っていた歌だった。男が歌う*中島みゆき*がこんなに魅惑的とは!

拓郎とみゆきとの人間関係(あえて男女関係とは書かない)のことや、普遍的な男女関係のことや、一般的な人間関係のことや、自分自身のことや、世間ひいては日本という国に対する複雑な感情のことまで、色々な想念が広がり深まって、果てしないところまで感情がいってしまいそうな、そんな歌・・・


宿命

2010-10-02 20:33:36 | 

Dscn1576 「体をとりかこむ空気が、皮膚になじまず落着かない」・・主人公の菊谷が仮釈放された第1日目の描写からこの物語は始まる。淡々とした文体を淡々と読んでいくうちに、私の気持は菊谷の気持へ重なっていく。

待ち望んでいた出所だったが、所外の風景の変貌に呆然とする。物価の不規則な高騰や駅の機器の自動化など、社会への適応に苦労する。そして何よりも人間に対して著しい緊張を覚える。道ですれ違う人々におびえ、買物で応対する店員にも怖気づく。

仮釈放という特異な状況設定だが、菊谷の気持は私に素直に伝わってくる。私だってしばしば、風景の変貌に呆然とし、社会への適応に苦労し、人に怖れを抱いているのだ。

菊谷にとっての自由は、脅威でもあった、と言うべきか。服役中は房と作業場を行き来する繰り返しであり、行うことも言われることも言うべきことも決まっていた。自らの言葉を発することは禁じられていたし、発する必要もなかったのだ。

かっての菊谷は高校教師だった。妻と二人の平穏な暮らしだった。そこへ妻についての密告の手紙が舞い込んだのである。まさかと思ったが、妻の不倫を目撃した菊谷は包丁を振りかざして男に傷を負わせ、妻を殺害し、男の家に放火した。男の母親が焼死した。菊谷のその時の心情を、著者は「平静だった」と書く。すべてはあらかじめ決められていたかのように菊谷は行動したのだ。直前まで妻の不倫を信じようとしなかった菊谷が、である。

菊谷は無期刑に処せられた。 

真面目な服役ぶりが認められて15年余りで菊谷は仮釈放された。保護司の援助のおかげもあって、社会にも次第に馴染んでゆく。楽ではない仕事を律儀に務め、自炊し、やがて模範的に更生していると言ってよい暮らしぶりとなった。しかし、真に更生したと言えるのか、菊谷自身、葛藤があった。本心では犯した罪を悔いていないのである。妻を殺したのは当然だったし、男を殺せなかったのは心外だったと思っているのだ。事件を反省するというより、ただ妻の不倫が忘れられるものなら忘れたい忌まわしいことなのだ。

再婚をすることも出来、慎ましいながらも生活が軌道に乗るかに見えたとき、菊谷は2度目の罪を犯した。そのとき菊谷は、自分には自分の世界があり、そこに他人が無造作に入り込むことは許せない、と思う。そして倒れた被害者に向かって、おれを憤らせたお前がいけないのだ、とつぶやく。

読み終えて本を閉じたときの気持を何と言ったらいいのだろう。闇の中にありとあらゆる事象と感情がうごめいているような、言葉に成り得ないものがあまた潜む闇、正邪を判別しがたい闇・・

この春は吉村昭に引き付けられて、「桜田門外ノ変」「天狗争乱」「夜明の雷鳴」「冷たい夏、熱い夏」「遠い日の戦争」「プリズンの満月」「細菌」と立て続けに図書館から借りて読んだ。そして再び吉村昭の世界に入ったのである。いずれも極めて綿密な調査を踏まえた作品で、読者を引き付けてやまないストーリー性と、重くて多義的なテーマ性があり、なおかつ全体に漂う仄かな詩情・・・

吉村昭の作品は、読む人により感想は様々だろうと思う。私は今回も人の「宿命」ということを特に重く感じた。時代の流れと社会の仕組みの中で、ある種の資質の人が生かされるとき、必然的に辿らざるを得なくなる人生の行き詰まり・・ それは私にとっても誰にとっても共通して言えることではないだろうか。