「読書会」主催のバスツァー「文学散歩」に、友人数名を誘って参加しました。行先は、息栖神社・港公園・洋上風力発電所・鹿島神宮など。私は初めて行くところばかり。市の福祉バスなので、費用負担が軽くて有難いです。
まずは息栖神社で、皆と一緒に茅の輪をS字状に潜りました。御利益があるのかどうか分かりませんが、童心に帰れる楽しい風習だと思います。頭と足元にとって、軽いリハビリ効果もあるみたい。
息栖神社が鹿島神宮・香取神社と共に三大神宮だったとは全く知りませんでした。
本殿前の傍らにに芭蕉句碑があり、朱柵で囲われていました。何故か力石と一緒でした。
嵐山光三郎著「芭蕉の誘惑」によれば、句碑に刻まれた<この里は気吹戸主の風寒し>は芭蕉の句ではない、とのことですが、その理由づけが述べられていないので、読者として俄かには納得することも出来ず・・
同じ囲いの中の獅子像?の表情には心魅かれました。
港公園からは、鹿島臨海コンビナートを一望しました。鹿島の名が付いていますが、一帯は神栖(かみす)市なんですね。
午後は鹿島神宮へ。参道入口にあった石造りの鳥居は3・11大震災で崩壊。代って境内の大杉を用いた木製の鳥居が竣工したばかり。
鳥居の柱部(木肌を撫でさせてもらいました)に用いられた神杉は樹齢約5百年、最上部の笠木は約6百年だそうです。
神域は21万坪だそうで、さすがに凄い!本殿裏の神木は樹齢1300年とか。
本殿から奥宮へ通ずる鬱蒼とした森の道は心に深く残るものでした。
奥宮から更に森の道を下っていったところに、苔むした句碑がひっそり・・・
この松の実生せし代や神の秋 芭蕉
梅雨曇の一日で、関東では局所的に激しい雷雨にも見舞われましたが、私たちの一行が傘を開く必要もなかったのは奇跡的!
この文学散歩を企画・準備し、実施のお世話をして下さった方々に深謝致します。
早朝5時過ぎ、雲の上のはるかに高いあたりから弱く聞こえていた雷鳴が、急に頭上近くで強く鳴り出すと同時にザーッと雨が降りだしました。ちょうどユキの散歩を終える頃。ユキと鶏たちへ給餌している間に、雷雨はたちまち激しくなりました。
雨戸を半分閉めて読書でも・・と本を開いたけれど、臓腑を揺るがすような大音響の雷鳴が次から次へ・・心ここに在らず。気の小さい私には大自然の猛威は恐怖です。
ふと窓外へ目を遣ったとき、庭先を黒い犬影が。思わず窓を開けてジュン!と叫び、雷雨の屋外へ出ていった私。
当庵で飼っていたジュンと近所で飼われていたユキとを、やむを得ぬ事情で交換してから2年半。ジュンは広いドッグランドで飼われているのですが、時折、里心か浮気心か、ドッグランドの囲いを潜って脱走してきます。
ジュンの脱走には、困ったものだ・・という気持と共に、私を忘れないで来てくれたのね・・という満足感みたいな気持とがあって、ちょっと複雑。雷雨の中、久しぶりに脱走してきたジュンを、抱きしめてしまった私でした。
昼過ぎに雷雨はおさまり、私は剪定鋏を持ち出して伸び放題の生垣に取り組みました。
剪定作業がもうすぐ終わりそうなとき、玄関先の小枝に蜂が巣作りしているのに気付いてゾーッ。剪定鋏の先がちょっとずれていたら、巣作りを妨害された蜂が攻撃してきたかも! オオスズメバチではないけれど、それなりの中型?の蜂です。
雨は止んでいましたが、蜂の針対策に雨合羽を着こみ、透明ビニール袋を頭から被り、棒の先に古新聞を巻き付けて古灯油に浸し、マッチで火を点けました。庵の軒先が近いので、火の粉対策としてバケツに水と柄杓も準備しました。
燃え上がった棒先をサッと巣作り箇所へ近付けたら、アッという間に巣は蜂ごと焦げました。蜂さんには申し訳ないけれど、無事退治できてホッ。
梅雨の典型のような日。野良仕事が出来ないし、気持もパッとはしないけれど、悪いことばかりではない。静かに降る雨の音は、私の軽率な精神をも落ち着かせてくれる。
庭の夏椿も雨の中。落花のときは椿のように一花まるごと落ちるが、椿のような重量感はない。ホロッと音も無く落ちる。
裏庭の半夏生は1株だけ。周りにはミズヒキや杜鵑草が勢いよく繁茂してるけれど、殖えてほしい半夏生はサッパリ。孤独は半夏生らしい風情ではあるけれど。
半夏生の花穂に蟻が数匹。ジミ~な花だけれど、蜜はアマ~イのでしょう。
郷土史関係で調べたいことがあって、中央公民館の図書室へ行った。ただでさえ過疎の地、薄暗いこんな雨の日は何処も人影がわずか。人が少ないと、人は人に気遣いを深くするような気がする。
図書室の職員も、資料の在処を問う私を親切に案内してくれた。私の貸出カードの有効期限が切れていることに気付いたその職員は、「更新手続きに住所がわかる免許証か何かありませんでしょうか?」と、しきりに恐縮しながら申し訳なさそうに言う。更新手続きは当然すべきことだから、職員があやまる必要は全くないのだけれど、事務的に対応されるよりもやっぱり心が和む。
俳句の会で北向観音へ行きました。年老いた小野小町が峠を越えてきて、この観音様に祈ったら病気が治ったという伝説があります。地名も小野越。
歴史を積み重ねたような石段は微妙に歪み、かつ急なので躊躇しましたが、風情に魅かれ、四つん這いに近い恰好で登ったら意外に楽でした。
病気が治った小野小町は、御礼にと、簪(かんざし)を地に挿したところ、簪のような花を咲かせる樹になった、という伝説の「かんざしの木」と云われる菩提樹が傍らにあり、ちょうど可愛らしい花をたくさん付けていい香りを漂わせていました。
かんざしの花や老病ふと忘れ
御堂は小さく可愛らしく、一面の緑に包まれていました。堂の中を覗いたら、均整のとれた観音像が祀られていて、色とりどりの千羽鶴が奉納されていました。観音像は江戸時代の作で、7年前に修復されたそうです。堂内の像は、もしかしたらレプリカかも。
梅雨の季節ですが、雨は降らず、薄雲のおかげで直射日光も抑えられ気味。眼下に広がる青田からは清々しい風が送られてきて、吟行日和でした。
理研の改革委員会が、小保方春子と理研関係者の責任は重大として、厳重処分すべき、と提言したのは当然。しかし、STAP細胞の有無の検証実験に小保方を参加させよ、というくだりには目を疑った。
STAP細胞を作ったという論文は嘘だったのだから、STAP細胞は無かったのだ。既に決着していること。有無の検証の必要など露ほどもない。
必要なのは小保方の捏造事件の経緯の検証だ。小保方は検証の対象であり、検証する側では断じてない。もし検証側に小保方を参加させようとするのならば、それは、犯罪を捜査する側へ主犯の参加をお願いするようなものだ。滑稽を通り越している。
田植えから約1ヶ月を過ぎて、稲たちの緑がひときわ濃くなり、分けつも進みだして株が大きくなってきました。でもこのところ雨また雨の毎日で、病気になりやすいのではないかと少し心配です。
カルガモも、よく見る(ダブルクリックで拡大)とそれなりに綺麗です。
羽繕いの姿は艶めかしい感じ・・・こちらが雌かしら?
傘を差して二人で歩いていたら、息子がふと呟くような細い声で歌った。
♪ デンシンバシラモ~ ポストモ~ アメ~ノナカ~
その歌の一節は私の心を打った。心の奥のページがサッと開いたような。
もう一度歌って!とせがむ私に、息子は幼いながらも大いに照れた。そしてまた一節を歌った。
♪ ショウガナイ~ アメノヒハショウガナイ~
私は感嘆した。こんなに素晴らしく詩的な歌を息子が歌ってくれるなんて!
音楽に疎い私は、別役實(1937~)作詞・小室等(1943~)作曲の ♪ 雨が空から降れば ♪ (1966作)を全く知らなかったのだ。息子は通っている保育園で覚えたのだろう。
あの日、駅に着いて、プラットホームに電車が入ってきたのを見て、二人で「電車も雨の中だね~」などと言ったりした。
それにしても、本当に雨の日にピッタリの歌だと思う。
♪ 雨が空から降れば
オモイデは地面にしみ込む
雨がシトシト降れば
オモイデはシトシトにじむ
♪ 黒いコーモリ傘をさして
街を歩けば
あの街は雨の中
この街も雨の中
電信柱もポストも
フルサトも雨の中
♪ しょうがない
雨の日はしょうがない
公園のベンチでひとりおさかなをつれば
おさかなもまた雨の中
♪ しょうがない雨の日はしょうがない
♪ しょうがない雨の日はしょうがない
♪ しょうがない雨の日はしょうがない
都会で暮らしていたとき、世間の人々がドクダミを毛嫌いしていることに反感を覚えていた。あんなに美しい花が咲くのに・・と。薬効もあるし、匂いは独特だけれど悪臭というほどではないのに、と。
当地では至るところでドクダミに出会う。無意識に踏みつけたときに発する臭気の強さは相当のものだ。
その根は地下にしぶとく張りめぐらされ、地表に顔を出した葉茎を抜いても抜いても後から後からまた顔を出す。人様の土地なら許しても、自分の庭や菜園に顔を出されると、嫌な奴だと思ってしまう。
でもその花はやはり美しい。清楚なような、そうでないような。淋しそうなような、そうでないような。
雨がしとしとと降ったり止んだりの今日。山路の小暗がりにドクダミが群れ咲いていた。私の下手な撮影では、この花の魅力は幾らも伝えることが出来ないが。
今日は木曜日。木曜日はショッピングセンターの全商品が10%引きなので、近所の御婦人お二人と一緒の買物デー。買物が終わる頃、ぽつぽつと雨が降りだしました。
高温乾燥状態が続いて、先般定植した茄子や胡瓜などが弱り気味。草を刈っていても根土が舞い上がり、目に入ったりするので困っていました。待望の雨と言えますが、梅雨入りとか。長雨になるのも憂鬱。人間の思いは全く勝手で・・
降ったり止んだりの雨を窓外に見つつ昼食の支度をしていると、当菜園の脇に自生の桑の木に鳥が止まっていました。
タカ科のサシバです。この季節になると、ピックィー と独特の鳴き声を挙げながら上空を飛ぶ姿をよく見掛けます。
このサシバは、のろまの私が昼食を終わろうとする頃まで、周囲を見回しながら寡黙に止まっていました。
突然、甲高い声を立てながらヒヨドリが2羽、桑の木に飛び込んできました。
サシバは猛禽類ですから、ヒヨドリを襲うか追っ払うかするのかと思ったら、意外なことに、サシバの方が逃げ出すように飛び去ったのです。
サシバの主食は、蛙などの両棲類と蛇や蜥蜴などの爬虫類ですから、ヒヨドリには用が無かったということかしら? そして無口なサシバにとって、うるさいヒヨドリの声は堪えられないものだったのかしら?
アヤメ模様の小紋の単衣に着替えて茶道の稽古へ行きました。
先生が用意して下さった黒漆の長板が涼しげです。お薄の茶碗の鮮やかな図柄は、青葉の野山と杜鵑。内側には可愛い鰹が3尾。芭蕉の句にちなんだ作品に見とれました。
先輩弟子のお一人が、足袋を穿いていると足親指の巻き爪が痛むことを明かされました。この方は、茶人として素晴らしい上にお顔もお姿も美しく、また良き家庭にも恵まれていらっしゃる御様子で、私としては日頃、尊敬と同時に、羨望の気持で接しています。でも、その爽やかな茶人としてのお姿は、足袋の中の巻き爪の痛みを堪えながらのことだったのですね。
誰しも、その体や心のどこかに巻き爪のような痛みを持しているのかも・・・