みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

正月の墓苑

2020-01-02 19:56:27 | 家族
正月2日、例年通り亡娘の墓へお参りに行ってきた。祥月命日だから。
駅から杖をついて歩いた。歩行が辛い身なので不安だったが、ふらつきながらも1時間ぐらいかけて辿り着くことが出来た。

既に真新しい仏花が供えてあった。お線香の一束分の灰が残っていた。今日の早朝か昨日かにお参りしてくれた人達がいるのだ。たぶん亡娘の異母妹とその家族だろう。亡娘たちの亡父の墓でもあるから。
当庵周辺で採取した椿や庭の馬酔木の蕾枝などを持参していたので、仏花に加えた。少し賑やかになった。





墓苑とはいえ、正月だから墓参の家族がちらほら。子供たちははしゃぎまわったり、大人たちの所作を不思議そうに眺めたり、楽しそうだ。
ところが私がお参りしているすぐそばで、女の鋭い声がした。「あなた、お花は買ってきてくれたの?!」 続いて男の低い声で「おれにばかり何でもさせるなよ。」 女「何でもさせるだなんて、あなた、何にもしてないじゃないの!」 男「・・・」

声のトーンからして、日ごろから不信感が渦巻いているであろう夫婦だ。一人暮らしも辛いが、夫婦も大変だ。私には、あの女の気持ちも男の気持ちも、どちらもよく分かるような気がする。分かったからといって、なんの役にも立たないが。

帰りもよろけそうな体を杖で支えつつ、1時間ほど懸命に歩いて駅に着くことが出来た。途中、道路を横断するタイミングに迷っていたら、車の運転者が手振りで「どうぞ」と止まってくれたし、駅のエレベーターを利用したときは、「開」ボタンを押して私の出入りを待ってもらったり・・・優しくしてもらって幸せな気分を味わった。これが逆に意地悪されたりしたら、どんなに辛いことだろう。

亡娘の縁

2016-01-02 16:39:56 | 家族
亡娘の祥月命日です。私に似ていなくて顔立ちが整った嬰だった。が、その顔は病苦で歪んでいることが多かった。思い出すと息が詰まりそうになる。あの頃の私は、毎日が切羽詰まったような気持だった・・ 周りの人々にとっては、さぞ迷惑なことだったろう。

久しぶりに電車に乗り、降車駅から40分ほど(以前は30分ほどだったけれど、年々足が遅くなる・・)歩いて墓地へ。亡娘とその亡父と亡祖父母のお墓。近づいてハッとしました。水洗いされたばかりの様子! 供えられたばかりらしい小菊などの花とカップ酒。毎年この日に来ているけれど、初めての事です。

どなたがお参りされたのか・・・亡娘を介して私とも繋がりのある人だろうけれど、私と出会う機会は少なくとも今までは無かった人だろう。こういう関係も「縁」ではある。一度お会いしたいような、でもやはり会いたくないような。当庵の庭に咲いていた水仙花と実南天を持参してきたので、少々躊躇いながらも供花として加えました。





息子もお嫁ちゃんも

2015-07-06 17:45:17 | 家族
毎日毎日しとしとしとしと雨が降り続いて、庭も菜園も家も野山も何もかも濡れ尽しています。



そんな雨を潜り抜けるようにして息子夫婦が久しぶりに立ち寄ってくれました。息子もお嫁ちゃんも元気な様子だったので安堵しました。仕事が忙し過ぎてバテているのではないかと少々心配だったので。

日頃私がお世話になっている御近所等へ一緒に挨拶まわりしました。私の身に何かあって息子夫婦が来るというような場合に、先ず頼りになる方々ですから。これも私の「死ぬ準備」の一種かな?


雨が空から降れば

2014-06-11 15:03:26 | 家族

Dscn0664_2 田植えから約1ヶ月を過ぎて、稲たちの緑がひときわ濃くなり、分けつも進みだして株が大きくなってきました。でもこのところ雨また雨の毎日で、病気になりやすいのではないかと少し心配です。

Dscn0670 カルガモも、よく見る(ダブルクリックで拡大)とそれなりに綺麗です。

羽繕いの姿は艶めかしい感じ・・・こちらが雌かしら?

Dscn0669雨の日が続くと思い出すのは、息子が4歳ぐらいの頃のこと。

傘を差して二人で歩いていたら、息子がふと呟くような細い声で歌った。

♪ デンシンバシラモ~ ポストモ~  アメ~ノナカ~

その歌の一節は私の心を打った。心の奥のページがサッと開いたような。

もう一度歌って!とせがむ私に、息子は幼いながらも大いに照れた。そしてまた一節を歌った。

♪ ショウガナイ~ アメノヒハショウガナイ~

私は感嘆した。こんなに素晴らしく詩的な歌を息子が歌ってくれるなんて! 

音楽に疎い私は、別役實(1937~)作詞・小室等(1943~)作曲の ♪ 雨が空から降れば ♪ (1966作)を全く知らなかったのだ。息子は通っている保育園で覚えたのだろう。

あの日、駅に着いて、プラットホームに電車が入ってきたのを見て、二人で「電車も雨の中だね~」などと言ったりした。

それにしても、本当に雨の日にピッタリの歌だと思う。

   ♪ 雨が空から降れば
   オモイデは地面にしみ込む
   雨がシトシト降れば
   オモイデはシトシトにじむ

  ♪ 黒いコーモリ傘をさして
   街を歩けば
   あの街は雨の中
   この街も雨の中
   電信柱もポストも
   フルサトも雨の中

  ♪ しょうがない
   雨の日はしょうがない
   公園のベンチでひとりおさかなをつれば
   おさかなもまた雨の中

  ♪ しょうがない雨の日はしょうがない
  ♪ しょうがない雨の日はしょうがない
  ♪ しょうがない雨の日はしょうがない

Dscn0673


母の日の古傷

2014-05-11 19:11:15 | 家族

真っ赤な郵便局の配達車が庵前に止まり、いつもとは違う配達人が、何だか嬉しそうにニコニコして届け物を私に渡してくれた。送り主欄に息子夫婦の名前がお嫁ちゃんの字で書いてある。今日は母の日。

母の日を素直に迎えられる人って、そんなに多くはないのでは?

息子と亡娘の母としても、母なるヒトの子としても、私にとって母の日は浅からぬ古傷が容赦なく疼く日でもある。

それでも、お嫁ちゃんの心遣いによって傷の痛みが少しずつ緩和してきているのを感じる。有難いことだと思う。


元気だったら今頃は

2014-01-02 17:41:35 | 家族

冷たい風が吹いていますが、今日も冬晴れです。愛車を駆って最寄駅へ。電車に乗り、降りてから30分余り歩いて、墓地へ。今日は亡娘の祥月命日です。

先天性多発性腸閉鎖で誕生直後に大手術。苦しむために生まれたような子でした。顔立ちは私には似てなくて、端正で美人顔。姑にそっくりでした。ミルクがなかなか飲めないこの子に、姑が飲ませようと懸命になっていた姿を、今もありありと思い出します。その姑も、娘の父親も、この墓に眠っています。

Dscn0201正月の墓地には、一同揃ってお参りしている家族の姿がチラホラ。幼い子にとっては墓参りは珍しいし、家族に囲まれているし、楽しそうです。私の娘は1歳8ヵ月で逝きましたが、元気だったら今頃は、あのくらいの孫(娘の子)に恵まれていたかも知れない・・などと、仕方がないことを思ってしまいます。煩悩の極みですね。


久しぶりの電車

2013-12-23 20:16:11 | 家族

早朝の野は強霜で一面真白。屋外の水栓が、今季初めて凍りました。犬と鶏の飲水の取換えには、屋内水栓からの水を持ち出さねばならない季節です。

愛車も霜で窓もボディも真白。亡父の祥月命日を少し過ぎたけれど、久しぶりに墓参に行くことにしました。9時頃出発。フロントの霜をヒーターで融かして前が見えるまで10分ぐらい掛かりました。

最寄駅からは電車です。電車に乗るのは数か月ぶり。途中で乗り換えて、空いている席に座ろうとしたら、横からサッと割り込んだ若い男が座ってしまいました。それで別の空いた席に座ろうとしたら、その席に向って突き進んでくる男が目に入ったので、私は慌てて急いで座りました。ヤレヤレ。首都圏で暮らしていたときは、これが日常だったんだ、と思い出してゾッとしました。

ボックス席の向こう側は中年のキリっとした感じの女性。その隣には少し年上に見える白人男性。電車が動き出し、私がリュックから新聞を出して読み始めたら、二人の会話が始まりました。二人は夫婦のようで、何の気取りも感じられないリラックスした会話です。日本人女性は日本語で話し、白人男性は英語で話しています。こういう会話の仕方を私は珍しく思い、暫くの間、聞くともなしに聞いていました。

日本人には日本語、英米人には英語が一番リラックスできる言葉ですから、こういう会話の仕方が、むしろ自然でいいのかも知れないですね。

新聞には、天皇誕生日にあたっての天皇陛下の記者会見でのお言葉が掲載されていました。

80年の道のりを振り返って、(略)やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです(略)この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失なったことを思うと、本当に痛ましい限りです。

戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ改善していくために、当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持を抱いています。また当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないと思います。

戦争犠牲者を悼む気持をまず述べられ、平和と民主主義を大切に守るために日本国憲法が作られたこと・・・穏やかな語り口でありながら、深い心情と確固とした信念を感じさせられるお言葉・・・私は何だか胸が一杯になりました。

天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています。

これからも日々国民の幸せを祈りつつ、努めていきたいと思います。

今年、この国の平和と民主主義は、白昼堂々と踏み躙られるようになりました。ひどい時代ですが、平和と民主主義そして日本国憲法を、おそらく誰よりも深い心で尊重されている今上天皇の存在は、かけがえのない希望の光です。お体を大切に、長生きしていただきたいと心から願わずにはいられません。

片道約2時間半で、亡父が納骨されている某市営霊園に着きました。風は冷たいけれど、降りた駅から霊園まで30分ぐらい急ぎ足で歩いたら汗ばんできて、防寒ジャンパーを脱ぎました。

霊堂で掌を合わせると、私が幼かったころの若かった父、私が年頃になったときの父、そして年老いた父、私が一人で傍らにいた最後のときの父・・・それぞれのときの父の姿が脳裏をよぎっていきました。そしてこの私も、遠からず往くのだ、と。

Dscn0183参拝を終えてから、霊園内の休憩所で(降車駅前の店で購入した)パン二つと(休憩所内の自動販売機の)ボトル茶の昼食を摂りました。50人ぐらいは入れそうな部屋ですが、私以外はトイレを借りてすぐ出ていった方が一人いただけ。殺風景ながら暖房が効いていて、有難い部屋です。

霊園の清掃等の管理を担当しているらしい職員の方が3人、入ってこられましたが、電気ポットのお湯をカップに注いで退室。寒い屋外のベンチで食事をされている御様子。参拝客である私に遠慮されてのことのようです。祭日のお仕事、御苦労様!


心の中で応援

2013-07-27 15:18:12 | 家族

久しぶりに息子が来庵してくれました。忙しい仕事の合間のとんぼがえりでしたが。

Dscn3610昨年頭、念願の開業をした息子です。厳しい経済情勢の中ですが、地域の方々の信頼を得ることをめざして、お嫁ちゃんと一緒に頑張っているようです。私に出来ることは、心の中で応援するだけ。

料理下手の私が、私なりに一所懸命?作ったカレーライスをお替りしてくれて、嬉しかった!

朝から雷が鳴ったり、局所的な短時間豪雨だったり、荒れた天気の今日ですが、息子を最寄り駅まで愛車で送るときには青空が少し広がって、風景が明るくなりました。


超能力?

2013-05-12 20:31:50 | 家族

宅配が届きました。母の日のプレゼントをお嫁ちゃんが贈ってくれたのです。郵便局の赤い車から品物を出して私に渡してくださった配達の方も、何だか嬉しそうな微笑を浮かべていました。受取る私はちょっと照れくさい微笑・・

Dscn3402品物を選んだのも、送る手配をしたのもお嫁ちゃんに違いないし、手紙を書いて添えてくれたのもお嫁ちゃんなのですが、送り主の欄には息子の名前が書かれています。お嫁ちゃんの気遣いです。

贈り物の中身は私の好きなものばかり 離れて住んでいて、めったに会えないのに、私がひそかに欲しいと思っているもの、そして好きなものをいつも贈ってくれるお嫁ちゃんは、まるで超能力?を持っているみたいです。

息子たちが営んでいる事務所は、地域の人々に支えられて繁盛し、とても忙しいようですが、二人仲良く元気よくやっている様子に心温められます。


齢をとったから話せる

2013-01-15 19:16:29 | 家族

昨日の雪が残っている道を、恐るおそる愛車で最寄駅へ。電車に乗って北千住まで。兄の上京の機会に、姉と共に3人きょうだいで久しぶりの再会です。

Dscn3089駅ビルのレストランで食事をしながら、子供時代のことも近況のことも、お互いに話したいことが矢つぎばや。同じ屋根の下に一緒に暮らしていた頃は、こんなに話してはいなかったのですが。齢をとったから話せることってあるんですね!

Dscn3090姉は緑内障を患いながらも、生涯学習サークルやカラオケサークル、そして絵の趣味などを楽しみ、兄は釣、菜園、囲碁、テニスなど。二人とも元気溌剌で、子供時代の不遇を帳消しにして余りある風でした。最近落ち込みがちの私には良い刺激でした。